櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〈『三代実録』宗像・櫟谷神『延喜式』櫟谷神社〉

櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)は 『三代実録』貞觀十二年(870)「葛野鋳銭所に近い宗像・櫟谷・清水・堰の小社五神に 新たに鋳造した銭を奉納した」とあるように 宗像社・櫟谷社は元々独立した別々の社でした 又 櫟谷社は『延喜式』に山城國 葛野郡 櫟谷神社(いちいたにの かみのやしろ)とある延喜式内社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

櫟谷宗像神社(Ichitani munakata shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市西京区嵐山中尾下町61

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》奥津島姫命(おきつしまひめのみこと)〈櫟谷神社〉
   市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)〈宗像神社〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・ 国史に記載される神社
 〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇録』『日本三代録』)に記載されている神社〉

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

・松尾大社 摂社

【創  (Beginning of history)】

櫟谷(いちたに)宗像(むなかた)神社

 京都市西京区嵐山中尾下町

ご祭神・・・奥津島姫命市杵島姫命

ご由緒・・・

 当社は世人古くから俗に嵐山弁天社と称し
奈良時代 大宝年間から鎮座されている名社である

平安時代、葛野に鋳銭所(今の造幣局)が 新しい鋳銭は必ず当社に奉納せられたという
爾来福徳財宝の神として人々の尊崇が厚い また河海の女神であるところから難の守護神ともされている
古来 風光明媚の名勝 嵐山に訪れる人は必ず詣でた神社である。

大井川しぐるゝ秋の櫟谷(いちたに)
 山や嵐の色をかすらむ
 藤原為家

時鳥(ほととぎす)なくや真昼のいちひ谷
 一白

現地案内板より

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【由  (History)】

櫟谷(いちたに)宗像(むなかた)神社

ご祭神 奥津島姫(おきつしまひめ)命・市杵島姫(いちきしまひめ)

ご由緒

 当社は世人古くから俗に嵐山弁天社と称し、 奈良時代大宝年間から鎮座されている名社である。

平安時代、葛野に鋳銭所(今の造幣局)がり、新しい鋳銭は必ず当社に奉納せられたという。尓来、来福徳財宝の 神として人々の尊崇が厚い。また河海の女神であるところから火難の守護神ともされている。
古来、風光明媚の名勝嵐山に訪れる人は必ず詣でた神社である。

大井川しぐるゝ秋の櫟谷(いちいだに)
 山や嵐の色をかすらむ
 藤原為家

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・松尾大社(京都市西京区嵐山宮町)

櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)は 松尾大社の摂社です

延喜式内社 山城國 葛野郡 松尾神社二座(並 名神大 月次 相嘗 新嘗)(まつのをの かみのやしろ ふたくら)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承

无位 櫟谷神從五位下 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷十八 嘉祥元年(八四八・承和十五年)十一月戊午

十一月丁巳朔戊午

奉授

筑後國 正五位下 高良玉垂神 從四位下

山城國 无位 櫟谷神 從五位下

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

從五位下 櫟谷神に正五位下 神階の奉授が記されています

【抜粋意訳】

卷十五 貞觀十年(八六八)閏十二月十日己亥

○十日己亥

攝津國の廣田・生田の神社に使を遣はして幣を奉る。告文に曰く。

天皇〈我〉詔旨〈と〉 廣田大神の廣前に申し賜はくと申す 大神を彌高彌廣に供へ奉らむと念し行す 而して間に攝津國解く 地震の後に小震止まず 因りて卜し求めしむるに 大神の布志己利賜ひて致し賜へるなりと申す

 先日に祷り申し賜ふ事も有りけり 因りて今 從一位の御冠に上げ奉り 崇め奉る状を 主殿權助從五位下大中臣朝臣國雄を差し使はして 御位記を捧げ持たしめて奉り出だす 大神 神ながらも聞こし食して 今も往前も天下平安に 天皇の朝庭を寶位動くことなく 常磐堅石に夜守日守に護り幸へ奉り賜へと申し賜はくと申す

 辭別れて申さく 去る八月三日に祈り申さく 風雨旱の災ひ無くして 五穀損ふこと無く 天下饒足の米を賜へと祈り申し賜ひき 而して祈り申すも驗ありて 諸國豐饒に刈り收め訖りたり 此れもまた皇大神の厚き助けなりとなも 歡び崇み念し行す

因りて今 禮代の大幣帛を捧げ持たしめて奉り出だす 大神平らけく聞こし食して 天下平安に護り助け賜へと申し賜はくと申す

生田神社の告文もまた同じ

山城國 從五位下 櫟谷神に正五位下を授く 

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)葛野郡 20座(大14座・小6座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 櫟谷神社
[ふ り が な ](いちいたにの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ichiitani no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)と「葛野鋳銭所」の関係について

松尾神社公式HPには 次の様に記されています

[摂社:櫟谷宗像神社]

現在は、二社同殿で御鎮座されており御祭神は、櫟谷神社が奥津島姫命、宗像神社が市杵島姫命になっている。この二神は異名同神(紀の一書)と見られていますが、天智天皇の七年(668)筑紫の宗像から勧請されたものと伝えられています。

櫟谷神社は嘉祥元年(848)従五位下、貞観十年(868)正五位下の神階を授けられた延喜式内社であり、
宗像神社は、貞観十二年葛野鋳銭所に近き故を以って新鋳銭を奉納されていたことが三代実録に見える由緒ある神社です。

両社とも大堰川(桂川)の水運の安全を祈って祀られたものと思われ、明治十年に当松尾大社の摂社となりました。

松尾神社公式HPより
https://www.matsunoo.or.jp/guide07/

『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

卷十八 貞觀十二年(八七〇)十一月十七日乙丑

○十七日乙丑

園韓神の祭 常の如し
〈園韓神の祭は 通常通り〉

是の日 使者を諸社に分遣し 鑄錢司 及び 葛野の鑄錢所の新に鑄る錢を奉る
〈この日 使者を諸 神社に分けて派遣し 鋳銭司および葛野の鋳銭所で新たに鋳造した貨幣を各神社に奉納しました〉

賀茂御祖・別雷の兩社の使は 前安藝 從五位下 大中臣朝臣是直
松尾社の使は 神祇權大祐 正六位上 齋部宿禰高善
稻荷社の使は 神祇大祐 正六位上 大中臣朝臣常道
石清水社の使は 主水 正六位上 大中臣朝臣坂田麿
平野社の使は 神祇少副 正六位上 大中臣朝臣有本
梅宮社の使は  從五位下 朝臣茂生
春日社の使は 雅樂少允 從七位上 大中臣朝臣冬名
大原野社の使は 主水 正六位上 大中臣朝臣鹿主

又 近く於いては
葛野鑄錢所に近き 宗像・櫟谷・清水・堰・小社の五神に 鑄錢所の新鑄の錢を奉る
〈また 葛野の鋳銭所に近い宗像・櫟谷・清水・堰・小社の五神にも 新たに鋳造した銭を奉納した〉

告文に曰く
「天皇 詔旨と 宗像の前に申しはく
〈天皇の命として 宗像の神の御前に申し上げます〉

 年序に依り 貨幣漸く積みて已に賎し 改めて饒益神寶を貞觀永寶と為す
〈近年 貨幣が次第に増えすぎて価値が下がってしまったため『饒益神宝』を改めて『貞観永宝』とした〉

 常の鑄錢司は路遠くして妨げ多きにより 山城國葛野郡に鑄作せしむ
〈これまでの鋳銭司は遠方にあり不便が多く よって 山城国葛野郡に新たに鋳造施設を設けた〉

  神社は此の鑄錢所に近く坐す 仍りて鑄作の早穗二十文 左馬 從五位下 多治眞人藤吉をして持たしめ 奉出せしむ
〈今 神社はその鋳銭所の近くに鎮座しており 今回鋳造した新銭二十文を左馬助・従五位下の多治真人藤吉を使者として捧げます〉

 此の状を聞こし食して 國家平安にして貨幣豐足ならしめ給へ
〈このことをお聞き届けいただき 国家が安泰となり 貨幣が豊かに行き渡るようお守りください〉」と申す

また曰く
「天皇が詔旨と 神の前に申し賜へと申す 年序に依りて漸く貨幣積もりて已に賎し 饒益神寶を改めて貞觀永寳と為す 常の鑄錢司は路遠く妨げ多きに依りて 加太之(カタシ)を山城國葛野郡に加へて鑄作せしむ 神社をしてこの鑄錢所に近く坐さしむ 仍りて鑄作する所の早穗十五文を 左馬 從五位下 多治眞人藤吉を使に差して 捧げ持たしめて奉り出だし賜ふ この状を聞食して 國家平安にして貨幣豐足せしめ賜へと申す」

櫟谷・清水・小社神の告文もこれに准ず

勅して大宰府に 少貳藤原朝臣 元利萬侶 前主工上家人 浪人(ウカレヒト)清原宗繼 中臣年麿 興世有年等五人を追禁せしむ
從五位下 行大内記 安倍朝臣興行を遣わし 大宰府に推問せしむる密告の使とす 判官一人 主典一人を付す

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

国立公文書館デジタルアーカイブス『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫 https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=画像利用

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京福嵐山本線 嵐山駅から渡月橋で桂川を渡り南下 約500m 徒歩での所要時間7~8分程度

桂川(大堰川)右岸 嵐山の渡月橋の橋詰近く 櫟谷社と宗像社の二社同殿で鎮座しています

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社頭の社号石標には「官幣大社 松尾神社 攝社 櫟谷宗像神社」と刻字されています

櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)に参着

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石段を上がると鳥居が建てられています

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鳥居の扁額には「櫟谷神社 宗像神社」と両社が記されています
一礼をして鳥居をくぐり抜けて 境内へと進みます

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 櫟谷神社について 所在は゛松尾郷上山田村北櫟谷に在す、゛〈現 櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〉と記しています

【抜粋意訳】

櫟谷神社

櫟谷は伊知比多爾と訓べし

〇祭神詳ならず

○松尾郷上山田村北櫟谷に在す、山城志

頭注云、
 松尾末社、
 諸社禁忌云、松尾幣〔中略〕櫟谷三本、神主 秦頼康注之、』ざれば祭神三座なるベし、

神位
 續日本後紀、嘉祥元年十一月戊午、奉授 山城國 無位 櫟谷神 從五位下、
 三代録、貞観年閏十二十日己亥、授 山城國從五位下 櫟谷神 正五位下、

焼亡
 百練抄、仁治二年八七日壬戌、今夜丑刻、櫟谷宗形両社焼亡、御躰同焼失了、是松尾末社也、

雑事
 三代録、貞観十二十一十七日乙丑、近 於葛野、鋳銭所宗像櫟谷、五神奉 鋳銭所新鋳銭使左馬助從五位下 多治人藤吉、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 櫟谷神社について 所在は゛ 上山田村の北大井川の南岸 櫟谷にあり、゛〈現 櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〉と記しています

【抜粋意訳】

櫟谷(イチヒタニノ)神社、

 上山田村の北大井川の南岸 櫟谷にあり、〔山城志、山城國圖〕

松尾の末社七座の一也、〔百鎭鈔、神名帳頭注、三才圖會〕

仁明天皇 嘉辭元年十一月戊午、無位 櫟谷神に従五位下を授け、〔續日本後紀〕
清和天皇 貞觀十年閏十二月己亥、正五位下に叙され、十二年十一月乙丑、神社に近き葛野鑄錢所の新銭の早穂と奉る、〔三代実録〕
四條天皇 仁治二年八月壬戌神體災に罹りき、〔百練鈔〕
六條天皇 仁安二年四月丁丑、勅して神輿を改造らしむ、社下に死穢あるを以て也、〔顧廣王記〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第6,7巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 櫟谷神社について 所在は゛上山田村北櫟谷(葛野郡松尾村大字上山田)゛〈現 櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〉と記しています

【抜粋意訳】

櫟谷(イチヒタニノ)神社

祭神

 今按 京都府式內考證 祭神不詳とあり 百錬鈔に仁治二年八月七日夜 櫟谷宗形兩社燒亡 是松尾末社也とあるに據に松尾神社の末社と見えたり

 仁明天皇 嘉元年十一月 奉授 山城國 無位 櫟谷神 從五位下
 清和天皇 貞観十年間十二月十日己亥、授 山城國從五位下 櫟谷神 正五位下

祭日 一月三日
社格 (松尾神社 境外 摂社 無格社

所在 上山田村北櫟谷(葛野郡松尾村大字上山田)

 按 京都府式 櫟谷は山の南に連れり
木集家の歌に
 大井川しくるる秋の櫟谷や嵐の色をかすらむ
 と詠たるは今の地に符合みえたり 姑附て考に備ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町) (hai)」(90度のお辞儀)

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山城国 式内社 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)について に戻る

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8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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