那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉

那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社〈三社合祀〉は もともとは 豊(トヨ)の村人たちが 豊漁港の北東にある 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座していた「島大国魂(シマオオクニタマ)神社の遥拝所」としていた処であったとされます ここに 旧 藩政時代 国主により「那祖師(ナソシ)神社」が建立されます やがて 島大国魂神社と 北東にあるナンガ浦〈豊と泉の中間辺り〉に鎮座する若宮(ワカミヤ)神社も合わせ 豊(トヨ)に鎮座する3社が合祀されて 現在に至ります

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社Nasoshi Shrine・Shimaokunitama Shrine・Wakamiya Shrine)〈三社合祀〉
〈Enshrine the three shrines together〉
(なそしじんじゃ・しまおおくにたまじんじゃ・わかみやじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

長崎県対馬市上対馬町豊字大多1337

 [  (Google Map)]

【御祭神 (God's name to pray)】

〈三社合祀〉

・島大國魂神社Shimaokunitama Shrine)

《主》素盞鳴尊Susanowo no mikoto)
   天狭手依比賣Ameno sadeyori hime)

那祖師神社Nasoshi Shrine)

《主》素盞鳴尊Susanowo no mikoto)
   曽尸茂利Soshimori)

若宮神社Wakamiya Shrine)

《主》五十猛命Isotakeru no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

豊御鎮座(とよちんざ)三神社 御由緒 略記(おゆいしょりゃくき)


島大國魂神社(しまおおくにたまじんじゃ)
祭神(さいじん)
天狭手依比賣(あまのさでよりひめ)
素盞鳴尊(すさのをのみこと)
豊港口(とよみなとくち)東岬(ひがしみさき)の白水山(しろみずやま)に奉祀(ほうし)

那祖師神社(なそしじんじゃ)
祭神(さいじん)
素盞鳴尊(すさのをのみこと)
曽尸茂利(そしもり)
當社奉祀(とうしゃほうし)

若宮神社(わかみやじんじゃ)
祭神(さいじん)
五十猛命(いそたけるのみこと)
當社(とうしゃ)より東方(とうほう)(やく)一粁(きろ)の海辺(うみべ)に奉祀(ほうし)

 

天狭手依比賣(あまのさでよりひめ)
古事記(こじき)によれば有史(ゆうし)以前 対馬 最初の国司(こくし)として 御神徳(ごしんとく)高い御女神(おじょしん)と拝察(はいさつ)する

素盞鳴尊(すさのをのみこと)
天照皇大神(あまてらすおおみすみ)の弟神(おとうとかみ)にましまして 普(あまね)く 朝野(ちょうや)の崇敬(すうけい)盛んにして御神徳(ごしんとく)高く
厄除(やくよ)けの神(かみ) 縁結(えんむす)びの神(かみ) 家運繁栄(かうんはんえい)の神(かみ) 交通安全守護(しゅご)の命(かみ)として 一般大方(おおかた)の信仰が深い

尚(なお) 尊(みこと)が出雲(いずも)より その当時 同国(どうこく)の親(した)しみありし 韓国(かんこく)の東南部(とうなんぶ)三韓(さんかん)御経営(ごけいえい)のため往復(おうふく)遊(あそ)ばし

随(したが)って 渡韓(とかん)の要衝(ようしょう)である対馬島には 尊(みこと)ならびに若宮姫(わかみやひめ)を奉祀(ほうし)神社68座(ざ)(出雲には16座)の多きに及ぶを見ても 御縁(ごえん)深き御神蹟(ごしんせき)であり 今に御神徳(ごしんとく)を伝え 他2社とともに氏神(うじがみ)として奉祀(ほうし)している

五十猛命(いそたけるのみこと)
素盞鳴尊(すさのをのみこと)の御子(おんこ)にましまして 常に父尊(ちちみこと)に附添(つきそ)い その神業(かみわざ)を扶(たす)けさせられ 主として殖産興業(しょくさんこうぎょう)に御(お)つくし給(たま)わった

以上(いじょう)の通(とお)り 御三神(おさんしん)は 國造(くにつく)りの大神(おおかみ)にましまして 日本民俗(にほんみんぞく)のため遺(のこ)させ給(たま)いし 御功績(ごこうせき)は偉大(いだい)である

素盞鳴尊(すさのをのみこと)御詠(おうた)

八雲たつ 出雲八重垣妻籠に
 八重垣つくる その八重垣を

民謡(みんよう)

豊(とよ)の那祖師(なそし)は あらたの神(かみ)よ
一夜(ひとよ)籠(こも)ればつまとなる

現地案内板より

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【由  (History)】

※参考
ソシモリから戻った
素盞男命Susanowo no mikoto)の最初の寄港地なのかもしれません

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神社のプロフィール

上対馬豊(豊漁港)の北東、椎根島の白水山(しろみずやま)に 島大國魂神社、東に1キロの海辺に若宮神社が鎮座していましたが、現在は 集落内の那祖師神社に3社が合祀されています。

白水山は 禁足地としてのタブーが激しく、立ち入ると大風が吹く、腹痛に見舞われる、災害が起きる、さらには、白水山には老人が住んでおり、そこで見聞きしたことを他言すると死んでしまう、という怖い伝承もあります。

白水山に続く海岸沿いの道は、不通浜(とおらずがはま)と呼ばれています。 南部の龍良山などと同様に、神聖ゆえに近づくことすら許されず、遥拝所(遠くから拝むための建物など)を造り、それが神社になっていく、という古い信仰のあり方をよく示しています。

暴風神・スサノオノミコト

【対馬の伝承・異伝】 
おもに対馬の北部から北東部にかけてスサノオノミコトおよび子神のイソタケルノミコト渡来の伝承地がいくつもありますが、いずれも強烈なタブーの地とされ、植樹に関する伝承が残されています。

 本来は 出雲の神であるスサノオノミコトが、どのような経緯で対馬に祭られるようになったのかは不明ですが、ヤマタノオロチを退治してその尻尾からクサナギの剣を得る、という神話は、暴れ川の治水および川から得られる砂鉄と、熱源となる樹木を利用した製鉄の比喩とされています。

 想像をたくましくすれば、朝鮮半島の森を刈りつくした製鉄者集団の首長スサノオミコトが、対馬を経由して出雲に渡っていった、という物語も見えてきます。

『対馬神社ガイドブック』~神話の源流への旅~より抜粋

〈一般社団法人 対馬観光物産協会 2017/3出版〉より
http://blog.kacchell-tsushima.net/?eid=221

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【境内社 (Other deities within the precincts)】

・えびす神の祠

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

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当神社は『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)に所載の2つの神社の論社となっています

①「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 嶋大國魂神社
[ふ り が な ]しまおおくにたまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Shima okunitama no kamino yashiro)

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②「對馬嶋 上縣郡 大嶋神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)西海道 107座…大38・小69
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)対馬島 29座(大6座・小23座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)上県郡 16座(大2座・小14座)
[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 嶋神社
[ふ り が な ]おほしまの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohoshima no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

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当神社は『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)に所載の①②の2つの神社の論社となっています 
論説は大きく分けてⒶⒷⒸの3説です それぞれをご紹介します

Ⓐ説 豊漁港の北東 椎根島の白水山(シロミズヤマ)に鎮座してた 島大國魂神社(Shimaokunitama Shrine)〈旧 鎮座地〉<Old location>が ①②双方の論社とする説

Ⓑ説 合祀〈三社合祀〉されている3社を合わせて ①の論社とする説

Ⓒ説 那祖師神社が ①の論社とする説

①「對馬嶋 上縣郡 嶋大國魂神社

・嶋大國魂御子神社(対馬 佐須奈)

・島大國魂神社(対馬 豊)

・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)

・島大國魂神社(対馬 御岳)

②「對馬嶋 上縣郡 大嶋神社

・和多都美神社(対馬 仁位)

・元嶋神社(対馬 唐洲)

・那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社(三社合祀)

・島大國魂神社(対馬 豊)

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

津島空港から R382号を北上 上対馬の北端 豊(豊漁港)を目指します
約70KM 車90分程度
豊漁港の西側に鎮座します

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那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社Nasoshi Shrine・Shimaokunitama Shrine・Wakamiya Shrine)〈三社合祀〉に参着

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一礼をして 鳥居をくぐります
参道に生える松の木の直ぐ先に 二の鳥居が建ち 扁額には「那祖師神社」と刻まれています

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鳥居の傍らには「石の五重塔」があります 正面には 三の鳥居が建ち その先は階段となっています

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右手にある手水舎で清め 再度 一礼をして鳥居をくぐり 階段を上がります
階段の上には すぐ社殿が建ちます

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階段の下には 砲弾の弾頭 狛犬 文久三年(1863と刻まれた石灯篭が 並んでいます

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拝殿にすすみます

扁額が掛かり
中央に 島大國魂神社
左側に 若宮神社
右側に 那祖師神社 と記されています

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拝殿の扉が開き 中でも御参りができます
拝殿内にかかる扁額は「島大國魂神社」とあります

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の白黒写真の中に 対岸からの鳥居の写真と 旧鎮座地の白水山(シロミズヤマ)にある石碑の写真がありました
拝殿からは 境内を見下ろすような感じになります 確かにここからなら 旧鎮座地の椎根島の白水山(シロミズヤマを向いていて 高台となっている 遥拝所であったことを実感しました

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正面から拝殿を見ると判りませんでしたが 横から仰ぐと拝殿の裏手が更に高くなっていて幣殿が建ち その奥に本殿が建っています

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参道を戻り 鳥居を抜けて 振り返り一礼をします

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神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『日本書紀(Nihon Shoki)』養老4年(720)編纂に記される伝承

一般に 曾尸茂梨(ソシモリ)は 古代に朝鮮半島にあった新羅(シラギ)の地名とされています

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が 曽尸茂利ソシモリとの往復の際に 渡韓(トカン)の要衝(ヨウショウ)の地であったとする豊(トヨ)に鎮座する 当神社「那祖師神社Nasoshi Shrine)」では 祭神を「曽尸茂利ソシモリ」としています 

第一 第八段 一書第四冒頭 意訳

ある(第四)によると

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)の行(オコナイ)は いので
そこで 神々は 千座置戸(チクラノオキド)〈千の台座に乗るほどの宝を出させ〉にて追放いたしました

このとき
素戔嗚尊(スサノヲノミコト) その子 五十猛神(イタケルノカミ)を率いて 新羅(シラギノクニ)に降り 曾尸茂梨(ソシモリ)の所着かれた

そこで素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が云われました
「この地に 私は居たくない」

そして (ハニツチ)〈粘土〉で舟を造り それに乗って東の方に渡り 出雲国(イズモノクニ)の簸川(ヒノカワ)川上にある鳥上之峯(トリカミノミネ)に辿り着きました

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『日本書紀』(720年)選者 舎人親王/刊本 文政13年 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047528&ID=M2017042515415226619&TYPE=&NO=画像利用

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『先代旧事本紀(Sendai KujiHongi)』〈平安初期(806)~(906)頃の成立〉に記される伝承

一般に 曾尸茂梨(ソシモリ)は 古代に朝鮮半島にあった新羅(シラギ)の地名とされています

素戔嗚尊(スサノヲノミコト)が 曽尸茂利ソシモリとの往復の際に 渡韓(トカン)の要衝(ヨウショウ)の地であったとする 当神社「那祖師神社Nasoshi Shrine)」の鎮座する豊(トヨ)では 祭神を「曽尸茂利ソシモリ」としています

『日本書紀』とほとんど同じ内容が記されています 

巻第四 地祇本紀冒頭 意訳

素戔烏尊(スサノヲノミコト) その子 五十猛神(イタケルノカミ)を率いて 新羅の曽尸茂梨(ソシモリ)のところに天降られまし
そこで言葉を云われた
「この地に 私は 居たくない」

ついに(ハニツチ)〈粘土〉で船を造り それに乗って東へ渡り 
出雲国(イズモノクニ)の簸川(ヒノカワ)の川上であり 
安芸国(アキノクニ)の可愛川(エノカワ) の川上にある 鳥上峰(トリカミノミネ)至った

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ 『先代旧事本紀』刊本(跋刊) ,延宝06年 校訂者:出口延佳 [旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000038380&ID=M2017051017170432508&TYPE=&NO=画像利用

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『日本三代実録(Nihon Sandai Jitsuroku)』延喜元年(901年)成立 に記される伝承

對馬嶋(上縣・下縣)の式内社の神々とともに 神階の昇叙が記されています

意訳

貞観12年(870)3月5日 丁巳の条

詔(ミコトノリ)を授(サズ)くに

對馬嶋(ツシマノシマ)の
正5位上 多久都神(タクツノカミ)に 従4位下


従5位上
和多都美神(ワタツミノカミ)
胡簶神(コロクノカミ)
御子神(ミコノカミ)
嶋大國魂上(シマオオクニタマノカミ)
高御魂神(タカミタマノカミ)
住吉神(スミヨシノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
太祝詞上(フトノリトノカミ)
平神(タイラノカミ)
並びに 正5位下

大吉刀神(オオヨシカタナノカミ)
天諸羽神(アマノモロハノカミ)
天多久都麻神(アマノタクツマノカミ)
宇努神(ウノノカミ)
吉刀神(キトノカミ)
小枚宿祢神(ヲヒラノスクネノカミ)
行相神(ユキアイノカミ)
奈蘇上金子神(ナソカミカネコノカミ)
嶋御子神(シマミコノカミ)
国本神(クニモトノカミ)
銀山神(カナヤマノカミ)
和多都美神(ワタツミノカミ)
敷嶋神(シキシマノカミ)
並びに 従5位上

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス
『日本三代実録』延喜元年(901年)成立 選者:藤原時平/校訂者:松下見林 刊本(跋刊)寛文13年 20冊[旧蔵者]紅葉山文庫
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047721&ID=M2014093020345388640&TYPE=&NO=

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『神名帳考証土代(jimmyocho kosho dodai)』(文化10年(1813年)成稿)に記される伝承

御嶽に鎮座する「島大國魂神社」を比定しています

意訳

島大國魂神社

神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・正5位下

伊奈郷仁田村 仁田嶽島・・・社あらん 御嶽は上津郡第一の高山 この山頂に峒(トウ)あり その窟の中に 昔 神を祭りたる処ありて 瓶子(ヘイシ) 皿(サラ) 杯(サカズキ) 等 于今(イマニ)〈今もって〉有なりと云々

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

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『神社覈録(Jinja Kakuroku)』明治3年(1870年)に記される伝承

白水山(シロミズヤマ)に鎮座「島大國魂神社〈旧 鎮座地〉(Shimaokunitama Shrine)<Old location>」を比定社としています
但し 祭神を 大國魂神としています

意訳

島大國魂神社

島大國魂は 志麻乃於保久邇多麻(シマノオホクニタマ)と訓ずべし

〇祭神明らかなり
 考証 己貴命
 古蹟集 素盞男尊といふ 共に今は従わず

古事記伝9の巻 倭大國魂神 云々の条に
各 その国 処に経営の功徳ありし神を 如(ゴトク)これ申して祀れるなるべし云々
その中には 大穴牟遅命を祀るもありぬべし

又 曰く
書紀『日本書紀』に 一名 大國玉神
『古語拾遺』に 大國魂神とあるのは すべて天下を経営ましまし故なり
御名の同じきをもって 思い混じうる事なかれと云うは然(シカル)るべし

連胤鈴鹿 連胤(スズカツラタネ)
按るに〈考慮するに〉
当社を「島首社」と称するも この島を経営し給う 首の神なればなるべし

類社 大和国 山邊郡 大和坐大國魂神社 の條を見あうべし
神位 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・正5位下

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』1 『神社覈録』2

『特選神名牒(Tokusen shimmyo cho)』明治9年(1876)に記される内容

白水山(シロミズヤマ)に鎮座「島大國魂神社〈旧 鎮座地〉(Shimaokunitama Shrine)<Old location>」を比定社としています

意訳

島大國魂神社

祭神 狭手依姫命
   素盞男

今 按〈考えるに〉
明細帳に祭神 素盞男尊と見えていることを 
長崎県式内社記に 国史に徴考するに 狭手依比賣神なるべし よって加祭すとあるのは 『古事記』で 津島の又の名を 天狭手依比賣と云えるによるものなるべし
されど 旧説も 全く無稽(ムケイ)〈拠りどころがない〉とは定めがたく 故 今姑く 式内社記に従って2神を記せり

神位 清和天皇 貞観12年(870)3月5日 丁巳の条・・正5位下
祭日 6月3日
社格 村社
所在 豊村 字 白水山

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』

『対馬文化財通信』第4号 平成23(2011)3月31日発行
 対馬市文化財保護審議会 偏 に記される伝承

那祖師神社の秋の大祭〈平成22年11月23日〉で 豊地区に住む女子4人《2人が高校生・あとの2人が廃校となる豊中学校 最後の巫女》による「浦安の舞」が奉納されたことが記されています
神社の成立などにもふれています

地域と「舞い」より 抜粋

 豊の那祖師神社(大明神)は、旧藩政時代 国主により建立されたもので、この神社内には島大国魂神社 遥拝所があったようですが、
今はこの那祖師神社と島大国魂神社は合祀された形になっているようです(『上對馬町誌』)。
現在の祭礼は この島大国魂神社、那祖師神社、若宮神社(豊~泉間北東のナンガ浦にある)の三社を合わせた形で、那祖師神社で行われています。
以前は、旧六月三日の祭礼で中学生による舞いが行われていたようですが、今はこの大祭(新嘗祭)で、女子による舞いが行われています。
かつて(昭和四十年代まで?)は、出店が軒を連ね、演芸大会も併せて行われるなど、古き対馬の神社の大祭であったと思われます。

 現在、上対馬では このような巫女による舞いが行われている神社は、隣の鍔浦、そして豊崎の計三ヵ所しかありません。

 伝統を語りついでいくことは大変なことです。人(組織、指導者、舞う人)、もの(道具、施設、資金)、そして何より心〔誇り、感動、情熱〕の、どれもが必要で、それか欠けると途絶えていきます。
この行事は古くからの伝統で神事であったものですが、ここ豊地区では 今でもその伝統を守り受け継ぐ人、もの、心があるということです。
・・・・

『対馬文化財通信』第4号 平成23(2011)3月31日発行
 対馬市文化財保護審議会 偏『対馬文化財通信』

上の上対馬での巫女による舞いを読んで
対馬市に伝承される巫女舞で 市内各地の神社例祭で奉納されている「命婦(みょうぶ)の舞」が 平成八年一一月二八日に国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財に選択されたこによる調査報告書があります
ご興味のある方は お読みください

命婦(みょうぶ)の舞 調査報告書平成二十七年度
文化庁「変容の危機にある無形の民俗文化財の記録作成の推進事業」命婦の舞 調査報告書 文化庁 平成二十七年度

那祖師神社・島大國魂神社・若宮神社Nasoshi Shrine・Shimaokunitama Shrine・Wakamiya Shrine)〈三社合祀〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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『對馬嶋 式内社 29座(大6座・小23座)について』に戻る

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行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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