美和神社(みわじんじゃ)は 社伝に第10代 崇神天皇の御代に大和國 大神神社を勧請して創建と伝え 六国史に 延暦十五年(796)官社に預かり 天慶四年(941)正五位下に叙せられたと記される由緒ある古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 上野國 山田郡 美和神社(みわの かみのやしろ)とされます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
美和神社(Miwa shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
群馬県桐生市宮本町2−1−1
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大物主櫛甕玉命(おほものぬしくしみかたまのみこと)
《配》素盞嗚命(すさのをのみこと)
〈〔牛頭天王を祀る衆生院〕八坂社(桐生市本町)を明治41年(1908)合祀〉
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
第10代 崇神天皇の御代に創建と伝える
【由 緒 (History)】
美和神社
群馬県桐生市宮本町。旧郷社。
崇神天皇の時に創建と伝え、延暦十五年(796)官社に預かり、天慶四年(941)正五位下に叙せられ、延喜の制小社に列す。
延享元年(1429)神祇管領卜部兼雄より「上野国山田郡園田荘桐生鎮座三輪神社」の御神号を寄せられる。
『上野国神名帳』に「鎮守十二社從一位 美和大明神」とある。
祭神大物主奇甕玉命、建速須左之男命。 例祭4月9日、11月3日。『神社辞典』1997/09/19東京堂出版 白井永二 土岐昌訓 編より抜粋
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・西宮神社《主》蛭子大神
関東一社 桐生西宮神社由緒
桐生西宮神社は延喜式内上野十二社の一社美和神社の御祭神が大国主命である関係から明治三十四年十月摂津西宮神社の御分霊をいただき商業、工業、農業、交通、海運、漁業等に、霊験あらたかな蛭子大神(恵比寿様)を桐生ヶ岡公園に接する古木生い茂る美和神社の荘重な神域におまつりした神社です
此の西宮神社を関東一社と申します理由は蛭子大神を御祭神とする神社は桐生だけで各地の恵比寿様は国土開発等に御神徳のある大国主命又事代主命をお祀りした神社であり御祭神の相違から区別されて関東一社と称せられて居ります
十一月十九日、二十日の例大祭には近郷近在は申すまでもなく栃木、埼玉等隣接各県から参拝者は数十万を数え桐生市全市に恵比寿講の雰囲気が溢れまれに見る賑やかな大祭典となります。
祭 典
一、初 祭 一月二十日(初恵比寿)
一、例大祭 十一月十九、二十日
昭和五十六年十一月吉日
御遷宮八十周年記念 建之現地案内板より
・金毘羅神社《主》大物主命
〈向かって左側の白い社殿〉
・八坂神社と神輿蔵
〈社殿向かって左側の神蔵〉
八坂神社と神輿蔵の由来
八坂神社を祀る桐生祇園祭の歴史は古く、明暦二年(一六五六)を起源とした祭礼である。祇園祭は元来天王祭礼とも云い、仏教の守護神である牛頭天王を祭神に厄除神として京都祇園社に祀ったことにより全国に広まった神仏習合の祭りである。
桐生市本町三丁目の地(現市営アパート)に衆生院という寺があった。元禄二年(一六八九)に市神、牛頭天王社を造営したことにより、子供の手踊りが中心の素朴な祭りも徐々に賑わうようになった。元文三年(一七三八)には衆生院の境内に神輿
蔵を造営し、それまで本町四丁目の伊勢屋に借置きしていた神輿を移したことにより本格的な祭礼の形が整ったのである。
その後、江戸中期になると祭礼屋台も造られ各町思い思いの出し物で人を楽しませるようになった。主に狂言や練り物、曳き物などで競ったのである。江戸後期、安政の頃になると惣六町(本町の六町会)では大型の祇園屋台を建造し、夜通し歌舞音曲で賑わったため、「関東の三大夜祭り」と呼ばれた所以でもある。
明治維新が実現し神仏分離の布告が出されると、仏教の守護神である牛頭天王の神号は廃止され素戔嗚尊としたのである、又京都の祇園社が八坂神社と改めたため全国に広まった。桐生では明治三年に衆生院が廃寺となり八坂神社と改名した。それまで天王祭礼と呼んでいた祭りはこれを機会に八坂祭典と正式に決めたのである。
しかし三丁目の地は明治十一年に山田郡警察署が新築されたため徐々に手狭になった。明治四十年には恵比寿新道が完成。明治四十一年七月十五日末社と共に美和神社に合祀され、神輿蔵のみ建造し今日に至っている。
八坂祭典の名称は平成六年(一九九四)より桐生祇園祭と改めた。
尚、安置されている神輿は五代目として平成十三年八月完成した。
平成十七年八月吉日 桐生祇園祭 惣六町並びに横山町現地案内より
・松尾神社《主》大山咋神
〈社殿向かって右の鳥居〉
・八意思兼神社《主》八意思兼神,聖徳太子命
・機神神社
〈向かって左側の石祠〉
・神楽殿
・手水舎
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『日本後紀(Nihon koki)』〈承和7年(840年)完成〉に記される伝承
上野國の 賀茂神 美和神 火雷神の三社が官社に列しています
【抜粋意訳】
巻五 延暦十五年(七九六)八月甲戌〈十六日〉の条
○甲戌
上野國 山田郡 賀茂神 美和神
那波郡 火雷神 並 爲官社
【原文参照】
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
上野國の主だった神々と共に 神階の授奉が記されています
【抜粋意訳】
巻卅七 元慶四年(八八〇)五月廿五日〈戊寅〉の条
○廿五日戊寅
授に
上野國正四位上勳八等 貫前神 從三位勳七等
從四位下 赤城石神・伊賀保神 並從四位上
正五位下 甲波宿禰神 從四位下
正五位下 小祝神・波己曾神 並正五位上勳十二等
從五位上 賀茂神・美和神 並正五位下勳十二等
正六位上 稻含地神 從五位下勳十二等内藏寮置寮掌二員 其衣粮 以藏部料内 給之
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)上野国 12座(大3座・小9座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)山田郡 2座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 美和神社
[ふ り が な ](みわの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Miwa no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
美和神社(桐生市宮本町)の 元宮は 大神神社(桜井市三輪)
美和神社(桐生市宮本町)の 社伝によると 崇神天皇の御代に大和御諸山から勧請とあります
延喜式内社 大和國 城上郡
大神大物主神社(名神大 月次 相嘗 新嘗)(おほみわの おほものぬしの かみのやしろ)
・大神神社(桜井市三輪)大和国一之宮
境内社 西宮神社の 元宮は 西宮神社(西宮市社家町)
境内社 西宮神社は 明治三十四年十月摂津西宮神社の御分霊をいただき 美和神社の荘重な神域におまつりした神社です
延喜式内社 摂津國 莵原郡
大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)
・西宮神社(西宮市社家町)
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大神神社(桜井市三輪)の分霊(わけみたま)と思われる式内社の類社について
①〈大神社 各一座〉
⑴伊勢國 飯高郡 大神社
・伊勢寺神社(松阪市伊勢寺町)
・大神社旧跡(松阪市深長町)
⑵伊勢國 朝明郡 大神社
・太神社(四日市市大鐘町)
・太神社旧跡(四日市市大鐘町)
・大神社(いなべ市大安町)
・石部神社(四日市市朝明町)
⑶下野國 都賀郡 大神社
・大神神社(栃木市惣社町)
・太平山神社奥宮(栃木市平井町)
・太平山神社(栃木市平井町)
⑷越後国 頚城郡 大神社
・天津神社(糸魚川市一の宮)
・大神社(糸魚川市平)
・大野神社(糸魚川市大野)
・藤崎神社(糸魚川市藤崎)
・関山神社(妙高市関山)
⑸因幡國 巨濃郡 大神社
・美取神社(岩美町太田)
・荒砂神社(岩美町浦富)
・御湯神社(岩美町岩井)
・多居乃上神社(鳥取市国府町)
➁〈大神神社 各一座〉
⑴尾張国 中島郡 大神神社 名神大
・大神神社(一宮市花池)
⑵尾張国 中島郡 太神神社
・大神社(一宮市大和町)
⑶遠江國 濱名郡 大神々社
・二宮神社(湖西市新居町)
・大神山八幡宮(湖西市大知波)
・神明神社(湖西市白須賀)
・神田神社(湖西市新居町)
・熱田神社(湖西市吉美)
⑷美濃國 多芸郡 大神神社
・大神神社(大垣市上石津町)
・梶谷八幡神社(海津市海津町)
➂〈大神神社 四座〉
⑴備前國 上道郡 大神神社 四座
・大神神社(岡山市中区四御神)
④〈大神神社 各一座〉
⑴阿波國 名方郡 大御和神社
・大御和神社(徳島市国府町)
⑵駿河國 益頭郡 神神社
・神神社(岡部町三輪)
⑶備中國下道郡 神神社
・神神社(総社市八代宮山)
・嚴島神社(総社市真壁)
➄〈美和神社 各一座〉
⑴信濃國 水内郡 美和神社
・美和神社(長野市三輪)
⑵上野國 山田郡 美和神社
・美和神社(桐生市宮本町)
⑶備前國 邑久郡 美和神社
・美和神社(瀬戸内市長船町)
・広高神社〈若宮八幡宮 境内社〉(瀬戸内市邑久町)
・美和神社〈多賀神社 境内〉(瀬戸内市長船町)
・美和神社(瀬戸内市長船町)
⑥〈三和神社 三輪神社 彌和神社〉
⑴下野國 那須郡 三和神社
・三和神社(那珂川町三輪)
⑵若狭国 遠敷郡 彌和神社
・彌和神社(小浜市加茂)
⑶加賀国 加賀郡 三輪神社
・石浦神社(金沢市本多町)
・加茂神社(津幡町加茂)
・三輪神社(津幡町北中条)
詳しくは
大神神社(桜井市三輪)の分霊(わけみたま)と思われる式内社 に移る
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR両毛線 桐生駅から山手通りを北上 約1.2km 車5分程度
駐車場はなかったので近くのパーキングに
山手通りに面して社頭があります 参道中央の見事な巨樹が紅葉して美しい
美和神社(桐生市宮本町)に参着
鳥居が建つ方が美和神社 右側は境内社の西宮神社
一礼をして鳥居をくぐり 境内へと進むと紅葉が美しい 左手に神楽殿
石段を上がり
拝殿にすすみます
扁額には゛延喜式内 美和神社゛と刻文字
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
すぐ隣に境内社が並びますが 参道を戻り 境内社の参道を上がることにしました
境内社の参道は 向かって右が西宮神社 左が金毘羅神社
金毘羅神社の参道
境内社にお参りをします
紅葉の樹木の中 参道を戻ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 美和神社について 所在は桐生荒戸村〈現 美和神社(桐生市宮本町)〉と記しています
【抜粋意訳】
美和神社
美和は假字也
〇祭神 大己貴命 頭注〇桐生荒戸村に在す 地名記
類社
大和國 城上郡大神大物主神社の下見合すべし神位
三代実録、元慶四年五月二十五日戊寅、授上野國從五位上賀茂神・美和神並正五位下勳十二等、
国内神名帳云、従一位美和大明神
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 美和神社について 所在は 桐生の西荒戸村村松〈現 美和神社(桐生市宮本町)〉と記しています
【抜粋意訳】
美和神社
今 桐生の西荒戸村村松にあり、美和大明神と云う、上野國志、神名帳考、巡拝舊祠記
蓋 大神の神 大物主命を祀る、参酌日本後紀、延喜式、神名帳頭注
桓武天皇 延暦十五年八月甲戌、官社に預り、日本後紀
陽成天皇 元慶四年五月戊寅、從五位上より正五位下勳十二等を授く、三代実録
凡 四月十月二十一日祭を行ふ、栃木縣神社調
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 美和神社について 所在は安楽土村字宮前〈現 美和神社(桐生市宮本町)〉と記しています
【抜粋意訳】
美和神社
祭神 大物主神
神位
桓武天皇 延暦十五年八月甲戌 上野國 山田郡 美和神 爲官社
陽成天皇 元慶四年五月戊寅 授 上野國 從五位上 美和神 五位下勳十二等社格 郷社
所在 村松桐生岡(明細帳に此村名地名なし 安楽土村字宮前 郷社美和神社 祭神大物主神 由緒式内社あり此ならん) 山田郡桐生町大字安楽土)
【原文参照】
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
美和神社(桐生市宮本町)について 式内社 美和神社であると記しています
【抜粋意訳】
〇群馬縣 上野國山田郡桐生町大字安楽土字宮前
郷社 美和(ミワノ)神社
祭神 大物主(オホモノヌシノ)命
創立年代詳ならず、社伝に云ふ、崇神天皇御宇の創立なりと、
但 日本後紀に桓武天皇 延暦十五年八月甲戌、官社に列られたる由見え、
三代実録に陽成天皇 元慶四年五月戊寅、從五位上より正五位下勳十二等を授けられたること見ゆ、
延喜の制 式内の小社に列せられ、國帳従一位美和大明神と記し奉る。
舊旗下 布勢孫兵衛、斯る古社の栄邑に在らせらるるを喜び、毎年祭典料として玄米八石を寄附し奉れりと、
明治五年十一月郷社に列す、社殿は本殿、拝殿、境内は千五十四坪、官有地第一種たり、桐生町の北端に在り、古色蒼然として社地に適へり、又基本財産壹千五百円を有し益増殖計画中なりと云ふ。境内神社
・・・・・
全国の一之宮
【原文参照】