山口県
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杜屋神社(下関市豊浦町黒井)長門国三之宮
杜屋神社(もりやじんじゃ)は 創建の伝説が幾つかあり 日本武尊が大海化にあった時 亀甲に乗った三穂津命が現われ船を無事に毛呂の長浜に導いた 或は 仲哀天皇が九州御征討で 海路豊浦宮に行幸された時 穴門の中ッ村毛呂の里に霊光が終夜輝き渡り この霊光を守り屋の神と称しお祀りされた とも伝わる古社で 式内社 長門國 豊浦郡 村屋神社(むらやの かみのやしろ)とされます
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豊功神社(下関市長府宮崎町)
豊功神社(とよことじんじゃ)は 神話伝説の島として知られる゛満珠・干珠島゛の2島を展望する絶景の宮崎の地に鎮座します 元々は 忌宮神社の境内にあった゛豊功社〈長府藩初代藩主毛利秀元以下を祀る〉゛をここに遷し 祀られていた串崎若宮〈櫛崎八幡宮〉・宮崎八幡宮・松崎八幡宮を〈大正6年(1917)6月〉合祀して 社号を豊功神社と改称したものです
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忌宮神社(下関市長府宮の内町)長門国二之宮
忌宮神社(いみのみやじんじゃ)は 第14代仲哀天皇が熊襲ご平定の為 穴門(長門)豊浦宮を興し7年間政務をとられた旧趾です 天皇は筑紫国 香椎宮で崩御せられ 神功皇后は喪を秘して武内宿禰に御遺骸を奉じて豊浦宮に帰らしめ 殯斂(仮埋葬)せられた ご懐妊中の神功皇后は 新羅征討ご凱旋の後 天皇の御神霊を豊浦宮に鎮祭されたのが当社の起源と『日本書紀』に記されています
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熊野神社 & 出雲社〈熊野神社境内〉(防府市上右田)
熊野神社(くまのじんじゃ) は 明徳三年(1392)大内義弘公は 将軍 足利義満から和泉(いずみ)・紀伊(きい)の両国を与えられた時 野上修理亮に命じて 紀伊の国の熊野権現宮より御分霊を移し この地に熊野権現を創建したと伝わり 境内社 出雲社(いずもしゃ)は 延喜式内社との伝承もあります
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出雲神社(山口市徳地堀)
出雲神社(いづもじんじゃ)は 第44代 元正天皇 霊亀元年(715)鎮座と伝えら 周防国二之宮です その起源はさらに古く 大古 出雲種族の佐波川流域への膨張発展に伴い その祖神を鎮祭したものと考えられています 式内社 周防國 佐波郡 出雲神社二座(イツモノカミノヤシロ フタクラ)とされています
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住吉神社(下関市一の宮住吉)長門国一之宮
住吉神社(すみよしじんじゃ)は 『日本書紀』に記される 神功皇后が三韓征伐より凱旋の折 神託を得て 住吉三神の荒魂(あらみたま)を穴門 山田邑(現在地)に奉斎したとこれが住吉神社の起こりとされます 式内社 住吉坐荒御魂神社三座(並名神大)(すみよしにゐますあらみたまの かみのやしろ みくら)・長門国一之宮です
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長門国 式内社 5座(大3座・小2座)について
長門国(ながとのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 長門国 5座(大3座・小2座)の神社です
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周防国(すおうのくに) 延喜式内社 10座(並小)について
周防国(すおうのくに)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』に所載される 周防国の官社のことで 10座(並小)゛周防国には 10座(並小)゛熊毛郡2座・佐婆郡6座・吉敷郡1・都濃郡1座゛の神が坐しま゛の神が坐します
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玉祖神社(周防国一之宮)
玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は 『延喜式神名帳』に「玉祖神社二座」と所載されています 三種の神器の一つ 八坂瓊曲玉(yasakanino magatama)を造られた「玉祖命(tamanoya no mikoto)」が御祭神 他一座は不詳です また 社伝では『日本神話』でも有名な「天照大神の天の岩戸隠」の時に 集めて鳴かせた「常世 長鳴鶏」を 玉祖命が この地に この鶏をつれて留まられたとして「黒柏 発祥の地」としています 黒柏は 天然記念物に指定されて境内で飼育されています