国史記載社

櫟谷宗像神社(西京区嵐山中尾下町)〈『三代実録』宗像・櫟谷神『延喜式』櫟谷神社〉

櫟谷宗像神社(いちたにむなかたじんじゃ)は 『三代実録』貞觀十二年(870)「葛野鋳銭所に近い宗像・櫟谷・清水・堰の小社五神に 新たに鋳造した銭を奉納した」とあるように 宗像社・櫟谷社は元々独立した別々の社でした 又 櫟谷社は『延喜式』に山城國 葛野郡 櫟谷神社(いちいたにの かみのやしろ)とある延喜式内社です

向日神社(向日市向日町北山)〈『延喜式』乙訓坐火雷神社〔名神大月次新嘗〕・向神社〉

向日神社(むこうじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 向神社(むかへの かみのやしろ)後に同じく式内社 乙訓坐大雷神社(火雷神社)〔名神大 月次新嘗〕(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)の かみのやしろ)を合祀と伝わり この両社は 同じ向日山に鎮座 向神社は上ノ社 火雷神社は下ノ社と呼ばれていたと云う

角宮神社(長岡京市井ノ内南内畑)〈『延喜式』乙訓坐大雷神社〔名神大月次新嘗〕〉

角宮神社(すみのみやじんじゃ)は 延喜式内社 山城國 乙訓郡 乙訓坐大雷神社(火雷神社)〔名神大 月次 新嘗〕(をとくににます おほいかつち(ほのいかつち)のかみのやしろ)の論社 承久の変(1221)で灰燼に帰し容易に復興を許されず 旧社地 井ノ内の西部(宮山)から文明16年(1484)現在地に再興 井ノ内の産土神です

菱妻神社(久世築山町)〈『延喜式』乙訓坐火雷神社 名神大・走田・茨田・簀原神社〉

菱妻神社(ひしづまじんじゃ)は 簀原大明神が前身とされるが 詳細は明らかではありません 13世紀頃社名を乙訓坐火雷神社 16世紀頃 菱妻神社に変更と云う 延喜式内社 山城國乙訓郡 乙訓坐大雷神社〔名神大月次新嘗〕・走田神社・茨田神社・簀原神社と4つの式内論社となっています

須佐神社(有田市千田)〈『三代實録』湏佐神『延喜式』湏佐神社〔名神大月次新嘗〕〉

須佐神社(すさじんじゃ)は 和銅6年(713)大和国吉野郡 西川の峯より遷座〈伊太祁曽神社が現在地へ遷座と同日〉中雄山の山頂に海を向いて祀られた 海上を通る船舶が帆を下ろし敬意を表さないと転覆するなど御神威があり 海の見えない中腹〈現在地〉に遷ったと伝わります 延喜式内社 紀伊國在田郡 湏佐神社〔名神大 月次新嘗〕です

須義神社(豊岡市出石町荒木字竹ヶ原)(『三代實録』菅神『延喜式』湏義神社)

須義神社(すぎじんじゃ)は 社伝によると「応神天皇四十年の創祀」と云う 一説には 神功皇后が熊襲征討のため出石神社に戦勝祈願をした時の創祀とも云われる 『三代實録』貞観10年(868)従5位下に叙せらた「菅神」は当社の事とされる 延喜式内社 但馬国 出石郡 湏義神社(すきの かみのやしろ)です

江田神社(宮崎市阿波岐原町)〈『續日本後紀・三代實録』江田神『延喜式』江田神社〉

江田神社(えだじんじゃ)は 社伝に「太古の御創建 この地一帯は古来 所謂 日向の橘の小戸の阿波岐原として 伊邪那岐の大神禊祓の霊跡と伝承されて 縁起最も極めて深き社ならむ」とあります 六国史『續日本後紀』『三代實録』江田神とあり 『延喜式』日向國 宮崎郡 江田神社(えたの かみのやしろ)とされます

宝満宮 竈門神社(太宰府市内山)〈『六国史』竃門神『延喜式』竃門神社〔名神大〕〉

宝満宮 竈門神社(ほうまんぐう かまどじんじゃ)は 天武天皇二年(673)開山心蓮上人が山中で修行中 にわかに山谷震動して貴婦人〈玉依姫の霊〉が現れ 金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行した 上人は直ちに朝廷に奏上すると 朝廷の命によって上宮が建立された 延喜式内社 筑前國 御笠郡 竃門神社〔名神大〕(かまとの かみのやしろ)です

大幡神社(佐渡市大倉)〈『三代實録』大庭神『延喜式』大幡神社〉

大幡神社(おおはたじんじゃ)は 『佐渡神社誌』に由緒として『元緑寺社帳』に貞觀三年(861)の創設とあり 一説には延喜元年(901)の創祀とも伝えています 『三代實録』に大庭神『延喜式』に佐渡國 賀茂郡 大幡神社(をほはたの かみのやしろ)です 往時は佐渡北部24ケ村の總鎭守で 明治には縣社に列しています

有鹿神社 奥宮(相模原市南区磯部)〈『延喜式』有鹿神社 発祥の地〉

有鹿神社 奥宮(あるかじんじゃ おくのみや)は 縄文時代の大集落跡である相模原市磯部勝坂の有鹿谷(あるかやと)に鎮座する 延喜式内社 相模國 高座郡 有鹿神社(ありかの かみのやしろ)の発祥の地です 社号の「有鹿(あるか)」とは 古代語の「水」を意味し 有鹿谷の泉は 縄文の水神信仰の対象であると云われます

熊野若宮三社神社(京丹後市久美浜町品田)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉

熊野若宮三社神社(くまのわかみやさんしゃじんじゃ)は 『熊野郡誌』に祭神を「天熊人」とし「式内社にして其の創建最も古く 人皇第十代崇神天皇の御世 道主命の勧請に係れりと傳ふ 云々 民間に於ける伝説には弉諾二神と素盞鳴尊を奉祀せりといへり」とある 延喜式内社 丹後國 熊野郡  熊野神社(くまのの かみのやしろ)です

熊野新宮神社(京丹後市久美浜町河梨大谷)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉

熊野新宮神社(くまのしんぐうじんじゃ)は 古文書が乏しいため由緒を証するものが少なく 勧請の年代等は不祥ですが 『久美濱町誌』には「式内の古社で靈験最も著しく」と記した上で 延喜式内社 丹後國 熊野郡  熊野神社(くまのの かみのやしろ)であるとしています

熊野神社(京丹後市久美浜町 兜山山頂)〈『三代實録』熊野神『延喜式』熊野神社〉

熊野神社(くまのじんじゃ)は 『丹後旧事記』に「四道將軍の一人 丹波通主命が 河上の麻須の郎女を娶り五女を授かり 五人の娘たちが皆 垂仁天皇の皇后・妃になったことを喜び祝い 丹波道主命が熊野の神を勧請 河上の麻須によって 兜山の山頂に建立した」と云う 延喜式内社 丹後國 熊野郡  熊野神社(くまのの かみのやしろ)です

鏡作神社(三宅町石見)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉

鏡作神社(かがみつくりじんじゃ)は 社伝には「当社は延喜式内社にして 石凝姥命を祀る古社である」とあるが 荒廃していたものを昭和48年(1973)浄財をつのり造営したとしています 延喜式内社 大和國 城下郡 鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕(かかみつくりにます あまてるみたまの かみのやしろ)の論社です

鏡作坐天照御魂神社(田原本町⼋尾)〈『延喜式』鏡作坐天照御魂神社〔大月次新嘗〕〉

鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにます あまてるみたま じんじゃ)は 第10代崇神天皇の御世 三種神器の一つ「八咫鏡」を笠縫邑〈伊勢神宮の起源〉にお祀りする際 皇居にお祀りする新たな御鏡を鋳造したのが 鏡作神社を中⼼とした鏡作の匠で この時 試作鋳造された御鏡を「天照国照⽇⼦⽕明命」としてお祀りされています

摩氣神社(園部町竹井)〈『文徳天皇實録』麻氣神社『延喜式』麻氣神社〔名神大〕〉

摩氣神社(まけじんじゃ)は 社伝には「嵯峨天皇御宇 弘仁二年(812) 僧空海の勧請せし所にして 摩氣郷十一ヶ村の總氏神たりといふ」とあるが『新抄格勅符抄』には「稱徳天皇 神護景雲四年(770)神封一戸を奉ず」とあり 奈良時代以前の創建と推測されます 延喜式内社 丹波國 船井郡 麻氣神社〔名神大〕(まけの かみのやしろ)です

山神社(高島市マキノ町牧野)〈『三代實録』麻氣神『延喜式』麻希神社〉

山神社(さんじんじゃ)は 『高島郡誌』神社誌に 西庄村大字牧野に鎭座する「山神社」の社傳として「社傳に云、もと麻氣神社と稱し、字 眞毛野に鎭座ありしが、中古 彌馬野(ヤマノ)に移して 彌馬野神社と稱したり」とあり 延喜式内社 近江國 高嶋郡 麻希神社(まけの かみのやしろ)とされています

大洗磯前神社(大洗町磯浜町)〈『延喜式』大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕〉

大洗磯前神社(おおあらいいそさきじんじゃ)は 『文徳天皇実録』斉衡三年(856)十二月二十九日の條に常陸国上言として 創建の由来が記され 天安元年(857)の條には官社に預っています 延喜式内社 常陸國 鹿嶋郡 大洗礒前藥師菩薩明神社〔名神大〕(おほあらひ いそさきの やくしほさつの あけのかみのやしろ)です

雷神社(越前市広瀬町)〈『三代實錄』廣湍雄推神『延喜式』雷神社〉

雷神社(いかずちじんじゃ)は 社伝に廣瀬開闢の産神 往昔 八幡山の嶺に鎭座と伝える 延喜式内社 越前國 丹生郡 雷神社(いかつち かみのやしろ)です 文化三年(1806)出火し古記等焼失 明治七年(1874)現社地に再建遷座 現地は元々『三代實錄』廣湍雄推神の境内で 貞観三年(861)雷神社の御領所となり遥拝所があった

八坂神社&雨夜神社〈『延喜式』 雨夜神社〉(丹生郡越前町天王)

八坂神社(やさかじんじゃ)は 社伝に 約1800年前 神功皇后が三韓出兵の帰途に天下安寧を祈願し 蛇谷山に祇園牛頭天王を祀ったのが当社のはじまりと云う 又 明治43年(1910)雨夜神社(朝日村天屋)〈延喜式内社 越前國 丹生郡 雨夜神社(あまよの かみのやしろ)の論社〉を八坂神社の境内に移転しています

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