大神宮跡(京田辺市三山木東荒木)は 延喜式内社 山城國 綴喜郡 佐牙乃神社(鍬靫)(さかの かみのやしろ)の 旧跡とされ 木津川の水害の為 永享年間(1429~1441)に この地から現在の佐牙神社の鎮座地に遷座しました 今でも祭日には 神輿の渡御があり 山本宮座の太夫八人がこの地へお参りをします
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
大神宮跡(Daijingu ato)〈佐牙神社 旧跡〉
【通称名(Common name)】
【鎮座地 (Location) 】
京都府京田辺市三山木垣内
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》佐牙弥豆男神(さがみつをのかみ)佐牙弥豆女神(さがみつめのかみ)が祀られていた
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社の旧鎮座地
【創 建 (Beginning of history)】
敏達天皇二年(五七三)の創祀 式内 佐牙(さが)神社の旧跡
【由 緒 (History)】
大神宮跡
京田辺市三山木垣内三三番地の二
現在 江津区にある式内 佐牙(さが)神社の旧跡で、かってはここにあった。
社伝によれば、敏達天皇二年(五七三)の創祀といい、造酒司(ぞうしゅし)の奉幣があったという。
佐牙神社は、水害のために宮津に移されたが、山本を御旅所とし、祭日(十月十七日)には、神輿の渡御がある。十月二十日には、山本宮座の太夫八人がこの地へお参りする。
京田辺市教育委員会
京田辺市文化財保護委員会現地立札より
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・佐牙神社の山本御旅所
「市無形文化財・山本の百味と湯立て」佐牙神社御旅所(三山木)で13日、100種類の野の幸・海の幸が御旅所内の2基の御輿に供えられ、神笹を持った巫女が無病息災を祈願し煮立った釜の湯を見物客に振りかける「山本の百味と湯立て」が行われました
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・佐牙神社 現在の鎮座地
延喜式内社 山城國 綴喜郡 佐牙乃神社(鍬靫)(さかの かみのやしろ)は 永享年間(1429~1441)に現在地に遷座しました
・佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)綴喜郡 14座(大3座・小11座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 佐牙乃神社(鍬靫)
[ふ り が な ](さかのの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kusanaki no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式』山城國 綴喜郡 式内社の内 酒造に関係すると想われる社の伝承によれば
大神宮跡(京田辺市三山木東荒木)〈佐牙神社 旧跡〉は 木津川近くの山本村にあり 水を守る酒殿の神を祀る場所
酒屋神社(京田辺市興戸宮ノ前)は 酒を製造する場所〈及び 酒器を製造する場所〉とされていた 両社には 酒造に深い関係性にあったものとされます
『古事記』にある 須々許理(すすこり)の伝承
『古事記』には応神天皇の時に来日した百済人 酒造りの渡来人・須々許理が大陸の酒造りの技術を伝えたと記しています
須須許理という名は 酒と水を同時に象徴する 古代において酒と水は神に捧げる供え物として同じような役割を果たした。須須許理は神の領域に属した酒やそれと等しい価値を持っていた水を同時に象徴していたのである
「日本の宮中楽舞の原泉を探って-高麗楽「進曾利古」を中心に-」
(朴泰圭、『 日 本 文 化 研 究 ( 5 0) 』 、 2014、 0 4、 1 5)より抜粋
佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)に伝わる『本源記』には
「仁徳天皇の頃 大陸から酒造りに才のある「曽々許理」が山背で酒造りに励んだ」とあり「男女二神の佐牙弥豆男と佐牙弥豆女の酒殿神の役目は酒造用水の守護」らしい
『古事記』応神天皇の條には
「泰造(はた のみやつこ)の租、湊直(あやのあたえ)の租、また酒を醸むことを知れる人 名は仁番(にほ) 亦の名は須須許理(ススコリ)どもが来朝した」とあり
天皇は 須須許理(ススコリ)が 献上した酒を飲んで朗らかになり
「須須許理が醸みし御酒に我酔いにけり
事無酒笑酒(ことなぐしえぐし)に我酔いにけり」とうたっています
※ 須須許理(ススコリ)が 酒を絞ったあとの酒糟に塩漬したウリ(古代朝鮮語) を漬けたものが 瓜の糟漬で 現在 奈良漬と呼ばれています
酒屋神社(京田辺市興戸宮ノ前)の伝承では
神功皇后が三韓遠征の際 三個の酒壺を神社背後の山上に安置し 帰国後その霊験に感謝して 社殿を創建したとの伝えがあります
京田辺市三山木の『延喜式内佐牙神社本源紀』には、酒造用水を守護する男女二神の佐牙弥豆男と佐牙弥豆女の酒殿神がみられ、唐国から酒を造る曽保利と曽々保利という二人が渡来したと記されている。「佐牙(さが)」は「サケ」「酒」である。また興戸の延喜式内酒屋神社は酒を製造した場所とされ、三山木の山崎神社や飯岡の咋岡神社も酒に関係があり、「さか」は「酒」に通じていることから「さかき」であろうと思われる。
竹取翁博物館HPより抜粋
http://taketori.koiyk.com/take-eraani.html
『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』の酒屋神社の条に『佐牙神社神紀』の記述として 式内社 佐牙乃神社の創建について 記しています
これによれば 敏達天皇二年(五二七)に勅令により 酒部連友夏と云う者に勅して 佐賀彌豆男神 佐賀彌豆女神を咋岡の山本に鎮座なされた 大内造酒司の官人が毎年幣帛を奉る神社となられた と述べています
御祭神 佐賀彌豆男神 佐賀彌豆女神の二神について
延喜式内社 宮中 造酒司坐神 6座(大4座・小2座)(さけつかさにますかみ むくら)に祀られている゛酒彌豆男神゛と゛酒彌豆女神゛と同神であり 酒造りと深く関わる神社であると考えられます
佐牙神社の旧鎮座地について
又 地元の伝承には 初め山本に鎮座し 永享年間(一四二九~四一)に現在地に遷座されたと云う その旧地は「大神宮跡」として現在も当社の御旅所となっています
延喜式内社 山城國 綴喜郡 佐牙乃神社(鍬靫)(さかの かみのやしろ)
・大神宮跡(京田辺市三山木東荒木)〈佐牙神社 旧跡〉
・佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)
『特選神名牒〈明治9年(1876)完成〉』の酒屋神社の条に『佐牙神社神紀』の記述として 式内社 酒屋神社の祭神について
一説によれば 津速魂神の19世孫 眞入連公の孫 中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)が この地に住んでいて神託により 酒彌豆男神の子 酒彌豆倉神を西側の山の上に祀った これを酒屋神社と称した と述べています
延喜式内社 山城國 綴喜郡 酒屋神社(さかやの かみのやしろ)
神社の伝承には 神功皇后が三韓遠征の際 神社背後の山に酒壺を三個安置して出立 帰国後その霊験に感謝し創建 皇后が朝鮮より持ち帰った“九山八海の石”が今もここにあると伝わる
・酒屋神社(京田辺市興戸宮ノ前)
延喜式内社 山城國 綴喜郡 咋岡神社(鍬靫)(くいをかの かみのやしろ)
咋岡神社の鎮座地名「飯岡(いのおか)」は 「咋岡」が変化したものとも云われます
現在 式内社 咋岡神社の論社は 京田辺に飯岡東原と草内宮の後の2つの咋岡神社があります
一説に 元は木津川と普賢寺川の合流地点一宮が森にあったのが 木津川の氾濫で江戸時代中期(元禄年間)にこの二か所に分けて移されたと伝わります
・咋岡神社(京田辺市飯岡東原)
・咋岡神社(京田辺市草内宮ノ後)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
佐牙神社から 三木山駅経由 県道65号を東へ進むと佐牙神社の山基御旅所があり さらに東へ進んだ田の中にあります 三木山駅から東へ約850m 徒歩12分程度
木津川に架かる玉水橋の西岸の田の中です 写真は 田の中から玉水橋を見ています
橋の袂から下がった辺りに田の中に 数本の木がある場所になります
田の中の畦道を南側から進みます
大神宮跡(京田辺市三山木東荒木)〈佐牙神社 旧跡〉に参着
大神宮跡の案内板が立ちますので ここで間違いはありません
特に祠などはありませんが 石積みが木々の中央に祀られています
向きは良くわかりませんが 西を向いているようです
西から見ると 神社らしき雰囲気ではあります 右手の背後には玉水橋があります
お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
北側から見ると
本当に田の中です
一礼をして 畦道を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 佐牙乃神社について 所在は゛江津村に在す、今天神と称す、゛〈現 佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)〉と記しています
【抜粋意訳】
佐牙乃神社 鍬靫
佐牙乃は 假字也
○祭神詳ならず
○江津村に在す、今天神と称す、〔山城志〕
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 佐牙乃神社について 所在は゛今 江津村にあり、佐牙大明神と云ふ、゛〈現 佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)〉と記しています
【抜粋意訳】
佐牙の神社
今 江津村にあり、佐牙大明神と云ふ、山本村と共に之を祀る、〔山城志、式社考証、〕
傳云ふ 酒彌豆男神 酒彌豆女神を祭る、〔本社神紀〕
平城天皇 大同元年、摂津地九戸を神封に寄し、〔新抄格勅符〕
醍醐天皇 延喜の制、祈年祭に鍬靫各一口を奉りき、〔延喜式〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 佐牙乃神社について 祭神について 社傳には 祭神 天津神 吉田大明神とあり 佐牙神社神紀には 酒彌豆男神 酒彌豆女神の二神とある と記しています
所在は゛江津村 (綴喜郡三山木村大字宮津)゛〈現 佐牙神社(京田辺市宮津佐牙垣内)〉と記しています
【抜粋意訳】
佐牙乃(サカノ)神社
祭神
今按 社傳 祭神 天津神 吉田大明神とあれど 佐牙神社神紀〔相楽郡木津村 今井某所蔵〕と云ものには 酒彌豆男神 酒彌豆女神の二神なりと云り 由縁ありげなり 尚よく考べし祭日 九月十二日
社格 村社所在 江津村 (綴喜郡三山木村大字宮津)
今按 京郡府式内考證に 當社は古へ隣村 山本村にあり朱智佐賀両庄の舊圖に石戸村にありとあれども同村は江津村の出郷にして既 又 同村に合せりとあるが如くなるべし 故今之に從ふ
【原文参照】