温泉石神社(ゆのいし/おんせんいし/じんじゃ)は 承和四年(837)この地に大噴火が起り 雷が響きふるえ昼夜止まず 周囲二十余尺の大石の根本から温泉〈その色水漿の如し〉が流れ出した この石を温泉石神社として祀ったのが始まりと云う 延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)です

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目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
温泉石神社(Yunoishi shrine)
【通称名(Common name)】
・御湯神様(おゆじんさま)
【鎮座地 (Location) 】
宮城県大崎市鳴子温泉字川渡91番地
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》大己貴命(おほなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 国史見在社(こくしげんざいしゃ)
〈六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載されている神社〉
【創 建 (Beginning of history)】
由緒
温泉石神社は約壱千百年前に作られた「延喜式神明帳」に 玉造郡三座の一として登載されている延喜式内神社である
承和四年(八三七年)この地に大噴火が起り雷響き振へ晝夜止まず 周囲二十余尺の大石の根元より温泉河に流れその色水漿の如しと 依つてこの石を温泉石神として祀り鳥居だけがあった 其の石上に承和十年神社を建立し 大汝貴命 少彦名命を祀り土地の人達この状を具して朝廷に奏し 明治七年大口村 の鎮守神として村社に列せらる 民生の安定 五穀豊穣祈願 天然の温泉の神恵を感謝して 毎年祭典が執り行われている
歳旦祭 一月一日
どんと祭 一月十五日
例 祭
七五三祭 十一月十五日現地案内板より

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由緒
温泉石神社由緒 温泉石神社は約壱千百年前に作られた「延喜式神名帳」に玉造郡三座の一として登載されている延喜式内神社である 承和四年(八三七年)この地に大噴火が起こり雷響き振へ晝夜止まず 周囲二十余尺の大石の根元より温泉河に流れ其の色水漿の如しと依ってこの石を温泉石神として祀り鳥居だけがあった 其の石上に承和十年神社を建立し大汝貴命(オオナムチノミコト)少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀り土人状を具して朝廷に奏し明治七年七月大口村の鎮守神として村社に列せられる 民生の安定 五穀豊穣祈願 天然の温泉の神恩を感謝して毎年七月二十二日が例祭日となっている
昭和五十六年九月吉日
温泉石神社 宮司 高橋久俊 謹書現地石碑文より

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※「その色 水漿の如し」とある漿(しょう/おもゆ/しる)とは
濃漿(こんず)をいう 粟を醸(かも)した酒である やや酢い味のさけ また おもゆ 飲料などの総称として用いる 水を神に供えるときには 玄酒という
温泉石神社(ゆのいしじんじゃ)
藤島旅館の北側にはとても古い、温泉にまつわる神社があります。藤島家の当主が代々総大長を担い、管理してきた神社になります。参道から鳥居を抜けると左側に階段があり、登ると境内に辿り着きます。約1100年前に作られた「延喜式神名帳」にも登載されている由緒正しい神社になります。全国に温泉に関する神社は10社あると言われますが、この温泉石神社はそのうちの一つです。もう一つ「温泉神社」が鳴子温泉にもあります。10社のうち2社が近くにあるというのも珍しいのではないでしょうか。この辺りは本当に昔から温泉がたくさん出る場所だったんですね。
温泉石神社の由来にある温泉の色「漿(おもゆ/しる)」は、現在の藤島旅館の泉質である含重曹芒硝-硫黄泉の色の特徴とも合っていると思います。
「藤島旅館」HPより抜粋
https://fujishima-ryokan.com/history
【由 緒 (History)】
由緒
当社は、玉造郡鳴子町に鎮座しており、大己貴命、少彦名命をお祀りしている。延喜式の神社なり。
仁明天皇の御宇承和四年、雷響き振へ晝夜止まず、温泉河に流れ其の色水漿の如としと。依って其の石上に神を祀り、土人状を具して朝廷に奏し、明治7年7月村社に列せらる。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
温泉石神社(おんせんいしじんじゃ)
由緒
温泉石神社は約壱千百年前に作られた「延喜式明神明帳」に、玉造三座の一社として、登載されている延喜式内神社であす。
承和4年(837年)この地に大噴火が起り、雷響き振へ昼夜止まず、周囲二十余尺の大石の根元より温泉河に流れ、その色水漿の如しと依って、この石を温泉石神として祀り鳥居だけがあった。
其の石上に承和10年神社を建立し、大己貴神、少彦名神を祀り、土地の人等この状を具して朝廷に奏し、明治7年大口村の鎮守神として村社に列せられる。
宮城県神社庁HPより
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020465
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿

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・参道に祀られる石

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・土井晩翠〈滝廉太郎作曲「荒城の月」の作詞家〉の歌碑
千年の 歴史をほこる 川渡の いでゆの夕 なく杜鵑(ほととぎす) 晩翠
土井晩翠が「藤島旅館」に逗留〈大正11年〉の時 請われ詠んだと云う

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・鳥居

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・参道入口

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『續日本後紀(Shoku nihon koki)〈貞観11年(869)完成〉』に記される伝承
承和四年(八三七年)に大噴火が起こり 玉造塞の温泉石神が 雷の如く響震て昼夜止事なく 山を燒き谷を塞ぎ 石を崩し木を折りなど 種々の災ある由を国司に奏して 勅して此神を齋鎭め奉られたと記しています
【抜粋意訳】
卷五 承和四年(八三七)四月戊申〈十六〉
○戊申
陸奧國言す 玉造の塞温泉の石神 雷に響振て動 晝夜不止 温泉流て河に其の色 漿(しょう)の如く 加以ならす 山燒谷塞の石崩 折れ木 更に作に新沼を 沸聲如雷の如く 此奇恠不可勝て計ふ 仍て仰て國司 鎭に謝し災異を教に誘す夷狄を
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
玉造温泉神は 温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)であるとも鳴子温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)であるとも 云われています
【抜粋意訳】
卷十三承和十年(八四三)九月庚寅〈五〉
○九月丙戌朔庚寅
奉授に 陸奧國
從五位下 多久都神正五位下
勳九等 伊波止和氣天神
无位 玉造温泉神
无位 伊佐酒美神 並に 從五位下を
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス『続日本後紀』(869)貞観11年完成 選者:藤原良房/校訂者:立野春節 刊本 寛政07年[旧蔵者]内務省https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000047680&ID=&TYPE=&NO=
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東山道 382座…大42(うち預月次新嘗5)・小340[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)陸奥國 100座(大15座・小85座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)玉造郡 3座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 温泉石神社(貞)
[ふ り が な ](ゆのいつみの いしの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Kusanaki no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
『延喜式神名帳』に記される 「玉造・玉作」(たまつくり)に関連する神社について
「玉造・玉作」(たまつくり)を郷名や社名に持つ式内社について いずれも温泉や泉と深く関わっています
延喜式内社 出雲國 意宇郡 玉作湯神社(たまつくりゆの かみのやしろ)
・玉作湯神社(玉湯町玉造)
延喜式内社 伊豆國 田方郡 玉作水神社(たまつくりのみの かみのやしろ)
・玉作神社(沼津市黒瀬町)
・愛鷹神社(三島市三好町)
・神明宮(三島市平田)
延喜式内社 近江國 伊香郡 玉作神社(たまつくりの かみのやしろ)
・石作神社・玉作神社(長浜市木之本町千田)
延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉神社(ゆのいつみの かみのやしろ)
・温泉神社(大崎市鳴子温泉字湯元)
延喜式内社 陸奥國 玉造郡 温泉石神社(貞)(ゆのいつみのいしの かみのやしろ)
・温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)
玉造部(たまつくりべ)の祖神 玉祖命(たまのおやのみこと) 同神〈・豊玉神(とよたまのかみ)・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)〉を祀る式内社について
延喜式内社 甲斐國 山梨郡 玉諸神社(たまもろの かみのやしろ)
・玉諸神社 奥宮(甲州市塩山竹森)
〈玉諸神社(甲州市塩山竹森)の奥宮(御神体)〉
・玉諸神社(甲州市塩山竹森)
延喜式内社 周防國 佐波郡 玉祖神社二座(たまのをやの かみのやしろ ふたくら)
・玉祖神社(防府市)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR陸羽東線 川渡温泉駅から南下して江合川を渡ります

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鳴子温泉郷の中でも最も歴史のある川渡温泉の旅館街を走る旧道の突き当りに「藤島旅館」があり その北側に細い参道が在ります

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「藤島旅館」の横に「温泉石神社」の案内板があり 参道の入口となっています

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温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)に参着

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細い参道を進むと石鳥居が建ちます

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「藤島旅館」の塀に沿って石段があり 上がって行くと参道の脇には石が祀られています

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石段を上がると境内があり 拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして 参道を戻ります

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 温泉石神社について 所在は゛大口村川度に在す゛〈現 温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〉と記しています
【抜粋意訳】
温泉石神社
溫泉は前に同じ、石は伊波と訓べし、
〇祭神 少彦名命〔頭注〕
〇大口村川度に在す、〔参拝録、参考〕
例祭 月 日〇當郡 温泉神社もあり
観迹聞老志云、石神社、在に大口村、其地川渡〔訓に阿波多比〕有に溫泉、所謂溫泉石神社是也、
雑事
續日本後紀、承和四年四月戊申、陸奥國言、玉造塞溫泉石神雷響振、晝夜不止、溫泉流れ河 ,其色如 漿 ,加以山燒谷塞、石崩折れ木、更作に新沼、沸馨如雷、如此奇在恠、不可に勝計、仍仰に國司、鎭に謝災異、教に誘夷狄、
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 温泉石神社について 所在は゛大口村 川度(カハタビ)温泉堂下に在り゛〈現 温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〉と記しています
【抜粋意訳】
温泉石神(ユノイシカミノ)社
また玉造石神と云ふ、〔續日本後紀〕
今 大口村 川度(カハタビ)温泉堂下に在り、土人之を温泉神、又 石神と
云ふ、〔奥羽観迹聞老志、封内風土記、巡拝舊祠記〕
仁明天皇 承和四年四月戊申、陸奥國言さく、玉造塞の温泉石神 雷の如く響震て夜晝止事なく、山を燒き谷を塞ぎ、石を崩し木を折りなど、種々の災ある由を奏せしかば、勅して此神を齋鎭め奉らしめ給ひ、十年九月庚寅に至て始て無位玉造温泉神に從五位下を授く即是也、〔續日本後紀〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 温泉石神社について 所在は゛大大口村〔字川度〇今属 陸前國〕(玉造郡温泉村大字大口)゛〈現 温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)〉と記しています
【抜粋意訳】
温泉石神社
祭神 大名持命 少彦名命
祭日 三月七月二十二日
社格 村社所在 大口村〔字川度〇今属 陸前國〕(玉造郡温泉村大字大口)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
温泉石神社(大崎市鳴子温泉字川渡)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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