その他の神社(Other old shrine)

鹿島神社(松山市北条辻)〈神功皇后創建の古社 瀬戸内海の海防の要衝 鹿島〉

鹿島神社(かしまじんじゃ)は 瀬戸内海の海防の要衝 北条の鹿島に鎮座します その創建は 神功皇后が三韓征討の途次 風早の浦鹿島に投錨し 武甕槌神 経津主神を勧請奉斎し 戦勝と道中の安全を祈願し出陣したと伝承があり その折 里人が神功皇后に 米の上に真鯛をのせて炊いたもの〈北条鯛めし〉を献上したとされます

大歳金刀比羅神社(多可郡多可町中区鍛冶屋)〈境内摂社 天目一箇神社〉

大歳金刀比羅神社(おおとしこんぴらじんじゃ)は 往古は 鍛冶の神 天目一命(あまのまひとつのかみ)を奉祀したと推測され 現在も本殿相殿・境内摂社に天目一箇神(あめのまひとつのかみ)が祀られています 明治44年(1911)在来の大歳神社に〈摂社〉金刀比羅神社〈寛政6年(1794)讃岐琴平宮より勧請〉を合祀し 現社号に改称

五條天神社〈天使の宮〉(京都市下京区松原通西洞院西入天神前)〈洛中の最古社〉

五條天神社(ごじょうてんしんしゃ)は 社伝には 延暦13年(794)平安京遷都の折 桓武天皇の命により 大和国宇陀郡から 弘法大使空海が天つ神(あまつかみ)を勧請したのが当社の創建と云う 洛中最古の社で 当初は「天使の宮」「天使社」と称しました 又 源義経〈牛若丸〉と弁慶の出会いの場所 と伝わります

田村神社(甲賀市土山町北土山)〈征夷大将軍・坂上田村磨呂公を祀る神社〉

田村神社(たむらじんじゃ)は 垂仁天皇45年(西暦16年)甲可翁(こうかのおきな)と云う人が 倭姫命を崇敬し その生霊を鎮祭し 鈴鹿社〈高座大明神〉と云われた 弘仁三年(812)嵯峨天皇の勅により坂上田村麻呂を神社程近き二子峰に鎮祭し 同十三年(822)現地に遷し 鈴鹿社に合祀し 高座田村大明神〈田村神社〉と稱しました

〈大和神社御旅所〉御旅所坐神社〈大和稚宮神社〉& 齒定神社(天理市中山町)

〈大和神社御旅所〉御旅所坐神社(おたびしょにますじんじゃ)〈大和稚宮神社〉&歯定神社(はじょうじんじゃ)は 第10代 崇神天皇が 地主神・倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)の斎女として勅した 皇女 ゛淳名城入姫命(ぬなきいりひめのみこと)の御墓゛と伝える前方後円墳゛大塚山゛の南麗にある大和神社の御旅所に鎮座します

熊野三所大神社(那智勝浦町大字浜の宮)

熊野三所大神社(くまのさんしょおおみわやしろ)は 創建の伝承には 神武天皇が東征の時 御上陸の地点で 頓宮の御遺蹟であり 又 その御上陸の際に抵抗した゛熊野の首長 丹敷戸畔(にしきとべ)゛の小祠を祀ります 平安時代からは 補陀落渡海(ほだらくとかい)の拠点となった補陀洛山寺とともに 那智山から下った那智浜に鎮座する 熊野三所権現(渚王子)として有名です

沖繩神社(那覇市首里鳥堀町)

沖繩神社(那覇市首里鳥堀町)は 1879年 琉球併合(りゅうきゅうへいごう)によって 沖縄県が新設され 大正期に入り 沖縄県民は近代社格制度に基づく「県社」の建立を希望し 首里城跡に 源為朝公と歴代国王が祀られる 沖縄神社が創建されたのが始まりです 戦後 弁ヶ嶽の隣に再建されて現在に至ります

ノロ殿内〈ヌンドゥンチ〉&伊計神社〈掟(ウッチ)〉(うるま市与那城伊計)

伊計神社(いけいじんじゃ)〈掟(ウッチ)〉&ノロ殿内(ヌンドゥンチ)は 太古から人々の息吹く縄文時代の゛仲原遺跡゛がある゛伊計島(いけいじま)゛にあります 伊計島(イチジマ)とも呼ばれ 沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島の北東約10kmに位置し 琉球発祥の地とされる浜比嘉島の奥にある神秘の島です

恵比須神社(那覇市安謝)

恵比須神社(えびすじんじゃ)は 琉球八社゛沖宮(那覇市奥武山町)゛の先代 宮司゛比嘉真忠(1914-1990)゛によって沖縄各地に創建された神社の一つです 本殿付近は 和文学者の平敷屋朝敏(へしきやちょうびん・1701~1734年)が 1734年に処刑された場所だと 伝わります

椎根津彦神社(大分市佐賀関)

椎根津彦神社(しいねつひこじんしゃ)は 住古 神武天皇は 東征の途 豊國 早吸の門に到りし時 海上に釣垂れていた賤しからぬ人品の男 珍彦(うずひこ)〈国津神〉に水先案内を仰付け 椎根津彦(しひねつひこ)の名を下した 以来 命は功をたてて論功行賞の恩典として 初代 大和國造となった 里人は かくの如き祖先を輩出した郷土の誇りとして 小祠を祀りて奉った

宇治神社&足神神社(伊勢市宇治今在家町)

宇治神社(うぢじんじゃ)は 創祀について古来二説あり 一つは那自賣神社〈皇大神宮(内宮)末社〉の跡地に土地の神を祀ったというもので 宇治橋の鳥居から約350mと内宮のすぐ近くに鎮座します 境内には 葦立弖(あしたて)社〈皇大神宮(内宮)末社〉に擬したされる゛足神さま゛〈足神神社〉足腰の病にご利益があり 内宮を参拝したあとに詣でる人が後を絶ちません

浮幣神社〈浮鯛神社〉(三原市幸崎能地)

浮幣神社(うっぺいじんじゃ)は 浮鯛神社(うきだいじんじゃ)とも呼ばれます これは『日本書紀』に記される 神功皇后が 三韓征伐に向かわれた時 お召船の周囲に集まった鯛(タイ)に酒を注いだところ 鯛が酔って浮いた「浮ダイ」となった故事に由来します それ以後 能地(のうじ)の海には毎年春になれば鯛(タイ)が浮かぶようになったと云われていました

豊功神社(下関市長府宮崎町)

豊功神社(とよことじんじゃ)は 神話伝説の島として知られる゛満珠・干珠島゛の2島を展望する絶景の宮崎の地に鎮座します 元々は 忌宮神社の境内にあった゛豊功社〈長府藩初代藩主毛利秀元以下を祀る〉゛をここに遷し 祀られていた串崎若宮〈櫛崎八幡宮〉・宮崎八幡宮・松崎八幡宮を〈大正6年(1917)6月〉合祀して 社号を豊功神社と改称したものです

善女龍王神社・雷電神社(皆野町皆野)

善女龍王神社・雷電神社(ぜんにょりゅうおうじんじゃ・らいでんじんじゃ)は 平安時代 この地方に長く日照りが続いた時 真言僧の歓喜坊(かんぎぼう)が 古来湧水の絶えない池〈竜神池〉の辺に神籬を立て竜神を招魂祈念したところ 慈雨があり 社〈善女竜王社〉を建て厚く信仰したのが始まりです

住吉神社(福岡市博多区住吉)・境内・摂社・末社について

筑前国一之宮 住吉神社(すみよしじんじゃ)の・境内・摂社・末社 と境内・境外の要所についてご覧ください

香取神宮(香取市)の摂社(9社)・末社(21社)合計30社

香取神宮(かとりじんぐう)の 摂社(せっしゃ)9社・末社(まっしゃ)21社・合計30社と境内・境外の要所について

香取神宮 要石 & 押手神社(香取市香取宮中)

香取神宮 要石(かなめいし)は 香取・鹿島の二柱の大神が 葦原中國を平定し 香取ヶ浦に至った時 地震を起こす大鯰(おおなまず)を鎮めるため 地中深くに石棒を差し込み 鯰の頭尾をさし通した霊石だと古くから伝えらます 押手神社(おしてじんじゃ)は この要石を向いて 宇迦之御魂神〈農耕の神〉を祀ります

鹿島神宮 跡宮(鹿嶋市神野)

鹿島神宮(かしまじんぐう)跡宮(あとのみや)は 鹿島の大神が初めて天降(あまくだ)り給いし所とされ 鹿島大神に仕える物忌(ものいみ)〈高い位の女性(巫女)祭主〉が傍らに居住していました 社伝には 天種子命〈神武天皇の御世〉又は国摩大鹿島命〈第11代垂仁天皇〉により宮柱を建てたとあり 鹿島神宮と同じく2000年以上の古い歴史を持ちます

息栖神社(神栖市息栖)

息栖神社(いきすじんじゃ)は 鹿島神宮・香取神宮と並び称される東国三社の一つとして 古くから信仰を集める神社です 創祀は遠く 神功皇后の御代と伝えられ 六国史『日本三代実録』〈延喜元年(901年)成立〉に「於岐都説神」と記されているのが当社とされています

大戸神社(香取市大戸)

大戸神社(おおとじんじゃ)は 社伝に 第十二代 景行天皇40年(111)日本武尊 東征の時 蝦夷征討祈願のため大戸〈古くは大津〉の地に勧請し 白鳳二年(662)更に之を再営す と伝わり 江戸時代まで香取神宮の第一末社(明治から摂社)で 当時 他の末社とは違い 神領も香取・大戸と区分され 独自に神主・大禰宜などの神官26人と社僧8人の合計34人が勤めた大きな神社でした

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