大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)〈『延喜式』大朝神社〉

大宮神社(おおみやじんじゃ)は 正面方向に縄文時代の゛上白岩遺跡゛があり 地名も゛元村゛の名があり 当地方での最古の歴史をもつ神社であると云われます 弘安三年(1280)の棟札がある古社で 旧 下大見村の里人から大朝神社と崇敬される 延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)の論社です

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

大宮神社(Ohomiya shrine

通称名(Common name)

・大朝神社(おおあさじんじゃ)
江戸時代以前の呼称白岩大朝神社(しらいわ おおあさじんじゃ)

【鎮座地 (Location) 

静岡県伊豆市上白岩(かみしらいわ)422

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おほなむちのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

大宮(おおみや)神社

鎮座地 中伊豆町上白岩四二二番地

御祭神
 大己貴命(おおなむちのみこと)・大國主命(おおくにぬしのみこと)
 大山咋命(おおやまくいのみこと)

例祭日 一〇月十八日

由 緒

当神社の創建は詳かではないが、古来 式内社 白岩大朝神社と呼稱され、古い棟札が多数保存されているが 最古の棟札は弘安三年(一二八〇)があり、神録によれば神社は日吉山王二一社の祖神であり、

境内社に来宮神社、八幡神社、山神社、熊野神社、姥神社、諏訪神社、水神社、金刀羅神社、稲荷神社、が祭祀され 神社近くに縄文時代の遺跡が発掘されており歴史をしのぶ由緒ある神社である。

現地立札より

Please do not reproduce without prior permission.

【由  (History)】

『伊豆鏡大正3年(1914)〉に記される内容

大正3年(1914)〉当時の写真も掲載されています 今の参道から鳥居に向けて撮影されています

【抜粋意訳】

下大見村 大宮神社

 下大宮村 大宮神社は 此村の總鎮守にして 式内 大朝神社ならん乎
此邊を大見と云は 麻績の謂にして 此社のあたりより起れる呼称ならんと云ふ 老松古木鬱叢たる社域の形狀と大宮の名稱とによりて 往昔 大祠たること想見せらる
傳曰く 日吉廿一社の祖神なりと 弘安三年の奉加簿に藤原氏の女とあり 應永六年 上梁文に庄主道芳都管存明 延徳二年の文に庄主慶陽都徳智 明應七年の文に今杉彌九郎 藤原吉次 永正六年の文に南條山城守藤原朝臣長吉 天文十二年の文に南條右京ノ亮平朝臣綱長 承應三年文に藤原氏吉久と有り これ皆重修せし人の姓名なり 又 境内八社 木宮 山神 熊野 姥神 諏訪 水神 琴平 稻荷の諸神を祭る

【原文参照】

勝間田泰平 著『伊豆鏡』,勝間田泰平,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/980805

勝間田泰平 著『伊豆鏡』,勝間田泰平,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/980805

大正3年(1914)〉当時と同じアングルで 現在(2017)の参道の写真

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

大宮神社 本殿

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

大宮神社 拝殿

Please do not reproduce without prior permission.

大宮神社 社殿

Please do not reproduce without prior permission.

・〈社殿向かって右〉境内社三祠〈八幡神社・山神社・熊野神社〉

Please do not reproduce without prior permission.

向かって右から

・八幡神社〈来宮神社or木宮社

Please do not reproduce without prior permission.

・山神社

Please do not reproduce without prior permission.

・熊野神社

Please do not reproduce without prior permission.

・〈社殿向かって左〉境内社三祠〈姥神社・諏訪神社・水神社 津島神社〉

Please do not reproduce without prior permission.

向かって右から

・姥神社

Please do not reproduce without prior permission.

・諏訪神社

Please do not reproduce without prior permission.

・水神社・津島神社〈金刀羅神社〉

Please do not reproduce without prior permission.

・〈社叢の中に境内社〉稲荷神社

Please do not reproduce without prior permission.

大宮神社の社叢

Please do not reproduce without prior permission.

市指定文化財 大宮神社の社叢(森)

 大宮神社は、下大見村社として、古くから周辺の住民から崇敬されておりました。

 祭神は大己貴命(大国主命)といわれ、古い棟札に弘安年間(一二七八年)のものがあり、かなり古いものと思われます。

 位置的にも、富士を見、上白岩遺跡が正面にあり、地名として元村の名があるとことからも、当地方での最古の歴史をもつ神社であることが想像されます。

 境内の面積は、七七一二・四平方メートルの広大な敷地に及ぶ大木がうっそうとおい茂り、荘厳な野鳥の楽園となっています。
伊豆市教育委員会 昭和五十五年指定

現地立札より

Please do not reproduce without prior permission.

イチイガシ

 イチイガシは背が高く育つ常緑樹で、他のカシ類と同様にドングリをつけます。葉は根元が細く先に行くほど広がっていて、葉の長さの半分より先の方に切れ込みがあり、葉の裏には茶色い毛が密生しています。この木のように大きな木では、樹皮が大きくはがれることも特徴です。

 イチイガシのドングリは、アクがなく縄文時代には食用とされていたと考えられます。また、材は堅く、占くは船の櫓(ろ)として、現在でもスコップや農工具などの柄木(えぎ)として使われています。

 九州以外では天然の林に生育しているものは少なく、多くが神社やお寺の境内に生息しています。伊豆半島ではここ大宮神社に3本、修善寺の日枝神社に2本、伊東市八幡野の来宮神社に 10本程度、南伊豆町に 1本生育するだけです。 

伊豆市教育委員会

現地案内板より

Please do not reproduce without prior permission.

・手水舎・水神

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・〈手水舎の手前〉石組み〈縄文期の男石か?〉里人は「地主さん」と呼ぶ

Please do not reproduce without prior permission.

・〈境内の右手〉神楽殿か?

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

・境内入り口の石段・小さな石橋

Please do not reproduce without prior permission.

・参道狛犬

Please do not reproduce without prior permission.

・参道鳥居

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・国指定史跡 上白岩遺跡

全体では約3万㎡にもおよぶ大規模な遺跡とされていますから 大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)も遺跡の中に含まれていると思います

国指定史跡 上白岩遺跡(かみしらいわいせき)

指定年月日  昭和53年1月27日
時 代    縄文時代中期~後期
面 積    2233㎡
所 在    伊豆市上白岩字外畠

 上白岩遺跡は、今から約4000年前の縄文時代中期から後期にかけて営まれた遺跡です。
 大見川の河岸段丘上に立地し、全体では約3万㎡にもおよぶ大規模な遺跡と考えられています。

 昭和51年に、この地域を発掘調査したところ、多くの土器や石器とともに、縄文時代後期を中心とする大規模な配石遺構が発見されました。
 中でも、環状の配石は、二十単位ほどの環状・組石状の小配石が鎖のように連続して並べてあり、直径約15mの環状になっています。発掘当時この遺構は全国でも非常にめずらしいものでした。
 また、配石遺構の下部からは、墓地と考えられる多くの土壙や埋甕が発見され、性格が明確でない遺構の一面を示す貴重な資料です。
 これら配石遺構や住居跡・土壙は更に遺跡の東側に広がっており、全体では有数の規模を持つ遺跡であると考えられます。

 昭和55年5月5日 文化庁 静岡県教育委員会 伊豆市教育委員会

現地案内板より

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)田方郡 24座(大1座・小23座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大朝神社
[ふ り が な ]をほあさの かみのやしろ
[Old Shrine name]Wohoasa no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊豆國 田方郡 大朝神社(をほあさの かみのやしろ)の論社

・大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)

・大朝神社(沼津市下香貫)

・神益麻志神社(伊豆の国市神島)

・赤王神社(三島市大場)

・鷲頭神社 奥宮(沼津市大平)

・鷲頭神社(沼津市大平)

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆箱根鉄道 駿豆線 修善寺駅から県道12号経由で東南方向へ約4.3km 車で7分程度

国指定史跡 上白岩遺跡の北側にある中伊豆社会体育館の裏側になります

参道の入口には 自然石の上に小さな石灯籠が置かれて その下に夫婦像が彫られた石が祀られています
その先に弧を描くように参道が鳥居まで延びています

大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

参道を進み 鳥居に一礼をしてくぐり抜けます

Please do not reproduce without prior permission.

石段の下に大小日本の木が植えられていて 時間が経過すれば 細い木が成長して 占め柱のような雰囲気になるだろうな などと想いながら 石段を上がります

Please do not reproduce without prior permission.

石段を上がると石灯籠が置かれていて 正面に拝殿が建てられています

Please do not reproduce without prior permission.

右手には 扉が閉じているので良くわかりませんが神楽殿でしょうか

Please do not reproduce without prior permission.

左手には手水舎 正面の社殿の両脇には 赤い屋根の覆い屋の中に境内社が祀られています

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の扁額には゛大宮神社゛と記されています

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿の奥には 幣殿 本殿が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の向かって右横赤い屋根の覆い屋の中に境内社三祠〈八幡神社・山神社・熊野神社〉

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の向かって左横赤い屋根の覆い屋の中に境内社三祠〈姥神社・諏訪神社・水神社 津島神社〉

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の裏手〈北側〉には 西川が流れ 棚田があります

Please do not reproduce without prior permission.

南には上白岩遺跡があり大見川も流れていて 縄文期にも人々が暮らしやすい場所であったのでしょう

社殿に一礼をして 境内を南へと戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

石段を下り参道を戻ります

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大朝神社について 所在は゛駿河國駿東郡香貫村に在す、今山宮、又 潮留明神と称す、゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています

【抜粋意訳】

大朝神社

大朝は 於保阿左と訓べし

○祭神 大日尊、〔志〕

○駿河國駿東郡香貫村に在す、今山宮、又 潮留明神と称す、〔同上〕

例祭  日、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大朝神社について 所在は゛今、駿河、駿東郡、下香貫村字山宮にあり゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています

【抜粋意訳】

大朝(オホアサノ)神社

今、駿河、駿東郡、下香貫村字山宮にあり、〔豆州志、静岡縣注進状〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大朝神社について 所在は゛下香貫村〔字山宮 〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡揚原村大字香貫)゛〈現 大朝神社(沼津市下香貫)〉と記しています

諸説として
゛一説に賀茂郡上白岩村 大宮明神ならんか゛〈現 大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩)〉
゛一説に田方郡神益村 駒形神社なるべし゛〈現 神益麻志神社(伊豆の国市神島)〉
゛一説に駿河國駿東郡大平村 鷲巣神社ならんか゛〈現 鷲頭神社(沼津市大平)〉
゛一説に君澤郡大場村あり゛〈現 赤王神社(三島市大場)〉

【抜粋意訳】

大朝(オホアサノ)神社

祭神
 今按 豆州志に 祀ニ大日靈貴 今は山宮 又 潮留明神と稱すとあれど 大朝と云によりて 大日靈を附會せしものと聞ゆればとらず

祭日 三月十六日
社格 村社

所在 下香貫村〔字山宮 〇今属 駿河國駿東郡〕(駿東郡揚原村大字香貫)

 今按 伊豆式社攷證には 香貫村と云は豆志の説なれど考合べき證なしとみえ
一説に賀茂郡上白岩村 大宮明神ならんか 大宮はもと大朝宮と云しを 後に朝字を省きて大宮とせしか 又 大朝をおほみやとも訓しに非じかと云れど 此説信がたし

 又 一説に田方郡神益村 駒形神社なるべし 社後の山を総て神山と稱し 其頂の一方をヲミヨ 一方をオホマ嶽と呼 おほまは大麻なろべしと云れど 大麻(オホマ)の麻を朝とせしならんとの説なれば 是は適はず

 又 一説に駿河國駿東郡大平村 鷲巣神社ならんか 祭神 天日鷲命なるに囚て 鷲巢とも云しにや 大朝は大麻にて村名の大平は大朝平と云し 朝の省かりたるかと云るも牽強なり

 又 一説に君澤郡大場村あり 此大場の稱は大朝の訛轉にやと思はるなど云るも信がたければとらず

 今 豆州志と靜岡縣の註進に從て之を記す

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

大宮神社〈白岩大朝神社〉(伊豆市上白岩) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2025 All Rights Reserved.