熱串彦神社(佐渡市長江)〈『延喜式』阿都久志比古神社〉

熱串彦神社(あつくしひこじんじゃ)は 社伝に「貞観年間(八五九~七七)貞観式成立時を以て本社の創立として云」とある由緒ある古社です 当時 佐渡は大和朝廷支配下の最北端の島でした 朝廷の官社として 延喜式内社 佐渡國 賀茂郡 阿都久志比古神社(あつくしひこの かみのやしろ)として祀られていたと云います

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

熱串彦神社(Atsukushihiko shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

新潟県佐渡市 長江(ながえ)854番地

〈旧住所〉両津市大字長江854番地

  (Google Map)

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【御祭神 (God's name to pray)】

《主》阿田都久志尼命(あたつくしねのみこと)

《合》大彦命(おほひこのみこと)

《配》金山彦命(かなやまひこのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

熱串彦神社

社地 新潟県両津市長江八五四番地鎭座

祭神 阿田都久志尼命(あたつくしねのみこと)

合祀 大彦命(おほひこのみこと)

・・・
・・・〈読めず中略〉
・・・

由緒

 本社は貞観年間(八五九~七七)貞観式成立時を以て本社の創立として云(社伝)元慶元年(八七七)大嘗会を行ふ・・九月二十五日 中臣斎部兩氏を五畿七道諸國を分遣して天神地祇三千一百三十四神に班幣とあり これを以て本社創立・・・奉幣なり(六国史)
延長五年(九二七)「延喜式神名帳」に阿都久志比古神社と記録されたる佐渡國 式内社九社の一處たり 本社名の初見である
・・・
・・・〈読めず下略〉
・・・

拝殿内の由緒書きより

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『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

新潟縣 佐渡郡 郷社

○新潟縣 佐渡國 佐渡郡吉井村大字長江

鄉社 熱串彦(アツクシヒコノ)神社

祭神 阿由都久志尼(アユツクシネノ)命

合祀 金山彦(カナヤマヒコノ)命

阿由都久志尼命は 天日方奇日方命(アメノヒカタ クシヒカタノミコト)の別名(舊事紀)にして神武天皇の皇后の兄君に當り、皇軍に力をつくし政を輔けたまひし神なり、
當社は醍醐天皇 延喜年間の創祀にして(社記、寶鑑)同延喜の制小社に列す,當國九座の一なり、

中御門天皇 正徳四年破損せし爲再建す、當時 除地高二石二斗六升八合附與せられしが、明治元年十月返上す、合祀 金山彦命はもと金北山に在り、里宮と稱して當村  上橫山村の共祀社なりしが、明治五年當社に合祀す、同六年郷社に列す、境内九百四十九坪(官有地第一種)、社殿は、本殿、拝殿、其他社務所、廻廊等の建物を備へ、鬱蓊たる古木四至をめぐり、左には夷港をひかへ、白帆を樹間に望むべく、眺望甚賞すべし、因に記す、

欽明天皇紀に、
「五年十二月、越國言、於、佐渡島北御名部之碕岸、有 粛愼人 乘 一船舶 而淹留、春夏捕 魚充食、彼島之人言非 人也、亦 鬼魅不 敢近之、島東禹武邑人採 拾椎子 爲 熟喫、著 灰裹 炮、其皮甲化 成二人  鷹火上 一尺餘許、經 時相闘、邑人深以為 異、取 置於庭 亦如 前相飛相闘不已、有 人占云、是邑人必爲 魃鬼所 迷惑、不久如 言被 其抄掠、於 是粛慎人、移就 瀬河浦、浦神巖忌、人不 敢近、湯飲 其水、死者且半、骨積、於巖岫、俗呼 粛慎之隅也」
と、此浦神を度津神社に引きあてたれど、粛慎人の移れる瀬河浦の近地と思はるる神なれば、度津神社にはあらず、此 熱串彦神社の事なるべし、瀬河は後の三瀬川なれば長江村にとなる云々と地名辭書にいへり、然るべきといふべし。

境内神社
 稲荷神社 熊野神社 金刀比羅神社 合して一祠となす。

例祭日 陰曆三月十三日

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

【由  (History)】

『佐渡神社誌』大正15年(1926)に記される内容

【抜粋意訳】

吉井村

郷社 熱串彥神社 〔大字長江字社地八五四番地鎭座〕

祭神 阿田都久志尼命

合祀 金山彦命 〔大字上横山字上野 無格社 金北山神社 合併 明治五年三月十日相川縣許可

(本村大字上横山 金峰神社 合祀の條参照

由緒

 熱串彦神社は清和の朝 創建せられ式内神社九社の内第九に属す、正徳四年八月再建せりと、昔時は長江川の上流 川崎と云ふ所に在しを現地に移せし由なるも其年代は明らかならず〔古記に又 水の尾明神とも云ふと見え、又 寳暦帳に天和二年社建立、正徳四年八月三日本社、翌年四月二十六日前殿成就、同六月九日遷宮と見ゆるに現地に遷座せるをいへるものの如し〕(延喜式阿都久志比古神社に作る)

○境内神社
 稲荷神社 祭神 倉稲魂命
 熊野神社 祭神 伊弉諾命
 金刀比羅神社 祭神 崇徳天皇

○例祭日 四月十三日

【原文参照】

新潟県神職会佐渡支部 編『佐渡神社誌』,新潟県神職会佐渡支部,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971197

『佐渡神社誌』大正15年(1926)に記される内容

熱串彥神社へ合祀された無格社 金北山神社を重複して合祀した事が記されています

【抜粋意訳】

吉井村

村社 金峰神社 〔大字上横山字宮林二九二番地鎭座〕

祭神 金山彦命

合祀 大彦命
〔明治五年三月十日 相川縣の許可を經て同大字字上野 無格社 金北山神社を本村 郷社 熱串彥神社へ合併せしにも係はらず 更に三十九年十二月五日 當金峰神社へ合併を新潟縣より許可せらる仍て一神社の神を分靈して二神社へ合併したるものといぬ(本村 郷社 熱串彥神社の合祀の條参照

合祀 菅原道眞朝臣〔同大字 神藏昇一の邸内に在りし無格社 北野神社合併 明治三十九年十二月五日許可〕

【原文参照】

新潟県神職会佐渡支部 編『佐渡神社誌』,新潟県神職会佐渡支部,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971197

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

熱串彦神社 本殿覆い屋

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熱串彦神社 拝殿

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・拝殿内

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・能舞台

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佐渡市指定文化財(有形民俗文化財)

長江(ながえ)熱串彦神社(あつしひこじんじゃ)能舞台(のうぶたい)

 佐渡では数少ない明治期以前に建築された能舞台で、脇正面(わきしょうめん)を神社拝殿(じんじゃはいでん)に向けた配置が特徴的です。

 舞台は入母屋造(いりもやづくり)妻入(つまいり)茅葺(かやぶき)で、本舞台(ほんぶたい)と後座(あとざ)からなり、正面の鏡板(かがみいた)にあたる部分は引き戸となっており、松の絵は描かれていません。地謡座(じうたいざ)は仮設式(かせつしき)のためか舞台に付属していませんが、常設(じょうせつ)の鏡の間があり、橋掛(はしがか)りとつながっています。

 演能(えんのう)は昭和戦後に中断されましたが、平成24年(2012)に舞台が改修され、その落成記念として神楽(かぐら)が奉納(ほうのう)されました。

平成24年9月 佐渡市教育委員会

現地案内板より

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・〈能舞台の横 境内社〉稲荷神社 熊野神社 金刀比羅神社の合殿

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・社務所

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・鳥居

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・社頭〈南側〉

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・裏手〈北側〉

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

熱串彦神社(佐渡市長江)の旧鎮座地との説あり

・水尾神社(佐渡市河崎)
〈熱串彦神社の旧鎮座地(川崎と云う所にあり「水の尾明神」とも云ふ)と伝わる〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

・『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)佐渡國 9座(並小)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 2座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 阿都久志比古神社
[ふ り が な ](あつくしひこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Atsukushihiko no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

霊峰金北山(きんぽくさん)を背景に鎮座する 熱串彦神社(佐渡市長江)

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熱串彦神社(佐渡市長江)合祀されている・大彦命・金山彦命は もとは金北山に在り その里宮と称して 當村  上橫山村に祀られていた金北山神社でしたが 明治五年當社に合祀されています

金北山(きんぽくさん)について

金北山は 佐渡市にある標高1,171.9m 島内で最も高い山です

もともとは北山(ほくさん)と呼ばれていましたが 1601年に佐渡金山が発見され 初代奉行の大久保長安によって「金北山(きんぽくさん)」と名づけられました
往古 女人禁制の信仰の山で 頂上には金北山神社(かねきたやまじんじゃ)〈開基は大宝元年(701)〉が祀られています

金北山神社の祭神について

神仏習合時
「金北山大権現」あるいは「北山大権現」と称されていました

本地仏を勝軍地蔵菩薩
垂迹神を軻遇突智命・大毘古命(大彦命)

金北山の伝説

太古 佐渡は大和朝廷支配下の最北端の島でしたので 北に住む「鬼」と「神様」の争いが伝説となっています

神様と鬼の伝説から生まれた風習

 最高峰である金北山には 金北山の神様がおり 人間の代表者に立って 鬼の襲撃を延期させた その約定書が金北山の頂上の御堂の地下に埋まっていて 今でも鬼が取り返しに来るが 神様がいつも容易に承知しない それ故 佐渡の人達は 七歳になると 一度は御山に参詣して恩恵に報いると努めをしなければならないと伝わっていた

 島の男子が5歳あるいは7歳での初山参り「初お山」といって 海水で身を清め 浜の小石を歳の数だけ持って 父親は子どもを連れて一緒に山頂に登る習わしがあった 頂上にある金北山神社に参詣 帰りにシャクナゲの小枝を手折って持ち帰り 家の戸口に掲げ 近所にも配ったとのこと 成人になると金北山から壇特山 金剛山までを「三山がけ」するという風習があったとのこと

 「三山駆け」は 男子3歳 あるいは5歳になると 父親は「わが子が丈夫で健やかに育つようにと願い」
父親が親族の男性に頼んで 交代で子どもを背負い三山を駆けるという風習で 昭和の初め頃迄 盛んにおこなわれていたと云う

又 青年(大人)は「一人前になることを願って」いつでも何度でも三山駆けができたとのこと

金北山の「節分の豆」伝説

「昔 北から鬼が来て佐渡を取ると言ったら 金北山大権現が節分の豆から芽が出たら渡そうと応えた けれども豆から芽が出たため 金北山大権現は土竜を作って大豆を枯らそうとした しかし鬼は怒って猫を作り 土竜を捕まえさせた だから節分の豆はよく炒らなければならないのだという」

佐渡の轉説について 詳しくは 下記を参照

藤沢衛彦 編『日本伝説叢書』佐渡の巻,日本伝説叢書刊行会,大正7. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/953565

延喜式内社 佐渡國 賀茂郡 阿都久志比古神社(あつくしひこの かみのやしろ)の論社について

・熱串彦神社(佐渡市長江)

・水尾神社(佐渡市河崎)
〈熱串彦神社の旧鎮座地(川崎と云う所にあり「水の尾明神」とも云ふ)と伝わる〉

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

佐渡汽船 両津港からR350号経由で南西方向へ約4.1km 車での所要時間は8~10分程度

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社頭は南側ですが 南からの道筋がわからず 北側の長江川に沿って道を進みます

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田の中に こんもりとした鎮守の杜が見えています

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北側から境内に入って行くと「市指定文化財 長江熱串彦神社能舞台」の案内があります

熱串彦神社(佐渡市長江)に参着

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こちらが能舞台です

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境内の南側に抜けると 南の表参道には 狛犬が座しています

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社頭には 社号標「縣社 熱串彦神社
木製の両部鳥居が建ち その先に拝殿が建てられています

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社  阿都久志比古神社について 所在は長江村に在す、〔略風土記〕今 熱串彦明神と稱す、゛〈現 熱串彦神社(佐渡市長江)〉と記しています

【抜粋意訳】

阿都久志比古神社

阿都久志比古は假字也

○祭神明か也

〇長江村に在す、〔略風土記〕今 熱串彦明神と稱す、

例祭 八月十三日

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社  阿都久志比古神社について 所在は゛ 長江村にあり、熱串彦神社と云ふ、゛〈現 熱串彦神社(佐渡市長江)〉と記しています

【抜粋意訳】

 阿都久志比古(アツクシヒコノ)神社

 長江村にあり、熱串彦神社と云ふ、即是也、

凡 八月十三日 祭を行ふ、〔佐渡風土記、神名帳考、神社覈録、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社  阿都久志比古神社について 所在は゛長江村 (佐渡郡吉井村大字長江)゛〈現 熱串彦神社(佐渡市長江)〉と記しています

【抜粋意訳】

佐渡國 賀茂郡

阿都久志比古神社 熱串彥神社

祭神 阿都久志比古命〔明細帳に熱串彥神社 祭神 阿田都久志尼命とあり 此神社ならんか郷社

 今按 佐渡志に加茂氏の遠祖を祀ると傳ふとみえたるを明細帳に阿田都久尼命としたるは杜選なること著ければとらず 猶 阿都久志比古神と稱てあるべきなり

祭日 八月十三日
社格 郷社

所在 長江村 (佐渡郡吉井村大字長江)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

熱串彦神社(佐渡市長江) (hai)」(90度のお辞儀)

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