山國神社(京北鳥居町宮ノ元)〈『延喜式』山國神社〉

山國神社(やまぐにじんじゃ)は 第50代垣武天皇の平安遷都(794)の際 山国の郷が 御所の大内裏造営の木材を切り出す天皇の所用地゛御杣御料地(みそまごりょうち)゛と定められて 宝亀年間(770~780)修理職が本殿を造営したと伝わります 延喜式内社 丹波國 桑田郡 山國神社(やまくにの かみのやしろ)です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

山國神社(Yamaguni shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市右京区京北鳥居町宮ノ元1番地

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》大己貴命(おなむちのみこと)(大国主命)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

神社(やまぐにじんじゃ)

御祭神 大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)

 第五〇代 桓武天皇による延暦年 平安遷都(七九四)に当たり、大内裏造営の木材を当地より微され、この郷を御料地と定め、本殿を造営され、祭主として和気清麻呂公(七三三~七九九)が奉仕された。

 以来、大嘗祭の悠紀、主基の御殿造営の用材を調達することが恒例となった。六十七代 三条天皇の長和五年(一〇一六)、神位正一位を贈られ、御祈願所として菊花の紋章を賜わり、春て五社明神とした。

 源平の乱に破壊され、元弘の乱においても却されたが、応永六年(一三九九)、社殿を復旧し綸旨を賜わった。この時、足利義満から丸に二引の微章を奉納された。以来、この紋章を神社の紋章としている。

 明治六年(一八七三)郷社に、明治三三年(一九〇〇)府社に列格された。延喜式内の古くからの社である。

一〇月第二日曜日の還幸祭には維新勤皇山國隊が行進する。
京都市

現地案内板より

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【由  (History)】

神社の由緒

祭神 大巳貴命(大國主命)

創立 宝亀年中 光仁天皇(七七〇~七八〇年)

例祭 十月十日

桓武天皇 延暦年中平安遷都に当り 大内裏御造営の木材を山の郷より徴られ此の郷を御杣料地と定め木工寮修理職の官人して本殿を御造営せられ、祭主として和気清麿公が奉仕された。爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達することが恒例となった。
長和(一〇一六)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の紋章を賜り
春日、加茂、御霊、日吉の四社を建立して五社明神とした。源平の兵乱に破壊されたが、四条天皇の天福元年(一二三三)再建され 後醍醐天皇 元弘の乱に亦々破却されたが 足利尊氏の臣細川頼之当地に 隠棲する間本社復旧のことを執奏し、幸いにも応永(一三九九)社殿復旧綸旨を賜る。
この時足利義満が 丸に二引きの徴章を奉納す
以来、この紋章を当社の紋章とする。
その後、御陽成天皇の慶長元年(一五九六)再建され明治年郷社に、仝三十三年に府社に列格された。
延喜式内の古くからのお社である。

現地案内板より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

山國神社 本殿

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山國神社 社殿

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山國神社 幣殿

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山國神社 拝殿

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・〈本殿向かって右横 境内社〉春日神社

《主》天児屋根命

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・〈本殿向かって左横 境内社〉蛭子神社

《主》蛭児命

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・〈本殿向かって左側 末社〉八幡神社

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・〈境内向かって右側〉神饌所

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・手水舎

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・社務所〈鳥居を過ぎて境内向って左側〉

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・社務所に掲げられている 相撲の個人優勝額

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・社務所に掲げられている 昔の写真

材木をイカダで運んでいる〈筏流しの写真〉様子など

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・鳥居

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・参道

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・参道入口

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・〈飛地境内社〉御霊神社(京都市右京区京北比賀江町坊ヶ瀬40)

《主》崇道天皇 伊予親王 藤原吉子 橘逸勢 文室宮田麻呂 吉備真備 藤原広嗣 藤原道真

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)山陰道 560座…大37(うち預月次新嘗1)・小523

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)丹波國 71座(大5座・小66座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)桑田郡 19座(大2座・小17座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 山國神社
[ふ り が な ]やまくにの かみのやしろ
[Old Shrine name]Yamakuni no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

大嘗祭(だいじょうさい)悠紀殿ゆきでん主基殿(すきでん)造営の用材を調達する 御杣(みそま)とは

山國神社は 社伝によれば

「第五〇代 桓武天皇 延暦年中平安遷都794当り 大内裏御造営の木材を山の郷より徴られ此の郷を御杣料地と定め木工寮修理職の官人して本殿を御造営せられ、祭主として和気清麿公が奉仕された

爾来大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達することが恒例となった。

神社パンフレットより抜粋

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杣は「そま」と読み 御所神社仏閣などの造営に使用する材木を採る山林のことを云い

その伐り出され材木は 杣木(そまき)
その山で働く人は 杣人(そまびと)
その材木を加工する人は 杣工(そまたくみ)と云う

こうした事から 山國神社は 平安京造営の中心人物であった和気清麿呂公(わけのきよまろこう)が創建に奉仕されたと伝わっています

それ以来 大嘗祭(だいじょうさい)悠紀殿ゆきでん主基殿(すきでん)造営の用材を調達するのが 恒例となったようです

大嘗祭は 皇位継承儀礼を構成する儀礼の一つで 天皇が新たに即位したのちに最初に執行する新嘗祭のことで 「大嘗祭」(だいじょうさい)のほかに(おおなめまつり)(おおにえのまつり)(おおんべのまつり)などとも呼ばれます

新たな天皇は 大嘗祭における最も重要な祭祀を「大嘗宮(だいじょうきゅう)」と呼ばれる建物群の中で執行します

大嘗宮の建築物の中でも 最も重要なものは 悠紀殿(ゆきでん) 主基殿(すきでん) 廻立殿(かいりゅうでん)の三つです

悠紀殿と主基殿は 東西に並べて設置され 悠紀殿が東 主基殿が西 そして廻立殿は 悠紀殿と主基殿の北方に設置されます

大嘗宮の儀について 詳しくは

宮内庁 大嘗宮一般参観及び令和元年秋季皇居乾通り一般公開についてhttps://www.kunaicho.go.jp/event/inui-r01aki.html

NHK公式HP「平成から令和へ 大嘗宮の儀」を参照

NHK公式HP「平成から令和へ 大嘗宮の儀」を参照

https://www3.nhk.or.jp/news/special/japans-emperor6/articles/articles_ceremony_13.html

【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

京都 JR太秦駅からR162号を北上して約27km 車で45分程度

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上桂川の清流(大堰川)遡って行きます

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山國神社の案内板があり 参道の入口に着きました

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参道は 社殿から一直線に北西方向に参道の入口まで延びています

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参道を進むと途中に小川に架かる橋があり その先に鳥居が見えてきました

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社殿の廻りにある杉木立が印象的です

山國神社(京北鳥居町宮ノ元)に参着

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一礼をして 鳥居をくぐり 境内に進みます

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石燈籠の先に 拝殿が建ちます

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拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝所から 振り返ると北西方向に参道が伸びているのがわかります

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社殿は拝殿の奥に 幣殿 本殿があり 本殿の両脇には 境内社が祀られています

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〈本殿向かって左横 境内社〉蛭子神社

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祭神は蛭児様(えびすさま)なので 鯛の彫り物が彫られています

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〈本殿向かって右横 境内社〉春日神社

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本殿向かって左側には〈境内末社〉八幡神社・祓所も祀られています

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社殿に一礼をして参道を戻ります

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山國神社の右手には庭園のようなものがあります

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ここから見ると 社域を取り囲む杉木立が良くわかります

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山國神社の前面には 水田が広がっています

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円錐形の山のシルエットが水田 なんという山であるのかはわかりません

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 山國神社について 所在は゛山國 鳥居村に在す゛〈現 山國神社(京北鳥居町宮ノ元)〉と記しています

【抜粋意訳】

山國神社

 山國は 夜万九爾と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕山國、

〇祭神詳ならず

山國 鳥居村に在す

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 山國神社について 所在は゛今 山國郷 鳥居村に在り、一宮大明神と云、゛〈現 山國神社(京北鳥居町宮ノ元)〉と記しています

【抜粋意訳】

山國(ヤマクニノ)神社

今 山國郷 鳥居村に在り、一宮大明神と云、〔桑下漫録、神社覈録、神社明細帳

傳云ふ大己貴命を祀る、〔土人傳説〕

凡 正月九日祭を行ふ、〔明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 山國神社について 所在は゛山國庄鳥居村(北桑田郡山國村大字鳥居)゛〈現 山國神社(京北鳥居町宮ノ元)〉と記しています

【抜粋意訳】

山國(ヤマクニノ)神社

祭神 大己貴

祭日 正月九月十日
社格 郷社

所在 山國庄鳥居村(北桑田郡山國村大字鳥居)

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

山國神社(京北鳥居町宮ノ元)ついて 式内社 山國神社であり 明治三十三年 府社に昇格したと記されています

【抜粋意訳】

○京都府 北桑田郡 府社

〇京都府 丹波國 北桑田郡山國村大字鳥居

府社 山國(ヤマクニノ)神社

祭神 大己貴(オホナムチノ)命

 本社創建は光仁天皇御宇 寶龜年代に在り、
神祇志料に「今山國郷島居村に在り、一宮大明神と云〔桑下漫録、神社覈録、神社明細帳傳云ふ大己貴命を祀る、凡正月九日祭を行ふ〔明細帳〕」とあり、
神名帳考證には、「大山咋神、日本紀云、豊岡野尊云々」と見え、
醍醐天皇 延喜の制 桑田郡の小社に列せられた
桓武天皇の延暦年中、平安城造に際し、良材を此の山國郷に伐採し、此地をばと定め、木工寮修理職の官人を置かれたり、當時本社を修築し永く山國郷のとし、帯の官人祭事を司り、各私領を賜 大嘗會を行ふ毎に、悠基 主基 兩殿の材を調達し以て例と爲す、
三條天皇の長和五年八月、勅願により正一位を贈り、再建を命じ、別に此地に四社を建立して五明神とし、本殿を一ノ宮と稱せり、
四條天皇 天福元年また勅願により再建し、更に神領百二十五石を賜ふ、然るに源平戦争の當時、郷士等官軍に属して干戈に從ひしを以て、此地兵火の災害を蒙り、論旨古記録の如きもの悉く散逸し、社殿は或は破壊し 或は焼失して舊規を留め、嘗て光院の當地 常照寺に朦塵せさせ給ふや、郷士の誠忠を嘉賞して祈願甚だ厚かりき、
其後 足利尊氏の臣 細川頼之、同郡山園下村姥捨山に蟄居せる時、郷士の五社明神復舊の事を請托せるあり、後に至り尊氏軍職となり、頼之亦世に出づるに及び、之を閣下に奏請し、後小松天皇 應永六年八月に至り、綸旨を下して神領先規に依らしめ賜ふ、天正年中 明智光秀 此地に入するや、神領私領添く掠奪せられ、舊記は一切兵燹にれり、文錄五年往古の社暦を以て 社殿を再建せしも、豊太閤の新檢地に依りて領地は悉く沒收せられたり、面も祭事の連綿としてて違ふことなく、式内社に列し月次新嘗等官幣に預かる、神は自幣、寶物には後小松天皇應永六年下賜の綸旨あり、
明治六年六月郷社に定まり、尋いで同三十三年府社に昇格す、社殿一宇、境内坪數七百二十九坪(官有地第一種)あり、古松老杉天を摩し、又櫻樹多く、風光四時共に佳なり。

境内神社
 八幡神社 春日 蛭子神社

例祭日 十月十日

神饌幣帛料供進指定年月日 明治四十年三月一日告示第十四號

氏子數 四百二十二戸

崇敬者員數 未詳

【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

山國神社(京北鳥居町宮ノ元) (hai)」(90度のお辞儀)

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