天御子神社(あまみこじんじゃ)は 延喜式内社 遠江國 磐田郡 天御子神社二座(あめのみこの かみのやしろ ふたくら)です 社伝によれば「一条天皇の正暦2年(991)勅を奉じて天下泰平五穀豐熟の為 舞車の神事を執行 故に舞車神社とも称す 中古牛頭天王と称し奉る」とあります 明治12年7月に郷社に列しました

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
天御子神社(Amamiko shrine)
【通称名(Common name)】
・舞車神社(まいぐるまじんじゃ)
【鎮座地 (Location) 】
静岡県磐田市見付 2990
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》素戔嗚尊(すさのをのみこと)
櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 淡海國玉神社 飛び地境内社
【創 建 (Beginning of history)】
天御子神社(あまみこじんじゃ)社記
【御祭神】須佐之男命・櫛稲田姫命
【御神徳】五穀豊穣・縁結び・災難除・病難除他
【祭 典】祇園祭(例祭)・七月十五日直前の金土日
歳旦祭 一月一日【由 緒】
創立年月日は不詳ですが、延喜式神明帳(西暦九二七年成立)に「遠江国磐田郡天御子神社二座」と記載されています。
社伝によれば、一条天皇の正暦二年(991)に「天下泰平 五穀豊穣の為 舞車(まいぐるま)の神事を執行す」とあり、故に舞車神社とも称します。往古は「祇園舞車の儀」という特殊神事が行われていました。
中世には牛頭天王(ごずてんのう)とも称され、明治十二年七月には郷社に列せられました。
毎年七月の祇園祭には、天御子神社の御神輿が、遠江国総社である淡海國玉神社に渡御し、両神社の大祭が斎行され、謡曲「舞車」が奉納されています。当 天御子神社は、矢奈比売神社(見付天神)、淡海国玉神社(総社)と合わせて見付三社と呼ばれています。
現地案内板より

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【由 緒 (History)】
市指定文化財 天御子(あまみこ)神社のヤマモモの木
天御子神社は、現在 祇園社(ぎおんしゃ)と一体となっているが、「延喜式神名帳(えんぎしきじんめいちょう)」にみられる由緒ある神社で、起源は平安時代までさかのぼる。淡海国玉(おうみくにたま)神社と深いゆかりがあり(摂社 せっしゃ)、矢奈比売(やなひめ)神社や淡海国玉神社とともに見付を代表する神社の1つ。
ヤマモモの木は、樹勢が良く、常緑を茂らせている。幹は地上2mあたりで二股に分かれ、うち1本は空高く伸び、さらにいくつかの幹に分かれる。胸高周囲、樹高ともに県下9番目の大きさを測り、市内では最も大きい。ヤマモモは雌雄異株の常緑樹で、実は食用となるが、このヤマモモは雄株である。
胸高周囲:4.4m、樹高:15.5m、推定樹齢:200~300年
平成17年11月21日指定 天然記念物
磐田市教育委員会文化財課現地案内板より

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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
天御子神社は 淡海國玉神社の飛び地境内社です
・淡海國玉神社(磐田市見付)〈遠江總社〉の記事を参照してください
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)磐田郡 14座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 天御子神社二座
[ふ り が な ](あめのみこの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name](Ameno miko no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
天御子神社(あまみこじんじゃ)が 舞車神社(まいぐるまじんじゃ)と呼ばれる理由は?
社伝には 一条天皇の正暦二年(991)勅を奉じて 天下泰平五穀豐熟の舞車神事(まひぐるまのかみごと)が行われたことにより 舞車神社とも称されるようになったと云う
『静岡県磐田郡誌』に記される内容
舞車神事(まひぐるまのかみごと)には 謡曲「舞車」があるとの事 下記に記されていますので ご興味のある方は原文をご覧ください
【抜粋意訳】
第十三章 神社及宗教
九 天御子神社(見付町)
【由緒】
見付町境町字天王に在り。神地府八幡宮の敵地に連る。祭神に須佐之男命 及櫛稲田姫命にして、式内磐田郡十四座の内 舞車神社とも稱す。明治十二年郷社に列せらる。
社傳に曰く。從前 淡海國玉神社攝社とは乍申格別之缘由有之、每年例祭の節 御子神社神輿 淡海國玉神社に渡御に相成 兩社大祭執行。元八日の間 神事執行仕來候。
社傳に中古 一條帝の御宇、正暦二年為天下泰平五穀豐熟舞車之神 勅 行有之候。夫より例年執行來候。翁面等御座候。永祿九年五月舞車修理の事につき尾張國熱田神社にも之に類せし祭事有之に付 右神社大宮司より同狀の答中に「祇園舞車之會 例年六月七日より同十四日迄の間 祭事懸祈 府中忌穢清火潮祓始終 兩日の間 往還の人停止 尤古例の祭式國府之法也。」云々ご見え候。卒保の頃までは舞車執行仕來候。確證等于今有之候。近來 宿内度々火災又は凶年打續再興不行届、只舊暦六月八日の間 神幸社中のみにて舞車の儀行申候。方今は陽曆七月一日を神事始とし、氏子一同濱垢離して 二日午後二時より神輿 淡海玉神社へ渡御に相成、両神社大祭取束ね執行、同四日午後二時より還御、其節 氏子 市中巡幸驛内人民 正服にて神寶弓矢・楯・鉾・太刀・玉串等を持て供奉還社に相成 兩神社大祭年々相濟候云々。
【文書及記傳】
遠江國風土記に云ふ
在 堺町奉稱牛頭天王。祭日六月十五日。神輿行幸干し惣社行舞車。謠曲舞車に曰く
舞車(まひぐるま) 宮增作
〔ワキ詞〕「是は遠江の國見附の國府(こふ)の者にて候ふ。扨も當所の祇園會 明日にて候ふ。此祇園の會と申すは、上下の旅人をかたらひ、西方東方をさだめ、車の上の舞をまはする法にて候ふ。両方の舞は候へども、東方にはなく候ふ程に、路次(ろじ)へ罷り出で旅人をかたらはばやご存じ候ふ。
〔シテ次第〕「忘れは草の名にあれど、忍ぶは人の面影。
〔詞〕「かやうに候ふ者は、鎌倉龜が江が谷(やつ)に住居する者にて候ふ。扨も某一年都(それがしひととせ)に候ひし時、さる女を一人かたらひ下りて候ふを、親にて候ふ者いろいろ教訓仕り候へども、いまだあひ語ひ候ふ慮に、某立出で候ふ留守に、彼女を出だして候ふ。さだめて都へ上らぬ事は候ふまじ、跡を尋ねて上らばやと存じ候ふ。急ぎ候ふ間、遠江の國見附の國府につきて候ふ。あら笑止や。日の暮れて候ふはいかに。〔ワキ詞〕・・・・・以下略 原文参照のこと
【原文参照】

静岡県磐田郡教育会 編『静岡県磐田郡誌』,静岡県磐田郡,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965680

静岡県磐田郡教育会 編『静岡県磐田郡誌』,静岡県磐田郡,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965680

静岡県磐田郡教育会 編『静岡県磐田郡誌』,静岡県磐田郡,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965680
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR東海道本線 磐田駅から北上 約1.3km 車で5分程度
遠江國府宮 府八幡宮の東南に位置します
・府八幡宮(磐田市中泉)の記事を参照
天御子神社(磐田市見付)に参着

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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【神神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 天御子神社二座について 所在は゛見付驛ノ北ノ原野ニ、若宮ノ森ト云フアリ、コレ歟、未詳、゛〈現 飛地境内神社 天御子神社〉であるかは わからない と記しています
【抜粋意訳】
天御子神社二座
天御子は阿女乃美古と訓べし
〇祭神詳ならず
式社考云、見付驛ノ北ノ原野ニ、若宮ノ森ト云フアリ、コレ歟、未詳、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 天御子神社二座について 所在は゛今 見附驛にあり、゛〈現 飛地境内神社 天御子神社〉と記しています
【抜粋意訳】
天御子(アメミコノ)神社
今 見附驛にあり、〔式社考、濱松縣取調書、〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 天御子神社二座について 所在は゛見附宿〔字天王〕(磐田郡見附町大字見附宿)゛〈現 飛地境内神社 天御子神社〉と記しています
【抜粋意訳】
天御子(アメミコノ)神社二座 稱 舞車社
祭神 天御子命
須佐之男命祭日 七月一日二日
社格 郷社所在 見附宿〔字天王〕(磐田郡見附町大字見附宿)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
天御子神社について 式内社 磐田郡 天御子神社であると記し 舞車神社と呼ばれるのは 舞車神事によるものと記されています
【抜粋意訳】
〇靜岡縣 遠江國 磐田郡見付町大字見付字天王
郷社 天御子(アメミコノ)神社
祭神 素戔鳴尊 櫛稲田姫命
天王とも、牛頭天王とも稱し、又 舞車神社とも稱す、
創立年代詳ならず、但し延喜式所載の磐田郡 天御子神社なるべしと、
天御子神社所在に就ては、式内社摘考に、見附驛の北の原野に、若宮の森といふあり、是ならんとうへども、未詳」との説もあれど、
風土記傳に、「在に堺町、奉に稱 牛頭天王云々、神事行に舞車、」と記せしを、
特選神名牒受けて「天御子神社二座、(稱に舞車社)云々、所在見附宿(字天王)と明記せり、古来 淡海国玉神社例祭に當りては、當社神輿、彼社に趣き、所謂 舞車の神事を行ふ、一に舞車神社の稱あるは之に因るなり、この神事に就きては、淡海國玉の條に詳記せり、一條天皇正暦二年初めて行ひしが、永禄八年五月、尾州熱田大宮司の問に答への文にも、「祇園舞車之會、例年六月七日同十四日迄 祭事之懇祈、府中忌穢 清火潮祓始終、両日之間往還之人停止、尤古例之祭式、國府之法也」と、
明治十二年七月郷杜に列す。社殿は本殿、雨覆、拝殿を具へ、境内は五百三十坪(官有地第一種)を有せり。
例祭日 七月十九日、二十日、二十ー日
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
天御子神社(磐田市見付)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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