咲前神社(さきさきじんじゃ)は 一の宮貫前神社(抜鉾神社)の旧鎮座地(前宮)です その由緒はとても古く 遠く神代に 経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が 健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って 上野国と信濃国の国境にある荒船山に御出陣をされた時の行在地であると伝わっています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(shrine name)】
咲前神社(sakisaki shrine)
(さきさきじんじゃ)
[通称名(Common name)]
【鎮座地 (location) 】
群馬県安中市鷺宮3308
[地 図 (Google Map)]
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》健経津主命(take futsunushi no mikoto)
大己貴命(onamuchi no mikoto)
保食命(ukemochi no mikoto)
【御神格 (God's great power)】
・除災招福
・開運厄除
・身体健全
・養蚕守護
・子育て安産の神
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』所載社
・ 上野国一之宮 貫前神社(ichinomiya nukisaki shrine)の前宮
【創 建 (Beginning of history)】
当鎮座地は神代、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が 健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って上野国と信濃国の国境の荒船山に御出陣の時の行在地であると伝わる。
安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石」三柱の御出現を仰ぎ、時の朝廷に上奏したところ、奉幣使、磯部朝臣小倉季氏と共に高椅貞長、峯越旧敬を伴い上毛野国に御下向があり、抜鉾(ぬきほこ)大神「健経津主命」をお祀りし、社を建てられた。
それ以後、磯部朝臣が祭司を司った。
敏達天皇元年(572)、第3代磯部朝臣小倉邦祝は 磯部郷小崎の里に居を構え、以降小崎を名乗る。白鳳元年(650)、第11代小崎邦平は、神託により抜鉾大神を神楽の郡(甘楽郡)蓬丘菖蒲谷に御遷座する。
供奉の道筋では、七五三原(しめきはら)で まず神事があり、明戸坂で夜明けがあり、宇田で御旅所となり御遷宮された。現在の一之宮貫前神社である。磯部郷 前宮(さきのみや)跡は、先の宮として崇め咲前神社が祀られた。
この時改めて香取神宮より経津主大神を勧請し大己貴命(おおなむちのみこと)、保食命(うけもちのみこと)が祀られた。以後の祭祀を藤原姓和太氏が司る。平安朝後期に成立したと思われる『上野国神名帳』には、「碓氷郡 従五位上咲前明神」と記され、ご分霊として「片岡郡従五位上咲前明神」が見える。
室町期には、応永8年(1401)1月7日、足利満兼により新田庄平塚郷一町が寄進されている。鷺宮 咲前神社公式HPより
【由 緒 (history)】
往古、経津主神が建御名方神を追って、上信両国の境である上州下仁田の荒船山に出陣の際、当地(鷺宮)宿陣されたと言われている
当神社は 上野国神名帖に「従五位上咲前明神」と記され由緒ある神社である。白鳳元年(672)3月、下総国香取神宮 経津主神を鎮座し 先宮明神といわれ、万延元年(1860)10月に前宮神社となり、明治11年から咲前神社と称するようになった。
咲前神社のいわれは 抜鉾神社(一の宮貫前神社)の旧鎮座地(前宮)伝えられている。太々神楽(安中市重要無形文化財)文化12年(1815)におこなわれ、笛吹き3人、太鼓1人、鉦鼓1人、舞者7人で構成され、演奏にあわせて舞を神話にもとずき12座が上演される。
「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から
【境内社 (Other deities within the precincts)】
・稲荷神社(inari shrine)
《主》宇迦之御魂神(ukano mitama no kami)
・鷹巣神社(takanosu shrine)
《主》大物主命(omononushi no mikoto)
火産霊命(homusubi no mikoto)
伊勢三郎義盛公(ise saburo yoshimori ko)
・金刀比羅神社(kotohira shrine)
《主》金刀比羅神(kotohira no kami)
・絹笠神社(kinugasa shrine)
祭神不詳
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho)』(927年12月編纂)といって 平安時代中期に朝廷が作成した全50巻の律令格式の巻物の中でも重要視されている2巻です 内容は 今から約1100年前の全国の官社(式内社)一覧表で「2861社」の名称とそこに鎮座する神の数 天神地祇=「3132座」が所載されています
【延喜式神名帳】(engishiki jimmeicho)The shrine record was completed in December 927 AD.
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)上野国 12座(大3座・小9座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)甘楽郡 2座(大1座・小1座)
[名神大 大 小] 式内 名神大社
[旧 神社名 ] 貫前神社(名神大)
[ふ り が な ](ぬきのさきの かみのやしろ)
[How to read ](nukino sakino kamino yashiro)
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
国立国会図書館デジタルコレクション 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫
【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
当鎮座地は神代、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が 健御名方神(たけみなかたのかみ)を追って上野国と信濃国の国境の荒船山に御出陣の時の行在地であると伝わります
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神社にお詣り(Pray at the shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
磯部駅から 東へ約3.7km 車8分程度
道路に面しています 東向きの境内入口には赤い鳥居が建ちます
正月の参拝時
ちょうど「夏越祭」の翌日であったようです
咲前神社(sakisaki shrine)に到着
赤い鳥居の扁額には「咲前神社」とあります
一礼して鳥居をくぐります
参道の階段をのぼると砂利の境内にでます
参道右手には 手水舎があり 清めます
参道には「夏越祭」の茅の輪が置かれています
参道の左手には神楽殿が建ち 4/1春祭りには「太々神楽」があるようです
正月の神楽殿
正面には 瓦葺の入母屋造平入りの拝殿が建ちます
拝殿にすすみます 扁額には「鷺宮大明神」とあります
賽銭をおさめ お祈りです
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
拝殿の後方の銅板葺流造の本殿を左右から仰ぎます
拝殿の横には「根子石(ねこいし)」があります 養蚕にかかわる願掛けのようで 大きな石の上に「繭のような小石」を載せて願を掛けるようです
立札には つぎのようにあります
根子石(ねこいし)
まゆ小石、または境内の小石をのせて、拝むと願いが叶うといわれ、養蚕の神にまつわる奇石です。 案内板より
本殿の脇にある 境内社「絹笠神社(kinugasa shrine)」にお詣りして 地場産業の養蚕と深くかかわる神社であることを改めて感じます
案内文が置かれていて「白いヘビ」と書かれています
咲前神社には白いヘビがいるといわれ、大きさははっきりしないが「蚕の神様」という。
白いヘビを拝んで、神社から借りて来ると「蚕が当たる」といって信仰された。
蚕の敵はネズミで、飼っている蚕を食べ、できた繭(まゆ)を食い破って蛹(さなぎ)を食べてしまう。猫はあてにならないので、養蚕が始まる前に、咲前神社にお参りして「神様、どうぞ白いヘビをお貸しください」といってお願いして家へ帰ると、家の梁(はり)や棟(むね)に、白いヘビがニョロニョロ這い回っていて、ネズミを退治してくれた。
養蚕が終わると、赤飯を持って咲前神社へ御礼参りに行き、「ヘビをお返しします」といってお参りした。
そういうことがあったので、神社では、希望する人には「一筆書きのヘビの絵」を出した
咲前神社(sakisaki shrine)が養蚕の守護神であることが「ぐんま絹遺産」という案内板に書かれています
他の境内社にお詣りをしてから 参道を戻ります
鳥居をくぐり 振り返り一礼
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神社の伝承(Old tales handed down to shrines)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『上野国神名帳(kozuke no kuni jimmeicho)』に記される伝承
神階について「碓氷郡 従五位上咲前明神」と記されています
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス 『上野国神名帳』『群書類従 神祇部 23』塙保己一寛政5年(1793)- 文政2年(1819)木版刊行
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037294&ID=M1000000000000049991&TYPE=&NO=
一の宮貫前神社(抜鉾神社)の旧鎮座地(前宮)と伝わります
咲前神社(sakisaki shrine)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
一の宮貫前神社(抜鉾神社)の旧鎮座地(前宮)と伝わります
一之宮 貫前神社の記事をご覧ください
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一之宮 貫前神社(富岡市一ノ宮)
一之宮 貫前神社(いちのみや ぬきさきじんじゃ)は 菖蒲(綾女・あやめ)谷といわれる渓間に南面して鎮座しますが ご参拝には 一度 南の参道をのぼって大鳥居をくぐります 平坦な参道が弧を描くように総門に至ります するとそこからは 急な下りの石段となっていて 真下に社殿が建っています 上って 平らになって 今度は下りになる 全国でも珍しい「下り参道」でお詣りする神社です 古くからの由緒格式を持つ 上野国一之宮として崇敬を集めています
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