海神社(紀の川市神領)

海神社(かいじんじゃ)は 通称「海神(うながみ)さん」の名で親しまれ 主祭神は豊玉彦命・国津姫命です 創建は 第11代 垂仁天皇(すいにんてんのう)の御代〈BC.29~72AD.〉忌部宿禰(いんべのすくね)が 神のお告げによって創建したと伝えられる古社で 延喜式神名帳927 AD.所載紀伊國 那賀郡 海神社あまの かみのやしろとされます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

海神社Kai shrine

通称名(Common name)

海神さん(うながみさん)

【鎮座地 (Location) 

和歌山県紀の川市神領272

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊玉彦命(とよたまひこのみこと)
   津姫命(くにつひめのみこと)

《配》穂高見命 豊玉姫命 玉依姫命 事代主命

《合》九頭大明神

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

式内社 海神社

 当神社は豊玉彦命(とよたまひこのみこと)・国津姫命(くにつひめのみこと)を主祭神とし垂仁天皇の御代に忌部(いんべ)の宿弥(すくね)が神のお告げによって創建したものと伝えられている。

 延喜式神名帳(えんぎしきしんめいちょう)に登載されている県下でも古く名知られた神社である。

往古から朝廷や多くの人々の尊崇も厚く神田も現に鎮座する神領をはじめ、北 山の山麓一帯まで神社の領有地であった。

 連綿として栄えて来たこの神社も天正十三年豊臣秀吉が紀州遠征の折、本殿二柱・供殿・拝殿・神楽殿・宝殿等兵火にかかり宝物・古記録等ことごとく焼失してしまった。

 明治六年四月郷社に昭和一七年九月に県社に昇格されたが戦後は社格も廃止され今日に至っている。
海神社氏子惣代

参道案内板より

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【由  (History)】

海神社(かいじんじゃ)

由緒

当神社は、通称「海神さん(うながみ)」の名で親しまれ、豊玉彦命・国津姫命を主祭神とし、垂仁天皇の御代、忌部宿祢(いんべのすくね)が神のお告げによって、創建したものと伝えられている。
『延喜式』台帳をはじめとして、『三代実録』•『本国神名帳』・『南紀神社録』・『紀伊の国名所図絵』•『紀伊続風土記』等々の権威ある図書に、登載されている県下でもその名の知られた神社である。
  昔から朝廷の尊崇も厚く、神田も多く領有していた。

現に鎮座する神領もその名の示す通り、神社の領有地であった。

連綿として栄えて来たこの神社も、天正13(1585)年豊臣秀吉が紀州遠征の折この社の、本殿2社•供殿・拝殿・神楽殿・宝蔵等ことごとく兵火にかかり、宝物、古記録等焼失してしまった。
明治6年4月、郷社に、昭和17年9月に県社に昇格された程の格式の高い神社であったが、大東亜戦争によって、今日に至っている。
 毎年10月15日は、神社の例祭で、昔は、青年達の勇壮な「駆け馬」「奉納相撲」等の行事が、一層、お祭り気分を盛りたてたものであったが、近年、駆け馬の行事はすたれ、そのかわりとして、本神興や子ども神輿•可愛い稚児のお渡り、お餅投げ等が行われている。

神社配布紙より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿

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・拝殿

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・〈奥の東合祀社〉《主》穂高見命社 玉依姫命社 豊玉姫命社

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・〈手前の祠〉皇大神宮《主》天照皇大神 豊受大神

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・〈社殿向かって左手前 西合祀社〉《主》幸神社 稲荷社 事代主命

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・祇園社《主》素盞嗚命

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・手水舎

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・鳥居

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

浦上國津姫神と記される 国史現在社です

【抜粋意訳】

卷四十八 仁和元年(八八五)十二月廿九日己卯

廿九日己卯

に 紀伊 正六位上 浦上國津姫に 從五位下

・・・
・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)紀伊國 31座(大13座・小18座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 3座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 海神社
[ふ り が な ]あまの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ama no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 海神社について

海神は「あまのかみ」「わたつみ」と呼ばれます 東日本の式内社には該当するものがありません

但馬国 城崎郡 海神社(貞・名神大)(あまの かみのやしろ)

・海神社(豊岡市小島)

・絹巻神社(豊岡市気比絹巻)

隠岐国 知夫郡 海神社 二座(あまの かみのやしろ ふたくら)

・渡津神社(隠岐 知夫里村 島津島)

・海神社(隠岐 西ノ島) 

播磨國 明石郡 海神社三座(並名神大月次新嘗)(たるみの かみのやしろ みくら)

・海神社(神戸市垂水区宮本町)

・下畑海神社(神戸市垂水区下畑町)

紀伊国 那賀郡 海神社(あまの かみのやしろ)

・海神社(紀の川市神領)

紀伊国 牟婁郡 海神社三座(あまの かみのやしろ みくら)

・潮崎本之宮神社(串本町串本)

・熊野本宮旧社地 大斎原(田辺市本宮町)に合祀

阿波国 名方郡 和多都美豊玉比賣神社(わたつみとよたまひめの かみのやしろ)

・雨降神社(徳島市不動西町)

・王子和田津美神社(徳島市国府町)

壹岐嶋 石田郡 海神社(大)(あまの かみのやしろ)

・海神社(壱岐市石田町筒城西触)

・白沙八幡神社(壱岐市石田町筒城仲触)

對馬嶋 上縣郡 和多都美神社(名神大)(わたつみの かみのやしろ)

・和多都美神社(対馬 仁位)

・海神神社(対馬 木坂)

對馬嶋 下縣郡 和多都美神社(貞・名神大)(わたつみの かみのやしろ)

・嚴原八幡宮神社(対馬  厳原)

・乙和多都美神社(対馬 久和)

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海神社紀の川市神領の旧鎮座地 二つの゛浦上神社゛について

浦上神社(那智勝浦町浦神〈鹽竈神社の境内〉)

海神社紀の川市神領御祭神 豊玉彦命 浦上國津姫神の旧鎮座地

御祭神 豊海神は 豊玉彦命であり 古くは熊野楯ヶ崎に鎮座していたが 何時の頃かはわからないが 神領村に遷座した

社記によると「往昔 浦上國津姫を奉祀す よって地名浦神の起る所以也と云う」とある

・浦上神社(那智勝浦町浦神〈鹽竈神社の境内〉)

浦上神社(紀の川市神通)

海神社紀の川市神領御祭神 浦上國津姫神の旧鎮座地゛浦上神社゛

浦上神社(紀の川市神通)の社伝によれば 御祭神 國津姫神が 和泉の海岸よりあらわれて 大木峠を越え神通の畑を通り この地に暫くとどまりまして 神領村に来られたように伝わる

・浦上神社(紀の川市神通)

『紀伊国名所圖會(kiinokuni meisho zue)』〈文化9年(1812)〉に記される伝承

御祭神 豊海神は 豊玉彦命であり 古くは熊野楯ヶ崎に鎮座していたが 何時の頃かはわからないが 現在地に遷座した

御祭神 浦上國津姫神は 和泉國の海中より現れ 大木峠を越えて神通畑に暫く鎮座して 遂に現在地に遷座した

と記しています

【抜粋意訳】

海神社(うながみのやしろ)

・・・
・・・
延喜式神名帳 紀伊國 那賀郡 海神社
神名帳  従五位上 浦上津姫大神 正二位 豊海神
・・・
・・・
・・

・・・
社傳にいわく

豊海神と申するは 豊玉彦命なり 又の御名にして 言上(いとふるき)の世には熊野(くまの)楯ヶ崎(たてがさき)に坐したるを いづれの御代より 此社地に遷座し給ふ

浦上國津姫神は 和泉國の海中より現れ給ひ大木峠を越えて神通畑に暫く坐して 遂に此地に鎮座し給ふ

二神 社殿を並べ給ふは 深き故あるにして 上古より官社に列し 神田をも多く寄せ給ひつるに 世の乱(みだれ)打ち続き社地さへ荒れり・・・・・
・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊国名所図会』選者:高市志友/画家:西村中和 23冊 刊本 ,文化09年 ~  刊本 ,天保09年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002333&ID=&TYPE=&NO=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊国名所図会』選者:高市志友/画家:西村中和 23冊 刊本 ,文化09年 ~  刊本 ,天保09年 [旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002333&ID=&TYPE=&NO=

『紀伊續風土記(KizokuFudoki)』〈天保10年(1839)完成〉に記される伝承

海神豊玉彦尊 熊野楯ヵ崎に在す それより此地に鎮り坐せりといふ゛ とあり 楯ヵ崎に向へる出埼に室古明神といふを祀る 是当社の古宮ではないかと 記しています

【抜粋意訳】

紀伊續風土記 巻之三十 那賀郡第四 池田荘 神通(シムツウ)

○海神社

 境内周四町半余 禁殺生

祀神 豊玉彦命 津姫命 拝殿
末社四社 穂高見命社 豊玉姫社 玉依姫社 事代主命社

延喜式神名帳 那賀郡 海神社
本国神名帳  那賀郡 正二位 豊海神
本国神名帳  那賀郡 従五位上 浦上津姫大神

村中にあり 池田ノ荘十六箇村の産土神なり 延喜式海神社 本国神名帳豊海神 又 浦上津姫大神  浦上大明神といふ
海上は即海神なり 称への同きを以て文字転するなり

庚正二年(1456)の鐘の銘に 那賀郡池田荘浦上御宝前とあり
此の鐘今は転して高野山小田原弥勒堂にありといふ
按するに延喜式の海神社は  本国神名帳の豊海神にして 寛文記に海上大明神といふ是なり 又別に 浦上国津姫大神御坐して 別殿に鎮り坐せり故に本国神名帳にこれを載せて一社とす
三代実録 仁和元年(885)授紀伊国正六位上浦上国津姫従五位下一是なり 此神 海神社と一つ所に並ひ立給ひて 海神浦上称名も近き故 これを総て海神明神といひ  浦上明神ともいひて両社を兼ぬる称の様になれ来れり
 日前宮国懸宮と両社並ひ立給へとも惟日前宮といひて両社の通称とすると同かるへし
寛文記に 旧一神にて或いは海上と称へ或いは浦上と称ふといふは誤なり

天正の兵火に社頭悉焼失す 同十四年神主山田宿禰秀延仮殿を再建し 二座の神を相殿に祀り奉る 今に至るまで是に依りて抑豊海神は本国神名帳に地祇の部に載せたり

 海神豊玉彦尊 熊野楯ヵ崎に在す それより此地に鎮り坐せりといふ
楯ヵ崎は牟婁郡木本ノ荘甫母浦の東南十八町にあり 其の崎に向へる出埼に室古明神といふを祀る 是当社の古宮ならんか 猶牟婁郡木本ノ荘の條合考ふへし

按するに 此地 其神の神戸の地なるを以て 此の地に齋き祀りしなるへし  村名神領といふはこれによるならむ

曰 当社の鳥居三箇所あり 熊野楯ヵ崎にあるを一の鳥居とし 南中村にあるを二の鳥居とし 社地にあるを三の鳥居とすといふ
浦上津姫 本国神名帳に天神の部に載す 神名に見(あら)はるる所なけれは いかなる神なほなほ詳ならす するに牟婁郡太田荘に浦神いふ村ありて 今浦神の社なし 楯ヵ崎の社を勧請の時 此神も此地に遷せるならん
牟婁郡太田荘浦神村 攄に竃神社の條合考ふへし中古両部に祀り来
天正の兵火以前の堂舎の左の如し

本地堂 方五間 護摩堂 方三間  回廊 十間 十四間
廳 二箇所 舞台 拝殿 二間 十間
宝蔵 鐘楼 方二間  玉垣
反橋 二間 十間  鳥居 二箇所

右の外に 神宝社記古文書の類 悉皆 天正の兵火に焼亡せり 社領田三町八段 又没収せらる 是より有来し神事祭礼も皆廃絶す 慶安年間 官命ありて両部を改めて唯一に復す その神主を山田氏といふ

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊続風土記』著者:仁井田好古 156冊 写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002342&ID=&TYPE=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊続風土記』著者:仁井田好古 156冊 写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002342&ID=&TYPE=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊続風土記』著者:仁井田好古 156冊 写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002342&ID=&TYPE=

国立公文書館デジタルアーカイブス『紀伊続風土記』著者:仁井田好古 156冊 写本https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002342&ID=&TYPE=

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京奈和自動車道 紀の川ICから西へ約800m 車1分程度

神社の北側を道路沿いに駐車場があり 車を止めて
鳥居をくぐり 坂を下って社頭に向かいます

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途中 御神木でしょうか

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海神社紀の川市神領に参着

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両部鳥居が立ち 境内の向かって左手には 境内社が二つ〈・西合祀社・祇園社〉があります
鳥居手前に手水舎があり 清め 一礼をして 鳥居をくぐります

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拝殿にすすみます
境内の向かって右手には 境内社が二つ〈・東合祀社・皇大神宮〉があります

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拝殿には 干支の絵馬が掲げられています

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御神紋

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 海神社について 所在は゛池田庄神領村に在す゛〈現 海神社紀の川市神領〉とし

三代實錄や本國神名帳には゛浦上國津姫神゛とあり 延喜式には゛海神社゛とあることについて 考証がされています

【抜粋意訳】

海神社

海神は 宇良加美と訓べし、〔今按るに、海は浦の誤には非るか 、〕

〇祭神 豊玉姫命、國津姫命、〔社傳〕

〇池田庄神領村に在す、〔名勝志、神社録、〕

例祭正月初午日、月十五日、九十ー月十五日、
〇當國牟婁郡 海神社り名所圓會〔三編〕に、池田庄十六ヶ村産神なり、社後に海神池といふありて、田園數萬町に灌ぐと云り、

類社
但馬國 城崎郡 海神社の條見合すべし

神位
三代實錄 ,仁和元年十二月廿九日己卯、授ニ紀國正六位上 浦上國津姫神 從五位下、」
本國神名帳、從五位上 浦上國津姫神、また正二位 豊海神、

神社錄に、社家云、浦上國津神是なり、然れば海神社に浦上神を合祭して、二坐なるべきかと云り、

連胤按るに、社傳及本国神名帳に據れば、元は浦上なりしを、浦と海と草書の字形また句讀をきけば、ウラとウナと共に相近く、はた上と神を和訓同じ、故に海上とかきてウナカミと訛りしならん、さては海上と書誤りたるを、またー轉して海神とし、また海神神社とありし神の一字を脱せる本の、證本となりしにこそあらめ、三代實錄に、浦上國津姫神と見え、本國神名帳も同じければ、かの神名帳よりも後の爲誤なるベじ、猶古本を得て、定むべし、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 海神社について 所在は゛池田庄神領村に在り゛〈現 海神社紀の川市神領〉と記しています

【抜粋意訳】

海神ワタツミノ

今 池田庄神領村に在り、〔南紀名勝志、陽國名迹志、神名帳考証〕豊海神と云ふ、〔紀伊國神名帳〕
蓋 海神豊玉彦命を祀る、〔参酌日本書紀、延喜式、紀伊神名帳〕
凡 其祭正月九月午日、七月十一月十五日を用ふ、〔神社覈録

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 海神社について 所在は゛神領村゛〈現 海神社紀の川市神領〉と記し 祭神の豊海神と浦上神について考証をしています

【抜粋意訳】

海神社

祭神 豊玉彦命

今按 この社は績風土記に、本園神名帳に豊海神とみえ 寛文記に海上大明神と云是なり
又 別に浦上國津姫大神 別殿に鎮座せるを以て 海上浦上稱へも 近き故 これを総て海神明神と云ひ
又 浦上明神とも云て 両社を兼る稱の如くなり來れりと云る如く 二神を混して同神とする説もあれと 社傳に海神豊玉彦尊云々とみえ 木國神名帳に 豊海神は地祇部にのせ 浦上神は天神部にあるにて もとより別神なる事を知るへし

祭日 六月十五日
社格 郷社

所在 神領村 (那賀郡枇杷谷村大字神領 ) 

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

海神社紀の川市神領ついて 式内社 海神社と記し 諸書の考察を挙げています
社伝として゛社傳にいはく、 浦上國津姫神 初和泉國の海中 より現はれ給ふ、中世兵乱社地さへ荒わたりし゛と伝え

祭神の浦上國津姫神については 和泉國の海中に現れた神 とも記しています
豊玉彦尊も海神なので 祭神の2柱が海神としている

【抜粋意訳】

〇和歌山縣 紀伊國 那賀郡池田村大字神領

郷社 海(カイ)神社

祭神 豊玉彦(トヨタマヒコノ) 國津姫(クニツヒメノ)

創建年代詳ならず、

神社覈録海神社海神は宇良加美と訓べし〔今按るに、海は浦の誤には非るか 、〕・・・・」と云ひ尚頭書に「海神 恐らくは浦上の誤り歟、また社の上に神の一字脱たる歟」と付記し、「三代實錄 ,仁和元年十二月廿九日己卯、授ニ紀國正六位上 浦上國津姫神 從五位下、」
本國神名帳、從五位上 浦上國津姫神、また正二位 豊海神、
神社錄に、社家云、浦上國津神是なり、然れば海神社に浦上神を合祭して、二坐なるべきかと云り、

連胤按るに、社傳及本国神名帳に據れば、元は浦上なりしを、浦と海と草書の字形また句讀をきけば、ウラとウナと共に相近く、はた上と神を和訓同じ、故に海上とかきてウナカミと訛りしならん、さては海上と書誤りたるを、またー轉して海神とし、また海神神社とありし神の一字を脱せる本の、證本となりしにこそあらめ、三代實錄に、浦上國津姫神と見え、本國神名帳も同じければ、かの神名帳よりも後の爲誤なるベじ、猶古本を得て、定むべし、」云いへり、

神名帳考証に、「海神社、在ニ池田庄神領村、海童命」とあり、
南紀神社録に、「池田庄神領村、海神、延喜式神名帳曰、海神社、本國神名帳曰、正二位豊海神、・古事記曰、伊邪那岐命 伊邪那美命 既生國竟、更生神、故生神名ニ大事忍男神、次生ニ石土毘古神云々、次海神名ニ大綿津見神、次生ニ水戸神名ニ速秋津日子神、次妹速秋津比賣神云々、日本紀一書曰、伊弉諾尊與ニ伊弉冉尊 共生ニ大八洲國云々、生海神等號ニ少童命、山神等號ニ山祇云々」と見え、

神祇志料に、「海神(ワタツミノ)社、今池田庄神領村に在り、豊海神と云ふ、蓋海神豊玉彦命を祀る、凡其祭正月九月午日、七月十一月十五日を用ふ」とあり、
大日本地名辞書池田の條下に「中世は庄號なり、今村名に転ず、田中村の北に接し根來上岩出二村の東南に並ぶ、山中に海神池あり、其水を引きて田野に灌漑す、故に池田の名あり、」又同書 海神(ウチカミ)社の條下に、.池田村の北、海神池の傍に在り、大字を神領と云ふ、海神は一に浦上に作る」とあり、

名所圖會に、「海神社の太刀は粉河國次作、銘に「明應癸丑八月吉日作紀州池田庄海神前國次」とあり、中略、社傳にいはく、 浦上國津姫神 初和泉國の海中 より現はれ給ふ、中世兵乱社地さへ荒わたりしを、慶安二年に至りて境内殺生禁札を給はり、更に大社のかたち備はれりと云へり」と見ゆ、
以て沿革の一斑を知るべし、明治六年四月郷社に列せらる。

社殿は一宇に外に神庫、り ,境内坪二千三二十六坪官有地第一 有す

境内神社
穂高(ホタカノ)神社  須佐(スサノ)神社  蛭兒(ヒルコノ)神社

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』下,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088313

海神社紀の川市神領 (hai)」(90度のお辞儀)

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紀伊国 式内社 31座(大13座・小18座)について に戻る

 

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『風土記(fudoki)』が編纂(733年)された 当時の「出雲の神社(399社)」を『出雲國風土記 神名帳(izumo no kuni fudoki jimmeicho)』として伝える役割をしています

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大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

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出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷で 出雲国造が その任に就いた時や遷都など国家の慶事にあたって朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

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出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉としていて 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

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宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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