池田神社(総社市槙谷市井谷)〈元槇谷鎮座 古郡神社を合祀〉

池田神社(いけだじんじゃ)は 延喜式神名帳927 AD.所載の備中国(びっちゅうのくに)賀夜郡(かやのこおり)古郡神社(ふるこほりの かみのやしろ)論社であった 元 槇谷鎮座 村社 古郡神社を 大正二年(1913)十二月十三日合祀していて 現在 式内社の論社となっています 

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

池田神社(Ikeda shrine)
〈元槇谷鎮座 村社 古郡神社を合祀〉

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

岡山県総社市槙谷 市井谷734

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

不詳

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社の論社を合祀

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

合祀記念

大正二年十二月十三日
元槙谷鎮座 村社 熊野神社 古郡神社 金毘羅神社 御崎神社 荒神社
宍栗鎮座 村社 八幡神社 荒神社
見延鎮座 村社 御崎神社 荒神社
合祀社号改稱許可 仝三年二月十五日合祀濟 大正四年五月 改築

鳥居横 参道の合祀記念石碑より

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・石積の上に祠が一宇あり

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【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道 140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)備中国 18座(大1座・小17座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀夜郡 4座(大1座・小3座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 古郡神社
[ふ り が な ]ふるこほりの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Furukohori no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式神名帳927 AD.所載の備中国 賀夜郡 古郡神社(ふるこほりの かみのやしろ)論社は 三ヶ所あります

・古郡神社(総社市総社)

〈槇谷鎮座 村社・古郡神社を合祀〉池田神社(総社市槙谷市井谷)

・吉川八幡宮(吉備中央町吉川)の境内社

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神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR伯備線 総社駅からR180号と県道57号を経由して北上 約10km 車15分程度

高梨川を遡上するようにR180号を進みます

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槇谷川を遡るように進み 池田地区を過ぎる辺り 槇谷川に支流の落合川が合流する地点を右折

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すると すぐに落合川に架かる鉄の歩道橋があり 川の向こうに鳥居が建っています

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ちょうど祭りの頃だったのか 幟が立てられています

池田神社(総社市槙谷市井谷)〈槇谷鎮座 村社 古郡神社を合祀〉に参着

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池田神社氏子と染められた幟が立てられている 落合川に架かる 歩道橋〈祭典用などで軽自動車は走れるのかも〉を渡ります

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おそらく この山の山頂に神社が鎮座している筈です

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橋は歩くと少し揺れて心もとないですが 下を流れる清流に癒されます

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橋を渡ると 一の鳥居があり 扁額には「産土神」〈うぶすなかみ〉とあり 近隣の神社を合祀していることが窺えます
一礼をして鳥居をくぐります

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鳥居を過ぎてすぐに 狛犬と石燈籠が建ち 緩やかに上り参道が続いています

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杖置き場がありました キツイ坂道だから 杖を置いて頂いているのですから

呼吸器の疾患もありますので こういう時は必ず 二本お借りして 両手にそえて上がります

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暫らく進むと 二の鳥居がありました 一礼をしてくぐり 石段参道を上がります

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やはり杖をお借りして良かった けっこうキツイ 途中なだらかになったり 石段になったり とにかく上を目指します

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やっと辺りが開けて来て 頂上近しと想うと 石段の上に隋神門が建ちます

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隋神門をくぐり抜けると こんな山頂の神社なのに 実に手入れが行き届いていて 立派な社殿が建っています

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左手には 手水鉢一つ 石積の上に祠が一宇 祀られています

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境内は 二段になっていて 上の檀は石垣が組まれた上に整地され 社殿と神饌所が建っています

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上の檀に上がると 狛犬と池田神社合祀百周年記念の石碑があります

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拝殿にすすみます やはりゴミ一つ 雑草一本も生えていない 凄い 

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賽銭箱の前に 祈願用の絵馬が 置かれています

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拝殿の扁額には 池田神社と記されていて その両脇には 多くの方々の祈願絵馬が懸けられています ここにも信仰の篤さを感じます

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賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 立派な本殿が鎮座します

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社殿に一礼をして 境内を見下ろします

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隋神門を戻り 参道を下ります

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参道を下りながら 行きにはこの辺りでキツイと想った辺りだな とか思い浮かべます

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二の鳥居まで戻ってきました

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じきに 一の鳥居迄戻り お借りした杖を戻し 賽銭を納め 無事に御参りが出来たことを感謝します

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橋を渡り 振り返り一礼

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式社考』を参照として 式内社 古郡神社の所在は 惣社より二里の槇谷村 と記しています

【抜粋意訳】

古郡(フルコホリ)神社

考 今在に 槇谷村に 惣社より二里

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 古郡神社の所在は 槇谷村と記しています

【抜粋意訳】

古郡神社

古郡は 布留古保里と訓べし
〇祭神詳ならず
〇日羽郷槇谷村に在す 式社考

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015
写真BR-1

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 古郡神社の論社は 三ヶ所ある
1.
八田部村 四山宮山〈現 古郡神社(総社市総社)
2.
槇谷村〈現 池田神社(総社市槙谷市井谷)
3.上房郡吉川村〈現 吉川八幡宮(吉備中央町吉川)〉述べています

この中で 1.八田部村〈現 古郡神社(総社市総社)〉であろうと 記しています

【抜粋意訳】

古郡神社

祭神 吉備武彦命

祭日 十一月一日
社格 明細帳には田部村なし 総社村字四山古那神社 村社とあり取調の事

所在 八田部村 四山宮山(吉備郡総社町大字惣社)

今按〈今考えるに〉
古郡神社と云もの三所にあり 一は槇谷村 一は上房郡吉川村と本社と是なり
槇谷村は一も証とすへきものなく 八幡の末社 鉾振社と云を布古布里社と訛りしものなれば古郡神社にあらず 唯 神名帳頭注に備中國風土記云 賀陽郡 伊勢御神社 東有川 宮瀬川々西者 吉備建日子命 宮造 此三世王故 名宮瀬云々 永仁六年模寫の服部郷 古図に古郡里宮 妋里あり その図の欄外に山崎宮山と云ありて 八田部郷と服部郷と相接するを以て考るに この図に宮山と云る者 西山宮山是なり 宮山の以東は即 古郡里にして 山崎も宮山の南方の地名なるが 今に宮山山崎と云もの証とすへし故 今之に従う

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『備中誌(びつちゅうし)〈明治35~37年(1902~1904)〉』に記される伝承

槇谷村の条に 現在 池田神社(総社市槙谷市井谷)に合祀されている 古郡神社について 式内社の可能性を記しています

【抜粋意訳】

備中誌 賀陽郡 卷之七 槇谷村の条

古郡神社

延喜式神名帳に出 備中國十八社の一なり 是は非なりと 秀雄云り 文徳天皇 嘉祥四年正月子 正六位上 清和天皇 貞観元年正月二十六日従五位下

祭禮 十一月十七日
古代 古郡神社は上房郡今跡なし
山林一町二反余 本社一間四方 神子一人

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『備中誌』明治35~37年(1902~1904)出版 岡山県 https://dl.ndl.go.jp/pid/766275/1/40

『備中誌(びつちゅうし)〈明治35~37年(1902~1904)〉』に記される伝承

式内社 古郡神社の所在について 上房郡 吉川村の条に 村内の地名の中に 布郡(ふこほり)という所があり そこが式内社ではないだろうか と記しています

【抜粋意訳】

備中誌 上房郡 卷之壹 吉川八幡宮の条

吉川八幡宮

・・・・・・
・・・・・・
当村枝村八名あり 其の内に布郡と云う處有り 疑らくは 延喜式に載る處 古郡社ならんか
・・・・

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『備中誌』明治35~37年(1902~1904)出版 岡山県https://dl.ndl.go.jppid76627814

国立公文書館デジタルコレクション『備中誌』明治35~37年(1902~1904)出版 岡山県https://dl.ndl.go.jppid76627814

国立公文書館デジタルコレクション『備中誌』明治35~37年(1902~1904)出版 岡山県https://dl.ndl.go.jppid76627814

池田神社(総社市槙谷市井谷)〈槇谷鎮座 村社 古郡神社を合祀〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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備中国 式内社 18座(大1座・小17座)について に戻る        

 

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