神明神社(越前市三ツ口町)〈『延喜式』大山御板神社〉

神明神社(しんめいじんじゃ)は 『越前鹿子』等の地誌は『足社記」の「三太今云三口。又延喜式所載 大山板神社是ノ處乎。」との記載により當社を延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)比定しています 明治411908)楠伏拜神社に合併され 伏拜神社は神明神社と改称しています

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

神明神社(Shinmei shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

福井県越前市三ツ口町122

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天照大神(あまてらすおほかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

神明神社

 由緒は不明である。延喜五年 (九〇五年)の神名帳によれば、大山御板神社として記載されている式内社でないかと推定される。越前国名蹟考にも「郷名 三太一書の古記に云う 今 三口、延喜式に云 大山御板の神社是也」とある。
 明治四十一年、楠町の伏し拝み神社と合併し、ご神体は併合された。昭和の末、河野村菅谷の神社の御祭神を、一旦上総社に合祀して、後に三ツ口神明神社に分祀し、現在に至っている。

南地区自治振興会

現地立札より

【由  (History)】

『式内社調査報告第十巻』昭和59年に記される内容

【抜粋】

第十五巻 越前國 丹生郡

大山御板(オホヤマミタノ)神社
【社名】

 『神社覈録』に「大山は於保夜麻、御は三べし、〔郷名部〕三太、○往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、〔官社考〕」とある。

【所在】

 大山御坂神社に比定する説のある神社は、次の五社である。

A 鯖江市上江第三五號大山三三番地(今立郡河津村上鯖江)舟津神社に合祀。(『舟津神社社記』・『越前國官社考』)。

B 鯖江市烏第一二號板岡三一番地(丹生郡豐村鳥井)春日神社(Aと同じやうな由緒を掲げる)

C 丹生郡清水町片第六一號字宮垣内四九番地(丹生郡三方村片)八幡神社(『越前『越前神社考』)

D 丹生郡朝日町乙第一二號字神玉二四番地丹生朝日乙坂大洗崎神社(『越前名勝志』)

E 武生市三口字宮の一八番地(南條山村三口)舊 神明神社(『社記『越藩拾遺』・『越前鹿子』等)。

【論社考證】

A
 によれば「大彦命勅命を受けて超の園に来り給ふや角鹿津より御旗を挙げ八田(今丹生郡にあり)を経て舟場より東に渡らんとし航路危かりしかばを棹を投じて神に祈り給ひ(棹谷は丹生郡にありが老翁の教へによりて深江の地に向ひ給ひ和美川にて安伊奴の導を得て遂に深江の地に着し給へりに山あり 命登臨し玉ふ時に 亦鹽垂の老にめぐり逢ひふに山をけて山と云ふ 老翁 命にへて曰く 國の元名は石熊國堅  襲要鬼悉く族を討ちらんと計る 宜しく之がをなし玉ふべしと 命間ひ玉はくは誰ぞや答ひてはく 吾なり汝命の忠誠をみし此處に来り斯くふるなり 命我言を信じ玉ひてを此處に祭り玉ひなばに血らずして元忽ち滅び平らかならんと告げち失せたり 命其ひ三枚のを用ひて逢山の峰に社形を造り向の印璽を神となし猿田彦神を奉り玉ふ 即ち式内大山御坂神社なり(延喜式神名帳 大山御坂神社なり)。」といふ。

尚 舟津神社々記にも同様の記載があり、寛仁二年兵火につて舟津神社に合祀されたといふ。
・・・
・・・〈中略〉
・・・

B
 神社明細帳に「崇神天皇ノ御宇 命北陸御征討御時 當時 元大山(今鯖江ノ岱ヲ大山トモ云フ) ニ退治シ玉時 命御舟ニテ丹生郡宮崎村舟場ヨリ當地ニ御着陣アラセラン板ヲ立テラレテ軍神 武甕槌神 經津主神ノ二神ヲ玉ヒヲ退治ジ玉ヒニ神ノ不昧ナルヲアリテ御板神社ハル大山ノ玉フ延喜式神名大山神ト記載セラル(下略)」とある。

C
 『越前國名蹟考』が「大山御坂神社在片糖村 稱ニ 白山社 蓋依ニ 大山縁云歟〔越前神社考〕」とするも、現在は八幡社とし、別に五社神社ともす。新しく境内も整備され、社殿も造されてるが、燈呂鳥居の破片又舊社殿等に白山社の名をふことが出来る。附近の神社を合祀したものである。

D
 『越前名勝志』に「丹生郡。管郷三大、今三〔式〕云大山神社、今乙坂村。同じく越前國百二十六神社。私考。忍坂・今乙坂村二ヶ所是有は丹生郡川村の。」とある。

E
 『越藩拾遺錄』『南越溫故集』『越前鹿子』等の地誌は『足社記」の「三太今云三口。又延喜式所載 大山板神社是ノ處乎。」との記載によつて、社を比定してゐる。
 三口の地名は現在 武生市( 南條郡神山村)にあり、同字宮の一八番地に村社 神明神社(祭神 天照大神座したが 明治四十一年五月十三日 無格 伏拜神社に合併され、同年六月二十七日 伏拜神社は神明神社と改 村社に列した。

以上A・B・C・D・E共に式内社と斷ずることは出来ない。

【祭神】

A 舟津神社。 大彦命孝元天皇・素佐鳴命,

殿〔大山御坂神社〕猿命。神社明細帳に登録してゐる。『神祇志料』に「蓋大古命、孝元天皇を祀る」とある。『神社覈録』に「猿田彦大神〔官社考〕」、『特選神名』に「猿田毘古命、孝元天皇。今按本社傳說(中略)神社覈録にも祭神古命とあり故今 に因て記せり。」とあつて、大山板神社の祭神として猿田古命と孝元天皇を配祀したとしてゐる。

B 春日神社。 武甕槌神・經津主神・天命・比大神。

C 八幡神社。 譽田別尊。

D 大洗磯崎神社。 大名持命少彦名命。

E  神明神社。 天照大神。

【由緒】

A 前述の通りである。舊社。

B 神社明細帳には、前引の部分にいて、「治暦四年藤原家ヲ供ニテ天屋根・比昨大神ヲ合祀セラレテ 社號ヲ春日神社
・・・
・・・(中略)
・・・

C 神社明細帳に、「人皇五十六代清和天皇 二庚寅年三月 其後六百五十四年ヲ経テ破ニ相成 永正七庚午七月 朝倉貞景本社造アリ。一、境内神社一社。白山神社(祭神 伊邪那美尊・火産靈命・武甕槌命)由緒不祥とあるのを、明治四十一年十二月九日「誤謬ニより削除」として、朱線で抹消してる。村社。

D 由緒不評。舊村社。

E 前述の通り由緒不評。村社。

【祭祀】

A 例祭 九月二十日。境内 二、六七七坪。氏子 六九九戸。宮司 橋本政英氏(本務)。

B 例祭 十月一日。境内 一、四三八坪。氏子一三○戸宮司 高橋好視氏(本務)。

C 例祭 九月十五日。境内 二九〇坪氏子六五戶。宮司 宮田哲彌氏(務)。

D 例祭 九月二十七日。境内二坪。氏子八二戶宮司 高橋正純氏(務)。

E 例祭 五月十五日。境内 六五〇坪氏子三五〇戸。宮司 西尾博英氏(本務)。

(西森清隆)

【原文】

『式内社調査報告第十五巻』著者 式内社研究会編纂.刊行年.昭和59年.出版社 皇学館大学出版部より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神明神社 本殿

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神明神社 拝殿

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・狛犬

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・ころり観音堂

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ころり観音

 伝承によれば、近くの竹藪の中にぽつんと野ざらしになっていた観音さまを見付けた村人が、勿体な いと村の社の前に移して手厚く祀ったと伝えられる。

 この観音さまにお参りすると、長患いをすることなく、ころりと逝くことができると秘かに伝えられ、村人たちは「ころり観音さま」と呼んで祀り、また近隣の信仰を集めていたという。
南地区自治振興会

現地立札より

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・社頭

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

・神明神社〈上総社〉(越前市若竹町)
〈明治41年 神明神社(越前市三ツ口町)を合祀〉

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称

『日本書紀』養老4年(720)完成
『續日本紀』延暦16年(797)完成
『日本後紀』承和7年(840)完成
『續日本後紀』貞観11年(869)完成
『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
『日本三代實録』延喜元年(901)完成

〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)北陸道 352座…大14(うち預月次新嘗1)・小338

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)越前國 126座(大8座・小118座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹生郡 14座(大1座・小13座)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 大山御板神社
[ふ り が な ](おほやまみたの かみのやしろ)
[Old Shrine name]Ohoyamamiita no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 越前國 丹生郡 大山御板神社(おほやまみたの かみのやしろ)の論社〔7社〕について

・舟津神社(鯖江市舟津町)
〈相殿に大山御板神社を祀る〉

・春日神社(鯖江市鳥井町)

・八幡神社〈五社宮〉(福井市片粕町)

・大洗磯崎神社(丹生郡越前町乙坂)

・神明神社(越前市三ツ口町)
〈明治41年 現 神明社(越前市若竹町)に合祀〉

・神明神社〈上総社〉(越前市若竹町)
〈明治41年 神明神社(越前市三ツ口町)を合祀〉

・越知神社(丹生郡越前町大谷寺)

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

パピラインふくい線 武生駅から南西方向へ約2.7km 車での所要時間は6~8分程度

県道28号線の千福交差点に面しています

神明神社(越前市三ツ口町)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けて

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 大山御板神社について 所在は゛往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板神社

大山は於保夜麻、御板は三太と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕三太

○祭神 猿田彦大神〔官社考〕

○往昔は大山に在す、今廃亡す、今立郡 舟津神社に併せ祀る、〔同上〕

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 大山御板神社について 所在は゛ 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板(オホヤマミタノ)神社、

 今立郡、舟津神社の相殿に坐り、古へ大山の嶺にありて 上宮と云しを、後今地に移す、〔福井藩神社取調帳、敦賀縣神社調〕

 大毘古命、孝元天皇を祀る、〔本社傳説 ○按 傳説云、昔大毘古命 高志の賊を伐時、猿田彦命の神教を得て 之を平く、依て社を建て之を祭る、諸書 皆此説に從ふ、然れども孝元天皇を祭るを以て之を考るに、猿田彦命 大毘古命と其名 相似るを誤るものなる事著し、故今之を訂す、〕

凡 其祭九月九日之を行ふ、〔明細帳〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第15−17巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815497

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 大山御板神社について 所在は゛上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)゛〈廃絶後 現 舟津神社(鯖江市舟津町)〈相殿に大山御板神社を祀る〉〉と記しています

【抜粋意訳】

大山御板神社

祭神 猿田毘古命 孝元天皇

今按 本社傳說に祭神右の如し  大毘古命 高志の國を伐つ時 賊ありて要擊せんとす 然るに田毘古神の神に因て其賊を討平げ 終に社を建て之を祭るとみえ 神社覈録にも祭神 猿毘古命とあり 故今 社傳に因て記せり

祭日 四月二十二日 九月九日至十一日
社格 縣社

所在 上鯖江村〔舟津神社相殿○屬今立郡〕 (今立郡舟津村大字鯖江)

 今按 本社往古は逢山の嶺に鎭座ありしを 至徳四年以來の戰に兵焚に罹りしを以て 應永二十一年 舟津神社に合せ祭る 此社をもと上宮と稱し 舟津社を下宮と稱し 今に神輿二基ありて秋祭に渡御し奉るとみえ 本社に孝元天皇を祭り 舟津社に大毘古命を祭れるは もとより由緣ありての事なれど舊址に神社を再興あらまほしき事なり

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

神明神社(越前市三ツ口町) (hai)」(90度のお辞儀)

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越前国 式内社 126座(大8座・小118座)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

-延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)
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