加茂廼神社(福井市鮎川町)〈『延喜式』雷神社〉

加茂廼神社(かものじんじゃ)は 口碑によれば 往昔は式内の大社で社領八十石を有し 近郷の総社であったと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)の論社とする説があります 社伝に 多田満仲(藤原藤房卿)は 天徳元年(957)社殿を改築し金銭穀類を寄進 祭典には甲冑を着し参詣したと伝えます

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

加茂廼神社(Kamono shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県福井市鮎川町87-10

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

御祭神
 別雷神(わけいかづちのかみ)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
 少奈彦命(すくなひこなのみこと)
 違提希
(いだいけ)〈頻婆娑羅(ビンビサーラ)の妃 釈尊の敬虔な帰依者

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

加茂廼神社 由緒

創立の年月不詳。

口碑によれば 往昔は式内の大社で社領八十石を有し、近郷の総社であったという。

社伝に 大丹生浦に閑居していた多田満仲(藤原藤房卿)は当社をも崇敬し天徳元年(九五七)社殿を改築し金銭や穀類を寄進され、更にその祭典には甲冑を着し参詣したと伝える。

神輿は七基あり、鮎川浦は勿論一光村や五太子村までも御輿渡御があったが いつ頃からか廃れた。
此の時、勿体無くも 御神体が倒れ転げた此の所を「仏畑」また珠数がかかった所を「珠数畑」と言うようになった。

明治21年11月村社に加列。

同44年九月五問四方の社殿を改築して本殿を建て前口三問半奥行四問の鞘殿を新築。
前口五問二尺奥行四問一尺の拝殿と間口一間二尺奥行二問三尺の廊下横三尺縦一問の手洗所を新築した。

大正2年8月19日福井県の許可を得て同字神明堂の天照皇大神を祀る無格社大嶽神社と豊受大神を祀る同境内社の大聖神社及日本武尊を祀る同境内社の守黎神社、同字男山の応神天皇を祀る無格社男山神社を合併し境内社とした。
大正3年8月26日神僕幣吊料を供進することを得る神社に指定された。

江戸時代から明治・大正と北前船が当地からも出帆し隆盛をきわめた。
その時の航海安全の祈願絵馬が拝殿に数多く奉納されかかっている。

海の男の心意気から境内での奉納相撲は盛大で近村からも大勢の青年達が集り技を競った。
昭和の中頃より青年の職業多様化と減少により行なわれなくなった。

福井県神社庁HPより
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20151027_151641

【由  (History)】

『丹生郡誌』明治42年(1909)に記される内容

【抜粋意訳】

各村 國見村 鮎川

加茂廼神社

 別雷命を祀る 由緒は詳かならされとも 明治十二年十一月村社に列せられたり

【原文参照】

『丹生郡誌』,福井県丹生郡教育会,明42.9. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764715

『現代展望・郷土誌』[富山県・石川県・福井県]昭和10年(1935)に記される内容

【抜粋意訳】

指定村社 加茂廼神社

 所在 國見村鮎川

祭神 別雷尊。天德元年(957)多田滿仲が改築 寄附せるものと傳へられ、大正元年(1912)幣帛料供進神社に指定された。
境内末社四社あり、面積は二百二坪、三百圓餘の基本財産を有する。氏子戸数二百戸、崇敬者三十七戸ある。

平野五郎兵衛

 社掌。人皇二十代敏達天皇四世の孫、美奴王の子 葛城王 従三位 橘諸兄の末孫にして代々 椎五郎兵衛と稱して襲名して来た。諸兄は朱鳥九年の誕生にして 天平八年(736)橘の姓を給って名を諸兄と改め、左大臣正一位に昇り天平寶字元年(757)七十四にて薨じた。

中興の祖を橘公節といふ。天徳時代(957~961)の人だ。
當主 五郎兵衛氏は明治十五年(1882)六月三十日の出生にして當社神職たるほか八社を兼務して普く信望あつき人である。

【原文参照】

『現代展望・郷土誌』[富山県・石川県・福井県],帝国聯合通信社,昭和10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1120959

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

加茂廼神社 社殿

拝殿は 御堂のような造りです

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・〈社殿向かって右 境内社2社

・大聖神社《主》豊受大神
・大嶽神社《主》天照大神
・守黎神社《主》日本武尊

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・〈社殿向かって右 境内社〉男山八幡神社《主》応神天皇

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・聖徳太子社《主》聖徳太子

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・境内入り口 鳥居

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・参道石段からの鮎川町と日本海の眺め

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・社頭の鳥居・石段

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Englishmen Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 雷神社
[ふ り が な ](いかつち かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ikatsuchi no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)の論社

・雷神社(越前市広瀬町)

・賀茂神社(福井市加茂町)

・大虫神社(越前市大虫町)
〈天正11年(1583)大虫神社相殿に合祀 雷神社〉

・加茂廼神社(福井市鮎川町)〈参考〉

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR福井駅からR416号・R305号経由で日本海の鮎川海岸の方向へ 車での所要時間は45~60分程度

鮎川海水浴場・鮎川漁港の辺りから集落に入ります

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山側に上がっていくと鳥居の前に数台分の駐車場があります

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加茂廼神社(福井市鮎川町)に参着

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一礼をして 社頭の鳥居をくぐり抜けて 石段を上がって行きます

石段の上に 社号標と 鳥居が建てられています

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鳥居の正面に拝殿があります

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拝殿にすすみます

扁額には゛加茂神社゛としるされています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿の向かって右手に境内社が祀られています

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社殿に一礼をしてから境内参道を戻ります

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行には気が付きませんでしたが 鳥居の柱の裏側に
「平成九年一月ロシアタンカー ナホトカ号 重油流出事故の補償金により建立」と刻まれていました

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鳥居をくぐり抜けて 石段を下ります

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石段からは 街並みと日本海が一望できます

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 雷神社について 所在は 記されていません

【抜粋意訳】

雷神社

 雷は伊加都知と訓べし

〇祭神 山雷神〔官社考〕

例祭 月 日

類社
 但馬国 氣多郡 雷神社

神位
 惣神分云、正五位雷神

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 雷神社について 祭神・所在は 記されていません

【抜粋意訳】

雷(イカツチノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 雷神社について 所在は゛上廣瀬村(南條郡神山村大字廣瀬)゛〈現 雷神社(越前市広瀬町)〉と記しています

別説として゛大森村 鴨分別雷神社ありて雷神社と傳稱す゛〈現 賀茂神社(福井市加茂町)〉とも記したうえで

゛大虫村 大虫神社相殿にます由云るは信がたし゛と記して 大虫神社の相殿の説を否定しています

【抜粋意訳】

雷神社

祭神 鴨別雷神

 今按 明細帳に祭神 別雷大神 健角身命 伊可古夜比賣命 玉依比賣命とあれど 其主神は別雷神なる事著ければ一座を記せり

祭日 四月中酉日
社格 村社

所在 上廣瀬村(南條郡神山村大字廣瀬)

 今按 舊福井藩神社取調書に 大森村 鴨分別雷神社ありて雷神社と傳稱す

南條郡廣瀬村にも雷神社あり こは廣瀬雄推神ならんと云れと祭神を以て考るに雷神社なるべし 故今之に從ふ 區別帳に大虫村 大虫神社相殿にます由云るは信がたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

加茂廼神社(福井市鮎川町) (hai)」(90度のお辞儀)

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