
実践和學 Cultural Japan heritage
表門神社(うはとじんじゃ)は 『式内社調査報告』には 雄略天皇十三年の創立とあり 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社となっています 社殿の後方には 祭神に関わる高貴婦人を葬する古墳があり 本殿はこの丘の上に祀られています
熊野神社〈五社神社〉(甲府市右左口町)〈『延喜式』表門神社〉
五社神社(ごしゃじんじゃ)は 熊野神社とも呼ばれ 神仏習合時代は「七覚御神幸さん(しちかくみゆきさん)」と云われました 大宝二年(702)役小角が ここに至り 富士山霊峯の御神体を無事に開山され 小角が我が屋敷神として発起したと云う 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)の論社です
表門神社(うわとじんじゃ)は 第7代 孝霊天皇二年の鎭座 第72代白河天皇の永保元年(1081)官より社頭並に五十一の末社迄 御造営を受け 併せて市川の郷を神領に賜り勅願所と認められ それより市川明神とも称せられていたと云う 延喜式内社 甲斐國八代郡 表門神社(うは〔へ〕との かみのやしろ)と伝わります
御崎神社(みさきじんじゃ)は 初め甲斐の国主 武田家の居館のあった石和郷に鎮座 永正十六年(一五一九年)武田信虎公 つつじが崎に居城を構えた時 三の郭内に神殿建立し遷され 徳川時代 文禄三年(一五九四年)甲府城を築いた際 現在地に遷座 延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)の参考論社です
宇波刀神社(韮崎市円野町下円井宇波刀)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉
宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 第18代反正天皇の第2皇女 円比女が 封を此の地に受け 洲羽国 諏訪明神を勧請して守護神と崇め奉った その後 養老2戊午(718年)国守 社殿を造営し合祀 『三代實録』に宇波刀神『延喜式』に甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と云う 宇波刀神社諏訪大明神と称されました
宇波刀神社(甲府市宮原町)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉
宇波刀神社(うはとじんじゃ)は 堀河天皇 寛治年中(1087~1094年) 新羅三郎義光の再建された延喜式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝わります 武田氏(信虎)全盛の頃 源氏の氏神 石清水八幡宮にあやかり 八幡宮と改称され 近世には宇波刀神社とも称していたと云う
宇波刀神社(北杜市明野町上手)〈『三代實録』宇波刀神『延喜式』宇波刀神社〉
宇波刀神社(うわとじんじゃ)は 社記には「創立は平城天皇 大同年中(806~810年)に在り」・『三代實録』に「貞觀八年九月甲辰従五位下 宇波戸神授ニ 従五位上」と神位の奉授あり・『延喜式』に記載 式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社(うはとの かみのやしろ)と伝えています
神明神社(しんめいじんじゃ)は 社記には「創祀は允恭天皇八年秋九月(西暦四一九年)当社は神部の神社にて 伊勢大神宮勧請最初の霊場石和総郷の鎮守なり」とあり 「石和御厨(いさわみくり)」〈伊勢外宮の御厨〉があった場所で 延喜式内社 甲斐國 山梨郡 神部神社(かむへの かみのやしろ)の論社です
二岡神社(にのおかじんじゃ)は 日本武尊東征の時 国司に命じて 二岡に木花之開耶姫命 四岡に天津彦火瓊々杵尊の社を造立したと云い その後一岡から七岡に分散していた7社の神々を合祀し 二岡七社大権現と号した 又 この地の川を丸子川と云い 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の論社とする説があります
丸子神社(沼津市本)〈旧社地(現 御旅所)〉〈『延喜式』丸子神社〉
丸子神社(まるこじんじゃ)〈旧社地(現 御旅所)〉は 延喜式内社 駿河國駿河郡 丸子神社(まろこの かみのやしろ)の旧社地です 江戸時代の火災により焼夫し 現社地〈丸子神社 浅間神社(沼津市浅間町)〉に遷座しました 現在は 御旅所となっています
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