延喜式神名帳

『出雲國風土記』出雲郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】58社

『出雲國風土記』出雲郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】58社は 写本の順番で並んでいます

許豆神社〈北宮〉(出雲市小津町)

許豆神社〈北宮〉(こづじんじゃ)は 『出雲國風土記733 AD』楯縫郡に所載の5つの許豆神社の一つで 神祇官社「許豆社(こづ)のやしろ」・『延喜式神名帳927 AD』では「許豆神社 こつのかみのやしろ」とされます 里人からは「切明大明神(きりあけだいみょうじん)」と呼ばれていました

田中神社(出雲市多久谷町)&西多久神社〈田中神社に合祀〉

田中神社(たなかじんじゃ)は 由緒不詳ですが 古くは「宇土権現」「別所権現」と言われたと云う 〈田中神社に合祀〉西多久神社は『出雲國風土記(izumo no kuni fudoki)』所載の楯縫郡 神祇官社「多久社 (たく)のやしろ」・延喜式内社 出雲國 楯縫郡 多久神社(たくのかみのやしろ)の論社とされます

多久神社(出雲市多久町)&拝田神社〈多久神社に合祀〉

多久神社(たくじんじゃ)は 神名樋山「大船山」の南麓に鎮座 大船山嶺の西に 阿遅鉏高日子根命と天御梶姫命の御子神「多伎都彦命(たきつひこのみこと)の魂」と伝える「石神」が旧鎮座地 神名の通りタキ〈水の神〉で 雨乞いをすれば必ず雨を降らすと『出雲国風土記』楯縫郡に記される「多久社」で〈合祀〉拝田神社は「山口社」の論社です

大野津神社(松江市大野町)

大野津神社(おおのつじんじゃ)は 『出雲国風土記』に「大野津社」・『延喜式神名帳』に「大野津神社」とあり 江戸時代には「角森(つのもり)大明神」とも称されます 宍道湖北岸の大野灘に鎮座して 津ノ森は 重要な津〈港〉であり 海陸交通の神 また地域の農耕・厄除の神として信仰を集めています

許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)

許曽志神社 元宮阯(松江市古曽志町)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社「許曽志神社(松江市古曽志町)」の 本宮阯〈旧鎮座地〉です 貞享元年(1684年)4月 現社地 松尾山へ奉遷までこの地に御鎮座 址地の地名を『元宮』と称すとあり 旧社地は寛大 古木繁茂 馬場の左右に松の並木在りと伝わります

許曽志神社(松江市古曽志町)

許曾志神社(こそしじんじゃ)は 「出雲国風土記」「延喜式」に記載がある由緒ある古社です 祭神の猿田毘古命(さるたひこのみこと)で 猿田は狭田に通じ 五穀の守り神として国土を開拓した当地の開拓神と伝わり 狭田の国にあって産業の振興に尽くされた神として信仰されてきました

杢屋神社(松江市古志町)& 七社神社〈杢屋神社に合祀〉

杢屋神社(もくやじんじゃ)は 蛭子命を祭神とし 〈杢屋神社に合祀〉七社神社は 風土記の「毛之社」とされていて 天御中主尊 外四神を祭神とし もと三笠山に鎮座し 永禄年間(1558~1570)に字 西の谷に移転し 大正元年(1912)杢屋神社に合祀されました

森清神社(松江市大垣町)

森清神社(もりきよじんじゃ)は『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 不在神祇官社「阿之牟社(あしむ)のやしろ」の里宮とされます 明和4年(1767)に里宮として創建され 地区の名にちなみ呼称されるようになった 阿之牟社は 本来山一帯をご神体とする神社で 山中の中腹に本宮とされる巨岩が鎮座します

内神社(松江市大垣町)

内神社(うちじんじゃ)は 『出雲國風土記』の「宇智社」・『延喜式神名帳』の「内神社」に比定され 出雲国二大社(出雲大社・佐太神社)の支配を受けない「一社一例社」の特例を中世から継続して来た格別の神社で 江戸時代は松江藩四所祈願所(杵築、日御碕、佐陀、当社)のひとつでした 創建は霊亀元年(715)高野山の頂に光輪を見て神垣を結んだとされ 養老元年(717)今の宮地に移し宮殿を再興したと伝わる

五十田神社(松江市古志町)

五十田神社(いそだじんじゃ)は 『出雲國風土記』所載の秋鹿郡 大井社です もとの鎮座地は現在地の東方にあった佐太水海の沖の大井の輪と言われる浜にあったが 洪水により社殿が西の丘麓の大井垣の輪に漂着し大井神社と称した 更に現在地の磯田に遷座し磯田神社となり 『日本書記』にある武甕槌命・経津主命が「出雲の国護りの舞台」五十田狭の小汀に天降ったのは ここなりとしての両神を祀り 五十田神社と改称した

『出雲國風土記』島根郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】14社

島根郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】14社は 写本の順番で並んでいます " Shrines are arranged in order of manuscripts "

『出雲國風土記』楯縫郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】9社

『出雲國風土記』楯縫郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】9社は 写本の順番で並んでいます

『出雲國風土記』秋鹿郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】10社

『出雲國風土記』秋鹿郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】10社は 写本の順番で並んでいます

『出雲國風土記』意宇郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】48社

意宇郡【神祇官社(jingikan no yashiro )】48社は 写本の順番で並んでいます

惠曇神社(鹿島町佐陀本郷畑垣)&畑垣神社〈惠曇神社に合祀〉

惠曇神社(えともじんじゃ)は 磐坂日子命(いわさかひこのみこと)を御祭神としています 神名の「磐坂」は「磐境(いわさか)」と同義とされ 「座王さん」と呼ばれる当社境内に鎮座する磐座を神名として象徴化したものと考えられています 『出雲國風土記 733AD』所載の「恵杼毛社 (えとも)のやしろ」「毛之社 (もし)のやしろ」の論社とされています

惠曇神社(鹿島町恵曇)

恵曇神社(えともじんじゃ)は 磐坂日子命〈須佐能乎命(すさのをのみこと)の御子〉を祀り 『出雲國風土記 733 AD』所載の神祇官社「惠杼毛社(えとも)のやしろ」の論社です また境外社の恵曇海辺神社は『出雲國風土記』所載の不在神祇官社 二ヶ所の論社となっています

垂水社〈国司神社に合祀〉&國司神社(松江市西長江町)

國司神社(くにしじんじゃ)は 慶長年間(1596~1615)に旧社地 本国司より 現今の社地へ奉遷しました 垂水社〈国司神社に合祀〉については 明治41~42年(1908~1909)に往時 垂水社(式内社)を合祀してある西長江の新宮 東長江の姫二所 日御碕 天森の四社がこれに合祀された

御井神社〈秋鹿神社に合祀〉の旧鎮座地(松江市秋鹿町)

御井神社〈秋鹿神社に合祀〉の旧鎮座地は 現在の秋鹿神社の南方 約100m程の位置に神井があったと伝承があります〈現在は民家が建つ〉

秋鹿神社(松江市秋鹿町)& 御井神社〈秋鹿神社に合祀〉

秋鹿神社(あいかじんじゃ)& 御井神社〈秋鹿神社に合祀〉は 御祭神の秋鹿日女命(あいかひめのみこと)の名から『出雲國風土記(733年)』の秋鹿郷の名の由来とされています 所載社として「秋鹿社(あきか)のやしろ」と〈秋鹿神社に合祀〉の「御井社(みい)のやしろ」の二つの論社とされます

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