源頼朝公
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飽富神社(袖ケ浦市飯富)〈『三代實録』飯富ノ神『延喜式』飫富神社〉
飽富神社(あきとみじんじゃ)は 第二代 綏靖天皇元年創建と云う 古代の中央豪族 飫富(おふ)氏にちなんだ社名「飫富神社」であったが文字の誤伝から「飯富(いいとみ)神社」「飽富(あきとみ)神社」と代わったと云う 『三代實録』には 飯富ノ神と記され 『延喜式』には 上緫國 望陀郡 飫富神社(おふのかみのやしろ)と記されます
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六郷神社(大田区東六郷)
六郷神社(ろくごうじんじゃ)は 源頼朝公・徳川家康公も崇敬した神社で 古くから 延喜式内社 武蔵国 荏原郡 薭田神社(ひえたの かみのやしろ)の論社とする説があります しかし社伝には 天喜五年(1057)源頼義・義家が武運長久を祈願し勝利を収めて創建したとあり 当社も式内社を主張していません
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龍花院〈玉敷神社 旧鎮座地〉(加須市正能)
龍花院(りゅうかいん)は 日鑁上人(にちばんしょうにん)の開山 源頼朝公が寺の修造を命じ幕を寄進したという また後鳥羽天皇から「伊豆山 龍華院 法音寺」の号を賜ったとも伝えられ 古くから有力な寺院でした 当寺の西側は ”古宮跡(ふるみやあと)”と呼ばれています 天正2年(1574)上杉謙信の侵攻で 兵火に罹り焼失した 玉敷神社(たましきじんじゃ)の旧鎮座地です
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右内神社(三島市梅名)〈『延喜式』伊波氐別命神社・阿米都瀬氣多知命神社〉
右内神社(うないじんじゃ)は 下田街道の左右に「左内神社」とともに 三嶋大社の御門守護神として 鎮座していたと伝わります 源頼朝公が伊豆に配流されていた頃 源氏再興を願い三嶋大社への参拝途上で 度々参詣したといわれています 『延喜式』伊波氐別命神社・阿米都瀬氣多知命神社の二つの式内社の論社となっています