那波加神社(なはかじんじゃ)は 社伝には 大古 天太玉命がこの地に降臨 苗鹿の地名も「老翁となった天太玉命の農事を鹿が助け 苗(稲)を鹿が背負って運んだ」と云う 創建は天智天皇7年(668) 大同2年(807)別宮の荒魂社(上宮)を創建 地域を治めた小槻氏が崇敬した 式内社 那波加神社(なはかの かみのやしろ)です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
那波加神社(Nahaka shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
滋賀県大津市 苗鹿(のうか)1-8-1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天太玉命(あめのふとだまのみこと)
《配》於知別命 (おちわけのみこと)〈第11代垂仁天皇皇子 当地を治めた小槻氏の祖〉
※別説では 雄琴神社の御祭神 今雄宿禰命(いまをのすくねのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】

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那波加神社
那波加神社(下社)
天智天皇七年(六六八)
境内社 龍神社 夷社 宇賀社 大将軍社
那波加荒魂社(上社)
平城天皇大同二年(八〇七)
境内社 大炊社 愛宕社 須古社
由緒
ご祭神「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」は、古よりこの地に降臨し、天智天皇七年(六六八)に神社を創建、垂仁天皇の皇子小槻氏の始祖「於知別命」を配祀し、平城天皇大同二年(八〇七)には荒魂社を創建し別宮としたと伝えられています。
地名の由来も「老翁となった天太玉命の農事を鹿が助け、苗(稲)を鹿が背負って運んだ」ことから、苗鹿となったと伝えられています。
この地域を治め朝廷の事務を司る小槻氏の崇敬を受け、延喜式神名帳に名を列ねる式内社となり、建武二年(一三五五)には、天皇より勅使が差遣され、天下太平祈願の奉幣の記録も残っています。
比叡山延暦寺との関係も深く、円仁が横川中堂を建立したとき、苗鹿明神が内陣柱を奉加したことから、天台宗の根本法華経を守る三十番神二十九日目の守護神として全国著名大社の神々に並び崇敬されています。
元亀二年(一五七一)の兵火により社殿等を焼失し、慶長十二年(一六〇七)氏子崇敬者が一致協力して社殿他を再建し神社を護持しました。
明治九年村社、明治二十八年郷社、明治三十五年(一九〇二)に県社となっています。現在、下の宮に一間社流造の本殿の他、境内に龍神社、夷社、宇賀社、大将軍社を祀り、上の宮には荒魂社本殿の他、大炊社、愛宕社、須古社の境内社をお祀りしています。
現地案内板より

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【由 緒 (History)】
那波加(ナハカ)神社
御祭神 天太玉命
御神紋
苗を背負鹿 又は三ツ巴
御由緒
社伝によると、祭神天太玉命は太古より此の地に降臨し給うた。
天智天皇七年に営社、於知別命を配祀する。於知別命は垂仁天皇の皇子小槻氏の始祖である。
平城天皇大同二年に斎部宿禰広成が祭神の荒魂社を創建し別宮とした。これが飛地境内社那波加荒魂社即ち上の宮である。
延喜の制、延喜式内滋賀郡八座の一である。
建武二年勅使奉幣の儀があり、元亀二年兵燹の為焼失、慶弔十二年再興された。 明治三十五年県社に昇格す。本殿・境内建物
〔本殿〕一間社流造 間口五尺 奥行五尺
〔拝殿〕入母屋造 間口二間一尺 奥行二間一尺
〔その他〕境内社(摂社・末社)
龍神社 夷社 宇賀社 大将軍社 幸神社
(境外) 那波加荒魂神社 (上の宮) 愛宕社 大炊社 須古社
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・那波加神社〈下宮〉本殿・向右に境内社2社〈夷神社・龍神社〉・本殿拝所

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・那波加神社〈下宮〉本殿・向左に境内社3社〈幸神社・大将軍社・宇賀神社〉

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・拝殿〈舞殿〉・境内向かって右の境内社

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・鳥居

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・社頭

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・那波加荒魂神社〈上宮〉
平安時代初期 斎部宿禰広成〈『古語拾遺』の著者〉が 那波加神社 祭神の荒魂社を創建し 別宮としたと云う
・那波加荒魂神社〈上宮〉(大津市苗鹿)の記事を参照
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江國 155座(大13座・小142座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)滋賀郡 8座(大3座・小5座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 那波加神社
[ふ り が な ](なはかの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Nahaka no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
近江國 滋賀郡 那波加神社(なはかの かみのやしろ)の論社について
現在は 那波加神社〈下宮〉が本社 那波加荒魂神社〈上宮〉が末社(御旅所)とされます
『式内社調査報告』には「今も祭祀の上では上宮から下宮への神幸が行はれ」とあり 上宮は単なる御旅所なのでしょうか?
・那波加神社〈下宮〉(大津市苗鹿)
・那波加荒魂神社〈上宮〉(大津市苗鹿)
雄琴神社(大津市雄琴)について
雄琴神社は 那波加神社〈下宮〉〈上宮〉と深い関係にあります
雄琴神社 (大津市)の御祭神は 大炊神今雄宿禰命(おおいのかみ いまをすくねのみこと)は 那波加神社の御祭神 於知別命 (おちわけのみこと)〈第11代垂仁天皇皇子 当地を治めた小槻氏の祖〉の後裔です
仁寿元年(851)雄琴荘を拝領し 元慶8年(884)没 のち当地を治めた小槻氏(官務家)の祖とされます
・雄琴神社(大津市雄琴)の記事を参照ください
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR湖西線 比叡山坂本駅から県道558号線を北上して 約2.4km 車で6分程度

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社頭の脇に゛苗鹿゛の石碑があって 苗鹿(のうか)の地名の由来が記されています
苗鹿
那波加神社(苗鹿一丁目)の縁起には、祭神の天太玉命が、稲の苗を背負った鹿に導かれるとの記載があります。苗鹿の地名はこの伝承によるものといわれ「のうか」の読みは、社名の那波加が転訛したものとされています。
現地石碑文より

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那波加神社の社号標が建ち 石畳の参道があります
那波加神社(大津市苗鹿)に参着

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南向きに鳥居があり 一礼をしてから 鳥居の下の扉を開き境内に進みます

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舞殿のような拝殿があり その奥に 神門に拝所が設けられています

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拝所にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 那波加神社について 所在は゛雄琴荘苗鹿村に在す、頭注に一名 苗鹿とあり、今 俗 鹿明神と稱す゛〈現 那波加神社(大津市苗鹿)〉と記しています
【抜粋意訳】
那波加神社
那波加は 假字也
〇祭神 天太玉命、〔丗番社注〕
〇雄琴荘苗鹿村に在す、頭注に一名 苗鹿とあり、今 俗 鹿明神と稱す、諸社根元記に、三十番神、廿九日、苗鹿とあり、〔拾芥抄同じ〕卜部兼熈卿番神の注に、天太玉命化に老翁、鹿負、稲導之、故名焉と云り、〔丗番神の事は首巻に云り〕
造営 神祇正宗に、人皇三十九代 天智天皇七年營社、
考証に、那波加神社 配に雄琴神社為に、小槻氏神、相傳 那波加者 宇賀御魂神
近江國與地志略にも、土俗 此社 を壬生官務の氏神也と云り、〔連胤〕
按るに、苗鹿村は古昔 小槻氏 管領の地也、
是に因て 苗鹿社を崇敬せること他に異なりとみゆ、又 同村 法光寺は今 雄本願にて堂舎を建立し、〔以下缺く〕
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 那波加神社について 所在は゛今 坂本郷 苗鹿村にあり、苗鹿大明神と云ふ、゛〈現 那波加神社(大津市苗鹿)〉と記しています
【抜粋意訳】
那波加(ナハカノ)神社
今 坂本郷 苗鹿村にあり、苗鹿大明神と云ふ、
凡 毎年四月中酉日祭を行ふ、〔神名帳考証、和爾雅、國華万葉集、東海道名所圖會、〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 那波加神社について 所在は゛苗鹿村 (滋賀郡雄琴村大字苗鹿)゛〈現 那波加神社(大津市苗鹿)〉と記しています
【抜粋意訳】
那波加(ナハカノ)神社
祭神 天ノ太玉ノ命
今按 神祇正宗に苗鹿大明神 天太玉命也とある是なり
神名帳考證に那波加神社 配に雄琴神社爲に小槻氏神 相傳 那波加者 字賀御玉神 雄琴者 今雄宿禰也とある 宇賀御玉とは那波加を苗鹿とも書を以て 稻苗に附會せしものなれば信難し
今 雄宿禰は小槻氏の祖なり 近江國輿地志略にも 土俗 此社を壬生官務の氏神也と云りとあり こは此ノ地壬生官務〔即 小槻氏〕管領の所なるを以て 此神を尊崇しつるより氏神とも云しにて 小槻氏の眞の祖神と云ことにはあらずされど 本社に今雄を配せ祭りつらんも知り難けれど 輿地志略 雄琴村 雄琴大明神社 祭神 白山権現とあれば今雄を祭ると云こととりがたし祭日 四月二酉日
社格 村社(縣社)所在 苗鹿村 (滋賀郡雄琴村大字苗鹿)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
那波加神社(大津市苗鹿)について 式内社 那波加神社であり 明治二十八年縣社に昇格したと記しています
【抜粋意訳】
〇滋賀縣 近江國 滋賀郡雄琴村大字苗鹿(ナハカ)
縣社 那波加(ナカハノ)神社
祭神 字賀御玉(ウガノミタマノ)命
相殿 今雄宿禰(イマヲノスクネ)
祭神は一説に天太玉命なりと云ふ(神祇政宗、神社覈録、輿地誌略、特選神名牒)之れ蓋し 卜部兼煕の三十番神 苗鹿の註に、天太玉命 老翁に化し、鹿稲を負うて之を導く、故に名づくる由いへるに據れる者ならん、
また特選神名牒にも、當 祭神 宇賀御玉命とあるを非として 曰く「此社の祭神を宇賀御玉命といへるは、那渡加を苗鹿とも書くを以て、稲苗に附會せしものなれば信じがたし」といへり、果して孰れか是ならん、暫く記して後考を俟つ、
創祀年代詳ならずと難も、天智天皇七年に社を營みし事 神紙正宗に見えたれば、其古社なる事知るべし、博へ云ふ、比叡山 横山の佛像はもと當社の神木を以て之を造れり、然るに六條天皇仁安四年二月五日焼亡す、依つて舊例に準じて、その再建用材を當社の神林に選ぶべしとなす、然れども神慮計りがたきを以て、同十六日横川の學徳五十人當社に詣りて、百座仁王講を修せし事ありと(山門堂社記)、
下野國誌に「後花園天皇 寛正年中 壬生官務家の庶流彦五郎胤業 下野國に下向の時、雄琴明神を壬生城に勧請す」とあるは、即ち當社より分祀せるものなりと云ふ、此地 往古 壬生氏の舊領にして、土俗 此社は壬生官務の氏神なりといへれば、同族の崇敬は他に異なりしなるべし、兎に角に早くより世に聞えたる社なり、社格は延喜の制小社たりしが、明治の初年村社に列し、同二十八年縣社に昇格せり。社殿は本殿,拝殿、其他倉庫、獻燈所、井戸屋形等の建物を具ヘ、地は坂本村の北に隣り、西に横川嶺を擁し、東方琵琶潮を控へて眺矚絶佳なり、されば古より名所として知られ、金葉集に「松風の雄琴の里に通ふにぞ治まれる世の聲は聞ゆる」と詠めるは、實に此地なりとす、境内は三百六十三坪(官有地第一種)あり。
境内神社
夷神社 宇賀神社 大将軍社 龍神社
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278
那波加神社(大津市苗鹿)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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