熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉

熊野新宮神社(くまのしんぐうじんじゃ)は 古文書が乏しいため由緒を証するものが少なく 勧請の年代等は不祥ですが 『久美濱町誌』には「式内の古社で靈験最も著しく」と記した上で 延喜式内社 丹後國 熊野郡  熊野神社(くまのの かみのやしろ)であるとしています

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介しま

【神社名(Shrine name

熊野新宮神社(Kumano shingu shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府京丹後市久美浜町 河梨(こうなし)大谷

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》事解男命(ことさかのみこと)
   速玉男命(はやたまのをのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

 当社は、熊野三社権現と称し、郡内熊野神社の三社の一社にして、延喜式内社の古社である。本殿は、明和8年の再建の棟札を存する。また、熊野新宮大神の休憩された大石があり、人馬の足跡なりと云う「馬蹄岩」がある。8月23日「おくり火」といって、竹にたいまつをつける民俗文化財があり、京都府文化財の指定を受ける。

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

熊野神社(A)・熊野若宮三神社(B)・熊野新宮神社(C) 三社が比定されるので、以下A・B・C社別に述べると記されています

【抜粋】

丹後國 熊野郡

熊野神社

延喜式吉田家本に「クマノ」と訓まれる式内社 熊野神社には、京都府熊野郡久美濱町にある現 熊野神社(A)・熊野若宮三神社(B)・熊野新宮神社(C) 三社が比定されるので、以下A・B・C社別に記述する。

A 熊野神社

・・・
・・・〈略 詳細は 熊野神社の記事を参照〉
・・・

B 熊野若宮三(クマノワカミヤサン)神社

・・・
・・・〈略 詳細は 熊野若宮三神社の記事を参照〉
・・・

C 熊野新宮(クマノシングウ)神社
【社名】

 古来より熊野新宮神社と稱してきたが、江戸時代には熊野三社権現といつた時代もある(『久美濱町誌』)。

【所在】

 京都府 熊野郡 久美濱町 大字河梨(こうなし) 小字大谷に鎭座。所在について異説はない。國鐵宮津線久美演驛より約二キロメートル。

【祭神】

 事解男(コトワケヲノ)命・速玉男(ハヤタマヲノ)命を祀る。前者は饒速日(ニギハヤヒノ)命の別稱であり、和歌山縣 熊野本宮の祭神と同一、後者は、熊野新宮神社の主祭神と同じである。

【由緒】

 創建勧請の時代はわからない。『久美濱町誌』は「式内の古社で靈験最も著しく、明治八年社殿再建に際し、久美濱代官所に差出した芝居興行の願書によれば、普請祭禮の入用なども往古は郡割であつたことがわかる。」

古文書が乏しいため由緒を證するものはないが、この神社の靈験著しい事件を追記に記す。

【祭祀】

 例祭は陰曆九月初卯の日であつたが、近年陽曆十月十五日を例祭日と改めた。氏子は河梨部落だけにあつて五二世帶。

【境内地・社殿】

 境内坪數二、九七坪。本殿流造屋根板葺建坪二坪四合一句、上屋切妻造板葺建坪七坪一合四勺、拜殿切妻造瓦葺建坪二坪一合九勺、屋切妻造本瓦葺建坪四坪八合九勺、境内神社四社。神社より約四〇〇メートル離れた道傍に大きな岩石四個あり、最も大きいのは長四メートル、幅三メートルで、いづれも人馬の足跡を印し、熊野新宮の休息された舊蹟であると傳へてゐる。延享二年(一七四五)供養のため碑を建てたが、今もその一片を残してゐる。

【追記】

 氏子の中に網家があり、嘉永元年(一八四八)八月十九日同家の藤右衛門が氏神附近の山仕事中氏神の新宮が現はれ、これから諸社巡拝に行くところであるから お前もいつしよに連れて行つてやらうと云はれ御供をした。

それから三日目の晝 歸つてきた。そして明年この日再び連れて行くと神様が云はれた。翌年八月十九日、萬一のことを案じて、家人が付添つて目を離さなかったのに、ふとその姿が見えなくなった。そこで家人が氏神様に参拝して見ると、三日乃至三年間 右衛門を受けると書いた文書が竹に挟んであつた。そして三日たつてふと帰宅したのである。
ところが今回は神社佛閣順拝記といふものを持帰り、記事中拜戴した品目が記され、その他各社の守札、菓子の包紙、神の眞筆の御神號、筆、麻製口覆い、浄衣とも見られる麻製糸針金で縫った装束様のものなどが残されてをり、遺物は毎年氏神の例祭日又は正月十五日に限り一般に見せてゐるが、今日でも毎回多くの人が参観してゐる(この事件の詳しい顛末を筆録した冊子が京都府舞鶴市立松図書館糸井文庫に保管されてゐる。)。

(井上正一)

【原文】

『式内社調査報告第十八巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

熊野新宮神社 本殿

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熊野新宮神社 社殿・境内社2社

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・〈拝殿向かって右 境内社〉2社

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・三柱神社《主》素盞嗚命

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・稲荷神社《主》倉稲魂命

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・〈境内向かって右手前〉

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・参道石段

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・社頭・鳥居

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・〈社頭の向かって右 境内社3社

・山神社《主》大山祇命・大武神社《主》素盞嗚命1社祭神不明

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

馬蹄岩

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社伝には 次の様に記されています

熊野新宮大神の休憩された大石があり人馬の足跡なりと云う「馬蹄岩」がある

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

熊野神」に 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷十五貞觀十年(八六八)九月廿一日辛亥

○廿一日辛亥

くに

丹後國 正六位上 熊野神
出雲國 正六位上 智位神 斐伊神 温沼神 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹後國 65座(大7座・小58座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)熊野郡 11座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 熊野神社
[ふ り が な ](くまのの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Kumano no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

延喜式内社 丹後國 熊野郡  熊野神社(くまのの かみのやしろ)の比定社は3社あります

熊野神社(くまのの かみのやしろ)

・熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)

・熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)

・熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 丹後國 熊野郡  熊野神社(くまのの かみのやしろ)の創建について

『丹後史料叢書』第1輯〈『丹後舊事紀』巻之九〉に記される内容

第11代 垂仁天皇の時代〈皇紀632年~皇紀730年〉道主命によって勧請 川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)の造立と記されています

【抜粋意訳】

『丹後舊事紀』卷之九

熊野郡 十一座 延喜式

熊野神社 川上庄甲山村

祭神
 天神七代地神五代 熊野四十八王子
 職豊宇氣持命 宇賀能咋命

 當社は崇神天皇十年癸巳九月勧請 國土形里國府に定り 道主命 下向ましまして當郡 川上麻須郎の女を娶り給ふ 是に四柱の女君有て五十狭茅尊〈垂仁天皇〉の皇后 次妃と成のよろこびのあまり 將軍道主命の勧請にて寶殿は川上麻須郎造立し玉 此時 日間岳野邊を神戸に定め玉ふとなりと風土記に見えたり 今も神戸大明神の 殘れりと順記にあり。

【原文参照】

『丹後史料叢書』第1輯,丹後史料叢書刊行会,昭和2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1175321

『丹後舊事紀』に記される「川上摩須郎女(かわかみますのいらつめ)」について

【抜粋意訳】

丹後舊事紀(たんごきゅうじき)巻一

川上摩須郎(カハカミノマスラ)

當国 熊野郡 川上の庄 須郎の庄に館を造る 開化天皇より崇神 垂仁の朝に至る

古事記に曰く 旦波道主命 川上摩須郎の女を娶て 生ませる御子 比婆須媛(ひばすひめ)渟葉田瓊入媛(ぬはたのにいりひめ)真砥野媛(まとのひめ)薊瓊入媛(あざみのにいりひめ)朝廷別王 以上五柱

川上摩須郎は 将軍道主の命と共に 當国に有て 熊野郡川上の庄に 伊豆志禰神社 丸田神社 矢田神社 三嶋田神社を祭る

【原文参照】

『丹後旧事紀』(国文学研究資料館所蔵)出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200017524

古代 丹波國〈川上摩須郎女と丹波道主命〉について

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都丹後鉄道宮豊線 久美浜駅からR178号経由で南西方向へ約3.1km 車での所要時間は6~8分程度

R178号沿いにあるボートレースチケットショップ 京丹後の信号を右折して 河梨(こーなし/こうなし)の集落を抜けて行きます

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この道は 河梨トンネルができる迄は 河梨峠越えの道として使われていた旧国道だとのこと さらに西へ進むと「馬蹄岩」〈熊野新宮大神の休憩された大石があり 人馬の足跡なりと云う〉があります ただし 川があり向こう岸です

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河梨峠越えの道を そのまま進みます
鳥居が見えてきました

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熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)に参着

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石鳥居の扁額には「新宮・本宮 熊野神社」と社号が刻まれています

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鳥居の向って右には 三つの覆い屋の中に各々祠が祀られています

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又 鳥居の前には手水鉢が置かれています
改めて 一礼をしてから鳥居をくぐり抜けます

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鳥居をくぐり抜けると 長い石段があります
お年寄りなどは 参拝が大変なのでしょう 石段の下には賽銭箱が設けられています

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石段の途中には 両脇に大きな岩があります

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石段を上がると平地の境内があり 正面に拝殿 その向かって右手に境内社が2祠祀られています

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拝殿にすすみます

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拝殿の扁額には「式内 村社 熊野新宮社」と記されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をしてから境内を戻り 参道石段を下ります

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東南方向を向いている鳥居をくぐり抜けます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 熊野神社について 所在は゛久美郷久美濱村、川上郷神崎村、甲山村、三村立合所 權現山に在す、〈現 熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)〉と記しています

【抜粋意訳】

熊野神社

熊野は郡名に同じ

○祭神詳ならず

〇久美郷久美濱村、川上郷神崎村、甲山村、三村立合所 權現山に在す、〔式社考〕〔〇舊事記に、甲山村とのみ云るは踈漏也とぞ

類社
 近江國高島郡 熊野神社の條見合すべし

神位
 三代實錄、貞觀十年九月廿一日辛亥、授丹後國正六位上熊野神從五位下、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 熊野神社について 所在は゛ 品田ホンデン)村字大宮にあり、若宮三社といふ、゛〈現 熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)〉と記しています

【抜粋意訳】

○熊野郡十一座、

熊野(クマヌノ)神社、

 品田ホンデン)村字大宮にあり、若宮三社といふ、〔考案記、神社道志流倍、 

盖 熊野大神 櫛御氣野命を祭る、櫛御氣野命は即 素戔嗚尊也、〔出雲國造神壽詞

清和天皇 貞觀十年九月廿一日辛亥、授丹後國正六位上熊野神從五位下を授けく、〔三代実録〕

凡 其祭九月九日を用ふ、〔豊岡縣神社取調帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 熊野神社について 所在は 三社を挙げています

品田村鎭座若宮三社゛〈現 熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)〉
河梨村の熊野社゛〈現 熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)〉
久美口久美濱村 川上郷神崎村 甲山村 三ヶ村立合の權現山にあり゛〈現 熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)〉

【抜粋意訳】

熊野(クマヌノ)神社

祭神 素盞鳴尊

今按 神名式に出雲國意宇郡熊野ニ坐ス神社二座〔名神大〕 出雲國造神壽詞に出雲乃靑垣山内 下津石根 宮柱太數立 高天原 千木高知 伊射那伎乃 名子加夫呂伎熊野大神 櫛御氣野命云々とみえたる同神にて 素盞鳴尊にませり此神鎭りますが故に郡名を熊野といふなるべく熊野郡に熊野神社あるは必ず出雲の熊野神を遷し祭れにやあらむ

神位
清和天皇 貞觀十年九月二十一日辛亥授 丹後國 正六位上 熊野神 従五位上

祭日 九月九日
社格

所在

 今按 丹後道志流倍に品田村鎭座若宮三社と云是也 已れ此神社に若宮三社と云額を揭げたるをもて さきに新たに祭れる證なれば河梨村の熊野社ならんと思ひたれど能考るに品田ノ方證跡多く社地大なり 當村の名寄帳に禰宜屋敷 宮田 鳥居崎 御子谷 西明寺 屋敷地 藏田など皆當社につきたる字なりと云り 又 土人 此社を大宮と云もの據とすべしと云ひ
 丹後式社考には熊野村と定め 神社覈録に久美口久美濱村 川上郷神崎村 甲山村 三ヶ村立合の權現山にありとし 豊岡縣注進狀には品田村河梨村甲山村と記して三村とも確證なし唯 品田村には古く地頭へ差出したる守札に式内熊野神社と記し來り社地形勢も宜しければ品田村と決定可然とあれど未だ明證なきを以て決めがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷) (hai)」(90度のお辞儀)

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丹後国 式内社 65座(大7座・小58座)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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