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火守神社(出雲市宇那手町)

火守神社(ほもりじんじゃ)は 料理祖神である櫛八玉命を主祭神とします もともとは宇那手村右谷に有る火鑚瀧(ひきりのたき)の淵付近に『火鑚社』として鎮座 明治四十年(1907)に「火守神社 八幡宮 朝間神社 大歳神社」を (現在の社殿) 熊野神社〈式内社 久奈爲神社の論社〉へ合殿合祀し 火守神社と改称されました

志志乃村神社(飯南町八神)

志々乃村神社(ししのむらじんじゃ)は 〈明治40年(1907)現在地に鎮座する「雨神社」に合せ祀られます〉もともとは 飯南町 獅子(しし)に鎮座 旧社地には 今でも石碑が建っていて 5年ごとに御祭神が旧社地へ里帰りをする神事が行われています 『出雲國風土記733 AD.』所載の飯石郡 不在神祇官社「志志乃村社(ししのむら)のやしろ」とされます

熊野神社(雲南市大東町田中)

熊野神社(くまのじんじゃ)は 社伝では 明徳5年(1394)5月17日の棟札に「川原社」とあったと伝えている 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「川原社(かわら)のやしろ」の論社です

川原神社(雲南市大東町小河内)

川原神社(かわはらじんじゃ)は 雲南市大東町小河内の「引那岐(ひきなぎ)」に鎮座し 同じ「那岐(なぎ)」を持つ 伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を祀ります 『出雲國風土記733 AD.』所載の大原郡 不在神祇官社「川原社(かわら)のやしろ」の論社です

御津神社(松江市鹿島町御津)

御津神社(みつじんじゃ)は もとは本宮明神と称され『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「御津社(みつ)のやしろ」とされます 一説に 今は合祀されている 御津湾に浮かぶ小島に鎮座した「男島〈小島〉大明神」をそれとする説もあります

諏訪神社(美保関町雲津)

諏訪神社(すわじんじゃ)は 島根半島の雲津浦に鎮座し 美保関の美保神社 福浦の三保神社と同じ 大社造りの二つの本殿を並べる「美保造(みほづくり)」の本殿です かつては向かって右手を諏訪神社 左手を三保神社として祀られていたと伝わります

須衛都久神社(松江市西茶町)

須衛都久神社(すえつぐじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「須衛都久社(すえつぐ)のやしろ」とされています 初めは 松江城山亀田山に鎮座しましたが 堀尾吉春公が城を築くため 元権現町に移し その後 今の所へ遷座されました

加茂志神社(松江市上佐陀町)

加茂志神社(かもしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「加茂志社(かもし)のやしろ」とされます 元の社地は 海老山に鎮座しましたが 海老山城を築くにあたり この地に遷したと伝わっています

布奈保神社(松江市浜佐田町)

布奈保神社(ふなほじんじゃ)は 『雲陽志』に「伊弉諾尊・伊弉冊尊の二神が 蛭児尊を生みたまう この神 生れて三年追 脚たたざる故に 天鳥舩に載せて流したまう 天の御船の留り坐す故「船尾(ふなお)明神」と称す」と伝わり 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「布奈保社(ふなほ)のやしろ」とされます

玖夜神社〈切明社〉(松江市国屋町)

玖夜神社〈切明社〉(くやじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「同玖夜社(おなじきくや)のやしろ」で 御子神 国忍別命を祀る〈切明社〉と呼ばれます 又 同じ境内にある「玖夜社(くや)のやしろ」は 父神 素戔嗚尊を祀る〈鞍掛社〉と呼ばれています

玖夜神社〈鞍掛社〉(松江市国屋町)

玖夜神社〈鞍掛社〉(くやじんじゃ)は 境内地の中に「鞍掛の松」という古い松の大木があり御神木として有名でしたので「鞍掛社」とも呼ばれます 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「玖夜社(くや)のやしろ」です

比津神社(松江市比津町)

比津神社(ひつじんじゃ)は 社伝に「往昔 鎮座地は宍道湖の入湾にして 古丘左右より突出した津頭の一小丘陵であり 中古には突貫(とっかん)大明神 又 都支努(つさぬき)神社と称された」とあり 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「比津社(ひつ)のやしろ」とされます

須義神社(松江市美保関町菅浦)〈出雲國風土記 不在神祇官社「須義(すぎ)社」〉

須義神社(すぎじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「須義社(すぎ)のやしろ」とされ 鎮座地の須義濱(すぎはま)も記されています 江戸時代には「神畑明神」と呼ばれ 古老の伝えには「昔 神畑明神は〈須義浜にある〉木嶋へ上がり給う」とあります

玉結神社(美保関町片江)

玉結神社(たまえじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「玉結社(たまえ)のやしろ」とされ 鎮座地の「玉緒〈結〉濱(たまえはま)」は「碁石や砥石がある」と記されています 江戸時代には「田前明神(たまえ みょうじん)」と呼ばれていました

川原神社(松江市川原町)

川原神社(かわはらじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「川原社(かはら)のやしろ」とされます 江戸期には 二社大明神とも呼ばれ 伊弉諾命・伊弉冉命の夫婦神を祀ることから「お祓い」「禊」「安産」のご神徳があるとされます

比加夜神社(松江市坂本町)

比加夜神社(ひかやじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「比加夜社(ひかや)のやしろ」とされます 古は 八岐大蛇神を祀っていたと思われ 今でも 4月18日に俗に「おろっつぁん祭り」があり 悪疫退散の守護神として崇敬されています 

加佐奈子神社(松江市東持田町)

加佐奈子神社(かさなしじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「加佐奈子社(かさなし)のやしろ」とされます 境内本殿裏には県指定の笠無古墳(かさなし こふん)があり 「瘡(かさ)」無しに通じるので瘡病を治すとの信仰があります

虫野神社(松江市福原町)

虫野神社(むしのじんじゃ)は 鎮座地(現 福原町)に田を荒らす悪虫が住みつき 大穴貴命が害虫を滅ぼしたので 虫原と言ったとの説・『古事記』にある「須佐之男大神が 大穴貴命に命じた 大神の頭の虱(しらみ)を取らせた所」との説があり 『出雲國風土記733 AD.』島根郡 不在神祇官社「虫野社(むしぬ)のやしろ」とされます

持田神社(松江市西持田町)

持田神社(もちだじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』所載の島根郡 不在神祇官社「持田社(もちた)のやしろ」とされます 別名「丸山神社」として親しまれ 頭痛平癒の御神徳 顕著なる神様として厚い崇敬を集めています

質留比神社(美保関町七類)

質留比神社(しちるいじんじゃ)は 隠岐の島へ渡るフェリーの発着場の近く 七類湾の南岸に鎮座します 江戸時代には七類湾の北岸に「美保大明神」南岸に「国吉大明神」と二つの神社が鎮座していました 現在の「質留比神社」は明治期に 北岸の「美保大明神」を 南岸の「国吉大明神」に合祀して改称したとされます

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