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甑岩〈越木岩神社の御神体〉&末社「土社」〈大國主西神社〉
甑岩(こしきいわ)は 越木岩神社の御神体霊岩〈周囲約40m・高さ10m〉〈酒米を蒸す時に使う「甑(こしき)」という道具に似ているので「甑岩」と名づく〉 末社゛土社゛は 大地を司る〈地震の神様〉大地主大神を祀り 推古天皇の時代(599)飛鳥京の東西南北に地震の神を祀った内の西社であろうと推定され 式内社 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社です
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越木岩神社(西宮市甑岩町)
越木岩神社(こしきいわじんじゃ)は 古代の磐座信仰の霊石として゛甑岩(コシキイワ)゛をご神体として 神社の創始は 600~700年頃と推定される古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 摂津国 菟原郡 大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)は当社の地主神である大地主大神(おおとこぬしのおほかみ)として末社「土社」にお祀りされていると伝えます
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大國主西神社(西宮市社家町)〈西宮神社 境内社〉
大國主西神社(おおくにぬしにしじんじゃ)は 『延喜式神名帳927 AD.』所載の大國主西神社(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)との説があり 明治7年11月に県社となります 西宮神社では 元は境内の仏堂であった阿彌陀堂に享保20年(1735)国土経営に尽力した二柱 大己貴命・少彦名命を勧請した神社と伝えていて 戦後は西宮神社の境内社となっています
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西宮神社(西宮市社家町)〈えべっさん〉
西宮神社(にしのみやじんじゃ)は 全国の゛ゑびす様゛の総本社で 海上守護神 商賣繁盛の神として崇敬されています 平安時代末期には既に高倉上皇の御奉幣をはじめ皇族神祇伯の参拝が著しく社勢は極めて盛大でした 延喜式内社 摂津國 莵原郡 大國主西神社(鍬靫)(おほくにぬしのにしの かみのやしろ)の論社でもあります
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賀茂神社(桐生市広沢町)
賀茂神社(かもじんじゃ)は 第10代 崇神天皇の朝 豊城入彦命が 東国鎮護のため山科国の賀茂神を勧請したと伝えられ 桓武天皇 延暦十五年(796)官社に列せられ その後 陽成天皇 元慶四年(881)正五位下勲十二等を授る由緒ある古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 上野國 山田郡 賀茂神社(かもの かみのやしろ)です
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美和神社(桐生市宮本町)〈『日本後紀』に美和神・『延喜式』に美和神社〉
美和神社(みわじんじゃ)は 社伝に第10代 崇神天皇の御代に大和國 大神神社を勧請して創建と伝え 六国史に 延暦十五年(796)官社に預かり 天慶四年(941)正五位下に叙せられたと記される由緒ある古社です 『延喜式神名帳927 AD.』所載 上野國 山田郡 美和神社(みわの かみのやしろ)とされます
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大國神社(伊勢崎市境下渕名)
大國神社(おおくにじんじゃ)は 第十一代 垂仁天皇の御宇 朝廷から派遣された百済車臨が 御手洗池で手を洗う大国主命の化身である白頭翁と出会い大干魃(かんばつ)から救われた伝説により創建された その後 丹波国穴太郷より五媛の宮を奉遷合祀して五護宮・五后宮・第五姫大明神とも称した 延喜式内社 上野國 佐位郡 大國神社(おほくにかみのやしろ)とされます
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宇藝神社(富岡市神成)
宇藝神社(うげじんじゃ)は ここより西方500m程に 神成山中腹 峻立した岩壁があり゛宇賀神様(ウガジンサマ)゛と呼ばれる磐座信仰の古社地があります 社殿創建は 天武天皇の御代(672~686年)とされ 倉稲魂神(うかのみたまのかみ)が祀られる古社です 延喜式内社 上野國 甘楽郡 宇藝神社(うけの かみのやしろ)とされる由緒を持ちます
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妙見社・妙見寺(高崎市引間町)〈息災寺小祝明神〉
妙見社(みょうけんしゃ)・妙見寺(みょうけんじ)は 妙見寺縁起『花園星神記』の故事に 和銅7年(714)管領が花園里に宿泊 北西の方角〈小祝池〉に北斗七星が天から降った 池から霊亀〈首が赤く甲羅が真白で金色の光明を放つ亀〉を得たので吉兆なり 時の帝(みかど)に献上し 年号が和銅から霊亀(れいき)に改元されたと伝 この花園里に祀られた妙見神が〈息災寺小祝明神〉です
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小祝様の旧跡〈冷水 小祝神社〉(高崎市冷水町)
小祝様の旧跡(おぼりさまのきゅうせき)は 妙見寺縁起『花園星神記』の故事に 和銅7年(714)秋 管領が花園里に宿泊 北西の方角〈小祝池〉に北斗七星が天から降った 池から霊亀〈首が赤く甲羅が真白で金色の光明を放つ亀〉を得たので吉兆なり 時の帝(みかど)に献上し 年号が和銅から霊亀(れいき)に改元されたと伝 この小祝池の辺に祀られる石祠が 冷水 小祝神社です
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野本神社〈大神宮〉(松崎町峰輪)
野本神社〈大神宮〉(のもとじんじゃ)は 元和二年(1616)の棟札に「大神宮大六天魔王野本村鎮守也」と記され 享保の初め(1716年~)の火災で小祠となったと伝わります 延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社でもあります
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箕勾神社(松崎町峰輪)
箕勾神社(みのわじんじゃ)は 創建年代など不詳ですが 頗る古社で 天神の杜(もり)に鎮座する天神社と呼ばれたと伝わっています 延喜式内社 伊豆国 那賀郡 箕勾神社(みのわの かみのやしろ)の論社ともされています
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小祝神社(高崎市石原町)
小祝神社(おぼりじんじゃ)は 創建は不詳ですが 大和朝廷の六国史『日本三代實録』元慶四年(880)の条に゛小祝神 正五位上゛と見え 『延喜式神名帳927 AD.』所載 上野國 片岡郡 小祝神社(をはふりの かみのやしろ)〈 上野國の式内社 上野十二社の第七社〉に比定さる古社です ご祭神は 医薬及び穀霊神 少彦名命(すくなひこなのみこと)を祀ります
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宇通遺跡(前橋市粕川町中之沢)〈三夜沢赤城神社の元宮地〉
宇通遺跡(うつういせき)は 昭和40年の山火事によって偶然発見され 群馬大学史学研究室が発掘調査を担当「この寺院遺跡は火災〈『吾妻鑑』建長3年(1251)「上野国赤木嶽焼」〉によって終焉した 三夜沢赤城神社に伝承として残る゛西宮の元宮地゛」と推定した しかし 200mほど下った湯之口地区にも礎石建物の存在があり そこは元三夜沢と通称されており こちらが西宮の故地であるとも云われます
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大洞赤城神社 元宮跡地(前橋市富士見町赤城山)
大洞赤城神社 元宮跡地(おおほらあかぎじんじゃ もとみやあとち)は 社伝には 当初は神庫山(ほくらやま)〈現 地蔵岳〉に鎮座 大同元年(806)〈大沼の南畔〉この地に遷座 約1200年間鎮座した〈神社周辺は 遷座の年号に合わせ「大洞」と呼ばれ 当社も大洞赤城神社と称されたと云う〉 昭和45年(1970)現在の小鳥ヶ島(ことりがしま)に遷座 跡地となりました
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大洞 赤城神社(前橋市富士見町赤城山)
大洞 赤城神社(だいどう あかぎじんじゃ)は 昭和45年(1970)社殿荒廃につき 大洞から現在地に遷座しました 小沼端の豊受神社 小鳥ヶ島の厳島神社 黒檜山山頂の高於神神社をはじめ 赤城山内の各峰神社を合祀して 現在に至っています 延喜式内社 上野国 勢多郡 赤城神社(名神大)(あかきの かみのやしろ)の奥宮であろうとされています
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二宮赤城神社(前橋市二之宮町)
二宮赤城神社(にのみやあかぎじんじゃ)は 第十一代垂仁天皇 第十二代景行天皇の御代に創建と伝へられる古社 貫前神社に一宮を譲った伝承を持つ 二宮の地名を冠する鎮座地は 赤城山の真南に位置し 古代 豊城入彦命を祖とする上毛野氏の本拠地゛古代上毛野゛と推定され 赤城本宮とされる三夜沢赤城神社の元宮であったとも 里宮でもあったともされ 今でも御神幸があります
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赤城神社(前橋市富士見町横室)
赤城神社(あかぎじんじゃ)は 標高三百メートルの十二山(じゅうにやま)の頂上に鎮座します 南面には三百三十三段の石段を登る表参道があります 社伝によれば゛当社は延喜式内 名神大社なり゛とあり 延喜式内社 上野国 勢多郡 赤城神社(名神大)(あかきの かみのやしろ)の論社とされます
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赤城神社〈三夜沢赤城神社〉(前橋市三夜沢町)
三夜沢赤城神社(みよさわ あかぎじんじゃ)は 関東平野を見渡す赤城山の南面の中腹に鎮座します 古代の毛野国を支配し 東國経営にあたった上毛野君の創祀とされ 本来は上野國の一之宮であったとする伝承があり 古くから朝廷から祭祀を受けていました 延喜式内社 上野国 勢多郡 赤城神社(名神大)(あかきの かみのやしろ)の論社です
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国渭地祇神社(坂戸市森戸)
国渭地祇神社(くにいちぎじんじゃ)は 社記には 延暦年中(782~806年) 坂上田村麻呂が東征の帰途 報賽のため社殿を再営し 下って奥州藤原秀衡が再建したと伝えている 社地から鎌倉期と思われる古瓦が出土していること等から 延喜式内社 入間郡 國渭地祇社(くにゐちきの かみのやしろ)の論社にもなっています