朝立彦神社(徳島市飯谷町小竹)〈延喜式内社〉

朝立彦神社(あさだちひこじんじゃ)は 延喜式神名帳927 AD.所載 阿波國 勝浦郡 多知比古神社(あさたちひこの かみのやしろ)とされます 江戸時代には 護王権現(ごおうごんげん)と称しましたが 明治 朝立彦神社と改しました 境内には 年中水が涸れず 祈雨の神として霊験がある゛御甕(オカメ)゛〈現 「お亀の池」〉と云う 尺余の岩穴があります

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

朝立彦神社(Asadachihiko shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

徳島県徳島市飯谷町小竹101

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)
   豊玉姫命(とよたまひめのみこと

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

朝立彦神社 旧村社

由緒

延喜式(えんぎしき)内小社。もと護王権現(ごおうごんげん)と称したが、明治年朝立彦神社と改称す。境内に「お亀の池」と称する尺余の岩穴があり、年中水が涸(か)れない。この地方の祈雨(きう)の神として霊験(れいけん)あらたかな社である。「阿波志」には「和多津見豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)を祭る。飯谷村にあり、俗に権現と云う」とのべ「寛保改神社帳(かんぽあらためじんじゃちょう)」には「飯谷村護王大権現 別当飯谷村 醍醐寺(だいごじ)」と記している。

境内の案内板より

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【由  (History)】

朝立彦神社 由緒

延喜式内小社。もと護王権現と称したが、明治四年朝立彦神社と改称す。境内に「お亀の池」と称する尺余の岩穴があり、年中水が涸(か)れない。この地方の祈雨(きう)の神として霊験(れいけん)あらたかな社である。

麓の案内板

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小竹のお甕

朝立彦神社の後方に大盤石がある。その盤石の中に直径四十センチメートルくらい、深さ六十センチメートルほどの小さな穴があいている。その中には一年中水を湛えているという。その上、潮の満干によって水量が変化することから、潮泉御甕(おかめ)といわれている。昔から旱ばつの時には人が御甕に雨乞いの祈りをすると大雨が降るといわれ、人々の信仰が集まっていた。

現地案内板より〈※文字が薄れて判読が難しい〉

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)南海道 163座…大29(うち預月次新嘗10・さらにこのうち預相嘗4)・小134

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)阿波国 50座(大3座・小47座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)勝浦郡 8座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 多知比古神社
[ふ り が な ]あさたちひこの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Asatachihiko no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

朝立彦神社多知比古神社〉の祭神について

現在の祭神は 海神〈豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)豊玉姫命(とよたまひめのみこと〉となっています

しかし 諸説あり
『微古雑抄』《主》阿田賀多須命(吾田片隅命)大国主命六世孫 大物主命を祖とする三輪氏(大神氏)の一族で 宗像君(宗形君)はその子孫とされる
『阿府志』《主》和多津見豊玉毘古命
『神社明細帳』《主》豊玉毘古命・豊玉姫命
『特選神名牒』《主》龍神〈阿佐多知は 朝降(アサタチ)ちの略にて 早朝の暴雨を云と聞ゆれば 龍神を祭れるならん〉 

何れも 海神・水神に縁があります

延喜式神名帳』には 多知比古神社(あさたちひこの かみのやしろ)とされ 祭神は 阿佐多知比古神あさたちひこのかみ)である筈です

麻立比古命(あさたちひこのみこと)を祀る 延喜式内社について

『延喜式神名帳(927 AD.)』所載の式内社 遠江國 蓁原郡 服織田神社(はとりたの かみのやしろ)の論社
服織田神社(牧之原市静波)の社伝には 
麻立比古命(あさたちひこのみこと)は 四国の服織から移住してきた人々が奉斎した神であるとの説が伝わっています

・服織田神社(牧之原市静波)

四国の服織とは? 詳細は不明ですが
延喜式内社では 阿波國 勝浦郡 阿佐多知比古神社(あさたちひこのかみのやしろ)があります

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR牟岐線 阿南駅から県道22号・16号経由で北西へ約17.6km 車50分程度

飯谷町上里で勝浦川を渡るところから 参道が始る感じです

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地元では゛長柱(なごしろ)の潜水橋゛と呼ばれています
潜水橋(せんすいきょう)とは 沈下橋のことで 大水が出れば水中に潜ることで流出を防ぐ橋です

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川面のすぐ上に橋が架かる感じです

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潜水橋を渡り左折して 暫く進むと 朝立彦神社の案内板があり 指示に従って左折して沢を渡り山道へ

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細い道を登ります

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やがて ガードレールもない山道もあったり

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かなり上がってきました

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舗装はこの辺りまで その先は砂利道なので 広めの路肩に車を止めて歩きます

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霧の中 行き止まりが見えてきました

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注連縄が張られたところには゛水飲場゛

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おそらく この注連縄は結界 林には立ち入らないようにしなければ
平素往來する人なし たまたま其林に入る者ものあれば 黑雲忽に起り雨頻りにふり迅く雷なり 山河轟き震ふと云へり 之を生夷(イクヒナ)の夕立と云となり

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此処からは 登山道のような参道です

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ああ参道に 注連縄が渡されている 心を決して 深く一礼をして 注連縄をくぐります

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霧の向こうに 鳥居の影が見えてきます

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朝立彦神社(飯谷町小竹)に参着

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鳥居の扁額には゛朝立彦神社゛とあり 一礼をしてくぐり抜けます

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石段を上がると 霧の中に 二の鳥居があります

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石段を上がると杉の巨木の先に拝殿があります

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拝殿にすすみます 徳島毎日新聞社寄贈の社号標には゛推奨縣下十社 朝立彦神社゛とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 石垣が積まれ 本殿がトタン覆いの中に鎮座します

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氏子集会所の中には 祭の幟旗

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境内の案内図があります

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社殿の裏手〈南側〉に 御甕(オカメ)〈現 「お亀の池」〉があるようです

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案内に従って進むと岩場に出ました

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霧が出ていてわかり難いですが おそらく断崖絶壁のような気がします

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立札があり 文字が薄れていますが

小竹のお甕

 

朝立彦神社の後方に大盤石がある。その盤石の中に直径四十センチメートルくらい、深さ六十センチメートルほどの小さな穴があいている。その中には一年中水を湛えているという。その上、潮の満干によって水量が変化することから、潮泉御甕(おかめ)といわれている。昔から旱ばつの時には人が御甕に雨乞いの祈りをすると大雨が降るといわれ、人々の信仰が集まっていた。

現地案内板より〈※文字が薄れて判読が難しい〉

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之が゛潮泉御甕(おかめ)゛でしょう

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この先に 亀岩があるようですが 絶壁の足場の岩は滑りそうで ここで引き返します

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本殿の裏手に祀られている石祠

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大岩が かなりありますので磐座の信仰なのでしょうか

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本殿の向かって左手に出ました

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境内から左手の先には みこし台があったようです

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聖地であることは一目瞭然で 社殿に一礼をします

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参道石段を下ります

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鳥居を過ぎて 山道のような参道を下ります

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車で山を下ります

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長柱(なごしろ)の潜水橋゛まで戻ってきました

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ここから 勝浦川を3km程の上流に 夷神(えびすのかみ)の生誕地との伝承持つ 生夷神社(勝浦町沼江田中)に向かいます

・生夷神社(勝浦町沼江田中)

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 多知比古神社について 祭神は゛多知比古゛ 所在については不明と記しています

【抜粋意訳】

多知比古神社

多知比古は假字也

〇祭神 明らか也
〇在所詳ならず

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 多知比古神社について 祭神は゛多知比古神゛ 所在については 飯谷村にあり 権現といふ〈現 朝立彦神社(飯谷町小竹)〉と記しています

【抜粋意訳】

多知比古(アサタチヒコノ)神社

今 飯谷村にあり、権現といふ、雨を乞に必験あり、阿波式社畧考、明細帳
多知比古神を祀る、延喜式 此は盖 於迦美神也、日本書紀
凡九月八日祭を行ふ、明細帳

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 多知比古神社について 祭神は゛多知比古神゛ 所在については 飯谷村〈現 朝立彦神社(飯谷町小竹)〉と記しています

御甕(オカメ)〈現 「お亀の池」〉について 詳細が記されています

【抜粋意訳】

多知比古神社

祭神 多知比古神

今按 式社略考に里俗横現と云 枝葉扶就せる林の中に一つの岩あり上面平にして水溜れり 里人 御甕(オカメ)と云り 潮満れば水外に溢る 平素往來する人なし たまたま其林に入る者ものあれば 黑雲忽に起り雨頻りにふり迅く雷なり 山河轟き震ふと云へり 之を生夷(イクヒナ)の夕立と云となり 阿佐多知は 朝降(アサタチ)ちの略にて 早朝の暴雨を云と聞ゆれば 龍神を祭れるならんと云る如くいかにも 龗神を祭りて阿佐多知比古神と稱へたるものなるべし

祭日 九月八日
社格 村社

所在 飯谷村 (勝浦郡多家良村大字飯谷 )

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

朝立彦神社(飯谷町小竹) (hai)」(90度のお辞儀)

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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