
実践和學 Cultural Japan heritage
阿波神社(伊賀市下阿波)〈『三代實録』阿波神『延喜式』阿波神社〉
阿波神社(あわじんじゃ)は 『三代實録』貞観三年(861)四月十日 伊賀國 正六位上 阿波神に從五位下を授け 同十五年(873)九月己丑 從五位上に進め給ふ」・『延喜式』伊賀國 山田郡 阿波神社(あはの かみのやしろ)と由緒ある古社で 中古は阿波大明神・杉尾白髭大明神と呼ばれました 明治15年に郷社に列しています
粟神社(あわじんじゃ)は 『粟神社記』に「第6代孝安天皇の御代 平間山麓の百舌ヶ原に少彦名尊と高皇産霊尊が降臨し少彦名尊が祀られたのが粟神社 高皇産霊尊が祀られたのが兜神社(旦椋神社)とある」延喜式内社 山城國 綴喜郡 粟神社(あはの かみのやしろ)です
大津神社(泉大津市若宮町)〈明治41年(1908)合祀『延喜式』粟神社〉
大津神社(おおつじんじゃ)は 鎌倉時代以来「若宮八幡宮」と称したが 明治41年(1908)宇多神社・神明神社・菅原神社の三社を合祀 事代主神社を境内社に合併 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地 粟神社跡(式内町)から境内に移築した際「大津」の総鎮守として「大津神社」と改称しました
粟神社跡(泉大津市式内町)は 神社合祀令によって明治41年(1908)大津神社に合祀された 延喜式内社 和泉國 和泉郡 粟神社(あはの かみのやしろ)の旧鎮座地です 祭神は「天太玉命」を祀り「粟直」の祖と云われ安房國安房郡 安房坐神社〔名神大月次新嘗〕と同神であると伝えられています
石津神社(いしづじんじゃ)は 起源は古く 人皇五代孝昭天皇(西暦前475)の御宇7年8月10日、勅願により創建されたと伝えています 人皇十一代垂仁天皇の御宇 天穂日命14世孫 野見宿禰を当宮の神主と定めたと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)の論社です
石津太神社(堺市西区浜寺石津町中)〈『延喜式』石津太社神社〉
石津太神社(いわつたじんじゃ)は 太古 蛭子命が 葦船に乗せられ漂着されたと伝承される聖地(石津浦)が現在の御旅所〔発祥の地〕孝昭天皇7年(紀元前469年)創建と伝え 孝徳天皇が白雉3年(653)孝謙天皇も天平勝宝元年(749)に参拝したと云う 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 石津太社神社(いはつたの かみのやしろ)です
美多彌神社(みたみじんじゃ)は 創建年代等詳らかではありませんが 延喜式内社 和泉國 大鳥郡 美多彌神社(みたみの かみのやしろ)と伝わります 南北朝時代には 楠木正成の守護神として崇められ広大な境内に大樹が生い茂り堂々とした神社でしたが 天正5年(1577)兵火にかかり消失し文禄元年(1592)本殿が再建されました
美歎神社(鳥取市国府町美歎)〈『三代實録』美歎神『延喜式』美歎神社〉
美歎神社(みたにじんじゃ)は 『三代實録』貞観十六年(八七四)「因幡国従五位下 美歎神に従五位上を授く」とあり 又『延喜式』因幡國 法美郡 美歎神社(みたにの かみのやしろ)です 元々は昔 因幡山の頂上付近 屋敷鳴に氏神として祀られていたが 金内(屋敷谷)に移転更に現在地に奉遷されたと云う
御谷神社(みたにじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 御谷神社(みたにの かみのやしろ)と伝わります 鎮座する浄土谷宮ノ谷の一帯は 平安時代以前に開かれたらしく「観音檀(かんのんだん)」からは九世紀の千手観音立像が出土し「釈迦(しゃか)ん谷」「たいこん堂」「欄杆房(なんかぶ)」などの地名も残っています
櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〈『三代実録』宗像・櫟谷神『延喜式』櫟谷神社〉
櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)は 『三代実録』貞觀十二年(870)「葛野鋳銭所に近い宗像・櫟谷・清水・堰の小社五神に 新たに鋳造した銭を奉納した」とあるように 宗像社・櫟谷社は元々独立した別々の社でした 又 櫟谷社は『延喜式』に山城國 葛野郡 櫟谷神社(いちいたにの かみのやしろ)とある延喜式内社です
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