舟津神社(鯖江市舟津町)〈『延喜式』《本殿》舟津神社《相殿》大山御板神社〉

舟津神社(ふなつじんじゃ)は 崇神天皇10年(前88)四道将軍の大彦命逢山の峰に楯三枚を以て社形を成し 猿田彦命を祀つたのが 式内社 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)であり 成務天皇4年(134)市入姫が勅をうけ大彦命が舟津の地に勅祭されたのが 式内社 津神社ふなつの かみのやしろ)です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

舟津神社(Funatsu shrine

通称名(Common name)

・お舟津さん(おふなつさん)

【鎮座地 (Location) 

福井県鯖江市舟津町1-3-5

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神舟津神社(下宮)
 大彦命(おほひこのみこと)

《相殿神》大山御板神社(上宮)
 猿田彦命(さるたひこのみこと)
 孝元天皇(こうげんてんのう)
 素佐鳴雄命(すさのをのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

舟津神社(ふなつじんじゃ)

 『延喜式』神名帳所載の社、いわゆる式内社で、北陸一の古社。 祭神は大彦命。相殿に大山御板神社、祭神 猿田彦命孝元天皇、素佐嗚命を祀る。
 四道将軍の一人 大彦命は崇神天皇十年(前八八)勅によって この北陸道に遣わされ、 その際 逢山(王山)の峰に楯三枚を以て社形を成し、猿田彦命を祀り国中安寧を祈り、成務天皇四年(一三四)市入姫が勅をうけ大彦命を舟津郷に奉斎したのが創りと伝え、前者が大山御板神社(上宮)、後者が舟津神社(下宮)である。

 「延喜式神名帳」では丹生郡、今立郡に分れて所載するが 上宮が王山の上に下宮が王山の東方数町の所に位置し 両郡の郡境に比定される叔羅川(現、日野川)が往古は王山の東を流れていたことに依るとされる。
寛仁三年(一〇一九)下宮が火災に罹り、下宮を上宮に合祀。応永二十三年(一四一六)下宮が再建され、爾来上宮・下宮同殿の社となる。

 中世には守護斯波氏及び朝倉氏の崇敬を受け、近世には社地は福井領であったが、享保六年(一七二一)間部氏の鯖江入部 以後はその祈願所ともなり、鯖江藩の産土神としても崇敬された。 寛保二年(一七四二)往古の上宮・下宮の中間地 王山の東麓に社殿が遷された。明治八年県社に列せられた。例祭は九月二十日。

 背後に王山古墳群があり、国の史跡。本殿、赤鳥居、大鳥居は県指定文化財。社宝に市指定文化財の太皷樽などがある。

参道の立札より

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舟津神社 由緒

 鯖江台地の南に続く王山の東麓に鎮座する。

祭神は、崇神天皇御宇の四道将軍の一人として知られる大彦命で、相殿には大山御板神社を祀る。
共に式内社。

 大彦命(大毘古命)の北陸道派遣のことは、『古事記』及び『日本書紀』の崇神天皇10年(前88)に見えるが、
『舟津社記』によれば、大彦命は、淡海より角鹿の津に赴き、八田という所に着き舟場より乗船して東進し、途中塩垂の長という長老の教えをうけ、安伊奴彦の先導により深江という所に到り、舟を着けたので舟津といい、この所にある山に上ると、先に消え去った長老に再び逢ったので、この山を逢山(王山)ということになったという。
この長老こそ猿田彦命で、種々教導をうけ、その神示によりこの神圭二太(御板)の神として祀り、賊の挙兵の際にこの神に祈ると、虚空より佐波矢(鯖矢)が落下し賊の魁師にあたり、神示の如く剣に血塗ることなく平定の功をなしたという。

 成務天皇4年(134)大彦命が舟津の地に勅祭され、猿田彦命を祀る御板神社に孝元天皇が合祀された。

継体天皇元年(507)詔により正税を以て両社の神殿が再建された。

 大山御板神社を上の宮、舟津神社は下の宮と称されたが、天元年中(978~83)に下の宮が火災に罹るにより、上の宮の束境に小社を建て遷され、寛仁3年(1019)下の宮の再度の焼失により上の宮に合祀された

 応永21年(1414)社殿老朽化し神主橋本宮内大輔常住は下の宮の再興をはかり、同23年これを再建し、下の宮の相殿に上の宮を祀り、正中に大彦命、左座に猿田彦命、右座に孝元天皇が祀られ、現在の三座奉祀様式となる。

寛保2年(1742)王山の東二町の地より束麓の現在地に社殿が遷された。

古くより北陸鎮護の社として朝野の篤い崇敬を受け、享保6年(1721)間部氏の鯖江入封後は祈願所とされた。
明治8年5月、県社に列格。
昭和51年9月御鎮座二千百年祭が斉行された。

本殿は、県内最大規模の五間社流造。
背面中央三間庇付。
文政3年(1820)再建。
昭和63年当初の柿葺に葺改められた。
大鳥居は、寛政21年(1800)の再建になり、平成3年に解体修理された。
拝殿は、天保4年(1833)再建の割拝殿であったが、平成3年9月27日に襲来した台風19号により倒壊し、再建準備中。
かつて境内の内外は「舟津八景」として知られていた。

福井県神社庁HPより
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20151027_153448

【由  (History)】

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

【抜粋意訳】

○福井縣 越前國 今立郡舟津村大字上鯖江

縣社 舟津神社

祭神 大毘古尊

相殿 大山御祓神社 猿田彥大神 素戔嗚尊 孝元天皇 金山彥命

 當社は式内の神社にして 今立郡 丹津神とあり、同神名帳考證に「丹〔○一本 丹作 舟津神、 河内國 常世姬神社 倭名抄云、船津布奈津」と有り
  足羽社記に、「船津 今云 上鯖江有 船津大明神 延喜式載曰 舟津神社 疑是也乎」ともあり、正しく當社は延喜式に載せられたる舟津神社にして、大毘古尊を祭る、祭神 大毘古命は孝元天皇之皇子に座して、崇神天皇、四道將軍を置かれ給ひし時、以 大彦命 北陸道にはされたる、面しで賊徒鎮撫の功を以て、成務天皇四年九月 大彦命五世の孫 市入命にして、高志の船津郷に勅祭し給ひ、依って土地の郷名に依り社號を船津神社と稱す、
其後 繼體天皇御宇迄は、社頭營繕悉く官費を以て修補し、勅願所に列せられたりと、
而して當社往古は、今の大門先 東の田の中に勧請せしを、寛保貳戌年七月 今の社地に遷し、舊社地を田となす、〔今境外有地是なり〕 田地の中に一塚を存し、上に禿倉を立てて古宮とす、面して社殿は鯖江藩主間部下総守の建立せらる所也、

南越風土記に、水落神明、水落の宿、神主瓜生氏云々、叉 類聚越前志に、郡の西北島羽村の西に在り、地東西五百七十步、南北六百九十歩にして、末また多し、社領五十石云々、
 萬葉集十七に、秋風爾河波起暫八十船津三船停とあり、

相殿 大山御神社は、延喜式に丹生郡の中に大山御祓神社同考證に「倭名抄云 三太大山祇大山祇神配 享五十猛神三太板五十猛神 按大山咋 御魂」とある神社にして、今 祭神 猿田彦大神は、大彦命 進軍の節、神勅ありて大山の峯に、を三方に建て社形と成して、に猿田彦大神を祭り、副將軍國押人命を神主に定む、とあるに因り、〔是 祠官 橋本家の遠祖也此社 寛仁二年兵火に罹り炎焼す、依って船津神社に分配せしなりと、今船津社記、にるに、大山御成神社 祭神 猿田彦大神(船津社内左鎮座)金山彦命(右孝元天皇同殿)

 往古 大彦命 北秋征伐の時、敦賀津より船にてり八田に着給ふ、其處を船橋と云ふ、夫より鹽垂長翁のに從ひ、東に向つて船を出し給ふ、長翁は猿田彦大神也、崇神天皇十年 猿田彦大神を逢山に勧請す、後是を上宮と稱す、大命四世孫 市入命 勅を受けて、成務天皇四年 今の五郎丸村の西に船津神を勧請す、之を下宮とす、寛仁の比、逢山の上社へ下社を合せ祭り、應永二十一年上社を今の社地の東に移に移し建て、寛保二年 二年壬戌,應永中 所建の社地に移す、金山彦は垂仁天皇の御宇 勧請す、もと大山の摂社なるを、貞観元年 下宮に合祭、本殿の右 孝元天皇同殿に鎮座す、逢山は大山なり云々と、面して船津 又 丹津 共稱する由社説に云へり、されど丹津はもと船津を誤れるならむと思はる 船津はもとより今立郡にして、大山は丹生郡と神名帳に出て、和名鈔にも丹生郡に三太郷を出せり、然るに大山  三太山とも稱する所の岱山は、今立郡にある事不審しけれど、船津の社説に、古は白鬼女川岱の東を巡り流れし故、川を境として、大山三太は丹生郡なりしに、中頃より河流 岱の西に移せしかば、今は今立郡にすとなり、さもあらんか、明治八年、睡社に列せらる。
社殿は本殿、拝殿、手水合、神輿庫を有し、境内千三十一坪(民有地第二種)にして、後方に古木鬱蒼たる山を負ひ、神代の境たり、且船津八景として最も人口に膾炙する所な

境内神社
 八幡神社 熊野神社 金刀比羅神社 疱瘡神社 熊谷稲荷神社

例祭日 九月十七日

神額幣帛料供進指定年月日 明治四十一年四月二十六日 告示第八十七號

氏子戶數 千五百戶

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』中,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088278

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

第十五巻 越前國 丹生郡

大山御板(オホヤマミタノ)神社
【社名】

 『神社覈録』に「大山は於保夜麻、御は三べし、〔郷名部〕三太、○往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、〔官社考〕」とある。

【所在】

 大山御坂神社に比定する説のある神社は、次の五社である。

A 鯖江市上江第三五號大山三三番地(今立郡河津村上鯖江)舟津神社に合祀。(『舟津神社社記』・『越前國官社考』)。

B 鯖江市烏第一二號板岡三一番地(丹生郡豐村鳥井)春日神社(Aと同じやうな由緒を掲げる)

C 丹生郡清水町片第六一號字宮垣内四九番地(丹生郡三方村片)八幡神社(『越前『越前神社考』)

D 丹生郡朝日町乙第一二號字神玉二四番地丹生朝日乙坂大洗崎神社(『越前名勝志』)

E 武生市三口字宮の一八番地(南條山村三口)舊 神明神社(『社記『越藩拾遺』・『越前鹿子』等)。

【論社考證】

A
 によれば「大彦命勅命を受けて超の園に来り給ふや角鹿津より御旗を挙げ八田(今丹生郡にあり)を経て舟場より東に渡らんとし航路危かりしかばを棹を投じて神に祈り給ひ(棹谷は丹生郡にありが老翁の教へによりて深江の地に向ひ給ひ和美川にて安伊奴の導を得て遂に深江の地に着し給へりに山あり 命登臨し玉ふ時に 亦鹽垂の老にめぐり逢ひふに山をけて山と云ふ 老翁 命にへて曰く 國の元名は石熊國堅  襲要鬼悉く族を討ちらんと計る 宜しく之がをなし玉ふべしと 命間ひ玉はくは誰ぞや答ひてはく 吾なり汝命の忠誠をみし此處に来り斯くふるなり 命我言を信じ玉ひてを此處に祭り玉ひなばに血らずして元忽ち滅び平らかならんと告げち失せたり 命其ひ三枚のを用ひて逢山の峰に社形を造り向の印璽を神となし猿田彦神を奉り玉ふ 即ち式内大山御坂神社なり(延喜式神名帳 大山御坂神社なり)。」といふ。

尚 舟津神社々記にも同様の記載があり、寛仁二年兵火につて舟津神社に合祀されたといふ。
・・・
・・・〈中略〉
・・・

B
 神社明細帳に「崇神天皇ノ御宇 命北陸御征討御時 當時 元大山(今鯖江ノ岱ヲ大山トモ云フ) ニ退治シ玉時 命御舟ニテ丹生郡宮崎村舟場ヨリ當地ニ御着陣アラセラン板ヲ立テラレテ軍神 武甕槌神 經津主神ノ二神ヲ玉ヒヲ退治ジ玉ヒニ神ノ不昧ナルヲアリテ御板神社ハル大山ノ玉フ延喜式神名大山神ト記載セラル(下略)」とある。

C
 『越前國名蹟考』が「大山御坂神社在片糖村 稱ニ 白山社 蓋依ニ 大山縁云歟〔越前神社考〕」とするも、現在は八幡社とし、別に五社神社ともす。新しく境内も整備され、社殿も造されてるが、燈呂鳥居の破片又舊社殿等に白山社の名をふことが出来る。附近の神社を合祀したものである。

D
 『越前名勝志』に「丹生郡。管郷三大、今三〔式〕云大山神社、今乙坂村。同じく越前國百二十六神社。私考。忍坂・今乙坂村二ヶ所是有は丹生郡川村の。」とある。

E
 『越藩拾遺錄』『南越溫故集』『越前鹿子』等の地誌は『足社記」の「三太今云三口。又延喜式所載大山板神社是ノ處乎。」との記載によつて、社を比定してゐる。
 三口の地名は現在武生市( 南條郡神山村)にあり、同字宮の一八番地に村社神明神社(祭神 天照大神座したが 明治四十一年五月十三日無格伏拜神社に合併され、同年六月二十七日伏拜神社は神明神社と改村社に列した。

以上A・B・C・D・E共に式内社と斷ずることは出来ない。

【祭神】

A 舟津神社。 大彦命孝元天皇・素佐鳴命,

殿〔大山御坂神社〕猿命。神社明細帳に登録してゐる。『神祇志料』に「蓋大古命、孝元天皇を祀る」とある。『神社覈録』に「猿田彦大神〔官社考〕」、『特選神名』に「猿田毘古命、孝元天皇。今按本社傳說(中略)神社覈録にも祭神古命とあり故今 に因て記せり。」とあつて、大山板神社の祭神として猿田古命と孝元天皇を配祀したとしてゐる。

B 春日神社。 武甕槌神・經津主神・天命・比大神。

C 八幡神社。 譽田別尊。

D 大洗磯崎神社。 大名持命少彦名命。

E  神明神社。 天照大神。

【由緒】

A 前述の通りである。舊社。

B 神社明細帳には、前引の部分にいて、「治暦四年藤原家ヲ供ニテ天屋根・比昨大神ヲ合祀セラレテ 社號ヲ春日神社
・・・
・・・(中略)
・・・

C 神社明細帳に、「人皇五十六代清和天皇 二庚寅年三月 其後六百五十四年ヲ経テ破ニ相成 永正七庚午七月 朝倉貞景本社造アリ。一、境内神社一社。白山神社(祭神 伊邪那美尊・火産靈命・武甕槌命)由緒不祥とあるのを、明治四十一年十二月九日「誤謬ニより削除」として、朱線で抹消してる。村社。

D 由緒不評。舊村社。

E 前述の通り由緒不評。村社。

【祭祀】

A 例祭 九月二十日。境内 二、六七七坪。氏子 六九九戸。宮司 橋本政英氏(本務)。

B 例祭 十月一日。境内 一、四三八坪。氏子一三○戸宮司 高橋好視氏(本務)。

C 例祭 九月十五日。境内 二九〇坪氏子六五戶。宮司 宮田哲彌氏(務)。

D 例祭 九月二十七日。境内二坪。氏子八二戶宮司 高橋正純氏(務)。

E 例祭 五月十五日。境内 六五〇坪氏子三五〇戸。宮司 西尾博英氏(本務)。

(西森清隆)

【原文】

『式内社調査報告第十五巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

舟津神社 本殿

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県重文 舟津神社本殿(ふなつじんじゃほんでん)

 祭神は大彦命(おおひこのみこと)。相殿(あいどの)に大山御板神社(おおやまみいたじんじゃ)すなわち 猿田彦命・孝元天皇・素佐嗚雄命を祀る。

 五間社流造(ごけんしゃながれづくり)。身舎(もしゃ)は正面五間・側面四間 向拝(こうはい)は正面三間・側面一間。背面中央に桁行三間・奥行二間の庇。神座三間。正側面三方に 高欄付き木口縁を設け、木階七級を付す。
 柱は身舎は円柱、向拝は方柱。組物は身舎は拳鼻付き出組、実肘木付き、中備に間斗。向拝は 出三斗、実肘木付き。背面庇が拳鼻付き平三斗。

 妻飾(つまかざり)は出組。大虹梁(だいこうりょう)の上に大瓶束(だへいづか)三本を建て、 平三斗を置き、二重虹梁を渡す。その上に大瓶束・ 両脇亥扠首、束上に出三斗を置いて棟木を受ける。 破風(はふ)の拝みに猪目懸魚(いのめけぎょ)、向拝桁等に雲型の桁隠(けたかくし)
 屋根は杮葺(こけらぶき)。大棟は笏谷石の樋棟(ひむね)。鬼板付き。

 文化十三年(一八一六)再建釿立、文政三年(一八二〇)竣功。棟札二枚の他に四百五十点に及ぶ再建修理関係文書が伝存する。昭和六十三年屋根修復にあたり桟瓦葺を改め、杮葺に復原された。

 平成十年四月二十三日福井県指定有形文化財に指定。

現地立札より

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・《境内神社》八幡神社 金山彦神社 金毘羅神社 庖瘡神社 熊谷稲荷神社 日吉神社 熊野神社 土輪神社 白山神社 稲荷神社 大日霎神社 大洗磯崎神社

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舟津神社 赤鳥居

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県重文 舟津神社赤鳥居(あかとりい)

 明神(みょうじん)鳥居。木造朱塗。柱下部笏谷石製。銅板葺。高さ四・二メートル、柱中心間隔三・四メートル。

 安永三年(一七七四)五月鯖江藩主間部詮茂(まなべあきとも)(一七三九~八六)奉納。棟梁は鯖江藩作事頭竹内次郎兵衛。同年四月十九日作事着手。五月十三日竣工、十五日殿様御柱社参あって御検分。
 『舟津記録抄』や『間部藩日記』に間部家奉納・修理の関係記事が散見し、「藁座(わらざ)」鳥居と見える。藁座とは根包から発した名称で柱の下部を土中深く埋め、これに木造鳥居をいわゆる追い掛け継ぎにして帯銅で締めてある形式を指しているのであろう。

 本鳥居は修理を要する際には、鯖江藩寺社奉行にその旨を届けると、作事方より来社して屋根葺替等をすることになっていた。天明五年(一七八五)、寛政十一年(一七九九)に屋根修理があり、次いで文政六年(一八二三)積雪転倒により解体修理されている。平成十年四月二十三日 本殿と共に福井県指定有形文化財に指定

現地立札より

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・手水舎

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舟津神社 大鳥居

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県重文 舟津神社大鳥居(おおとりい)

 寛政十二年(一八〇〇)再建の木造両部鳥居(りょうぶとりい)。枠差(わくざし)鳥居ともいう。島木(しまぎ)・笠木(かさぎ)の上に屋根を付ける越前型(えちぜんがた)の典型的なもの。﨔材。板葺。総高六・五八メートル、柱中心間隔四・七七メートル。

 江戸後期における白木・木造鳥居の現存遺構は少なく、建築的意匠も優れ、再建・修理関係文書も大量に遺されていて、年代・棟梁名 その他も明らかにでき貴重である。

 寛政七年(一七九五)四月再建の決定をみ、爾来五年の準備の末、同十二年釿立(ちょうなたて)、七月三十日 棟揚、八月二日竣功した。棟梁は小黒町村 大工重兵衛等三人棟梁、木引は鯖江町木屋市平。文化元年(一八〇四)二月廿日楊揚賀祭、槌供養齋行。

 天保十年(一八三九)、安政二年(一八五五)、昭和三十三年(一九五八)等に修理され、ことに安政時のは大修理で、十分の一板図も遺されている。昭和六十一年三月二十八日福井県指定有形文化財に指定。平成二年十二月解体・復原修理、三年九月十 九日竣功した。

現地立札より

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・〈御神鏡〉遭慶橋〈平成23年奉納

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・〈社頭〉第一鳥居

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・〈参道〉石燈籠

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徳川家ゆかりの石燈籠

 江戸時代初期、舟津神社の鎮座する上鯖江村はね幕府領(天領)であった。この石灯籠は、・・・・以下略

現地案内板より

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・舟津神社の社叢

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈舟津神社 旧御鎮座地〉古宮(鯖江市宮前)

〈寬保二年(1742)現在の地に遷座〉

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祠の紋様は 御神紋「三光」

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

①《相殿》大山御板神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ]大山御板神社
[ふ り が な ](おほやまみたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohoyamamiita no kaminoyashiro

《本殿》舟津神社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)今立郡 14座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ]丹津〈舟津〉神社
[ふ り が な ]につ〈ふなつ〉の かみのやしろ)
[Old Shrine name]Nitsu〈Funatsu〉 no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社〔7社〕について

・舟津神社(鯖江市舟津町)
〈相殿に大山御板神社を祀る〉

・春日神社(鯖江市鳥井町)

・八幡神社〈五社宮〉(福井市片粕町)

・大洗磯崎神社(丹生郡越前町乙坂)

・神明神社(越前市三ツ口町)
〈明治41年 現 神明社(越前市若竹町)に合祀〉

・神明神社〈上総社〉(越前市若竹町)
〈明治41年 神明神社(越前市三ツ口町)を合祀〉

・越知神社(丹生郡越前町大谷寺)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

ハピラインふくい線 鯖江駅から南下して約650m 徒歩での所要時間9~12分程度

駐車場はあります

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舟津神社(鯖江市舟津町)に参着

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一礼をして一の鳥居をくぐり抜けると 古社の趣のある参道を進むことになります 御神橋の先には二の鳥居が建ちます

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参道の木立の中に「大鳥居」〈寛政十二年(一八〇〇)再建の木造両部鳥居(りょうぶとりい)〉が建ち くぐり抜けて行きます

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石燈籠があり その先には「赤鳥居」〈安永三年(一七七四)五月鯖江藩主間部詮茂(まなべあきとも)(一七三九~八六)奉納の明神鳥居

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「赤鳥居」の扁額には゛舟津神社゛と記されています

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鳥居をくぐり抜けると
石燈籠の先 本殿の前には 建物の土台が残っています これは割拝殿の土台1991年台風で倒壊してしまったとの事です

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従って拝殿はなく 本殿にすすみます

五間社の神社本殿は非常に少なく貴重です 平成十年四月二十三日福井県指定有形文化財に指定されています

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 割拝殿の土台を抜けて境内を戻ります

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参道を戻ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大山御板神社について 所在は゛往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板神社

大山は於保夜麻、御板は三太と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕三太

○祭神 猿田彦大神〔官社考〕

○往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、〔同上〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

式内社 舟津神社について 名称は゛布奈都(ふなつ)と訓べし゛とあり 所在は゛船津郷束鯖江村に在す、゛〈現 舟津神社(鯖江市舟津町)〉と記しています

【抜粋意訳】

舟津神社

舟津は 布奈都と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕船津、〔假字上の如し〕

○祭神 大彦命〔社家説〕

○船津郷束鯖江村に在す、

例祭

神位 惣神分云、正五位 船津神、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大山御板神社について 所在は゛ 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板(オホヤマミタノ)神社、

 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、〔福井藩神社取調帳、敦賀縣神社調〕

 大毘古命、孝元天皇を祀る、〔本社傳説 ○按 傳説云、昔大毘古命 高志の賊を伐時、猿田彦命の神教を得て 之を平く、依て社を建て之を祭る、諸書 皆此説に從ふ、然れども孝元天皇を祭るを以て之を考るに、猿田彦命 大毘古命と其名 相似るを誤るものなる事著し、故今之を訂す、〕

凡 其祭九月九日之を行ふ、〔明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

式内社 舟津神社について 名称は゛舟を丹に作る誤れり゛とあり 所在は゛今 舟津郷の東上鯖江村にあり、舟津明神といふ、゛〈現 舟津神社(鯖江市舟津町)〉と記しています

【抜粋意訳】

舟津(フナツノ)神社、

○按 本書、舟を丹に作る誤れり、今 一本 及 和名鈔 船津郷あるに據て之を訂す、

 舟津郷の東上鯖江村にあり、舟津明神といふ、越藩拾遺神名帳考證土代、明細帳〕

凡 其祭四月二十二日、九月九日を以て之を行ふ、〔敦賀縣神社取調帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大山御板神社について 所在は゛上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板神社

祭神 猿田毘古命 孝元天皇

今按 本社傳說に祭神右の如し  大毘古命 高志の國を伐つ時 賊ありて要擊せんとす 然るに田毘古神の神に因て其賊を討平げ 終に社を建て之を祭るとみえ 神社覈録にも祭神 猿毘古命とあり 故今 社傳に因て記せり

祭日 四月二十二日 九月九日至十一日
社格 縣社

所在 上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)

 今按 本社往古は逢山の嶺に鎭座ありしを 至徳四年以來の戰に兵焚に罹りしを以て 應永二十一年 舟津神社に合せ祭る 此社をもと上宮と稱し 舟津社を下宮と稱し 今に神輿二基ありて秋祭に渡御し奉るとみえ 本社に孝元天皇を祭り 舟津社に大毘古命を祭れるは もとより由緣ありての事なれど舊址に神社を再興あらまほしき事なり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

式内社 舟津神社について 名称は゛丹は舟の誤なる事著し 故 今之を訂す゛とあり 所在は゛舟津郷上鯖江村 (今立郡舟津村大字上鯖江)゛〈現 舟津神社(鯖江市舟津町)〉と記しています

又 旧鎮座地は゛往古は當地を距る事三丁程東に當て田地の中に鎭座゛〈現 舟津神社 旧御鎮座地(鯖江市宮前)〉であると記し 遷座については゛寬保二年(1742)今の地に遷す゛とあります

【抜粋意訳】

津神社  舟津大明神

祭神 大彥命

今按 神名式 舟津の舟を丹に作る されど和名抄に船津郷あり 今も同郷の鯖江村にありと云へば 丹は舟の誤なる事著し 故 今之を訂す

祭日 八月十五日
社格 縣社

所在 舟津郷上鯖江村 (今立郡舟津村大字上鯖江)

 今按 明細帳に 往古は當地を距る事三丁程東に當て田地の中に鎭座 寬保二年今の地に遷すと云ふ

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

舟津神社(鯖江市舟津町) (hai)」(90度のお辞儀)

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