山戸春日神社(やまと かすがじんじゃ)は 神功皇后が三韓征伐の帰路に 麛坂王・忍熊王の二王の謀反に遭い この地に上陸され兵を募り軍備を整えられたと云う 往古は海浜の一部落で前方白波を堪うるを以て社号「阿波庭神社」と称したあり 延喜式内社 播磨国 揖保郡 阿波庭神社(あはての かみのやしろ)の論社です
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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
春日神社(Kasuga shrine)
【通称名(Common name)】
山戸春日神社(Yamato kasuga shrine)
【鎮座地 (Location) 】
兵庫県姫路市勝原区山戸字北垣内297
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》天照大神(あまてらすおほかみ)
《配》武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
・家内安全・交通安全・学業成就
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
山戸春日神社
山戸春日神社周辺は、2000年程前から先人達が集落を形成してこの地に居を構えていたと確認される。
紀元前890年神功皇后三韓征伐の帰路に、魔坂・忍然の二王の反逆に遭い、この地に上陸され兵を募り軍備を整えられたといわれている。これらのことから当山戸が神領といわれる由縁である。また江戸時代には天領であった。
記録によれば僧願正がこの地の春日明神に草庵を結び総佛を安置し村人に慕われていた。時に、清和天皇の後胤 式部小輔景明、阿賀の津に滞在する 村人達これを請うて山戸村春日明神の社務として迎え、草庵を譲った。この土地は、往古海浜の一部落にして前方白波を堪うるを以て社号「阿波庭神社」と称する様になった。
天保4年(1833)に現在の本殿を新築して春日神社に改名した。
明治7年(1874)には村社となり。
明治9年(1876)に表石垣・石段を設け。
明治39年に前殿・玉垣を設け境内の整備を進める。
昭和45年には、屋根替、社務所を建立し現在に至る。・・・
・・・
攝末社 金毘羅神社・八幡神社・稲荷神社現地案内文より
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【由 緒 (History)】
由 緒
山戸春日神社は、播磨平野の南西部にあって今より二千年程前から先人達が集落を形成してこの地に居を構えていたと確認される。
紀元890年神功皇后三韓征伐の帰路に、魔坂・忍然の二王の反逆に遭い、この地に上陸され兵を募り軍備を整えられたといわれている。これらから当山戸天領や神領といわれる由縁であると思われる。
記録によれば僧願正がこの地の春日明神に草庵を結び総佛を安置し村人に慕われていた。時に、清和天皇の後胤式部小輔景明、英賀の津に滞在するを村人達これを請うて山戸村春日明神の社務として迎え、草庵を譲った。
この土地は、往古海浜の一村落にして前方白波を堪うるを以て社号「阿波庭神社」と称する様になった。
天保4年(1833)に現在の本殿を新築して春日神社に改名した。明治7年(1874)には村社となり明治9年(1876)に表石垣・石段を設け、明治39年に前殿・玉垣を設け境内の整備を進める。
昭和に入り45年には、屋根替、社務所を建立し現在に至っている。
2008 兵庫県神社庁HPより
https://www.hyogo-jinjacho.com/data/6316137.html
春日神社
拝殿・幣殿・瓦葺一間社流造リの本殿からなり、八幡・稲荷・金刀比羅の摂社がある。
延喜式内社の阿波庭神社であったという。
境内には嘉永元年 (ー八四八)の狛犬、嘉永二年の常夜燈及び絵馬や、安政期 (一八五四〜六〇 )の手洗い石がある。
平成一四年三月 姫路市教育委員会
現地立札より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿
〈社殿の向かって左に境内社〉・金毘羅神社・八幡神社・稲荷神社
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・境内
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・石碑
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陽道140座…大16(うち預月次新嘗4)・小124[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)播磨國 50座(大7座・小43座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)揖保郡 7座(大3座・小4座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 阿波庭神社
[ふ り が な ](あはての かみのやしろ)
[Old Shrine name](Ahate no kaminoyashiro)
【原文参照】
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国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 播磨国 揖保郡 阿波庭神社(あはての かみのやしろ)の論社
・中臣印達神社(たつの市揖保町中臣)〈中臣印達神社に合祀 阿波庭神社〉
・夜比良神社(たつの市揖保町揖保上)
・山戸春日神社(姫路市勝原区山戸)
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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR山陽本線 はりま勝原駅北口から線路沿いに西へ約1.4km 車で約3分 山戸公民館辺りで車を降りて北へ進みます
山戸春日神社(姫路市勝原区山戸)に参着
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一礼をして鳥居をくぐり境内へ進みます
境内は 二段になっていて 低い方は子供の遊具〈ブランコ〉なども設置されていて 近隣の憩いの場になっているようです
上段は 石垣の上に 玉垣が巡らされており 社殿が建てられています
神社の案内には
゛この土地は、往古海浜の一村落にして前方白波を堪うるを以て社号「阿波庭神社」と称する様になった゛とあるので
この辺りが 海岸線であったのかもしれません
石段を上がり
拝殿にすすみます
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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
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境内社は社殿の向かって左手奥に祀られていて その手前に案内板があり
延喜式内社 阿波庭神社であったという と記されています
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社殿に一礼をして 石段を下ります
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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 阿波庭神社について 祭神・所在は不明 と記しています
阿波庭を阿波遅と記す本もある と記しています
【抜粋意訳】
阿波庭神社
阿波庭は 假字也、兼永卿本作に阿波遅、〔秘釋云、作 庭非〕
〇祭神在所詳らず
此保古に、淡道之穂之狹別烏靈欺、と云るは、例の杜撰なれど、古本みな阿波遅とあれば、淡路の緣は遁れざるべし、
【原文参照】
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鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 阿波庭神社について 阿波庭を阿波遅と記す本もある と記しています
【抜粋意訳】
阿波庭(アハテ)神社
〇按 本書異本、庭を遅に作る
【原文参照】
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栗田寛 著『神祇志料』第18−21巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815498
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 阿波庭神社について 祭神・所在は不明 と記しています
゛揖西郡中陣村 藏王権現の境内に社跡あり 廃絶とみえたり゛廃絶と記しています 揖西郡中陣村 藏王権現とは〈現 中臣印達神社(たつの市揖保町中臣)〉のことです
【抜粋意訳】
阿波庭神社
祭神
祭日
社格所在
今按 この社 龍野志に爽所不知考ふへし 播陽事始に中陣村に社跡ありとみゆ 注進狀に揖西郡中陣村 藏王権現の境内に社跡ありと云へるを合せ考るに 廃絶とみえたり
【原文参照】
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教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
中臣印達神社(たつの市揖保町中臣)について 縣社と記し
式内社の論社として・林田八幡神社(姫路市林田町)も挙げています
中臣印達神社(たつの市揖保町中臣)の境内に 式内社 阿波庭神社もあったが今は廃絶とも記しています
【抜粋意訳】
〇兵庫縣 播磨國 揖保郡揖保村大字中臣村
縣社 中臣印達(ナカトミイダテノ)神社
祭神 五十猛(イタケルノ)命
本社は舊 雑王権現 又は 中陣明神とも稱す、創建は光仁天皇 寶龜元年六月にして、萬延元年、脇坂中務少輔安宅再建し奉る、
延喜の制 小社に列せられ、新抄格勅符抄に、大同元年神封五戸を寄せられし古社にして、古來 近郷四ヶ村の産土神たり、播磨國式内神社考に云く、「今 雑王権現と唱ふ、揖西郡中陣村〔龍野に近し〕にあり、〔〇中略〕中陣村、出屋鋪、吉田村、山下村、四ヶ村の産社なり、祭主山伏實相院、
榮亮曰く、印達神社は中陣にてはなし、揖東郡林田東之宮 今は八幡宮と唱ふ」明治七年二月、村社に列し、十二年五月五日、縣社に昇格す。
社殿は本殿、拜殿、舞殿、神供所、及社務所を備へ、境内は二千八百七十五坪 (官有地第一種 )あり。
大日本地名辞書に云く、「中臣印達神社は、新抄格勅符抄に、大同元年中臣神々封五戸の事見え、今中臣の中陣明神是なり、中陣とは中臣の訛とす、播州神社記に太神二十四社のーなる射楯太神 蓋是のみ、後を姫路の射楯神に比すれば甚々衰へぬ、田問わっかに小祠を見るのみ、播磨事始に 延喜式阿波庭神社も中陣に在りしが、今亡びぬと云ふ」
境内神社
阿波庭神社 嚴島神社 天満神社 藥司神社
【原文参照】
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明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
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明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
山戸春日神社(姫路市勝原区山戸)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)
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