長幡部神社(児玉郡上里町長浜)〈延喜式内社〉

長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は 創建年代は不詳 此の地域に進出した長幡部氏〈高度な機織り技術を持った渡来系氏族〉が 神流川南岸の西的場に機織りの神゛天羽槌雄命゛を祀ったことが起源とされ 天永元年(1110)洪水のため社地が流亡し現在地に遷座と伝えます 延喜式内社 武蔵國 賀美郡の4座(並小)すべての論社です

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目次

 1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

 【神社名(Shrine name

長幡部神社(Nagahatabe shrine

 通称名(Common name)

丹生様(たんしょうさま)

【鎮座地 (Location) 

埼玉県児玉郡上里町長浜1370(大字長浜字長幡)

  (Google Map)

 【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天羽槌雄命(あめのはづちおのみこと)

《配》埴山姫命(はにやまひめのみこと)
   倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
   建御名方命(たけみなかたのみこと)
   大日孁貴命(おほひるめのむちのみこと)

 【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

 【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

 第62回伊勢神宮式年遷宮紀念

長幡部神社

上里町大字長浜字長幡前1370

□由緒
 神流川(かんながわ)流域に位置する古代の賀美(かみ)郡内には、『延喜式』神帳に登載されている神社として、当社「長幡部神社」と「今城青坂稲実(いまきあおやさかいなのみ)神社」「今木青坂稲実荒御魂(いまきあおさかのいなみあらみたま)神社」「今城青八坂池上(いまきあおさかいなみのいけがみ)神社」の四社がある。これらは、いずれも此の地域に進出してきた氏族が奉斎した神社として考えられる。
長幡部は機織(はたお)りの技術を持った集団が祀った神社を社名で表したと考えられる。

 鎮座地は、神社明細帳に「往時本村地内神流川の南岸字宮の西的場(にしまとば)に鎮座し本郡の総社及び当村の氏神なりと云う、然るに天永元年(1110)洪水のため社地流亡せしを以て此の地に遷座せりと記されている。

 古代の長幡部氏のその後の動向は明らかではないが、江戸幕府の偏纂した新編武蔵風土記稿には「長幡五所宮 村の鎮守とす、延喜式神名帳に、加美郡長幡部神社と載るも是なりと云う、今ば最小社となりてさせる古社ともおもはれざれど、長幡郷中の鎮座にして、其地名も廣わたりたれば、当社恐くは式社なるべし、千壽院持」と載せている。江戸時代に当社の管理をしていた当山派修験の千壽院は、明治の初年の神仏分離により、当社から離れた。

 明治5年に長幡五所宮から長幡部神社へと社名を復した。

御祭神 天羽槌雄命(あめのはづちおのみこと)

御神徳 地域の繁栄と人びとの守護 五穀豊穣 諸芸向上

  春祭り 3月19日 秋祭り 10月19日

現地案内板より

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 【由  (History)】

 由緒

  当社は、元は本村地内の神流川南岸の字宮の西的場に鎮座していたが、天栄元年(1110)の洪水で社地が流失したため、現在地に遷座したという。天正年間(1573ー1592)に戦火により社殿及び宝物書類等焼失。江戸時代には当山派修験の千寿院が当社の管理をしていた。

 明治5年、村社に列する。明治41年、字神田の久保皇大神社及び字永長の上郷皇大神社の2社を合祀の上、本社境内神社として移転。(※両社は戦後旧社地に復座した。)大正2年、字海老窪の無格社稲荷神社、字中長の無格社諏訪神社及び菅原神社、字海老窪の無格社諏訪神社、字柳町の無格社皇大神社を本社に合祀。

上里 菅原神社公式HPより
http://tenjin.main.jp/cn4/pg3022663.html

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 神社の境内 (Precincts of the shrine)】

境内社の覆屋と石祠

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・稲荷神社《主》倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

由緒 不詳 明治41年に字宮の村社丹生神社境内社稲荷神社を本社と合祀

 ・菅原神社《主》菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

由緒 不詳 明治41年に字永長皇大神社境内社菅原神社を境内神社として移転

 ・諏訪神社《主》建御名方命(たけみなかたのみこと)

 ・八幡神社《主》應神天皇(おうじんてんのう)

 ・八坂神社《主》素盞嗚命(すさのおのみこと)

由緒 不詳 明治41に字宮村社丹生神社境内社八坂神社を本社と合祀

 ・蠶影神社(こかげじんじゃ)《主》埴山姫命(はにやまひめのみこと)

由緒 不詳 明治41年に字宮村社丹生神社境内社蠶影神社を境内神社として移転

 ・琴平神社《主》大物主命(おおものぬしのみこと)

由緒 不詳 明治41年に字宮村社丹生神社の境内神社琴平神社及び字永長村社皇大神社境内神社の琴平神社の2社を合祀の上 境内神社として移転

 神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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 この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

 この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

 『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

 延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

 長幡部神社(上里町長浜)は 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)4座すべての論社となっています

①式内社 長幡部神社長幡部神社の本社〉

②式内社 今城青八坂稲實神社長幡部神社の相殿&合祀 神明社(上里町長浜字久保)

③式内社 今木青坂稲實荒御魂神社長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字宮)

④式内社 今城青坂稲実池上神社長幡部神社の相殿 神明社(上里町長浜字久保)

 ①式内社 長幡部神社〈本社〉

 [旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀美郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 長幡部神社
[ふ り が な ](なかはたへの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nakahatahe no kamino yashiro)

 ②式内社 今城青八坂稲實神社長幡部神社の相殿&合祀 神明社(上里町長浜字久保)

 [旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀美郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 今城青八坂稲實神社
[ふ り が な ](いまき あを やさか いなみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Imaki awo yasaka inami no kamino yashiro)

 ③式内社 今木青坂稲實荒御魂神社長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字宮)

 [旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀美郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 今木青坂稲實荒御魂神社
[ふ り が な ](いまき あをさか いなみあらみたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Imaki awosaka inamiaramitama no kamino yashiro)

 ④式内社 今城青坂稲實池上神社長幡部神社の相殿 神明社(上里町長浜字久保)

 [旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)武蔵 44座(大2座・小42座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀美郡 4座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 今城青坂稲實池上神社
[ふ り が な ](いまき あをさか いなみの いけかみの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Imaki awosaka inamino ikekami no kamino yashiro)

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)について

 延喜式内社 武蔵國 賀美郡 4座(並小)について その所在は4社ともに確証がなく 尚且つ明治期の合祀によって それぞれが入り乱れて論社となっています それぞれの論社を参照

長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)

・長幡部神社(上里町長浜)

今城青八坂稲實神社(いまき あを やさか いなみの かみのやしろ)

・天神社(上里町五明)

・熊野神社(神川町八日市)

・阿保神社(神川町元阿保)

・七本木神社(上里町七本木)
〈七本木神社に合祀 榛名大神社 

・長幡部神社(上里町長浜)
〈長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字久保)〉

・皇大神社(上里町長浜神田)
〈長幡部神社に合祀された 稲荷社(上里町長浜字久保)の旧鎮座地〉

今木青坂稲實荒御魂神社(いまき あをさか いなみあらみたまの かみのやしろ)

・熊野神社(上里町堤)

・七本木神社(上里町七本木)
〈七本木神社に合祀 榛名大神社〉

・阿保神社(神川町元阿保)に合祀
〈今木青坂稲實荒御魂神社の論社 稲荷神社(
字稲荷宿)を明治43年(1910)阿保神社に合祀

・長幡部神社(上里町長浜)
〈長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字久保)〉

・皇大神社(上里町長浜神田)
〈長幡部神社に合祀された 稲荷社(上里町長浜字久保)の旧鎮座地〉

・稲荷神社(上里町八町河原)〈参考〉

今城青坂稲實池上神社(いまき あをさか いなみの いけかみの かみのやしろ)

・今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)

・今城青坂稲実池上神社(神川町関口)
〈天正5年(1577)3月 元阿保村と関口村が分立の際 六所社(現 阿保神社)の裏当たりに鎮座していた今城青坂稲實池上神社の論社゛丹生明神゛を関口村字池上に遷座し 関口村の鎮守としたもの〉

・阿保神社(神川町元阿保)の境内
〈天正5年(1577)3月 元阿保村と関口村が分立の際 関口村の鎮守として遷座した
今城青坂稲實池上神社の論社゛丹生明神゛の旧鎮座地に石祠を祀奉り 境内に再建(慶應三年)〉

・七本木神社(上里町七本木)
〈七本木神社に合祀 榛名大神社〉

・長幡部神社(上里町長浜)
〈長幡部神社の相殿&合祀 稲荷社(上里町長浜字久保)〉

・皇大神社(上里町長浜神田)
〈長幡部神社に合祀された 稲荷社(上里町長浜字久保)の旧鎮座地〉

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延喜式内社 武蔵國 賀美郡 長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)の類社について

 同じ 延喜式内社として
延喜式神名帳927 AD.には 当社〈延喜式内社 武蔵國 賀美郡 長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)〉と同名の所載社゛長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)゛が 常陸國にあります

延喜式内社 常陸國 久慈郡 長幡部神社(なかはたへの かみのやしろ)があります その論社について

 ・長幡部神社 旧鎮座地(常陸太田市幡町)

  

・長幡部神社(常陸太田市幡町)

 

 【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

 関越自動車道 上里SAのスマートICから南下 約2.5km 車7分程度

 社頭には 社号標には゛延喜式内 長幡部神社゛と刻字

長幡部神社(上里町長浜)に参着

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 一礼をして 朱色の両部鳥居をくぐります

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 石灯籠の先

拝殿にすすみます
境内社は 向かって右手奥に纏まって鎮座

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 拝殿内には 本殿と左右に合祀殿が鎮座します

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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 拝殿の奥には 覆屋根のような張り出し

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 境内社にお参りをして 社殿に一礼 参道を戻ります

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鳥居をくぐり抜けると 社前は一面の水田が広がり 稲穂が垂れ始めています

その遥か先に見える山々は 秩父連峰です

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

 『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

 式内社 長幡部神社の所在について 下郷長濱村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社・式内社 今木青坂稻荒御魂神社・式内社 今城青坂稻池上神社について 三社を合祭て榛名大明神〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社〉と記しています
・式内社 今木青坂稻實荒御魂神社・式内社 今城青坂稻實池上神社について 青坂は゛青八坂゛が正しく 八の字が抜けている と記しています

 【抜粋意訳】

長幡部(ナガタヘ)神社

 古事記 日子坐王子神大根王者ーーー連之祖
式社考 下郷長濱村にあり

 今城青八坂稲實(イマギアヲヤサカイナミ)神社

大嘗會式 稜穂田稲実 卜部

 旧  事 奉献 天瑞立今木 又云 五十櫛 亦曰 今木刺饒於布都主劔
万葉 集 五十串立神酒座奉
式社 考 本長濱村今城云々の三社を合祭て榛名大明神と称す 太田氏式社細見録に見えたり

 今木青坂稻荒御魂(イマキアヲサカイナミアラミタマ)神社

 〇信友云 青下脱八字

 今城青坂稻池上(イマキアヲサカイナミイケガミ)神社

 〇信友云 青下脱八字

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『新編武蔵風土記稿(Shimpen Musashi fudokiko)』文政13年(1830)完成 に記される伝承

 長幡部神社(上里町長浜)ついて 長濱下郷村にあり゛長幡五所宮゛と呼ばれている おそらく式内社 長幡部神社でろうと記しています

 【抜粋意訳】

新編武蔵風土記稿 巻之二百四十四 加美郡之二 長濱下郷村

 長幡五所宮

 村の鎮守とす 延喜式神名帳に加美郡 長幡神社と載るもの是なりと云
今は最小社となりてなせる 古社ともおもわざれど 長幡郷中の鎮座にして 其地名も廣わたりたれば 当社恐くは式社なるべし 千壽院持

 【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『新編武蔵風土記稿』 著者:間宮士信[数量]265巻80冊[書誌事項]活版 ,明治17年 , 内務省地理局[旧蔵者]太政官正院地志課・地理寮地誌課・内務省地理局https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002820&ID=M2017051812110439332&TYPE=&NO=

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

 式内社 長幡部神社の所在について 長濱下郷村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社の所在について 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社

 式内社 今木青坂稻荒御魂神社の所在について 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社 

 式内社 今城青坂稻池上神社の所在について 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社

と記しています

【抜粋意訳】

長幡部神社

 長幡部は 奈賀波多倍と訓べし
○祭神 長幡部連祖歟、(地名紀、祭神比咩大神と云、)
〇長濱下郷村に在す、(地名記)今長幡五社宮と称す、証考

例祭  日、
〇古事記、(開化段)日子坐王之子大根王者、長幡部連之祖、

 類社
常陸國 久慈郡 長幡部神社

 今城青八坂稲實神社

 今城青八坂稲實は 伊麻岐阿袁夜佐加伊奈美と訓べし

祭神 稚産靈尊地名記
七本木村に在す、地名記、証考

 今木青坂稻荒御魂神社

 今木は 前に同し、青坂は 佐加と訓べし、疑ふらくは、前に同じく、青八坂なる八の字を脱せるか、
は前に同じ、荒卿魂は阿良美多麻と訓べし、

○祭神 天児屋命、此咩大神、地名記

七本木村に在す、同上

例祭  日、

 今城青坂稻池上神社

 今城青坂稲 前に同、池上は 伊介賀美と訓ベ

○祭神 伊吹戸主命、地名記

 〇七本木村に在す、同上
例祭  日、

 前件三社、
太田氏式社細見録には、本長瀬村に合祭して榛名大明神と称すと云り、
地名記も、村名はかはれども、同所鎮坐の由は同じ、さて祭神の説は、記のまゝに載すといへども疑はし、猶考ふべし、

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

 『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

 式内社 長幡部神社の所在について 下郷長濱村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社は「八坂」となっていて
・式内社 今木青坂稻荒御魂神社・式内社 今城青坂稻池上神社について 「八」の文字が抜けている 本来は「八坂」であると記しています

 【抜粋意訳】

長幡部(ナガタベノ)神社

  下郷長濱村にあり、長幡部五社といふ、巡拝舊祠記、神名帳土代、
蓋 長幡部連の祖神 大根王を祀る、斟酌古事記、延喜式、

 今城青八坂稲實(イマキアヲヤサカイナミノ)神社
 今木青坂稻荒御魂(イマキアヲサカイナミノアラミタマノ)神社
今城青坂稻池上(イマキアヲサカイナミノイケガミノ)神社

〇按 已上二座、坂の上疑くは八字を脱せり

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

 式内社 長幡部神社について 長濱村〈現 長幡部神社(上里町長浜)

 式内社 今城青八坂稲實神社について 社名のみ記載

式内社 今木青坂稻荒御魂神社について 社名のみ記載

式内社 今城青坂稻池上神社について 忍保村〈現 今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)

と記していますが 参考として論社を挙げています

實神は 八日市村の熊野権現〈現 熊野神社(神川町八日市)
實神は 七本木村〈現 七本木神社(上里町七本木)
荒御魂神社は 七本木村の榛名明神〈現 七本木神社(上里町七本木)
池上神社は  伊吹戸主命にて同所〈現 七本木神社(上里町七本木)

 この三社を本長濱村に合わせ祭りて榛名大明神と称す〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社
三座とも長幡部神社の相殿〈現 長幡部神社(上里町長浜)の相殿

関口村の丹生〈現 今城青坂稲実池上神社(神川町関口)〉 七本木村の榛名〈現 七本木神社(上里町七本木)に合祀の榛名宮神社〉 忍保村の稲荷〈現 今城青坂稲実池上神社(上里町忍保)

 【抜粋意訳】

長幡部神社

 祭神
今按
武藏式社道程命附に祭神 姫大神とあり
神社覈録に地名記を引るにも同じ
されど 長幡部は 古事記に 日子坐王之下大根王者 長幡部連之祖とあるに據らば神 大根王を祭れる歟
又 常陸久慈郡に長幡部神社あり 常陸風土記 古老曰 珠賣美萬命 自天降時為織御衣從而降之神名綺日安命 本自筑紫國 日向二神之峰至 三野國引津根之丘後 及 美麻貴天皇之世 長幡部造祖 多弖命 避 自三野遷于久慈造立機殿 初織之其所 織服自成衣装更無裁縫い謂之内幡とあるによる時は綺日安命 或は多弖命を祭れるか こは皇別の長幡部とは出自異にして神別の氏人 なるべし

祭日
社格 村社
所在 長濱村(児玉郡長幡村大字長幡)

 今城青八坂稲實神社

祭神
祭日
社格
所在

 今木青坂稻荒御魂神社

祭神
祭日
社格
所在

 今城青坂稻池上神社

祭神
祭日
社格 村社(郷社)
所在 忍保村(児玉郡神保原村大字忍保)

 
岩鼻縣神社考に 武蔵國四十座命附に實神八日市村の熊野権現 素戔嗚命 今本書を考るに實神社 祭神 稚産霊命  七本木村とあリ然るを八日市村と云るは誤りなるべし
荒御魂神社は 七本木村の榛名明神 天兒屋根命
池上神社は  伊吹戸主命にて同所にありとみえ
細見録に この三社を本長濱村に合わせ祭りて榛名大明神と称す
又 三座とも長幡部神社に相殿にますとも
又 関口村の丹生 七本木村の榛名 忍保村の稲荷とも云ひて
其所詳かならず
而 関口村なるは思ひ捨がたく 忍保村なるは池上神社ならんと云り
故 今姑く之に從へり 武蔵演露 に求凉雑記を引いて本門寺境内の七面社 是 往古の池上神社なるべしとあれと 忍保村なるは今も池上明神とも云へば七面社と云よりは勝りてきこゆ

 【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

 長幡部神社(上里町長浜) (hai)」(90度のお辞儀)

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武蔵国 式内社 44座(大2座・小42座)について に戻る

 

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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