日本武尊
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富士山本宮浅間大社(富士宮市宮町)
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は 第7代 孝霊天皇の時 富士山の噴火で国内が荒れ果てた この山霊を鎮祭する為 第11代 垂仁天皇が 浅間大神を山足の地に祀ったのが創祀 第12代 景行天皇の時には 日本武尊が 山宮の地に大神を祀り 大同元年(806)には 坂上田村麿が勅命に依り 社殿を現在の大宮の地に造営し 神霊を遷座した東海最古の名社です
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建部神社(五個荘伊野部町)
建部神社(たてべじんじゃ)は 建部大社〈近江国一之宮〉旧社地の伝承地です 景行天皇46年(316)4月 神崎郡建部郷 千草嶽に 日本武尊の神霊を祀り建部大明神と崇めたのが起源とされ 天武天皇 白鳳4年(675)4月に近江国府のあった瀬田の地に遷座されたと伝わります
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波迦神社(斐川町三絡)
波迦神社(はかじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD.』に 鎮座地の健郡郷(たけるべのさと)とは 第12代 景行天皇の勅(みことのり)により 御子の倭健命(やまとたけるのみこと)の御名を忘れることのないようにと健郡をお定め給われたとあり 出雲郡 不在神祇官社「波如社(はね)のやしろ」とされます
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熊野大神社(深谷市東方)
熊野大神社(くまのだいじんじゃ)は 深谷市東方(ヒガシガタ)に鎮座します この地域は7世紀後半から10世紀前半まで武蔵国(ムサシノクニ)幡羅郡(ハラノコオリ)の郡衙(郡役所)が存在した地域です さらに古代には その地名の由来として「伝説に、日本武尊が東征に際し、当地を過ぎる時、里人に東の方は何れに当たるかと尋ねられ、東方の地名になった」とあります 延喜式内社「武蔵国 幡羅郡 白髪神社」の論社でもあります
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建部大社(大津市)近江国一之宮
建部大社(たけべたいしゃ)は 近江国一之宮です 神社の東側では 近江国庁跡も発掘されています 社伝によれば 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の妃・布多遅比売命(フタジヒメノミコト)が神勅により 日本武尊を「建部大神」として 神崎郡 建部郷 千草嶽(現・東近江市の箕作山)に祀ったのが始まりとされ 天武天皇4年(675)近江の守護神として 現在地の栗太郡 勢多へ遷座しました
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〈知知夫國新一之宮〉秩父神社(秩父市番場町)
秩父神社(ちちぶじんじゃ)は 秩父の武甲山(ブコウサン)を神奈備の山として遥拝する聖地で 第10代 崇神(スジン)天皇〈在位BC97~BC30年頃〉の勅命で 初代 知知夫国造(ちちぶくにのみやつこ)に任命された 八意思兼命の十世の子孫「知知夫彦(チチブヒコ)命」が 大神をお祀りしたのが創建と伝わります 武蔵国(むさしのくに)成立以前から栄えていた 知知夫国(ちちぶのくに)の総鎮守として 『延喜式神名帳』(927年12月編纂)に所載される 関東でも屈指の古社に数えられています
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都々古別神社(表郷三森 都々古山)
都々古別神社は 馬場都々古別神社の旧蹟です 第12代景行天皇の皇子「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 都々古山(福島県白河市表郷三森の建鉾山)に「鉾(hoko)」を立てて「味耜高彦根命(ajisuki takahikone no mikoto)」を地主神として祀った創祀の地です 「建鉾山(武鉾山)」別名を「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」の山頂には梵天の祠があります 当社は 山麓にあり 延喜式の時代には 祭祀が行われていた奥院と伝わります
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都々古別神社(八槻)
八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)は 縁起では「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が 八溝山の蝦夷を討った際に 守護として示現した3神が 建鉾山(福島県白河市表郷三森)に隠れた時に東方に矢を放ち 矢(箭)の着いた地を(箭津幾:やつき)として神社を創建したと伝わります 江戸時代頃には 「近津三社」〈上宮〉馬場都々古別神社〈中宮〉八槻都々古別神社〈下宮〉下宮近津神社(久慈川沿いに3社が並び鎮座)と呼ばれました
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都都古和氣神社(馬場)
馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に所載される 又「陸奥国一之宮」とされる由緒ある神社です 歴史は古く 「日本武尊(yamatotakeru no mikoto)」が「都々古山(Tsutsukoyama)(江戸期までは入山禁足)」に鉾を立てて味耜高彦根命を祀ったことが創祀で その後 大同2年(807年)に坂上田村麻呂が 日本武尊を相殿に配祀した後 現在地(馬場)に遷座したのは寛永2年(1625年)と伝わります
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住吉 大鳥 両大社 宿院頓宮 (住吉大社・大鳥大社 両大社の御旅所)
住吉 大鳥 両大社宿院頓宮(sumiyoshi ohotori ryotaisha shukuintongu)は 摂津国一之宮「住吉大社」と和泉国一之宮「大鳥神社」の両大社(両社ともに 一之宮)の御旅所とされています 1つの社殿に・住吉大社に所縁のある「波除住吉神社」・大鳥大社に所縁のある「大鳥井瀬神社」が 両大社に所縁ある神社として祀られています 境内の飯匙堀(iigaibori)は 水のない空堀ですが 住吉大社の神功皇后にまつわる伝説などがあります
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大鳥羽衣濱神社(高石市羽衣)
大鳥羽衣濱神社(おおとりはごろもはまじんじゃ)は 羽衣をまとう天女を連想させるような神社名を持ちます 御祭神は 大鳥大社に祀られている「日本武尊」の后神で 仲哀天皇の皇太后となる「両道入姫皇女」が祀られています また 当社は江戸時代には 井戸守明神といわれていて 社殿前にある井戸から上がる水は神水として尊ばれたと伝わります
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穴門山神社(倉敷市真備町妹)
穴門山神社(あなとやまじんじゃ)は 日本武尊(yamatotakeru no mikoto)の妃「穴門武媛命(anato takehime nomikoto)」を御祭神としています 古代 児島半島の北側に広がる岡山平野にかつて存在した海「吉備の穴海」を「高山(koyama)」の頂上から見守り続けていたのでしょうか?
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大鳥北濱神社(堺市)
大鳥北浜神社(おおとりきたはまじんじゃ)は 大鳥五社とも呼ばれる いずれも「大鳥(otori)」を冠している五つの神社の1社です 和泉国大鳥郡(大阪府堺市周辺)の式内社で ご祭神は「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の后神の一柱「吉備穴戸武媛命(kibino anato takehime no mikoto)」を祀ります
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大鳥大社(堺市西区鳳北町)〈延喜式内社 名神大社・和泉国一之宮〉
大鳥神社(おおとりじんじゃ)は 和泉国一之宮です 延長5年(西暦927年)に完成した『延喜式神名帳』所載の名神大社(霊験特に著しい神社)です ご祭神「日本武尊(yamato takeru no mikoto)」の御霊が 白鳥となり舞い降りた聖地として まさしく大鳥(otori)の由来をもちます
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羽豆神社(南知多町師崎明神山)〈日本武尊の東征の副将軍 尾張水軍の大将軍を祀る〉
羽豆神社(はずじんじゃ)は 尾張氏の祖神「建稲種命(take inatane no mikoto)」が祀られています 1900年前 強大な尾張水軍を統率し 日本武尊(yamatotakeru no mikoto)の東征を勝利に導いた将軍「幡頭(hata gashira)の神」です