三島神社(みしまじんじゃ)は もと筏場小川に鎮座した「小川三島大明神」を元亀年間(1570〜73)に現在地に遷座されたと伝わります 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)所載の式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社です
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
三島神社(Mishima Shrine)
(みしまじんじゃ)
[通称名(Common name)]
みょうじんさま
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡河津町川津筏場1490-2
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》布佐乎宜命(Fusaoki no mikoto)
【御神格 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(Engishiki jimmeicho)』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創立年代は不詳である。もと筏場小川に鎮座し、三島大明神と称えたが、元亀年間(1570〜73)今の地に遷座して社名を三島神社と改めたものである。
河津町教育委員会『河津町の神社 』より
【由 緒 (History)】
『豆州志稿』には
土ノ神 古い祠なり
大永7年(1527)の文に 小川三島大明神と誌す
天文(1532~1555)慶長(1596~1615)の文に云う 時の代官 清水小太郎と 旧 小川にありしを ここへ移す 地ノ神は即ち 末社の水ノ神なり
【境内社 (Other deities within the precincts)】
【境外社 (Related shrines outside the precincts)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 布佐乎宜神社
[ふ り が な ](ふさをきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Fusaoki no kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載の
式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の論社について
・三嶋神社(河津町逆川)
・三島神社(河津町川津筏場)
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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
伊豆急行 河津駅から 踊子花街道を北西へ約6km 車15分程度
河津川の支流 佐野川に沿って遡るように北上して 山へと道を進み 途中から地図にも載らない道路になりますが 設置された案内板に従って 上佐ヶ野親水公園の方面に向かいます
鳥居が建っています
三島神社(Mishima Shrine)に参着
一礼をして鳥居をくぐり 細く長い参道を進みます
暫らく進むと 開けた境内があり 社殿が建っています
社殿の前には 大岩が磐座のようにあり 古代祭祀場を彷彿させるような 神聖な且つ神秘な空間が漂っています
古く苔むして丸みを帯びた小さめの狛犬が座していて 会釈しながら 拝殿へと進みます
拝殿にすすみます 扁額には「三島神社」と記されています
拝殿と思っていたのは 本殿の覆い屋でした 扉を開くと本殿が鎮座していて 脇に小さな祠が鎮座しています
覆い屋の内部には「神社等級認証書 河津町上佐ヶ野 三島神社」とあります
平成29年に改修をされた時の寄付金名簿が掲示されています
山の中の神社をこうした崇敬神心が維持し守り続けています 感謝
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
神社の裏手に「しんしん松」と云う 松の下に耳を寄せると 滝の響きでしんしんと聞こえる松があるというので 裏手の滝の方へ進んでみました
結局 しんしん松は わかりませんでしたが 滝壺傍には 巨石があり 本当に古代祭祀場のように感じられました
境内へ戻り 再度 本殿に一礼をしてから扉を閉じて 参道を戻ります
帰り道で 上佐ヶ野自慢マップ と云う大きな掲示地図がありました
行きにこれを見ていれば安心して進めたと思います 参考まで
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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承
古い祠で 小川三島大明神と称されていて ここに遷座したと記されています
【意訳】
三島 属里 上佐野
土ノ神 古い祠なり
大永7年(1527)の文に 小川三島大明神と誌す
天文(1532~1555)慶長(1596~1615)の文に云う 時の代官 清水小太郎と 旧と小川にありしを ここへ移す 地ノ神は即ち 末社の水ノ神なり
その大永7年天文12年の文に云う 御阿闍梨霊宮大旦那 清水小太郎 梵天 天川ノ土神
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=
式内社「布佐乎宜神社(ふさをきの かみのやしろ)」の伝承について
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
神社名称のみ記されています
【意訳】
布佐乎(フサヲ)宜神社
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承
祭神も所在も不明であると 記しています
【意訳】
布佐乎宜神社
布佐乎宜は 仮字なり
〇祭神 所在名等 詳らかならず連胤 云 上に志理太宜神社もあり 考合すべし
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容
祭神など不明だが
所在について 逆川村 三島明神〈現 三嶋神社(河津町逆川)〉と筏場村上佐が野 三島大明神〈現 三島神社(河津町川津筏場)〉の2か所を挙げて どちらとも決め難いと 記しています
【意訳】
布佐乎宜(フサヲキノ)神社
祭神
祭日
社格所在
今按〈今考えるに〉
式社攷證に逆川村 三島明神ならむか この社は 豆志に云う三島明神 逆川村 若宮を配祀す その祭式 三島本社と同じ 神階帳に おさめいはかのみこ と有り 即ち 比布佐乎宜命なるか 布佐乎宜は例えの地名と思えるるに既く おさいはかはと称したるより 然は唱えたると聞こえるを 今 この村中に天川小石川と云有は旧称の遺存と思われればなり
村名の佐加佐川も おさめいはかの伝え訛ならむも知るべからず さて神階帳にみこと有りて 大社の御子神と聞こえれば 布佐乎宜命は同殿に坐す若宮神なるべく思えるるが 三島大神は父神に坐す縁を以って合祀てるものなるべし亦 同郡 筏場村上佐が野と云うに 三島大明神と云あり 豆志に古祠なり 大永7年の文 小川三島大明神と誌す云々とありて さが野と云い 小川と云う 称呼の おさかいはかは と有に通じて 聞こえるは所由あるに似たりとみえたるは 何れも神名の地名に似通じたるより云える説にて 明證なければ 今決め難し
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
所在について 逆川村 三島明神〈現 三嶋神社(河津町逆川)〉と筏場村上佐が野 三島大明神〈現 三島神社(河津町川津筏場)〉の2か所を挙げて記しています
【意訳】
布佐乎宜(ふさをぎの)神社
賀茂郡 逆川(さかさかは)村 鎮座 おさめいはかはのみい 神階帳
今称す 三島神社二座の一なるべし 攷証 及 注進の一説續攷
又 同郡 筏場村 上佐賀野 三島神社 由あらむも知るべからず能く探ねましくこそ
【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6 編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』
三島神社(Mishima Shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)