国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)壱岐島 24座(大7座・小17座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)石田郡 12座(大3座・小9座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 見上神社
[ふ り が な ](みのへの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Minohe no kamino yashiro)
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブス https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫 画像利用
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式内社 見上神社(みのへの かみのやしろ)の論社について
・見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)
一緒に読む
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見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)
見上(みかみ・みのえ)神社は 壱岐の最高峰 岳ノ辻(たけのつじ)に鎮座します 対馬と九州本土を見渡せるこの地は 古代より峰火台や遠見番所などが設置され国を守る要所として重要な役割を果たし 峰火と海上の守り神として三上大明神と呼ばれていました 延宝4年(1676)式内社改めにより 見上神社と改称しました
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・覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)
一緒に読む
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覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)
覩上神社(とかみじんじゃ)は 由緒には諸説あり創建年代不詳ですが 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前は 式内社とされていました 式内社 角上神社(つのへの かみのやし ...
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見上神社の鎮座地 ”岳ノ辻(たけのつじ)”について
岳ノ辻(たけのつじ)は 郷ノ浦港〈西〉に位置しています
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壱岐の最高峰〈標高212.9m〉です
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山頂部には放送局・送信用のアンテナが林立します
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山頂には2つの峰があり 西から見て右の峰〈東峰〉が山頂にあたります こちら側には 見上神社が鎮座します
東側展望台から 原の辻遺跡や印通寺港方面
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東側展望台から 北西の半城湾方向
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西側展望台から 原島、長島、大島の渡良三島(わたらみしま)が見渡せます
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白村江(663年)敗戦後 唐・新羅の襲来に備えた”岳ノ辻(たけのつじ)”
白村江の戦い(はくそんこうのたたかい・はくすきのえのたたかい)〈天智天皇2年(663)倭国・百済遺民の連合軍VS唐・新羅連合軍との戦争〉で敗れた大和朝廷が 西からの唐・新羅連合軍の侵入に備えて 岳ノ辻の烽(とぶひ)〈狼煙台〉を設置して防人(さきもり)を配備した場所
江戸時代 元禄17年(1704)には異国船を監視する遠見番所が設置され(遠見番所で異国船を見つけると大砲を撃って平戸に知らせた)とあります
・復元された岳ノ辻の烽火(すすみ)跡〈のろし〉台跡
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『日本書紀(Nihon Shoki)〈養老4年(720)編纂〉』天智天皇の段 に記される伝承
天智3年(664)唐・新羅の来襲に備えて 対馬と九州本土との防衛連絡線として 烽火(とぶひ)を対馬嶋(つしまのしま)・壱岐嶋(いきのしま)・筑紫国(つくしのくに)に設置して 太宰府を死守する「国防の拠点」として 水城(みずき)〈福岡県太宰府市・大野城市・春日市にまたがり築かれた古代の水上城〉を築いたと記しています
【抜粋意訳】
この年〈天智天皇即位3年〉
対馬嶋(つしまのしま)・壱岐嶋(いきのしま)・筑紫国(つくしのくに)などに 防(さきもり)と烽(かかみ)〈狼煙(ノロシ)〉を置いた
また 筑紫に於いては 大堤(おおつつみ)を築き水を貯(たくわ)えた 名は 水城(みつきと)と云う
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用
神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
郷ノ浦港の東方向にある岳ノ辻(たけのつじ)展望台(中央展望台)を目指します
約4.2km 車15分程度
岳ノ辻(たけのつじ)の山頂近く
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山頂付近には 復元された岳ノ辻の烽火(すすみ)跡〈のろし〉台跡と龍光大神が鎮座しています
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テレビ塔や東側の展望所があります
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案内に従って 参道の石段を上がります
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見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)に参着
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一礼をして 鳥居をくぐります 扁額には 見上神社と刻されています
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拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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拝殿の奥には もう一段高くなっいて 本殿が祀られています
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一支国(いきこく)の王都に特定された 原の辻遺跡にも近く 壱岐の最高峰でもある見上神社に一礼をして参道を戻ります
神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 見上神社の所在について 初山村〈現 見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)〉と記しています
【抜粋意訳】
見上(ミノウヘノ)神社
畧志 初山村にあり
【原文参照】
国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用
『壱岐名勝図誌』〈文久元年(1861)に完成〉に記される伝承
巻之十二 石田郡初山村之部 見上神社〈現 見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)〉は 式内社 尓自神社といわれいているが 旧記には 湯岳村〈現 覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)〉としるしている と記されています
【抜粋意訳】
壱岐名勝図誌 巻之十二 石田郡初山村之部
見上神社 (在三辻、但社地は初山に属する所也。)
祭神 彦火々出見尊
石祠 (辰巳向)
上屋 (二尺八寸 瓦葺)
石築地(東西二間壱尺五寸 南北二間壱尺 高四尺八寸)
当社は神名帳に所載石田郡見上神社なりとせり。然れとも承応年間の旧記には、見上神社 湯岳村としるしたり。
○神社考云、初山村岳辻に みのへ と称せし神あり。因て見上神社なりとして、石社木鏡を納て彦火々出見尊なりとす。実虚是非(三上)をしらす云々。(実にみのへといへるは三村の意なるべし。)
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 見上神社の所在について 初山村〈現 見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)〉と記しています
【抜粋意訳】
見上神社
見上は 美乃倍と古あり
〇祭神詳ならず
〇初山村に在す 土俗 三神男明神と称す
神位
三代実録 巻十一 貞觀七年(八六五)七月廿六日〈乙巳〉の条
○廿六日乙巳。進美作國從四位下仲山神階加從三位。授尾張國從四位上眞清田神正四位上。信濃國正六位上名立神。前國正六位上神根神。壹岐嶋正六位上見上神。眞賀山神等並從五位下
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 見上神社の所在について 湯岳邑 覩上宮〈現 覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)〉であると記しています
【抜粋意訳】
見上(ミノヘ)神社
今 湯岳村 美の宇部 の地にあり、覩上宮と云
清和天皇 貞觀七年(八六五)七月廿六日〈乙巳〉壹岐嶋 正六位上 見上神 從五位下
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]https://dl.ndl.go.jp/pid/815490
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 見上神社の所在について 延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉で 初山村〈現 見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)〉とされた しかし正しいのは 湯岳邑 覩上宮〈現 覩上神社(壱岐市芦辺町湯岳本村触)〉であると記しています
【抜粋意訳】
見上神社
神位
清和天皇 貞觀七年(八六五)七月廿六日〈乙巳〉壹岐嶋 正六位上 見上神 從五位下
祭日 九月朔日
所在
今按〈今考えるに〉
明細帳 式内社記共に初山村とあり
神社考に初山村岳の辻にみのへと称せし神あり 因りて延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉に式内 見上神社としたり 其の虚實是非をしらずとみえ
式社沿革考に承慶記に湯岳邑と記せしぞ正しからむ村の宋社 覩上宮は延寶の調〈延宝四年(1676)平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉以前 式内と称し國幣十七社の一にして 又 社地近き みのうへ と云る地名あり 然れば覩上宮 即ち見上神社歟と云るは據ありて聞ゆ故之に従て可ならむ
【原文参照】
国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155
国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155
『壱岐国神社誌』(Ikinokuni jinjashi)〈昭和16年(1941)〉』に記される伝承
見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)は 延宝四年(1676)延寶の調〈平戸藩の国学者橘三喜の式内社調査〉によって 式内社 見上神社とされた
しかし それ以前は 三上大明神と云い式外社であった と記しています
【抜粋意訳】
初山村ノ部 無社格 見上神社(旧号 三上大明神)
鎭座地 初山村岳ノ辻
祭 神 彦火々出見尊
例祭日 十月一日 神樂奉奏
境内地 27坪
〔由緒沿革〕
一、延喜式ニ、石田郡見上神社アリ。
壱岐図誌ニ、見上神社 在ニ初山村若松ノ岳辻 祭ニ彦火火出見尊 有ニ石祠 定祭九月十日 当社祭祀上古四季有ニ 大祭自ニ中古二季之祈年祭断絶
九月一日祠官奏ニ神樂而己、此社ノ地曰ニ志原岳(又書ニ紫原岳)或称ニ岳ノ辻。
社名記ニ曰、見上神社小、初山村岳ノ辻。
改以前ハ三上大明神ト云、式外。
神社帳ニ曰、嶽ノ辻見上神社小神二十四座ノ内 延宝四年木鏡御正体一面石祠一宇ヲ献ジ式内見上神社ト査定セラル。
【原文参照】
『壱岐国神社誌』国立国会図書館デジタルコレクションhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1035221出版昭和16年(1941)著者 長崎県神職会壱岐支会 編 出版者 長崎県神職会壱岐支会
見上神社(壱岐市郷ノ浦町若松触)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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壹岐嶋 式内社 24座(大7座・小17座)について
壱岐島(いきのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 壹岐嶋 24座(大7座・小17座)の神社です
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