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大目神社(佐渡市吉岡)〈『延喜式』大目神社・佐渡國二之宮〉

大目神社(おおめじんじゃ)は 延喜式内社 佐渡國 羽茂郡 大目神社(おほめの かみのやしろ)で 佐渡國二之宮とされる由緒ある古社です 創建年代など不祥ですが 『佐渡志』に「徳治二年(1307)七月 吉岡地頭本間遠江守 この社を修理せし時の棟札は今も残れり」とあります

引田部神社(佐渡市金丸)〈『延喜式』引田部神社・佐渡國 三之宮〉

引田部神社(ひきたべじんじゃ)は 創建年代は不祥ですが 『國邑志稿』に「引田は阿倍臣同祖にて 大彦命之後也 大彦命は孝元帝の皇子にて 阿部臣等七姓之始祖也」とあり 引田氏の子孫が当国に住み祖神を祀ったものであろうとされる延喜式内社 佐渡國 雑太郡 引田部神社(ひきたへの かみのやしろ)です

大幡神社(佐渡市大倉)〈『三代實録』大庭神『延喜式』大幡神社〉

大幡神社(おおはたじんじゃ)は 『佐渡神社誌』に由緒として『元緑寺社帳』に貞觀三年(861)の創設とあり 一説には延喜元年(901)の創祀とも伝えています 『三代實録』に大庭神『延喜式』に佐渡國 賀茂郡 大幡神社(をほはたの かみのやしろ)です 往時は佐渡北部24ケ村の總鎭守で 明治には縣社に列しています

舟津神社(鯖江市舟津町)〈『延喜式』《本殿》舟津神社《相殿》大山御板神社〉

舟津神社(ふなつじんじゃ)は 崇神天皇10年(前88)四道将軍の大彦命が逢山の峰に楯三枚を以て社形を成し 猿田彦命を祀つたのが 式内社 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)であり 成務天皇4年(134)市入姫が勅をうけ大彦命が舟津の地に勅祭されたのが 式内社 舟津神社(ふなつの かみのやしろ)です

川勾神社(中郡二宮町山西)相模国二之宮〈『延喜式』川勾神社〉

川勾神社(かわわじんじゃ)は 社伝に「縁起書によれば 第十一代垂仁天皇の朝 磯長国(しながのくに)の国宰たる阿屋葉造が勅命を奉じて当国鎮護のため創祀せらる」とあり 日本武尊東征の時 源義家東下りの時 奉幣祈願があったと伝わる 延喜式内社 相模國 餘綾郡 川匂神社(かはいいの かみのやしろ)です

氣比神社(敦賀市刀根)〈『延喜式』伊多伎夜神社(氣比神社に合祀 山神神社)〉

氣比神社(けひじんじゃ)は 里人の伝承には越前國一宮 氣比神宮(敦賀市)の奥宮であると云う 又 伊多伎夜谷(いたきやだに)に鎮座していたと伝わる 延喜式内社 越前國 敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)の論社 山神神社を合祀しており 式内論社にもなっています

春日神社(鯖江市鳥井町)〈『延喜式』大山御板神・伊多伎夜神社〉

春日神社(かすがじんじゃ)は 第10代 崇神天皇の御宇 大彦命が北陸道下向に際し当地に着陣 楯板を立て軍神 武甕槌神・経津主神の二神を奉祀し賊を征伐 御板神社の社号を贈ったと云う 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたのかみのやしろ)です 別説に敦賀郡 伊多伎夜神社(いたきやのかみのやしろ)ともされます

九頭神廃寺史跡公園(枚方市牧野本町)〈『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地〉

九頭神廃寺史跡公園(くずみがみはいじ しせきこうえん)は 大阪府枚方市牧野本町にあります 九頭神廃寺は飛鳥時代後期から奈良時代にかけて建立された古代寺院で 平安時代に廃絶したものと考えられています 寺院地の南西角部に『延喜式』久須々美神社の旧鎮座地が 隣接して造営されていたことも判明しています

八幡神社〈五社宮〉(福井市片粕町)〈『延喜式』大山御板神社〉

八幡神社(はちまんじんじゃ)は 貞観二年(860)清和天皇の時代に創建と伝わり 又「五社宮」とも云われます 五社の中には「白山神社〔御祭神 伊邪那美尊・火産霊尊・武甕槌命の三柱〕」が含まれており この白山神社が 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)であると伝わっています

越知神社 里宮(丹生郡越前町大谷寺)〈『延喜式』大山御板神社〉

越知神社 里宮(おちじんじゃ)は 第44代 元正天皇 養老二年(718)泰澄は仏像を作り 越知山頂(612m)に社堂を建て「越知山三所大権現」と称して祀ったのが始まり 当地はその遥拝所にあたります 一説には延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社とされます

神明神社〈上総社〉(越前市若竹町)〈『延喜式』大山御板神社を合祀〉

神明神社(しんめいじんじゃ)は 第26代 継体天皇が即位のため都に向かう時 日野山に向かい越前国中の神々を拝された宮跡と伝わり 伏拝(ふしおがみ)と云い日野山を遥拝する聖地でした 明治41年 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社 三ツ口の神明神社を合祀して神明神社と改称しました

神明神社(越前市三ツ口町)〈『延喜式』大山御板神社〉

神明神社(しんめいじんじゃ)は 『越前鹿子』等の地誌は『足羽社記」の「三太。今云三口歟。又延喜式所載 大山御板神社是ノ處乎。」との記載により當社を延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)に比定しています 明治41年(1908)楠町の伏拜神社に合併され 伏拜神社は神明神社と改称しています

大洗磯崎神社(丹生郡越前町乙坂)〈『延喜式』大山御板神社〉

大洗磯崎神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は 古代から乙坂山〔奈良の三輪山に似た秀れい形の山〕を神体山としています 『越前名勝志』〈元文三年(1738)〉に「三大(みた) 今三ッ口〔式〕云、大山御板の神社、今 乙坂村」とあり 延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社となっています

有鹿神社 奥宮(相模原市南区磯部)〈『延喜式』有鹿神社 発祥の地〉

有鹿神社 奥宮(あるかじんじゃ おくのみや)は 縄文時代の大集落跡である相模原市磯部勝坂の有鹿谷(あるかやと)に鎮座する 延喜式内社 相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)の発祥の地です 社号の「有鹿(あるか)」とは 古代語の「水」を意味し 有鹿谷の泉は 縄文の水神信仰の対象であると云われます

有鹿神社 本宮(海老名市上郷)〈『三代實録』有鹿神『延喜式』有鹿神社〉

有鹿神社 本宮(あるかじんじゃ ほんみや)は 六国史『三代實録』に「貞観十一年(869)十一月十九日壬申 授ニ 相模國從五位下 有鹿神 從五位上」と見え 『延喜式』に相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)と載る由緒ある古社です 奥宮から奈良時代以前に 相模国府のあった海老名郷〔現在地〕に遷座しました

前鳥神社(平塚市四之宮)〈『延喜式』前鳥神社〉

前鳥神社(さきとりじんじゃ)は 菟道稚郎子命を祀る数少ない神社の一つです この地「さきとり」には 奈良時代以前 畿内から御祭神を「氏神」とする氏人が移り住み お祀りしたものと考えられています 延喜式内社 相模國 大住郡 前鳥神社(さきとりの かみのやしろ)で 国府祭の相模五社の一つ「四之宮」です

比比多神社〈子易明神〉(伊勢原市上粕屋)〈『延喜式』比比多神社〉

比比多神社(ひひたじんじゃ)は 創建は天平年間(729~749年)相模国の守護の任にあった染谷太郎時忠が当国安土・子宝を願い勧請したと云う 子宝と安産の神「子易明神」として かつては大山詣の往復に多くの参詣者があったと云う 延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)の論社です

〈旧鎮座地〉埒免古墳・比々多神社 元宮(伊勢原市三ノ宮)

埒免古墳(らちめんこふん)・比々多神社 元宮(ひびたじんじゃ もとみや)は 比々多神社の北西500m程「埒免(らちめん)」という神聖な小高い丘の上にある延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)の旧鎮座地です 社伝に「正親町天皇 天正の初(1573年~)宮之前なる神官の居屋敷 即ち今の地に遷し奉る」とあります

比々多神社(伊勢原市三ノ宮)相模國三之宮〈『延喜式』比比多神社〉

比々多神社(ひびたじんじゃ)は 始源は今から約一万年以上前〔付近の遺跡等から推測〕とされ 鎮座は「社伝に初代 神武天皇六年 古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選定し神を祀る社を建立 霊峰大山を神体山とし 豊斟渟尊を日本国霊として祀始と云う」延喜式内社 相模國 大住郡 比比多神社(ひひたの かみのやしろ)です

相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について

相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮 総社」について 「相模國の一之宮争い」を今に伝える神事「国府祭」には 相模國の六社〔・一之宮 寒川神社・二之宮 川勾神社・三之宮 比々多神社・四之宮 前鳥神社・五之宮 平塚八幡宮・総社 六所神社〕が祭場である神揃山(かみそろいやま)・逢親場(おおやば)に 毎年五月五日に参集します

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