国神社(くにじんじゃ)古社地は 「垂仁天皇8年 天照大神が 鳳凰に化して この襲峯(おいそのみね)に降りました」との伝承をもち 現在の「大鳥美波比神社」の古社地ともされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
国神社 古社地 (kuni shrine)
(くにじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
大阪府堺市南区上神谷字鉢ヶ峯寺
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照大神(amaterasu okami)社伝
【御神格 (God's great power)】
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 大鳥神社の元宮
【創 建 (Beginning of history)】
垂仁天皇8年 天照大神が 鳳凰と化して「襲峯(oiso no mine)」に降臨
景行天皇24年 神託に依り 武内宿禰に命じて社殿を創祀
景行天皇55年 鳳凰は「千種の森」(大鳥大社)に移り ここに大鳥社を祀
大鳥神社の元社(モトツヤシロ)とされています
明治5年 村社となる
(1872)
明治43年 桜井神社(式内社)へ合祀されます
(1910)
【由 緒 (history)】
縁起いわく 垂仁天皇8年に 天照大神が鳳凰に化して この襲峯(oiso no mine)に降りました
垂仁天皇の皇子が 登臨して化跡を礼祭しましたので 神郷といいます
景行天皇24年に神託によって 武内宿禰に命じて社を営み
55年に神鳳を千種森に移しました 今の大鳥社がこれです『和漢三才図会(wakan sansai zue)略』より
【境内社 (Other deities within the precincts)】
なし
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)小427
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)和泉国 62座(大1座・小61座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大鳥郡 24座(大1座・小23座)[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社名 ] 國神社
[ふ り が な ](くにの かみのやしろ)
[How to read ](kunino kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
国神社 古社地(鉢ケ峯寺)は 大鳥神社の元宮とされています
当地は「神の郷」と呼ばれ 「上神谷(miwa dani)」と云われるのもその縁起に由来します
今は 桜井神社に合祀されて 古社地には 小さな祠が建ちますが
三輪山の大神「大己貴尊」の降臨伝説や天照大神が「鳳凰」と化して降臨をされていることからも 大鳥(otori)の由来を持つ 由緒ある神社であると頷けます
大鳥神社の元社とは「大鳥美波比神社」をさしていると想われます
大鳥美波比神社 旧鎮座の記事もご覧ください
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
泉が丘駅から 府道61号経由 約6km 車 15分程度
国神社 古社地 (kuni shrine)に到着
変わった狛犬があると想いましたら 子供が乗れるようになっている遊園具(多分 馬??)が 狛犬のように鳥居前に鎮座しています
一礼をして 鳥居をくぐります
一段高い境内地から 鳥居横に下りるように 子供用の滑り台があります
おそらく 子供が遊べるように工夫がされているようです
しかし その先は とても厳粛な感じに様変わりします
竹林に囲まれた石段があり 上りきると奥に小さな祠が鎮座します
飛び石の参道を歩み 祠にすすみます
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
古社地ではありますが 未だに お詣りされる方は絶えないようです しっかりと清掃も行き届き お供え?(神仏習合)のようにお祀りがされています
石段を下り 鳥居をくぐり 振り返り一礼
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『和漢三才図会(wakan sansai zue)略』巻76 和泉國に記された伝承
『和漢三才図会(wakan sansai zue)略』には
現在の「国神社 古社地(鉢ケ峯寺)」が 「鉢ケ峯神社」と記されています
「意訳」
「 鉢ケ峯神社 上神郷鉢峯(堺市鉢ケ峯寺)にあります祭神 天照大神
縁起いわく 垂仁天皇8年に 天照大神が鳳凰に化して この襲峯(oiso no mine)に降りました垂仁天皇の皇子が 登臨して化跡を礼祭しましたので 神郷といいます
景行天皇24年に神託によって 武内宿禰に命じて社を営み 55年に神鳳を千種森に移しました 今の大鳥社がこれです
『旧事紀』にいいます 大己貴尊は 天羽車大鷲に乗り 妻妾を求めて節渡県〔節渡は茅渟と書くのに当ります 茅渟は即ち今の和泉の地です〕に下向しました
大陶祇の女 活玉依姫を娶って妻として往来した時に
人はそのことを知らずして密かに往来する間に女が懐妊しましたので 父母は疑い怪しんで 誰が来るのか と問うと 女は答えて「神人が装い来て 屋上から降って来られ 共に臥すだけです」と言いいましたそこで父母は早く正体を知りたいと思い 麻を績んで綜を作り 針で神人の短裳に掛けさせました 明朝 掛けたものに随って尋ねていくと 鍵穴を抜けて節渡山を経て吉野山に入り三諸山に留まりました
それで大神であるとわかりました 綜の残りを見ると ただ三わだけであったので 三輪山と名付け大三輪神社といいます
〔『泉州志』にいいます 大己貴尊の降臨の地は この山か 陶邑も近い かつこの地を上神と名付けて 加無都美和(kamutsu miwa)と訓むのは 大和国の三輪に対していうものでしょうか〕」
【原文参照】『和漢三才図会略』刊本(跋刊)正徳05年 編者:寺島良安 [旧蔵者]内務省 国立公文書館デジタルアーカイブ
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?BID=F1000000000000037210&ID=M1000000000000047412&LANG=default&GID=&NO=1&TYPE=JPEG&DL_TYPE=pdf&CN=1画像利用
「垂仁天皇8年に 天照大神が鳳凰に化して この襲峯(oiso no mine)に降りました」との伝承をもち 大鳥神社「大鳥美波比神社」の古社地とされています
国神社 古社地 (kuni shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)