浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)〈『延喜式』漆部神社〉

浅間社(せんげんしゃ/あさまのやしろは 庄内川と新川の合流する三角州に鎮座します 御鎮座年月は不祥ですが 天正1574)一色城主 前田十郎が再建し 明治五年(1872)郷社に昇格しています 一説には 延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の論社とされます

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

浅間社(Sengen sha/Asama no yashiro

通称名(Common name)

〈江戸時代〉下之一色浅間大明神

【鎮座地 (Location) 

愛知県名古屋市中川区下野一色(しものいっしき)町字南ノ切20

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》木花咲耶姫之神(このはなさくやひめのかみ

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・安産の守護 造酒 山幸海幸と御神徳霊験高し

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒記

本社 浅間社 祭神 木花咲耶姫之神

御鎮座年月不祥 天正(西暦一五七四年)六月 城主 前田十郎殿社頭造立寄進 禰宜 二村甚太夫の棟札現存
明治五年 郷社に昇格 大正七年十月幣帛料供進神社に指定
昭和二十七年宗教法人神社本庁所属
安産の守護 造酒 山幸海幸と御神徳霊験高し

主な祭礼
元旦祭  一月一日   春の大祭 三月十七日
夏の大祭 七月二十六日(奉賛行事年は日を変更)
秋の大祭 十月二十六日 月次祭 毎月二十六日

境内社 天王社 祭神 須佐之男命

 大正七年 元中之割大銀杏樹下の本殿から現在地に遷座
 例祭 八月十五日(茅の輪神事)健康と家内安全

境内社 秋葉社 祭神 火之迦具土神

 御鎮座年月不詳
 例祭 十二月十六日 火を司り 火廻り安泰と火難除け

境内社 依式社 祭神 木花咲耶姫之神

 御鎮座年月不詳
 例祭 四月十五日 安産と子安と幸福

境内社 治徳龍神社 祭神 治徳龍神

 平成二十二年六月二日 遷座
 例祭 六月二日 豊作 豊漁 安全開運

平成二十四年三月十七日建立
 宮 司 二村正典 識
 寄付者 花井善佐
現地石碑文より

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【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○愛知縣 尾張國 愛知郡下之一色(シモノイツシキ)村字南之切

鄉社 淺間(アサマノ)社

祭神 木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメノ)

 創立年代詳ならず、但 古來 當村の産土神にして、張州府誌に「淺間祠在下一色村と見え、天正六年六月 寬永七年、貞享元年七月等の棟札をせり (郡誌)、明治五年五月郷社に列せらる。

社殿は本殿、拜殿を具へ、境内地百六十坪(官有地第一種)あり。

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

浅間社 幣殿

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浅間社 拝殿

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・神楽殿〈社殿の向かって左側〉

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・〈境内社天王社《主》須佐之男命
境内社秋葉社《主》火之迦具土神

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・〈境内社治徳龍神社《主》治徳龍神

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)尾張國 121座(大8座・小113座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)海部郡 8座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 漆部神社
[ふ り が な ]うるしへ かみのやしろ
[Old Shrine name]Urushihe no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 尾張國 海部郡 漆部神社(うるしへの かみのやしろ)の論社

・漆部神社〈八大神社〉(あま市甚目寺東門前)

・日吉社(あま市甚目寺東門前)〈八大神社古社地〉
・甚目寺観音(あま市甚目寺東門前)〈八大神社古社地〉

・市神社(津島市米町)〈津島神社の境外社地〉

・八幡神社(弥富市荷之上町字柴ケ森)

・浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

あおなみ線 港北駅から西へ約3.3km 車で8分程度

神社の裏手(北側)に駐車場がありました

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社頭は南を向いています

浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)に参着

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鳥居の扁額には゛淺間社゛と記されています

一礼をしてから鳥居をくぐり境内に進みます

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由緒記の石碑があります

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拝殿にすすみます

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安産の゛おさすり玉゛なるものがあります

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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一礼をして参道を戻ります

行きは北側から来ましたので 帰りは南に延びる表参道を戻ると新川の手前に一の鳥居が建っていました

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 漆部神社について 所在は゛在所群ならず゛よくわからない と記しています

【抜粋意訳】

漆部神社

漆部は奴利倍と訓べし

○祭神 木花咲耶比咩命、〔圖帳〇今按 三見宿命歟

○在所群ならず

○民部省帳云、仁寿月加再復、實天智天皇月之御新遷、所祭神 木花咲耶比咩也云々、元亨月所記残篇

事紀、天孫本記宇摩志麻治命四世孫三見宿禰命、漆部連等祖、

神位
 國内神名帳、海部郡從三位漆部天神、

神田
 民部省圖帳云、漆郡大明神、神田七十二束有

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 漆部神社について 社名のみが記されています

【抜粋意訳】

漆部(ウルシベノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 漆部神社について 所在は゛今にては廃社なるべし゛〈廃絶したのであろう〉と記しています

諸説を挙げています

一説に津島 市神ならん゛〈現 市神社(津島市米町)津島神社の境外社地〉
゛同郡荷之上村八幡宮゛〈現 八幡神社(弥富市荷之上町字柴ケ森)〉
愛智郡下之一村なる淺間社゛〈現 浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切)〉
゛甚目寺観音は社のぜしものならんと云説゛〈現 甚目寺観音(あま市甚目寺東門前)〈八大神社古社地〉〉

それぞれの説に論拠が不足している とも記しています

【抜粋意訳】

尾張國一百廿一座
○海部郡八座 並小

漆部(ヌリベノ)神社

祭神 三見宿禰(ミツミスクネノ)

 今按 舊事紀 饒速日命四世孫 大木食命〔三河國造祖云々〕の弟 三見宿禰命 漆部連等組とある此に由あり 民部省に祭 木花耶比命と云るは疑しければ取ら

祭日
例祭
社格

所在
 按 盬尻にこの社は津島社ならむと疑ひ  一説に津島市神ならんと云へど更になし 同郡荷之上村八幡宮と云説ありて荷上はののへに へは ぬりへならんかと云へど信がたし 又 愛智郡下之一村なる淺間社の御手洗川を奉仕の祠官は漆部川なる由云へれど 探索するに古よりおけすと云えば取にたらず 甚目寺観音は社のぜしものならんと云説もあれど れば取がたし 今にては廃社なるべし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

浅間社(名古屋市中川区下之一色町南ノ切) (hai)」(90度のお辞儀)

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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