
実践和學 Cultural Japan heritage
江田神社(宮崎市阿波岐原町)〈『續日本後紀・三代實録』江田神『延喜式』江田神社〉
江田神社(えだじんじゃ)は 社伝に「太古の御創建 この地一帯は古来 所謂 日向の橘の小戸の阿波岐原として 伊邪那岐の大神禊祓の霊跡と伝承されて 縁起最も極めて深き社ならむ」とあります 六国史『續日本後紀』『三代實録』江田神とあり 『延喜式』日向國 宮崎郡 江田神社(えたの かみのやしろ)とされます
都萬神社(西都市大字妻)〈『續日本後紀』妻神『三代實録』都萬神『延喜式』都萬神社〉
都萬神社(つまじんじゃ)は 社傳に云く「景行天皇 日向國 土蜘蛛を征し給ふ時、兒湯縣に行幸 当社勅願し給ひしことを傳ふ 以てその太古の創建なるを知るべし」とあります 『續日本後紀 妻神』『三代實録 都萬神』『延喜式』に日向國 兒湯郡 都萬神社(つまの かみのやしろ)と記載のある由緒ある古社です
羊神社(ひつじじんじゃ)は 群馬の多胡郡の領主 羊太夫が奈良の都へ上る時 この地(現辻町)に立ち寄った屋敷があり 土地の人々が平和に暮らせるように火の神を祀り 羊神社と名付けられたと伝えら「辻町」は「ひつじ」から「ひ」をとったとも云う 延喜式内社 尾張國 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)の論社です
高牟神社(名古屋市守山区瀬古東)〈『延喜式』髙牟神社・羊神社〉
高牟神社(たかむじんじゃ)は 創建は社記に「養老元年(717)鎮座 高見と云ふ名稱を賜ふ」云々と見え 『本国帳』従3位高牟天神・『尾張本国内神明帳』従3位上高見天神とする古社で 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)と云う 又一説に延喜式内社 山田郡 羊神社(ひつしの かみのやしろ)とも云う
勝川天神社(かちがわてんじんしゃ)は 正和二年(1313)無盡禅師によって創建と伝え もとは高山という所にあったが 後世 今の地に移し 神仏混淆の時代には地蔵寺が祭祀を掌ったと云う 又『又張神名帳集説訂考』には従三位 高牟天神すなわち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります
五社神社(ごしゃじんじゃ)は 社伝は明らかではありませんが 『張州府志』に「五社祠 玉野村に在り 明神、神明、天神、八幡、多度、の五社を祀り 永享元巳酉年(1429)村民之を建てる」とあります 一説には 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とする説があります
白山社(はくさんしゃ)は 創建年代は不祥ですが 社伝に「延喜神名式 髙牟天神」即ち 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)であると伝わっています 又『尾張国内神名帳』に載る「従三位 高牟天神」とも「従三位 小高薗天神」とも云われます
松原神社(まつばらじんじゃ)は 元明天皇の御代 和銅四年(711)創建と伝え 社地の辺りは古来地名を高牟(たかむ)と呼び 社名も古くから高牟神社と号し 延喜式内社 尾張國 春日部郡 髙牟神社(たかむの かみのやしろ)とされます 中世に稲荷信仰が普及して合祀され 江戸時代の棟札には高牟稲荷大明神と記したものがあります
八所社(はっしょしゃ)は 物部氏一族により開拓されたこの地に 物部氏神〔大和の石上神宮より分神を勧請〕を斎き祀った社とされ 社伝に「和銅二年(709)創建 元 物部神社(八所太明神)と稱した」とあり延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへのかみのやしろ)であると云う 又 髙牟神社(たかむのかみのやしろ)とも云う
味美白山神社(あじよし はくさんじんじゃ)は 元は今より南の白山藪(味鋺字堂前898)に鎮座したが 萬治二年(1659)現在地(白山神社古墳の墳丘上)に遷座 同時に 二子山古墳の墳丘にあった物部天神〈式内論社〉を合祀し建立されたと云う 延喜式内社 尾張國 春日部郡 物部神社(もののへの かみのやしろ)の論社です
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