山神社(西伊豆町大沢里禰宜ノ畑)

山神社(やまじんじゃ)は 西伊豆の大浜海岸の辺りから仁科川り 天城連山に分け入る県道59号を進み 仁科の集落を抜けて さらに山道へ〈平家の落人伝説も残る深い〉祢宜ノ畑の集落に鎮座します 延喜式内社 伊豆國 那賀郡 玉命神社(みかたまのみことの かみのやしろ)の論社とされています

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

山神社(Yama shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡西伊豆町大沢里150

旧住所〈賀茂郡西伊豆町仁科村大沢里字宜ノ畑〉

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》祭神不詳

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創立年代不詳

【由  (History)】

由緒不祥

スポンサーリンク

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・社殿 と 向かって右手前の石祠

Please do not reproduce without prior permission.

・石祠〈社殿向かって左側〉

Please do not reproduce without prior permission.

・鳥居・スダジイの巨木が3本

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆 92座(大5座・小87座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)那賀郡 22座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 玉命神社
[ふ り が な ]みかたまみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Mikatama no mikoto no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

社号に゛みか゛「」「甕」の付く 延喜式内社について

延喜式内社 大和國 高市郡 波多甕井神社(大 月次 新嘗)(はたみかゐの かみのやしろ)の論社

・波多甕井神社(高取町羽内)《主》甕速日命(みかはやひのみこと)

延喜式内社 伊豆國 那賀郡 甕玉命神社(みかたまのみことのかみのやしろ)の論社

・神明神社(伊豆市八木沢)

・山神社〈山王神社〉(西伊豆町大沢里)

・山神社(西伊豆町大沢里 宜ノ畑)

延喜式内社 武蔵国 那珂郡 神社(みかの かみのやしろ)の論社

〈(か)は 菱の右に玉〉

・瓺(みか)神社(美里町広木)

スポンサーリンク

【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

仁科川の河口〈大浜海岸のあたり〉国道136号の浜橋の交差点から 仁科川に沿って走る県道59号を 仁科川を遡るように北上 約8.7km 車15分程度

仁科川岸の小さな集落 宜畑(ねぎのはた)にある
禰宜ノ畑温泉〈廃校(大沢里小学校)の校舎を利用した町営温泉施設〉に入る坂道の手前 消防団第6分団詰所の横に鎮座します

山神社(西伊豆町大沢里宜ノ畑)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして 鳥居をくぐり 石段を上がります

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の中には 沢山の社が祀られています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 参道を戻ります
境内には スタジイの巨木が3本 右手には神楽殿が建ちます

Please do not reproduce without prior permission.

鳥居を抜けると ここが高台であり 前方の谷に仁科川が流れています

Please do not reproduce without prior permission.

神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『伊豆国神階帳(izunokuni shinkaicho)』康永2年(1343年)に記される内容

式内社 甕玉命神社が゛みかたま姫の明神゛として記されていると云われます

【抜粋意訳】

那賀郡 弐拾四所

・・・

従四位上 みかたま姫の明神

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『伊豆国神階帳』康永2年(1343年)「群書類従」刊本(跋刊)[旧蔵者]昌平坂学問所https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000037297&ID=M1000000000000054071&TYPE=&NO=映像利用

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

式内社 宮命神社について 式内社 甕玉命神社について 不明なのか 社名のみ記しています

【抜粋意訳】

甕玉(ミカタマノ)命神社

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 甕玉命神社について 所在は不明と記しています

【抜粋意訳】

甕玉命神社

甕玉は、美加多麻と訓べし
○祭神明か也
○在所詳ならず

類社
武蔵國 那賀郡 甕玉神社

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 甕玉命神社について 所在は不明 祭神は゛倭大物主櫛���玉命゛と記しています

【抜粋意訳】

甕玉命(ミカタマノミコトノ)神社

蓋 倭大物主櫛甕玉命を祀る、延喜式

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 甕玉命神社について 所在は 八木澤村鎮座 神明社〈現 神明神社(伊豆市八木沢
更に別の説として・八木澤村の三島明神伊濱村 三島明神とも記しています

【抜粋意訳】

甕玉(ミカタマノ)神社

祭神 甕玉命

今按〈今考えるに〉神階帳に みか玉姫の明神 とあるによらば姫神なること知るべし 甕玉姫命とも申し奉れるにゆあらん

祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉式社證に君澤郡 八木澤村鎮座 神明社なるべし
此社は豆志に 神明 小池ハタイの濱宮明洞に在 或云 式社也 伊豆納符 とみえて 今は殆衰廃を極めたれど 舊社なる事灼然きがハタイの称の甕玉の傳にやと思はれ 神明の称に因みて姫神なる事知られ社傍にの澤 神田 神地川の地名有等小縁ならず聞ゆるを以て知るべし
亦 同村に三島明神あり 若しくは此社ならむ
又一説に伊濱村 三島明神ならむ と云れど ハタイの濱と云ひ の澤など云地名あるによらば神明社の方 甕玉(ミカタマノ)に由ありて聞ゆ

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社 甕玉命神社について 八木澤村の旧称 神明社〈現 神明神社(伊豆市八木沢〉であるが 廃絶してしまっている 是非再興してほしい 若しくは村社の三島神社に合祀して欲しいと切に願う と記しています
※〈現在は 神明社として再興されています〉

【抜粋意訳】

甕玉(みかたまの)命神社

同郡 八木澤(やぎさは)小池鎮座 みかたま姫の明神 神階帳
舊称 神明社なるべし 註進特選續

當社 近来 式徴を究め殆廃替に属せむとす抑 延喜式所載の官社 村中に鎮座するもの幾(いくばく)も村里の光栄ならざるを得ず 今や其の頽傳に及ばむやするを誰が傍観坐視するに忍びむ速に一社殿を再興して神名を将来に垂れ恩恵を後昆に蒙らしむるの擧なくは有るべからざるなり 若しくは村社 三島神社に合祭せるべし
他社にも比類少からず苟(いやしく)も志を比に振起す者あるに於いては何の難き事か之あらむ是余に各地の有志者に切望して止まざる所以なるのみ

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090

山神社(西伊豆町大沢里宜ノ畑) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.