物部神社(もののべじんじゃ)は 御神体の霊璽が゛一塊の巨大な石゛で 初代 神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ この石〈俗に要石 鎮撫石 根石とも云う〉を国の鎮めとされ 石神様とも呼ばれます 第11代 垂仁天皇の御代 初めて社殿が造営された云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
物部神社(Mononobe shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
愛知県名古屋市東区筒井(つつい)三丁目31-21
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》宇麻志麻遲命(うましまじのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・病気平癒 交通安全 進学等の守護神
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【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
物部神社由緒記
この宮は 延喜式神名帳帳(九〇五)尾張愛知郡の部に物部神社、御祭神、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)と記帳され、また国内神名帳(一七〇七)に従三位 物部天神と記されています。
(天神とは天津神(あまつかみ)と申し上げる称号です)
尾張府誌には 神霊は一塊の大石で神武天皇が当国の凶魁を打たれた時 此の石を国の鎮めとなされたため要石(かなめいし)称され、この古事によって石神の名が起こり この様な大石は世に根なし石とも伝えられ(全国には水戸、鹿島の三ヶ所に存するという)
元禄年間(一六八八~一七〇三)藩主 綱誠(つなのぶ)(三代)は社殿の重修、遷宮されて俗に石神堂、山神と称して近くの人々はもとより遠くの人々まで厚く信仰されています。
明治元年 式内社に治定
昭和二十八年 本殿拝殿、造営遷座
昭和三十年 斎館が造られ現在に至っています
境内には加藤博庸撰の祠文碑(天明七年 一七八七)が有ります。
例大祭 十月七日
奉納 㐂寿記念 力石寿行 まさ江
古希記念 若林国雄 綾子
昭和五十九年十一月建立 制作 石米 山田日出雄
現地石碑文より
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【由 緒 (History)】
物部神社(もののべじんじゃ)由緒
延喜式神名帳に、物部神社
国内神名帳に、従三位物部天神と記されている。
垂仁天皇の御代に、初めて社殿を造営され、
御祭神は宇摩志遅命(うましまじのみこと)で、物部氏の祖であります。
霊璽は一塊の大石で、神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ、この石を以って国の鎮めとされ、
俗に要石、鎮撫石、根石ともいわれ、この神社を石神様とも呼ばれている。
祭神
物部白龍社
物部大黒天
物部天神社
祈願
家内安全 商売繁盛 学問成就 病気平癒 良縁祈願 よろず願い事
物部神社行事
・・・
・・・
現地案内板より
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物部(もののべ)神社
平安時代初期の宮中の年中行事や制度などを記した『延喜式(えんぎしき)』に載る「愛智郡 物部神社」にあたるとされる恪式の高い神社である。
物部氏の祖・宇麻志麻知命(うましまじのみこと)を祭神とする。大石を御神体とするところから、石神(いしがみ)神社、石神堂などともいう。社伝によれば、この大石は神武天皇がこの地を平定した時に見つけた石で、これを国の鎮めとしたといわれている。
元禄年中(一六八八~一七〇四)三代藩主 徳川綱誠(つななり)が荒廃した社殿を修復している。
名古屋市教育委員会
現地案内板より
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『尾張名所図会』前編 巻5 愛智郡 に記される内容
図の右上田畑の中に 丘のような場所に祀られています
高牟神社本殿の背後に在り 高牟神社の奥宮の如く描かれています
【抜粋意訳】
物部(もののべの)神社
俗に石神堂といふ 建中寺此東南車道の東にあり 自然に地より出たる一巨石(きょせき)の上に社をたてたり 延喜式に愛智郡物部神社 本國帳に従三位物部天神とあるこれなり
祭神 宇摩志麻知(うましまちの)命
古社は荒蕪袁廃せりを 元禄年中 國君祠と重宝し石碑を立させ給へり
【原文参照】
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・境内案内図
※物部神社の本殿は拝殿の奥ではなく 拝殿の右前にあります
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・物部神社 本殿〈物部白龍社〉
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・物部神社 本殿〈物部白龍社〉の下に御神体の霊璽゛一塊の巨大な石゛
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物部神社の神石の御案内
物部神社の靈爾は一塊の巨大な石で遠くは神武天皇から今日に至るまで数多くの伝説を生じております
造営は垂仁天皇の御代とされ萬民こそって多くの加護を受けております
病気平癒 交通安全 進学等の守護神として神石をお受けください
張紙より
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・物部神社 拝殿
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・物部大黒天
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・〈境内右手の境内社〉物部天神社・町内社
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・町内社4宇〈屋根神さま〉
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・物部天神社
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・手水舎
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・社頭の鳥居
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・西の参道
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・西の入口
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・社頭〈境内の東の位置〉
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛智郡 17座(大4座・小13座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 物部神社
[ふ り が な ](もののへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mononohe no kaminoyashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載 「物部神社」の名称を持つ式内社の論社について
太古の大和朝廷では 物部氏は 神道を奉じ軍事を司る氏族として「八十物部(やそのもののべ)」と云われ 絶大な勢力を保持していました
その後 神道を奉じる物部氏の宗家〈物部守屋大連〉は 仏教を信奉する蘇我氏〈蘇我馬子 大臣〉と戦い敗れ〈用命天皇2年(587)〉 物部氏は徐々に衰退をして行く事になります
『延喜式(Engishiki)』(927年12月編纂)の時代となっても かつての物部氏の勢力の大きさを示すように 広範囲に物部の神社は分布しています
東海道
「伊勢國 飯高郡 物部神社」
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈合祀〉
一緒に読む
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伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)〈式内論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を合祀〉
伊勢寺神社(いせでらじんじゃ)は 寛正2年(1461)当村で疫病が流行し多くの村人が亡くなり 疫病鎮めの神として一志郡多気村の牛頭天王社を当地に勧請し高福大明神と称したのが始めと言う 明治41年(1908)式内社の論社3社〈大神神社・物部神社・堀坂神社〉を含む35社を合祀します 昭和5年(1930)伊勢寺神社と改称
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「伊勢國 壹志郡 物部神社」
・物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉
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物部神社(津市新家町)〈山辺の行宮〉〈延喜式内社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 古代この地方を支配した物部氏の一族 新家氏の氏神とされます 寛保元年(1741)の洪水により 古記録等が流失し創立当時の確かな記録はないが 当社は所替せず古来の地にあると云う 〈山辺の行宮〉の跡地ともされる 延喜式内社 伊勢國 壹志郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされます
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「尾張國 春日部郡 物部神社」
・味美白山神社(春日井市二子町)〈合祀〉
・味美二子山古墳(春日井市二子町)〈旧鎮座地〉
・諸大明神社(春日井市松本町)
・八所神社(豊山町豊場木戸)
「尾張國 愛智郡 物部神社」
・物部神社(名古屋市東区筒井)
一緒に読む
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物部神社(名古屋市東区筒井)〈御神体の霊璽゛一塊の巨大な石゛〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 御神体の霊璽が゛一塊の巨大な石゛で 初代 神武天皇の御代に当地の凶魁を討たれ この石〈俗に要石 鎮撫石 根石とも云う〉を国の鎮めとされ 石神様とも呼ばれます 第11代 垂仁天皇の御代 初めて社殿が造営された云う 延喜式内社 尾張國 愛智郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
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・御器所八幡宮(名古屋市昭和区)
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御器所八幡宮(名古屋市昭和区御器所)〈八所大明神〉
御器所八幡宮(ごきそ はちまんぐう)は 第54代 仁明天皇の勅願所として熱田社の鬼門を守護するために創建と社伝に云う 御器所(ごきそ)の地名は『吾妻鏡』に この地で熱田社の神事に使う土器を焼いていたことから名付けられたと記述があり 尾張國 愛智郡の二つの式内社〈・高牟神社・物部神社〉の論社となっています
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「甲斐國 山梨郡 物部神社」
・御室山〈大蔵経寺山〉(笛吹市春日居町)〈旧鎮座地〉
・物部神社(笛吹市石和町)
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物部神社(笛吹市石和町松本)〈『六国史』物部神・『延喜式』物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷の使者として武内宿禰(たけのうちのすくね)らが東方巡察の折 物部氏の従者により創祀されたと云う 『六国史』には゛物部神゛に神階の奉授が記され 『延喜式』に甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)と所載されます 当初 御室山に鎮座し 鎌倉時代に現在地に遷座と云う
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・大石神社(山梨市西)
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大石神社(山梨市西)〈巨大な花崗岩のご神体が坐します〉
大石神社(おおいしじんじゃ)は その名の通り 巨大な花崗岩のご神体〈磐座信仰〉が坐します 社殿の周囲にも数々の巨大な石〈磐座〉があり 不思議な景観となっています 社伝によると 古くは物部神社と称していたとあり 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社となっています
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・大石神社(甲州市塩山赤尾)
一緒に読む
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大石神社(甲州市塩山赤尾)〈延喜式内社 物部神社の論社〉
大石神社(おおいしじんじゃ)は 社伝に 第21代 雄略天皇御宇 詔(みことのり)により海部直赤尾物部兎代宿禰(あまのあたいあかお もののべのとよのすくね)によって勧請されたと伝わります 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社とされ 明治時代には 物部神社と称したと云う
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・白山建岡神社(山梨市上栗原)
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白山建岡神社(山梨市上栗原)〈上栗原村〔小市明神〕を合祀か?〉
建岡神社(たておかじんじゃ)は 江戸時代には〔白山権現〕と呼ばれていました 同じく上栗原村にあった〔小市明神〕は 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)であるとの一説もあります 現在〔小市明神〕は 建岡神社に合祀されているのか?
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「武蔵國 入間郡 物部天神社」
・北野天神社(所沢市小手指元町)
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北野天神社(所沢市小手指元町)〈正式名称゛物部天神社 國渭地祇神社 天満天神社゛〉
北野天神社(きたのてんじんしゃ)は 三社を合殿に祀る総称で 正式名称は゛物部天神社・國渭地祇神社・天満天神社゛です 元々は 日本武尊が祀ったと伝わる入間郡の式内社 物部天神社とされ さらに国渭地祇神社を(一説には出雲祝神社も)合祀すると云う 長徳元年(995)京都より北野天神を勧請し 坂東第一北野天神と称しました
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東山道
「美濃國 厚見郡 物部神社」
・伊奈波神社(岐阜市伊奈波通)
・伊奈波神社 旧跡(岐阜市赤ケ洞)
・岩戸八幡神社(岐阜市長森岩戸)
・岩戸神社(岐阜市長森岩戸)〈参考論社〉
北陸道
「越中國 射水郡 物部神社」
・物部神社(高岡市東海老坂)
「越後國 頸城郡 物部神社」
・物部神社(上越市清里区)
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物部神社(上越市清里区南田中)〈延喜式内社 物部神社(もののへの かみのやしろ)〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「越後國 頸城郡 物部神社」です かつては 武士(もののふ)村に鎮座し 山王権現〈日吉神〉と呼ばれていました その後 田中村新田に遷座 昭和46年4月 圃場整備事業のため現在地〈南田中〉に遷座しました
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「越後國 三嶋郡 物部神社」
・二田物部神社(柏崎市西山町)
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二田物部神社(柏崎市西山町二田)〈『延喜式』物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 祭神 二田天物部命は 天香山命に奉仕て 高志国(越国)に天降りしたと云う 二田を献上する者がおり その地に居を定め その里を「二田」と称したと伝え 命は薨(こう)じて 二田の土生田(はにゅうだ)の高陵に葬られたと云う 延喜式内社 越後國 三嶋郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
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「佐渡國 雑太郡 物部神社」
・物部神社(佐渡市小倉)
一緒に読む
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物部神社(佐渡市小倉)〈『續日本紀』物部天神・『延喜式』物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 穂積朝臣老(ほづみのあそみおゆ)が養老二年(722)佐渡配流の謫居二十年の間 小祠に物部氏の祖神゛宇麻志麻治命゛を祀り 祈り続けたと云う 『續日本紀』〈延暦10年(791)物部天神 従五位下〉と神位の奉叙が記されている 延喜式内社 佐渡國 雑太郡 物部神社(もののべのかみのやしろ)です
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山陰道
「丹後國 與謝郡 物部神社」
・物部神社(与謝野町石川)
一緒に読む
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物部神社(与謝野町石川物部)〈延喜式内社 物部神社〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『朝野群載』承暦四年(1080)に 御卜〈天皇の身体を亀甲で卜い 卜兆に現れたところを奏上する儀式〉にて゛丹後國 物部神の神祟あるを以て社司に中祓を科す゛と記されており 神威ある神社でした 延喜式内社 丹後國 與謝郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)です
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「但馬國 城崎郡 物部神社」
・韓國神社(豊岡市城崎町)
一緒に読む
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韓國神社(豊岡市城崎町飯谷)〈延喜式内社 物部神社〉
韓國神社(からくにじんじゃ)は 第25代 武烈天皇の命を受け 物部眞鳥(もののべのまとり)が 韓國へ派遣された後 但馬の楽々浦に着き 都へ報告に上った その功績により 韓國連を賜わり 物部韓國連眞鳥と称し その子・墾麿(こま)は 城崎郡司に任命され その孫・物部韓國連 鵠(くくひ)が創建した物部神社とされます
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「石見國 安濃郡 物部神社」
・物部神社(大田市)石見国一之宮
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物部神社(大田市)〈延喜式内社・石見國一之宮〉
物部神社(もののべじんじゃ)は 大和朝廷が出雲の勢力を牽制するために 御祭神の宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)が 大和の地から物部氏の一族をひきいて尾張・美濃・越国を平定され さらに播磨・丹波を経て石見国に入り この地に宮居を築かれ 祖神として祀られたものと伝わります
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山陽道
「播磨國 明石郡 物部神社」
・可美真手命神社(押部谷町細田)
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可美真手命神社(押部谷町細田)〈延喜式内社 物部神社〉
可美真手命神社(うましまでのみこと じんじゃ)は 成務天皇十九年(149)に創建されたと伝えられる 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)とされ 又 天平勝宝六年(754)摂津国住吉大社の社家「津守連」が楯神・鉾神と共に住吉大神を勧請したと伝えられる押部谷 住吉神社 最初の鎮座地です
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・惣社(神戸市西区伊川谷町)
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伊川谷惣社(神戸市西区伊川谷町上脇)〈延喜式内社 物部神社〉
伊川谷惣社(いかわだに そうしゃ)は 神功皇后が三韓征伐の帰途 明石川から伊川を船でのぼり ここで一休みして「大国主命をここに祀れ」と命じたのが創始であると伝わります 『国内鎮守大小明神社記』では 延喜式内社 播磨國 明石郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)としています
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西海道
「壱岐島 石田郡 物部布都神社」
・物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)〈旧鎮座地〉
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物部布都神社跡(壱岐市郷ノ浦町田)
物部布都神社跡(もののべふつじんじゃ あと)は 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 式内社と比定された物部村に鎮座していた布都ノ宮〈物部布都神社〉の跡地です 昭和40年(1965)5月 天手長男神社に合祀されました
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・天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町)〈物部布都神社を合祀〉
一緒に読む
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天手長男神社(壱岐市郷ノ浦町田中触)〈壱岐嶋一之宮〉
天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)は 鎌倉時代の元寇により荒廃 その後廃絶し 所在も不明となっていました 延宝4年(1676)平戸藩主の命により藩の国学者 橘三喜が 現地の地名「たなかを」から(たながお)推定し比定したものです それ以前は 天手長男神社の由緒は無いとされていた 櫻江村 若宮と云われた式外社でした
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・國津神社(壱岐市郷ノ浦町)
一緒に読む
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國津神社(壱岐市郷ノ浦町渡良浦)〈延喜式内社〉
國津神社(くにつじんじゃ)は 三つの式内社の論社〈『延喜式神名帳927 AD.』所載 壱岐嶋 石田郡・国津神社(くにつかみのやしろ)・津神社(つの かみのやしろ)・物部布都神社(もののへのふつの かみのやしろ)〉とされます 神功皇后が「異国退治して無事帰朝せれば この所の守護神と成る」との伝説があります
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
地下鉄桜通線 車道駅 2番出口から約110m 徒歩2分程度
桜通り沿いに鎮座します
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東側の入口から鳥居をくぐります
物部神社(名古屋市東区筒井)に参着
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鳥居の扁額には゛物部神社゛
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参道の右手に手水舎があり 清めて進むと境内右手の境内社〈物部天神社・町内社〉が祀られています
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拝殿にすすみます
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拝殿の前の狛犬
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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通常の神社は 拝殿の奥に本殿がありますが ここは 本殿が拝殿の前面にあります 本殿は物部白竜社と称していて 靈石を祀っています
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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物部神社の由緒石碑 由緒書き があります
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物部白竜社の参道鳥居の正面には 境内社〈物部天神社・町内社〉
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そのすぐ横には手水舎と 先程 入ってきた東の入口です
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帰路は 社務所に寄りながら 西の入口から戻ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 物部神社について 所在は゛古井庄古井村に在す、俗 石神堂と称す、゛〈現 物部神社(名古屋市東区筒井)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部神社
物部は毛乃々倍と訓べし
〇祭神 宇摩志麻治命、〔府志〕
〇古井庄古井村に在す、俗 石神堂と称す、〔集説、府志〕
集説云、在に高牟神社西北、崇に一巨石為に神靈、古有祠荒撫者歟、元禄中 故権中納言 綱誠卿新建社、
姓氏録、物部氏有に神別皇別二種、物部首、天足國忍人命之後也、物部連、饒速日命之後、而與に尾張氏同祖也、
文徳實録曰、齊衡二年十二月、大僧都傳灯大法師位實敏、姓物部氏、尾張國愛智郡人也、云々、當知當郡昔日有に物部氏人、當社蓋其氏神祠歟、
類社
伊勢國 飯高郡 物部神社の條見合すべし
神位
國内神名帳云、從三位物部天神
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 物部神社について 所在は゛今 古井村に在り、石神堂と云゛〈現 物部神社(名古屋市東区筒井)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部(モノノベ)神社
今 古井村に在り、石神堂と云、一大石を祟て神靈とす、〔國内帳集説、神名帳考証、式社考、張州府志、〕
盖 物部氏の祖 宇摩志麻治命を祭る、〔参酌文徳実録、延喜式、本社傳説〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 物部神社について 所在は゛鳴海庄古井村゛〈現 物部神社(名古屋市東区筒井)〉と記しています
【抜粋意訳】
物部(モノベノ)神社
祭神 宇摩志麻知(ウマシマヂノ)命
祭日
社格
所在 鳴海庄古井村
【原文参照】
教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
物部神社(名古屋市東区筒井)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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一緒に読む
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尾張國 式内社 121座(大8座・小113座)について
尾張国(おわりのくに・をはりのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される当時の官社です 尾張国には 121座(大8座・小113座)の神々が坐します 現在の論社を掲載しています
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