山神社〈山王神社〉(やまじんじゃ)は 創建年代などは不祥です かつて゛子ノ神を宇波明神゛゛山王を山神゛と称していたらしく 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の内一座とする説があります 又同じく式内社の瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社ともされています
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
山神社(Yama shrine)
【通称名(Common name)】
山王神社(さんのうじんじゃ)
三王社(さんのうしゃ)〈明治初期頃まで〉
日吉社(ひよししゃ)〈明治初期頃まで〉
【鎮座地 (Location) 】
静岡県賀茂郡西伊豆町大沢里41
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》祭神不祥〈子ノ神を宇波明神、山王を山神とも〉
一説には〈宇波神、山神、天神〉の三王神〈本殿は三つ扉〉
社殿の内には 本殿といくつかの祠が祀られています
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
創建年代不詳
【由 緒 (History)】
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の内一座とする説があります
又 同じく式内社の瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社ともされています
【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・社殿の内には 本殿といくつかの祠が祀られています
・社殿の両脇に建つ社屋も境内社か
御神木でしょうか?
手水鉢
【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載
(Engishiki Jimmeicho)This record was completed in December 927 AD.
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)は 二つの式内社の論社です
①佐波神社二座の内一座
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 佐波神社二座
[ふ り が な ](さはの かみのやしろ ふたくら)
[Old Shrine name](Saha no kamino yashiro)
②瓺玉命神社
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆國 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 瓺玉命神社
[ふ り が な ](みかたまのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Mikatama no mikoto no kamino yashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(Points selected by Japanese Otaku)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 佐波神社二座(さはの かみのやしろ ふたくら)の論社
佐波神社(西伊豆町仁科)に祀られている゛三島宮゛゛八幡宮゛を二座とする説
山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)を 佐波神社二座の内一座とする説があります
・佐波神社(西伊豆町仁科)
・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 瓺玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社
・神明神社(伊豆市八木沢)
・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)
・山神社(西伊豆町大沢里宜ノ畑)
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社号に゛みか゛「 瓺」「甕」などの文字の付く 延喜式内社について
延喜式内社 大和國 高市郡 波多甕井神社(大 月次 新嘗)(はたみかゐの かみのやしろ)の論社
・波多甕井神社(高取町羽内)《主》甕速日命(みかはやひのみこと)
延喜式内社 伊豆國 那賀郡 瓺玉命神社(みかたまのみことのかみのやしろ)の論社
・神明神社(伊豆市八木沢)
・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)
・山神社(西伊豆町大沢里禰宜ノ畑)
延喜式内社 武蔵国 那珂郡 瓺神社(みかの かみのやしろ)
〈(か)は 菱の右に玉〉
・瓺(みか)神社(美里町広木)
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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
西伊豆 松崎の大浜海水浴場から仁科川を遡るように県道59号を北東方向へ約9km 支流の白川に沿って進み 白川公民館の辺りが社頭 車で海岸から15分程度
白川橋バス停バから徒歩 2分(106m)
最初 白川橋を間違えて 一つ上流の橋を渡って 辺りを探してしまいました
なんと廃屋のようなものがあり 神社は廃絶して どこかに合祀されているのか?と
気落ちして道を戻ると 公民館の脇に石段を発見
鳥居などは有りませんが ここだと期待が高まり 石段を上がります
石段の上部まで来ると 社屋が見えました
山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)に参着
割拝殿にすすみます
写真では見づらいですが 扁額には゛山王神社゛と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
【神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『伊豆国神階帳(izunokuni shinkaicho)』康永2年(1343年)に記される内容
式内社 佐波神社二座が ゛従四位上 志ての明神゛゛従四位上 にゐ乃明神゛
式内社 甕玉命神社が ゛従四位上 みかたま姫の明神゛として記されていると云われます
【抜粋意訳】
那賀郡 弐拾四所
・・・
従四位上 みかたま姫の明神
・・・
従四位上 志ての明神
従四位上 にゐ乃明神
【原文参照】
『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承
式内社 佐波神社二座について 一座ごとに説明しています
一座は 濱村沢田〈海岸〉であったが500年前の津波で現在地〈現 佐波神社(西伊豆町仁科)〉に遷つたと記し
もう一座は 大沢里(オオサワリ)の白川に坐す山王と子ノ神〈現 山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)〉と記しています
式内社 稻宮命神社について 式内社 甕玉命神社について 不明なのか 社名のみ記しています
【抜粋意訳】
佐波(サハ)神社二座
古事記 日子坐王之子 沙本毘古者 日下部連 甲斐国造之祖
姓氏録 作澤道彦
和 抄 田方郡佐婆志一座は 當郡 濱村沢田にあり 神功皇后 韓国を征し玉ふとき 始て此に祀ると云
大永七年の棟札に仁科庄本郷 総社八幡とあり 今に仁科五村の総鎮守なり 五百年前までは海岸にありしを津波にて 今の地に止る
一座は 當郡 大沢里(オオサワリ)の白川に坐す山王と子ノ神之 寛政二年 文明六年 大永元年の棟札に 子ノ神を宇波明神 山王を山神とあり 上古 高見山野の段と云処にありしと云ふ
甕玉(ミカタマノ)命神社
【原文参照】
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 佐波神社二座について 一座ごとに説明しています
一座は 大沢里(オオサワリ)の白川に坐す山王と子ノ神〈現 山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)〉と記し
もう一座は 濱村沢田〈海岸〉であったが500年前の津波で現在地〈現 佐波神社(西伊豆町仁科)〉に遷つたと記しています
式内社 甕玉命神社について 所在は不明と記しています
【抜粋意訳】
佐波神社二座
佐波は假字也、和名鈔、郷名部 田方郡佐婆
〇祭神 詳ならず
〇二座各々に在す、一座は大澤村に在す、一座は濱村に在す
伊豆志に、
一座 大澤里(オホサワリ)の白川に坐す、山王と子ノ神なり、寛政二年、文明六年、大永元年の棟札に、子ノ神を宇波明神、山王を山神とあり、上古 高見山野の段と云處にありしと云ふ」
一座 濱村の澤田にあり、神功皇后 韓国を征し玉ふ時、始て此に祀ると云ふ、大永七年の棟札に、仁科庄本郷 総社八幡とあり、今に仁科五村の総鎮守なり、五百年前までは海岸にありしを、津波にて今の地に止る、と云り甕玉命神社
甕玉は、美加多麻と訓べし
○祭神明か也
○在所詳ならず類社
武蔵國 那賀郡 甕玉神社
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 佐波神社二座について 一座ごとに説明しています
一座は 濱村沢田〈海岸〉 もう一座は 合祀の三島神社〈現 佐波神社(西伊豆町仁科)〉と記しています
式内社 甕玉命神社について 所在は不明 祭神は゛倭大物主櫛���玉命゛と記しています
【抜粋意訳】
佐波(サハ)神社二座
其の一は 今 仁科濱村の澤田にあり、総社八幡といふ、仁科五村の総社也、
一は 同地に坐 地主神 三島明神 是也凡祭 八月十五日、十一月中酉日を用ふ、豆州志 足柄縣式社取調帳
甕玉命(ミカタマノミコトノ)神社
蓋 倭大物主櫛甕玉命を祀る、延喜式
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 佐波神社二座について 一座ごとに説明しています
一座は 濱村沢田〈海岸〉 もう一座は 合祀の三島神社〈現 佐波神社(西伊豆町仁科)〉と記しています
豆州志にある説として もう一座は 大沢里(オオサワリ)の白川に坐す山王と子ノ神〈現 山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)〉は誤りであろうとも記しています
式内社 甕玉命神社について 所在は 八木澤村鎮座 神明社〈現 神明神社(伊豆市八木沢)〉
更に別の説として・八木澤村の三島明神・伊濱村 三島明神とも記しています
【抜粋意訳】
佐波(サハノ)神社二座
祭神
祭日 九月十五日
社格 郷社所在 濱村(明細帳になし)(賀茂郡仁科村大字濱)
今按〈今考えるに〉
式社攷證に 仁科濱村 鎮座
豆志に一座在に濱村澤田 神功皇后 韓国を征し玉ふ時、始て此に祀ると云ふ、大永七年の棟札に曰、仁科ノ庄本郷 総社八幡とあり、今に仁科五村の総鎮守なり、五百年前までは海岸にありしを、津波にて今の地に止る、就て三島明神と祠並べ立つと云 又 三島明神 同村 是地主神也と云う云々とある此の二座也
此は古く同殿に坐し事は賀茂郡 賀毛神社二座 竹麻神社三座 等と同例にて 佐波神社二座と有を以て明に知らるるを 中頃各々別所に分け祀りたると見えて 神階帳に従四位上 シテの明神〈シテは神田にて澤田 舊称なるべし〉従四位 ニイの明神〈今称の仁科は此 ニイより起れると聞こえたり〉と有にて 炳馬抑 此濱村は仁科郷中の本村にして郷中の諸社 往昔は皆 此地に在し由なるは云までもなく 社邊を今に澤田と云ふを思ふに佐波神社二座なる事論無し
然るを豆志に佐波神社一座 在に濱田澤田云々 一坐在に大澤里白川 山王 子ノ神を祀る云々とあれど協はず 其は此 白川と云處は 濱村よりは三里許を隔たる山中にして 固より有べき處に非る事 土地を實検して知べく 又 二座三座と有は 皆 同地鎮座の神にして遠く隔れる社を然唱ふべきに非ず 亦 澤田の地より遷したると云傳も無れば 佐波神社の一座なりと云説の謬なる事を知るべしと云るは當れる説なり 故 今附て攷に備ふ
甕玉(ミカタマノ)命ノ神社
祭神 甕玉命
今按〈今考えるに〉神階帳に みか玉姫の明神 とあるによらば姫神なること知るべし 甕玉姫命とも申し奉れるにゆあらん
祭日
社格所在
今按〈今考えるに〉式社攷證に君澤郡 八木澤村鎮座 神明社なるべし
此社は豆志に 神明 小池ハタイの濱宮明洞に在 或云 式社也 伊豆納符 とみえて 今は殆衰廃を極めたれど 舊社なる事灼然きがハタイの称の甕玉の傳にやと思はれ 神明の称に因みて姫神なる事知られ社傍に甕の澤 神田 神地川の地名有等小縁ならず聞ゆるを以て知るべし
亦 同村に三島明神あり 若しくは此社ならむ
又一説に伊濱村 三島明神ならむ と云れど ハタイの濱と云ひ 甕の澤など云地名あるによらば神明社の方 甕玉(ミカタマノ)命に由ありて聞ゆ
【原文参照】
『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承
式内社 佐波神社二座について 一座ごとに説明しています
一座は 濱村沢田〈海岸〉 もう一座は 合祀の三島神社〈現 佐波神社(西伊豆町仁科)〉と記しています
ある説として もう一座は 大沢里(オオサワリ)の白川に坐す山王と子ノ神〈現 山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)〉があるが 付会であろうと記しています
式内社 甕玉命神社について 八木澤村の旧称 神明社〈現 神明神社(伊豆市八木沢)〉であるが 廃絶してしまっている 是非再興してほしい 若しくは村社の三島神社に合祀して欲しいと切に願う と記しています
※〈現在は 神明社として再興されています〉
【抜粋意訳】
佐波(さはの)神社二座
那賀郡 仁科濱村(にしなはまむら)鎮座
志ての明神 神階帳 舊称 三島神社二座 一座は八幡神社と称す
蓋 一座は神階帳の にゐの明神に當とぬべくや 舊説に一座を大澤里村 白川山王に當てたれど 固より據なき附會の説にて取るに足らず
甕玉(みかたまの)命神社
同郡 八木澤(やぎさは)小池鎮座 みかたま姫の明神 神階帳
舊称 神明社なるべし 攷証註進特選續攷當社 近来 式徴を究め殆廃替に属せむとす抑 延喜式所載の官社 村中に鎮座するもの幾(いくばく)も村里の光栄ならざるを得ず 今や其の頽傳に及ばむやするを誰が傍観坐視するに忍びむ速に一社殿を再興して神名を将来に垂れ恩恵を後昆に蒙らしむるの擧なくは有るべからざるなり 若しくは村社 三島神社に合祭せるべし
他社にも比類少からず苟(いやしく)も志を比に振起す者あるに於いては何の難き事か之あらむ是余に各地の有志者に切望して止まざる所以なるのみ
【原文参照】
山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)