瀧山神社(河津町川津筏場)

瀧山神社(たきやまじんじゃ)は 江戸時代 寛政12年(1800)頃 権現と称され 祠の傍に瀑布があった 棟札に筏場下村の土ノ神と記されています 大永7年(1527)棟札には 小川村から移された小川三島大明神 元和3年(1617)棟札には 熊野神社と称され 天神でもあったようで 現在の祭神 伊佐那岐尊とも符合します

目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

瀧山神社(Takiyama Shrine)
(たきやまじんじゃ)

 [通称名(Common name)]

【鎮座地 (Location) 

静岡県賀茂郡河津町川津筏場1427

 [  (Google Map)]

 

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》伊佐那岐尊(Izanagi no mikoto)

【御神格 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity)

『延喜式神名帳Engishiki jimmeicho)所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

『豆州志稿』によれば

江戸時代 寛政12年(1800)頃 権現と称され 祠の傍に瀑布があった 棟札に筏場下村の土ノ神と記されています かつて大永7年(1527)棟札には 小川村から移された小川三島大明神で 元和3年(1617)棟札には 熊野神社熊野神社と称され 天神でもあったようで 現在の祭神 伊佐那岐尊とも符合します

【境内社 (Other deities within the precincts)】

石祠4宇と石仏〈社殿向かって左前方に鎮座〉

Please do not reproduce without prior permission.

【境外社 (Related shrines outside the precincts)】

スポンサーリンク

この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679
[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊豆国 92座(大5座・小87座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)賀茂郡 46座(大4座・小44座)
[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 多祁伊志豆伎命神社
[ふ り が な ]たきいしつきのみことの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Takiishitsuki no mikoto no kamino yashiro)

https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
式内社「伊豆國 賀茂郡 多祁伊志豆伎命神社」の論社について

・竹麻神社(下田市高馬)

・見高神社(河津町見高)

・三島神社(南伊豆町蝶ヶ野)〈参考〉

・姫宮神社〈姫宮大明神〉(南伊豆町一色)〈合祀三島神社〉

・三島神社(南伊豆町青野)

・瀧山神社(河津町川津筏場)

スポンサーリンク

神社にお詣り(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊豆急行の河津駅から 県道14号を北西に約3.5km 車8分程度
峰大橋の交差点辺りから山に向かい 集落へ入ります

集落の奥 山裾から少し上った辺りに鎮座します 鳥居が建ち石段の上に社殿が見えます 夏の参拝でセミが鳴き 権現と称された由縁の瀧のような音が聞こえています

瀧山神社(Takiyama Shrine)に参着

Please do not reproduce without prior permission.

一礼をして鳥居をくぐり 階段を上がります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

石垣が積まれた最上段の境内地の前には まるで鳥居のように 2本の杉の木が参道を挟んで生えています

Please do not reproduce without prior permission.

拝殿にすすみます 社名札に「滝山神社」と記されています

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

賽銭をおさめ お祈りをします 
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿向かって左手には 石祠が並び お詣りをします

Please do not reproduce without prior permission.

社殿の向かって右手には 渓流が流れていて 護岸はコンクリートで砂防対策がされています すぐ先には かつては権現と称された由縁の立派な瀧であったであろう 6段程の段差のあるコンクリートの河川段があります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

社殿に一礼をして 境内から石段を下ります

Please do not reproduce without prior permission.

Please do not reproduce without prior permission.

スポンサーリンク

神社の伝承(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『豆州志稿(zushu shiko)』〈江戸時代 寛政12年(1800)編集〉に記される伝承

江戸時代 寛政12年(1800)頃 権現と称され 祠の傍に瀑布があった 棟札に筏場下村の土ノ神と記されています かつて大永7年(1527)棟札には 小川村から移された小川三島大明神で 元和3年(1617)棟札には 熊野神社と称され天神でもあったようで 現在の祭神 伊佐那岐尊とも符合します

【意訳】

権現  筏場下村の土ノ神

祠の傍 瀑布あり
元和3年(1617)の札に 熊野神社とす
天神 中組の土ノ神 板の所管(イタニカカレタル)公僔の裏書云 消耴3月16日就て 寶社前に林際 精舎の海の衆 諷経(フウキョウ)す 林間の麓 天神の古廟 歳月久しくなり 埃風雨侵し壊す 敢えて耐え座の視るなり ここに林間の庵の主 妙休禅門 一時打開左右皆 奔走 自ら操郢力を新葦不曰く 口々如しなり 圓 北埜異像奉安に置きし宝殿に者なり 時に 永享 龍集戌午 季春16日と

又 大永7年(1527)の文に云 願主 藤原吉政の妾女奉りし上著

三島 属里上佐野の土ノ神
古い祠なり 大永7年(1527)の文に小川三島大明神と誌す 天文慶長の文に云 時の代官 清水小太郎 小川にありしを ここに移す 地主は即ち 末社の水神なり その大永7年(1527) 天文12年(1543)の文に云 御阿闍梨 霊宮大旦那 清水小太郎 梵天 天川ノ土神

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブス『豆州志稿』選者:秋山章/校訂者:秋山善政[数量]15冊[書誌事項]写本 弘化04年[旧蔵者]内務省
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000002883&ID=M2018051109165431627&TYPE=&NO=

Please do not reproduce without prior permission.

『神名帳考証土代(Jimmyocho kosho dodai)』〈文化10年(1813年)成稿〉に記される伝承

神社の名称のみ記されます

【意訳】

多祁伊志豆伎(タケイシツキ)命神社

【原文参照】国立公文書館デジタルアーカイブ『神名帳考証土代』(文化10年(1813年)成稿)選者:伴信友/補訂者:黒川春村 写本 [旧蔵者]元老院
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000039328&ID=M2018051416303534854&TYPE=&NO=画像利用

Please do not reproduce without prior permission.

『神社覈録(Jinja Kakuroku)』〈明治3年(1870年)〉に記される伝承

所在については不明と記しています

【意訳】

多祁伊志豆伎命神社

多祁伊志豆伎は 仮字なり
〇祭神 明らかなり
〇在所 詳らかならず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015『神社覈録』➂

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)』〈明治9年(1876)完成〉に記される内容

式内社の論社として 4所を挙げているが 決定できない と記しています

【意訳】

多祁伊志豆伎(タケイシツキノ)命神社

祭神
祭日
社格

所在
今按〈今考えるに〉
式社考證に 神階帳 従4位上 たけしの明神と有り この社未定
賀茂郡本郷村 高馬鎮座 八幡社ならんか 此の社は 豆志に竹麻神社三座の内として云う一座 在 本郷村高馬 今 八幡と称す云々とありて所由有る社と聞こえが 旧社地は 今の社の後ろ岩壁上にて 旧蹟ものこりたるが 伊志豆枝の称に適い 高馬の称のタケシに近く通じて聞こえる所縁あるを以ってなり

亦 同郡 見高村 見高明神ならむか 豆志に云う 見高明神 見高村 寛文2年 上梁文に云う 光仁天皇 天慶3年 三島より奉遷 大山祇命なり 末社2とみえ 社記に熟考 人皇45代 聖武天皇 天平5癸酉年 三島大明神 始興洲現所謂 大山祇命なり云々とある如く由ある神と聞こえるが 何の所見もなしと いえども この社にやと思われ神階帳に たけしの明神とある たけし即ち 多祁伊志の約にて地名となりしと思われるに この見高の称の近く通いて 縁由ありけに聞こえればなり

又 同郡一色村に三島明神あり 村称の一色は 伊志都伎に通じて聞こえるは拠あらむも知るべからず
又 同郡 青野村 三島神の妹なりと然らば2社共に必ず式内なるべし云々 と見え 社伝に 祭神 石突命と伝えて所由りて聞こえれど 考えるべき証蹟なしと云える

以上の4所 何れとも決めては云いがたし 姑附て後考を待つ

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155『特選神名牒』➂

『伊豆国式社攷略( Izunokuni shikisha koryaku)』〈明治15年(1882)発行〉に記される伝承

式内社論社として 三社挙げるが 確証なく比定しきれないと記しています

【意訳】

多祁伊志豆伎たけいしづきの命神社

所在未定 たけしの明神 神階

賀茂郡 本郷村 高馬鎮座 八幡神社 攷証の一説 注進續攷
同 郡 見高村 見高神社 攷証の一説
同 郡 青野村 三島神社 社伝攷証 及び 注進の一説

三社の内 熟慮ならむ いまだ確証あらわれず

【原文参照】国立公文書館デジタルコレクション『伊豆国式社攷略』萩原正平 著 出版年月日 明15.6  編 出版者 栄樹堂
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/815090『伊豆国式社攷略』

瀧山神社(Takiyama Shrine) (hai)」(90度のお辞儀)

Please do not reproduce without prior permission.

伊豆国 式内社 92座(大5座・小87座)について に戻る       

おすすめ記事

1

世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」のクライテリア(iii)として「古代から今日に至るまで山岳信仰の伝統を鼓舞し続けてきた 頂上への登拝と山麓の霊地への巡礼を通じて 巡礼者はそこを居処とする神仏の霊能を我が身に吹き込むことを願った」と記されます

2

出雲國(izumo no kuni)は「神の國」であり 『出雲國風土記〈733年編纂〉』の各郡の条には「〇〇郡 神社」として 神祇官の所在する社〈官社〉と神祇官の不在の社を合計399社について 神社名の記載があります 『出雲國風土記 神名帳』の役割を果たしていて 当時の出雲國の神社の所在を伝えています

3

大国主神(おほくにぬしのかみ)が 坐(ましま)す 古代出雲の神代の舞台へ行ってみたい 降積った時を振り払うように 神話をリアルに感じたい そんな私たちの願いは ”時の架け橋” があれば 叶うでしょう 『古事記(こじき)』〈和銅5年(712)編纂〉に登場する神話の舞台は 現在の神社などに埋もれています それでは ご一緒に 神話を掘り起こしましょう

4

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかんよごと)は 律令体制下での大和朝廷に於いて 出雲国造が 新たにその任に就いた時や 遷都など国家の慶事にあたって 朝廷で 奏上する寿詞(ほぎごと・よごと)とされ 天皇(すめらみこと)も行幸されたと伝わっています

5

出雲国造(いつものくにのみやつこ)は その始祖を 天照大御神の御子神〈天穂日命(あめのほひのみこと)〉として 同じく 天照大御神の御子神〈天忍穂耳命(あめのほひのみこと)〉を始祖とする天皇家と同様の始祖ルーツを持ってる神代より続く家柄です 出雲の地で 大国主命(おほくにぬしのみこと)の御魂を代々に渡り 守り続けています

6

宇佐八幡宮五所別宮(usa hachimangu gosho betsugu)は 朝廷からも厚く崇敬を受けていました 九州の大分宮(福岡県)・千栗宮(佐賀県)・藤崎宮(熊本県)・新田宮(鹿児島県)・正八幡(鹿児島県)の五つの八幡宮を云います

7

行幸会は 宇佐八幡とかかわりが深い八ケ社の霊場を巡幸する行事です 天平神護元年(765)の神託(shintaku)で 4年に一度 その後6年(卯と酉の年)に一度 斎行することを宣っています 鎌倉時代まで継続した後 1616年 中津藩主 細川忠興公により再興されましたが その後 中断しています 

8

對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
-,

Copyright© Shrine-heritager , 2024 All Rights Reserved.