宇留布津神社(松阪市腹太町)〈『延喜式』宇留布都神社〉

宇留布津神社(うるふつじんじゃ) 神社名゛字留布都(うるふつ)゛は(うるふと)となり 鎮座地の腹太(はらふと)に訛ったとする説があります 延喜式内社 伊勢國 多氣郡 宇留布都神社(ふるふつの かみのやしろ)の論社 明治42年(1909玉神社(六根町)に合祀され 昭和10年(1935)旧社地に分祀されたものです

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

宇留布津神社(Urufutsu shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

三重県松阪市腹太(はらふと)町 658-3

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主祭神》埴安姫命(はにやすひめのみこと)

合祀神大綿津見命(おほわたつみのみこと)〈合祀 佐々波神社の祭神〉

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『勢陽五鈴遺響』に記される内容

【抜粋意訳】

腹太

 前野の乾位にあり 正稅二百五十四石津領なり 腹太の名義は 宇留布都の轉訛なりをの字ると通音つの字との通音にして 神社の名に據て舊名 字留布都なるを腹太と後世に轉すなり 本邑は飯野及本郡の界にあり二郡に隷れり 神風抄云 內宮腹太御園

式內 字留布都神社

 同處にあり 方俗生土神と稱す 祭神 塡安神

【原文参照】

安岡親毅 著『勢陽五鈴遺響』9,伊東太三郎,1903. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991425

【由  (History)】

『飯南郡史』に記される内容

【抜粋意訳】

第五章 社寺遍 第二項 神祠 卅五、村社 大國玉神社

・宇留布津神社跡

腹太字里にあり、填安姫命を祭る、同前〈同四十年十月大國玉神社へ合祀の許可を得て同四十二年二月二日合祀祭を執行せり〉

【原文参照】

中林正三 編『飯南郡史』,飯南ト人材編纂会,大正5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/955842

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

玉神社(松阪市六根町)

玉神社(松阪市六根町)は 明治42年(1909)井口中の須賀神社・中河原の仲神社腹太の宇留布津神社保津の天香山神社新開の室垣不知元神社魚見の魚見神社川島の魚海神社東久保の宇気比神社をそれぞれ合祀しまし

 その後 昭和10年(1935)先に合祀した須賀神社他八社を氏子崇敬者の熱意により旧社地に分祀しまし

・大国玉神社(松阪市六根町)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢國 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)多氣郡 52座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 宇留布津神社
[ふ り が な ]うるふつの かみのやしろ
[Old Shrine name]Urufutsu no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 多氣郡 宇留布都神社(ふるふつの かみのやしろ)の論社について

・宇留布津神社(松阪市腹太町)

・宇気比神社 古社地(明和町内座)
〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉

・畠田神社(明和町中村)
〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉〉

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

近鉄山田線 斎宮駅から北上 県道60号経由で約5.0km 車で10分程度

境内入口は南向きです

宇留布津神社(松阪市腹太町)に参着

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クランクになっている境内参道には 鳥居が建てられています

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 宇留布都神社について 所在は゛腹太村に在す、゛〈現 宇留布津神社(松阪市腹太町)〉と記しています

【抜粋意訳】

宇留布都神社

宇留布都は假字也

○祭神詳ならず

〇腹太村に在す、、俚諺 飯野郡に属す

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 宇留布都神社について 所在は゛今 内坐村の乾 宇呂豆の東に産神社あり゛〈現 宇気比神社 古社地(明和町内座)〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉〉と記しています

【抜粋意訳】

宇留布都(ウルフツノ)神社

内坐村の乾 宇呂豆の東に産神社あり、盖是也、〔伊勢式内社検録 〇按 宇呂豆の畑林に舊社地あり、大日堂を設けて、宇呂豆の大日と云、それより二許町東に、産神社あるは、後に移せるもの也と云り、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

栗田寛 著『神祇志料』第10,11巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815495

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 宇留布都神社について 所在は゛腹太村に在りと雖も證なし゛〈現 宇留布津神社(松阪市腹太町)〉とされるが証拠がなく ゛検録に内座村の乾位にウズロと字する畑林あり・・是れ舊跡にやと云へり゛〈現 宇気比神社 古社地(明和町内座)〈畠田神社に合祀 宇気比神社(明和町内座)〈宇留布都神社の論社〉の旧鎮座地〉〉ではないかとも記しています

【抜粋意訳】

宇留布津神社

祭神
祭日
社格

所在(合併)

 今按るに 腹太村に在りと雖も證なし 検録に内座村の乾位にウズロと字する畑林あり 林を宮地なりける由を傳ふ 是れ舊跡にやと云へり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

宇留布津神社(松阪市腹太町) (hai)」(90度のお辞儀)

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伊勢国 式内社 253座(大18座・小235座)についてに戻る

 

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