神前神社(かみさきじんじゃ)は 白鳳三年(663)役小角が神前大神を崇敬し 神亀元年(724)行基が ゛高尾寺゛を一宇建立するも焼失 延暦15年(796)最澄が行基の聖蹟をたどり 祠(神前神社の旧跡)の御前で゛杉の枝゛を玉串として地面に挿した この゛神前杉゛は「逆さの杉」と呼ばれる大木に成長し 現在も毎年4月29日 神前神社の氏子は参拝し 神前杉に御幣を捧げます
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
神前神社(Kamisaki shrine)
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
滋賀県長浜市木之本町石道984
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》須佐之男命(すさのをのみこと)
許勢小柄宿禰命(こせのおからのすくねのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
神前神社 (カミサキ)御由緒
創祀年代不詳であるが、神亀元年 行基この地に来り社坊を置き、延暦年間伝教大師大神を拝すなど伝え、明応7年現在地に移転したと伝える。
明治9年村社に列し、同41年神饌幣帛供進神社に指定された。延喜式内社。
長浜市の神前(かみさき)神社の概要
『滋賀県百科事典』によりますと、概要は「伊香郡木之本町石道、己高(こだかみ)山仏教圏内石道寺観音の対岸にある。祭神は許勢小柄宿禰命(こせのおからのすくねのみこと)、須佐之男命(すさのおのみこと)。はじめは高尾山神前谷にあり、1498年(明応7)氏子とともに現在地にうつるという。724年(神亀元)に行基が社坊石道寺を開創。延喜式の国幣小社。天文年中(1532~55)に浅井氏、江戸時代には井伊氏の献供があり、地元では広峰権現と称した時代もあった。神紋はきゅうり。文化財に伝空海唐土よりの籏、八ツ華古鏡などがある。(後略)(今井清右エ門)」とあります。なお、伊香郡木之本町石道は現在長浜市木之本町石道になっています。
国立国会図書館より
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000093782
【由 緒 (History)】
『滋賀県伊香郡誌』〈明治36年(1903)〉に記される内容
【抜粋意訳】
高時村誌
地勢 山
・・・・・
・・・・・高尾山は己高山(こだかみやま)の西南にありて 山腹に高尾寺及び神前神社の社跡等あり
神前神社
神前神社は 近江國伊香郡富永庄石道ノ氏神にして 創立年代不詳と雖も延喜格式 近江國伊香郡四拾六座の内一座也
爰に人皇四拾代天武天皇の御宇 白鳳三甲戍年五鬼ケ谷の豪樵王妃を潜護せし砌り 役小角 高尾山に臻り 神前大神を崇敬し暫く 爰に居を占め 其皇后 大和國 大峯山に移らせ給へり
降て神龜元甲子年 行基 行者の古跡を慕ひ 神前大神を拝し側を高尾難足石道の王寺を建立せらる 其後 延暦拾故五丙子年 僧最澄なるもの社前に臻り玉串の禮を行ふて地に挿す 其の杉蒼々として繁茂せり 僧大に喜ひ神前杉と稱へ深く寵愛し給ひき 其傍をに一宇を築き 是を杉本坊と號けらる 今も近郷 名高き神前杉 是なり 周囲貮丈八尺餘 枝四方に栄へ一本にて大森の形を為せり 挿も本社の社跡は今の居住地を距る貮拾餘町丑寅に方り字三谷山に属する小字高尾山神前谷と稱する地に鎮座在して社殿能く整ひ霊験亦著しく境内清冽洗ふが如く遠近の老小踵を躡て茲に神霊を仰ぎ 老松楓樹枝を交へ雅客瓢を腰にして遊び 神威旭の騰るが如し
然るに変遷の甚しきや修復怠りを来し加ふるに 文明十二庚子年正月大雪の禍を蒙り再造の議を言ふものなきに非るも協はず 明応九年に至り終に字赤谷に遷し建立す
【原文参照】
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・本殿
・拝殿
・八幡神社〈本殿の向かって左側〉
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
〈神前神社の旧鎮座地〉
・高尾寺跡の逆杉〈神前杉〉
〈神前神社の旧鎮座地で 明応7年(1498)現在地に移転したと伝える〉
現在も毎年4月29日 神前神社(長浜市木之本町石道)の氏子は 高尾寺跡にそびえ立つ逆杉に御幣を捧げ 参拝をすると云います
伝承によれば
゛長浜市木之本にある「石道の逆杉」について゛
゛『近江の名木・並木道』に、「高尾寺跡のスギ(千年杉、逆杉)」として記載されています。
所在地や樹高・樹齢などのほか、この木に関する言い伝えとして、「七二四年(神亀元)、この地を訪れた行基は自ら刻んだ十一面観音を奉り、鎮守に素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神として勧請した。しかし、火災によりお堂である高尾寺や観音は焼失、祭神だけは難を逃れられた。年をへて最澄(伝教大師)が当地を訪れ、祭神前に玉串として杉の枝を挿したところ、寺の再興を促すお告げがあった。そこでただちに十一面観音を彫り、お堂を再興したところ、不思議なことにスギはスクスクと成長した。これを喜んだ最澄は「神前杉」と名づけ、次々と僧坊を興したという。その枝ぶりが根のように見えるので、村人には「逆杉(さかすぎ)」と呼ばれるようになった。」との紹介があります。
『滋賀の巨木めぐり』、『近江名木誌』にも記述があります。゛
国立国会図書館HPより
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000208796
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)近江国 155座(大13座・小142座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)伊香郡 46座(大1座・小45座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 神前神社
[ふ り が な ](かんさきの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kansaki no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
゛神前神社゛は『延喜式神名帳(927 AD.)』に五か所の所載あり
『延喜式神名帳(927 AD.)』には ゛神前神社゛と所載される神社が 5か所〈和泉國に1か所・伊勢國に2か所・近江國に1か所・〉あります 各々の論社について紹介します
①和泉國 日根郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・脇浜戎大社(貝塚市脇浜)
〈高靇神社に合祀されている神前神社〉
②伊勢國 度會郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉
・松下社(伊勢市二見町松下)
〈神前神社〈皇大神宮(内宮)摂社〉の旧鎮座地〉
③伊勢國 三重郡 神前神社(かむさきの かみのやしろ)
・神前神社(四日市市高角町)
④近江國 伊香郡 神前神社(かんさきの かみのやしろ)
・神前神社(長浜市木之本町石道)
⑤讃岐國 寒川郡 神前神社(かんさきの かみのやしろ)
・神前神社(さぬき市寒川町神前山崎)
・春日神社(さぬき市寒川町神前石井)
・男山神社(さぬき市寒川町神前寺尾)
【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR北陸本線 木ノ本駅から 県道281号経由で東へ約5.2km 車15分程度
井明神橋で高時川を渡り石道寺方面を目指します
そのまま村の中を直進します 側溝に流れている水は 清流です
豊かな土地であることがわかります
道の合流地点が社頭になります
社号標には゛式内 神前神社゛と刻字
神前神社(長浜市木之本町石道)に参着
石段には 石鳥居が建ち 扁額には゛神前神社゛とあります
一礼をして 鳥居をくぐり 石段を上がります
石段を上がると 明るく広々とした境内がありました
境内が明るく広々としていたのは訳があり 幹が避けている杉の巨木が切り倒れていました
昨年の台風の被害で 他の神社の木々も倒木となっていましたので それで切り倒されているのだと思います
以前は もう少し鬱蒼とした木々に囲まれていたのだと思います
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の向かって右手に 八幡社に通じる石段があり 八幡社に向かいます
こちらからは 八幡社の左に 神前神社の本殿が瑞垣に囲まれて鎮座しています
社殿に一礼をして 石段を戻ると 正面に軽自動車が上がってこれるような道が伸びていました
再び境内に戻ると先程の倒木があり その脇から参道を戻ります
石段の先には 石道の村落があります
改めて側溝の水が清流なので 驚きます
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 神前神社について 所在 祭神ともに不祥と記しています
【抜粋意訳】
神前神社
神前は 加牟佐伎と訓べし
○祭神在所等詳ならず
類社
伊勢國度曾郡神前神社の條見合すべし
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 神前神社について 社名の読み方だけ゛カムサキノ神社゛と記しています
【抜粋意訳】
神前(カムサキノ)神社
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 神前神社について 社名の読み方だけ゛カムサキノ神社゛と記しています
【抜粋意訳】
神前(カムサキノ)神社
【原文参照】
神前神社(長浜市木之本町石道)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)