市穂神社(いちほじんじゃ)は 「かわもとさん」と呼ばれ 筑陽川の源流 上意東に鎮座します 御祭神は「水罔女命(mizuha no me no mikoto)」を祀ります 「亀趺(ki fu)」の台座に弘化年間(1845~1848)と刻まれた立派な石灯篭の先には 石段と狛犬と続き 社殿が坐ます 境内の樹木と相まって実に趣のある様相の神社です
目次
ここからは 掲載神社の呼称名を時代順に説明していきます
まず初めは 今から約1300年前・天平5年(733年)2月30日に完成した『出雲國風土記』
次に 今から約1100年前・平安時代中期(延長5年927年)に完成した『延喜式神名帳』
最後に『出雲國風土記』と『延喜式神名帳』の論社(現在の神社)となっています
【約1300年前】About 1300 years ago
【出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in February 733 AD.
国立公文書館デジタルアーカイブ『出雲国風土記』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000003351&ID=&TYPE=&NO=画像利用
①本殿
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori) 条
不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)
【社名】 市穂社
【読み】(いちほ の)やしろ
【How to read】(ichiho no) yashiro
➁合祀
【國】 出雲國(izumo no kuni)
【郡】 意宇郡(ou no kori) 条
不在神祇官社(fuzai jingikan no yashiro)
【社名】 同市穂社
【読み】(おなじき いちほ の)やしろ
【How to read】(onajiki ichiho no) yashiro
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【約1100年前】About 1100 years ago
【延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)所載社(Place of publication)】
The shrine record was completed in December 927 AD.
非官社のため 該当しません
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【現在】At the moment の【論社】Current specific shrine
【神社名】(shrine name)
市穂神社(ichiho shrine)
(いちほじんじゃ)
【通称名】(Common name)
かわもとさん
【鎮座地】(location)
島根県松江市東出雲町上意東2709
【地 図】(Google Map)
【御祭神】(God’s name to pray)
《主》水罔女命(mizuha no me no mikoto)
《配》市杵島姫命(ichikishima hime no mikoto)
【御神格】(God’s great power)
・水の守護神 God protecting the water
【格式】(Rules of dignity)
『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載社
【創建】(Beginning of history)
創建年代不詳
【由緒】(history)
不詳
【境内社】(Other deities within the precincts)
・荒神社
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
石灯篭の土台は「亀趺(ki fu)」と呼ばれ 石で造られて 亀に似た形ですが 亀ではありません
この土台「亀趺(ki fu)」は 亀ではなく 古代中国の伝説上の生物「神龍」の子供で「贔屓(hiiki)」と呼びます
背に甲羅があり 亀に似た容姿ですが 亀とは違い神龍の子で 頭に角を持ちます
神龍には9頭の子があり「龍生九子(ryusei kyushi)」と呼ばれます
みな優秀で龍になったが
贔屓(hiiki)は あまり出来が良くなく 懸命に努力したが龍に進化できなかった
ただし「重いものを支えることを好む」という特技を1つ持っていました
神龍は「目をかけて育てたようです」
商売でよく使われる「ごひいき」とか「ひいき目に見る」はこれが由来です
重みを支える神龍の子の由来から
石碑の土台に「贔屓趺(hiiki fu)」が生まれ
これが亀と混同して「亀趺(ki fu)」になったようです
当社の「亀趺(ki fu)」の台座には 弘化年間(1845~1848)と刻まれています
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【神社にお詣り】(Pray at the shrine)
安来駅から R9号 県道324号経由 約15km 車25分程度
筑陽川にそって南に向かいます その最上流の集落に静かに鎮座します
社名の案内板と両部鳥居があり すぐにわかります
市穂神社(ichiho shrine)に到着
神社のお手入れをされている方が居られましたので 会釈して 一礼して鳥居をくぐります
「亀趺(ki fu)」の台座に弘化年間(1845~1848)と刻まれた立派な石灯篭の先には 石段と狛犬と続き 境内の樹木と相まって実に趣のある様相です
境内は綺麗に清掃がされて気持ちが良く 拝殿が建ちます
すると 先程 鳥居付近に居られた方が来られて「拝殿を開けましょうか?」と云われまして
おもわず「ありがとうございます」と答えまして 中を拝見することが出来ました
「写真を撮らせて頂いても良いですか?」「どうぞ」とお返事を頂き 失礼のない範囲で撮影いたしました
拝殿の中には 中央に榊 御神酒 両に弊が奉じられ 「日に松」の扇が添えられていて見事です
扁額には「式内 市穂神社」とありますが式内社の論社ではありませんが 何か理由はある筈です
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の横に「荒神さま」お詣りです
本殿を右手より仰ぎます
拝殿の御扉を閉じ 参道を戻り 振り返ります
狛犬は 文政期(1804〜30)頃の作と推定されているとのことでした
鳥居をくぐり 振り返り一礼
先程の方は 氏子さんの代表でおられるとのこと
お礼を述べながら「こんなに綺麗になされていて お祭りですか?」とお聞きすると
「いいえ」と答えられましたので 日常のことなのだなと 改めて里人の崇敬の深さが感じられました
「扁額に「式内」と謳っていますが」とお聞きしたところ「そうなんです 式内社ではないのですが なぜなのか?」といわれておりました
改めて 御礼を述べて 一礼
もしかすると 式内社の「筑陽神社」も神代には 筑陽川の源 上意東にあったと云われますので 関係があるのかもしれません
【神社の伝承】(Old tales handed down to shrines)
『雲陽志(unyo shi)』意宇郡 上意東 にある伝承
現在の「市穂神社(ichiho shrine)」が
「川本社(kawamoto no yashiro)」と記されています
式内社の「筑陽神社」も神代には 筑陽川の源 上意東 御社に鎮座してたと社伝にありますが 川の氾濫等で 現在は 河口付近に鎮座しています
上意東は神代より 信仰の場所であったようです
意訳
『 上意東 川本社(kawamoto no yashiro) 寛文8年(1668)造営の棟札あり 』
※『雲陽志(unyo shi)』[黒沢長尚著]天保6 [1835] 『原文』参照 国立公文書館デジタルアーカイブ『雲陽志』写本
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002424&ID=&TYPE=&NO=画像利用
水罔女命(mizuha no me no mikoto)を祀り「かわもとさん」は筑陽川の源の上意東に坐ます
市穂神社(ichiho shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
「筑陽神社」の記事もご覧ください
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筑陽神社(東出雲町下意東)
筑陽神社(ちくようじんじゃ)は 遠い神代に 事代主命がこの地で漁をされました時に 筑陽川の源流がある萩山より吹き下ろす風を鎮めようと「速飄別命(はやつむじわけのみこと)」を祀られたと伝わります この例えは 地上と天上を繋げる竜巻のように言われる「つむじ風」の神 なのでしょうか?
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