野本神社〈大神宮〉(のもとじんじゃ)は 元和二年(1616)の棟札に「大神宮大六天魔王野本村鎮守也」と記され 享保の初め(1716年~)の火災で小祠となったと伝わります 延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社でもあります
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
野本神社(Nomoto shrine)
【通称名(Common name)】
・大神宮(だいじんぐう)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡松崎町峰輪461
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大神宮(だいじんぐう)
大六天(だいろくてん)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代 不詳
【由 緒 (History)】
「○伊豆志ニ、峯輪村ノ野本ニ神明トテアリ、一祠ニシテ両扉、元和二年ノ棟札ニ、大神宮大六天魔王野本村鎮守也トアリ、享保ノ初火災、今小祠トナル、舊記ミナ焚タリ」
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
〈社殿の向かって左 数宇の祠〉
石祠4宇 と 御石?
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)
[名神大 大 小] 式内名神大社
[旧 神社 名称 ] 箕勾神社
[ふ り が な ](みのわの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Minowa no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社について
・箕勾神社(松崎町峰輪)
・野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
西伊豆 松崎の街〈松崎町役場〉から県道15号を西へ約5km 車7分
鎮座地は 下田警察署 松崎分庁舎の東 那賀川の西側ですが 入口は少しわかりづらく 住宅の中の細い道を歩きます
すると小高い丘の麓に 白い鳥居が建っています
野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)に参着
境内は広くありませんが 何本かの古木がありますので 住宅が建つ前は深い杜であったのかも知れません
一礼をして 鳥居をくぐり
拝殿にすすみます
社殿の銘板には゛大神宮゛と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
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【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『伊豆国神階帳(izunokuni shinkaicho)』康永2年(1343年)に記される内容
那賀郡 貳拾四所の筆頭に記されています
【抜粋意訳】
那賀郡 貳拾四所
従四位上 みのわの明神
【原文参照】
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
箕勾神社について 所在は峯輪村とし 一祠に両扉に日光・月光を祀る
日光・月光は 萬治三年(1660)に天神林へ遷座し合祀 と記しています
【抜粋意訳】
巻九 神祠下 那賀郡
箕勾神社
峯輪村
〇天神 熊野 以上前に見ゆ 日光月光 同林 両扉に〆 神像に躯を祀る 舊日月に在り 萬治三年 天神林(モリ)へ遷すふ 棟札に見ゆ
〇浅間 在に細野山の上 一里許り火原山の内之
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社の箕勾神社について 祭神 在所等の詳細は不明としながら
伊豆志の引用を載せている これによれば
・峯輪村ノ野本ニ神明〈現 野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)〉
・西縄ノ天神原ノ天神〈現 箕勾神社(松崎町峰輪)〉
この二つの祠のいずれかであろう と記しています
【抜粋意訳】
箕勾神社
箕勾は 美乃和と訓べし
〇祭神 在所等詳ならず
國圖云、峯輸村にあり、
○伊豆志ニ、峯輪村ノ野本ニ神明トテアリ、一祠ニシテ両扉、元和二年ノ棟札ニ、大神宮大六天魔王野本村鎮守也トアリ、享保ノ初火災、今小祠トナル、舊記ミナ焚タリ
又 西縄ノ天神原ノ天神、延慶元年、應永卅二年ノ棟札アレドモ字ヨメガタシ、熊野権現ノ神像トテ十二アリ尤古シ、古鏡六、大小ノ鐸二、磐一アリ、祭式古風也、又箕勾石二ツアリ、上古ノ神體也、コノ二祠イヅレニヤ未定、
神位
國内神階記云、從四位上みのわの明神、
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社の箕勾神社について 峯輪村野本 神明〈現 野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)〉 と記しています
【抜粋意訳】
箕勾(ミノワノ)神社
今 峯輪村野本にあり、神明と云ふ、凡九月廿五日祭を行ふ、豆州志、足柄縣式社取調帳
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社の箕勾神社について 祭神・祭日などは不詳
所在について 峯輪村とだけ 記しています
【抜粋意訳】
箕勾(ミノワノ)神社
祭神
祭日
社格 (無社格)所在 峯輪村(賀茂郡中川村大字峯輪)
【原文参照】
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
式内社の箕勾神社について 峯輪村 神明社〈現 野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)〉とするが
とても古い祠の天神社〈現 箕勾神社(松崎町峰輪)〉があり こちらも可能性があり 記しておく と記されています
【抜粋意訳】
箕勾(みのわの)神社
那賀郡 峯輪(みねわ)村 鎮座 ものわ明神 神階帳
舊称 神明社なるべし 國圖豆志攷
当社例の衰替に属して上古の景迹存するものなし 又 同村 天神社あり 頗舊祠にして社宇も略大なせば心引るる方なきに非ず 故に附記して後の参攷に供ふ
【原文参照】
野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)