前鳥神社(さきとりじんじゃ)は 菟道稚郎子命を祀る数少ない神社の一つです この地「さきとり」には 奈良時代以前 畿内から御祭神を「氏神」とする氏人が移り住み お祀りしたものと考えられています 延喜式内社 相模國 大住郡 前鳥神社(さきとりの かみのやしろ)で 国府祭の相模五社の一つ「四之宮」です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
前鳥神社(Sakitori shrine)
【通称名(Common name)】
・前鳥さん(さきとりさん)
【鎮座地 (Location) 】
神奈川県平塚市四之宮4-14-26
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
《主》菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)
《合》大山咋命(おほやまくいのみこと)
〈明治43年(1910)合祀 村内 日枝神社〉
《配》日本武尊(やまとたけるのみこと)
〈昭和61年(1986)配祀〉

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【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
・ 相模國 四之宮
【創 建 (Beginning of history)】
相模国四之宮 前鳥神社
御祭神
菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
日本武尊(やまとたけるのみこと)御由緒
前鳥神社の創祀は奈良時代以前、第十五代応神天皇の皇子 菟道稚郎子がこの地へ移り住み、後にこれを祭神として祀ったことに始まると伝えられ、千六百五十年の歴史を有します。
奈良時代から十世紀半ばにかけて、この地には相模国府(現代の県庁)が置かれ、当神社は国府の鎮護として国司(県知事に相当)を始め官人により神拝がなされたと考えられます。十世紀初頭に醍醐天皇によって勅撰された『延喜式』神名帳(じんみょうちょう)では奉幣社(ほうへいしゃ)の一社に挙げられ、十世紀末に大磯町国府本郷へ国衙が遷された後は国司巡拝社の第四番に列し、爾来相模国四之宮と称されております。
鎌倉時代には源頼朝公より夫人政子の安産祈願の神馬奉納に与り、将軍家御祈祷所と定められたことが『吾妻鏡』に記されます。続く室町・安土桃山時代の動乱を経て衰微しましたが、徳川氏の崇敬篤く、家康公より社領地十石の寄進と朱印状を得て再興いたしました。江戸幕府成立後は、将軍家武運長久の祈願所と定められ、「四之宮大明神」として身分の上下を問わず広く信仰されてまいりました。
現在は渡来人から最新の学問を学び、その技術を篤く庇護した御祭神の生涯に因み、学徳・就職・安全守護の前烏大神として広く尊崇を集めています。
・・・
・・・〔以下略〕
・・・現地案内板より

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【由 緒 (History)】
由緒
御祭神
菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)・学徳の神様です。
大山咋命(おおやまくいのみこと)・活動と福禄の神様です。
日本武尊(やまとたけるのみこと)・安全守護の神様です。御由緒
この地は、相模川に沿った沖積地で、水田白田あいなかばする肥沃なところです。したがって、はるかな時代から、豊かな集落が発生していたらしく、石器・土器などの遺物がたくさん発見されています。
四之宮の地名は、平安時代にはじまっていますが、それ以前は古くから「さきとり」といわれ、天平7年(735)の相模國封戸租交易帳に「大住郡埼取郷」の記載があります。「さきとり」の地名が、いつごろからはじまったかあきらかではありませんが、奈良時代より前からの地名であることはたしかです。この「さきとり」の地に住んでいた人たちが、最も清浄なところを選んで、おまつりしたのがこの「さきとり神社」で、氏神として奉祀したものと考えられます。氏神は氏の上を中心とした氏人の尊崇をうけたものであることは申すまでもありません。
延喜年間(901~23)、『延喜式』が撰せられ、全國の著名神社が収録され、相模國の13座が神名帳に登載されました。当神社はそれに「前鳥神社」としるされています。このときから社号を「埼取」「前鳥」「前取」あるいは「左喜登利」などといろいろにもちいてきましたが、現在は延喜式神名帳にもとづいて「前鳥神社」と定めています。
養老年間(717~24)に相模ノ國の國府祭がはじまったといわれ、その頃から四之宮の称を生じ、四之宮大明神ともいわれました。やがて前取郷が四之宮郷と通称されるようになったのも、これはあきらかに社号をもって地名としたものです。
当神社が延喜式神名帳に載る古社であり、上代以降相模ノ國の國司の祈願神社でありました。さらに鎌倉時代には幕府の崇敬をうけ、建久3年(1192)8月、源頼朝公夫人政子の安産祈願にあたり、神馬奉献のあったことは、『吾妻鏡』の載せているところであります。
のち関東八ヶ國の領主となった徳川家康公は天正19年(1591)11月、武運長久祈願のため朱印地拾石を寄進し、あわせて社地2100余坪を除地として加護を加えられました。創祀以来、当神社は神官がつかさどり、前取庄または四之宮庄として中世まで、四之宮、新土(平塚市)長沼(厚木市)など広く神領としていた時代がありました。近世初期からは、古義真言宗雪霜山鏡智院を別当とし祭事のすべてを管掌させてきましたが、明治維新の大改革にあたり、鏡智院家成海法印が復飾して名を神代式部とあらため、神仕の職について以来、その子孫がつづいて神職として現在に至っています。
昭和四十三年九月、この年創祀1600年にあたり、元皇族賀陽恒憲氏をお迎えして、創祀千六百年式年大祭が盛大に斎行されました。
御神徳
前鳥大神(菟道稚郎子命)は、第十五代應神天皇の皇太子で、幼い頃より聡明で天皇の寵愛をうけられました。当時朝廷に来ておらてました百済国の王子阿直岐から、帝王の道を学ばれ、ついで博士王仁を招かれ学問の道をひらかれたことは、歴史の伝えるところであり、論語・千字文などの漢籍が、はじめて我が國に渡来したのもこのときであります。よって昔より修学の神、学問の祖神として広く尊崇されるゆえんなのであります。
またこの時代に、日本の農業、土木建築等が急速に発展したのも、学問のほかに産業技術導入をはかられたからにほかなりません。まことに國運興隆の基をきずかれたこと、菟道稚郎子命に負うこと最も大であると申せられます。菟道稚郎子命を祭神としてまつる神社は極めてまれで、全国では京都府宇治市にある宇治神社と前鳥神社の2社であります。したがって当神社は関東唯一の学問・文化の祖神をまつる古社であるといわれるものであります。
現在では、この御祭神の御神徳を慕い、関東一円より広く信仰をあつめております。
大山咋命は、山の神と称したてまつり、当神社においては、これを活動と福禄の神として祭祀しております。もとは村内日枝神社(旧称山王社)の御祭神でありましたが、明治年間、当神社に合祀されたものであります。年間祭典
月次祭 毎月1日・15日・28日
歳旦祭・元旦祈祷祭 1月1日 早朝元旦祭を斎行。続いて各種の新春祈祷が始められる。
奨学神社祭・学業祭 1月15日
節分祭豆撒行事 2月節分の日 神事ののち、大勢の裃姿の年男により豆撒行事が行われる。
崇敬会大祭 4月第3日曜日 1年に一度の崇敬会員の大祭ならびに大会
国府祭 5月5日 平安時代、相模ノ國の國府が餘綾ノ郡柳田(大磯町国府)の地に遷ると、国司が毎年端午に同所の神集山へ、一之宮寒川神社。二之宮川匂神社。三之宮比々多神社。四之宮前鳥神社及び五之宮として平塚八幡宮の五社の参集をもとめ、国家安泰、五穀豊穰の祈願を行ったのが始めとされている。昭和41年県無形民族資料指定
夏越の大祓 6月30日 1月から6月まで半年間に受けた罪穢を祓い除き心身ともに清浄になって夏を無事過すことを祈る。氏子崇敬者は人形を納め大祓をうける。
八坂神社例祭 7月14日 境内社八坂神社の祭。
神輿渡御例大祭 9月28日 本社の1年に一度の大祭。広大なる御神徳を讃え、日頃の御神恩に感謝の誠をささげます。当日は奉納書展、献句、盆栽展、奉納演芸があり、終日参詣者で賑います。特に神輿の還御は古式による伝統行事として広く有名です。
七五三詣 11月15日
感謝祭 11月23日 新穀を奉献、感謝の誠をささげる。
師走の大祓 12月31日 一年間の罪穢を祓い清め、清々しい心で新年を迎える祭。氏子崇敬者はこぞって人形を納め大祓をうける。平塚市指定重要文化財前鳥神社祭事
〇麦振舞神事
5月5日の国府祭、9月28日の御例祭の神輿渡御に際して行われる神事であり、神輿を担ぐ為の力づけの「力飯」を食するもので、神人共食の神事でもある。新編相模国風土記稿に「淘綾郡国府本郷村神揃山へ渡御アリ当社神輿供奉ノ者4月晦日米1升ヲ椀ニ盛リ芋ノ葉ノ汁ニテ干莱箙蕃椒ノアヘモノヲ饗ス。麦振舞ト称セリ。」とある。
〇神輿宮入り神事
御例祭に当り社頭を発った神輿は氏子内を一巡した後、夕刻太鼓橋までさしかかると、楽の音の響く中、日本武尊を先頭とし、その年の新成人の警護のもとに渡御し鳥居手前にて待ちうけていた氏子総代が神輿に白絹の「奠の綱」と呼ばれる神を導く綱をつけ、社殿まで誘導、やがて還幸を迎える。
〇日本武尊の舞
新編相模国風土記稿に記されている通り、当神社には社宝として「日本武尊の面」を所蔵しているが、それに伴い別当鏡智院に相伝せられたあった舞がこの舞である。日本武尊の草薙剣の古事と求福厄除が混然として入り交じっており単調な太鼓のリズムにより舞われる。現在は2月の節分祭と、4月の崇敬会大祭のみに公開される。
○前鳥囃子
江戸時代前期より当地に伝わる囃子で、中期には江戸文化の影響をうけ里神楽の発祥をみ、今に伝承されている。笛を基調とした激しいリズムの中でおかめ、もどき、天狗、そして狐が舞い表す里神楽は大変ユ-モラスなものである。※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照
『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承
【抜粋意訳】
○神奈川縣相摸國中郡大野村大字四ノ宮
郷社 前鳥(マヘトリノ)神社
祭神 字遅能和紀郎子(ウヂノワキイラツコノ)命
創立年代詳ならず、延喜の制式内小社に列せられ、當国十三座の一にして、四の宮たり、故に一に四宮明神ともいふ、建久三年八月九日、源頼朝北方御産氣に依り諸社と共に當社へも神馬を奉り、社領として朱印十石を寄進せり、(○東鑑)
御神體は、束帯、木像、高さ一尺五寸と新編相摸風土記に見えたり、前鳥、古く前取とも書す、神社覈録に云く、祭神 天廣鳥命〔地名記〕と、明治維新の際社領を上地し、六年七月十五日、郷社に列す。
社殿一宇、境内地は二千百十八坪(官有地台一種)あり。境内神社
八坂神社 天神社 稲荷社 神明社
【原文参照】

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244

明治神社誌料編纂所 編『明治神社誌料 : 府県郷社』上,明治神社誌料編纂所,明治45. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1088244
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・前鳥神社 社殿

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・〈本殿向かって右 境内社〉御嶽神社《主》櫛真知命・稲荷社《主》宇迦之御魂神

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・前鳥神社 拝殿

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・神符授与所

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・〈拝殿前 御神木〉幸せの松

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・弟橘媛命の碑

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・〈社殿向かって右側 境内社〉神戸神社《主》天照皇大神,素盞嗚尊

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・〈社殿向かって右側 境内社〉奨学神社《主》阿直岐命,王仁命《合》菅原道眞公

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・社務所・研修殿

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・神楽殿

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・祖霊社《主》社家の祖霊,地域の物故者

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・境内参道

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・西の鳥居

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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『風土記(ふどき)』和銅6年(713)
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
『風土記(ふどき)』和銅6年(713)の特徴について
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本です
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史の総称
・『日本書紀』養老4年(720)完成
・『續日本紀』延暦16年(797)完成
・『日本後紀』承和7年(840)完成
・『續日本後紀』貞観11年(869)完成
・『日本文徳天皇実録』元慶3年(879)完成
・『日本三代實録』延喜元年(901)完成
〇『延喜式(えんぎしき)』延長5年(927)完成
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)全50巻 約3300条からなる
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)相摸國 13座(大1座・小12座)
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)大住郡 4座(並小)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 前鳥神社
[ふ り が な ](さきとりの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Hihita no kaminoyashiro)
【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
相模國の「一宮 二宮 三宮 四宮 五宮」について
相模國は 寒川神社と川勾神社の間で「一之宮争い」があったと伝わっています
この「相模國の一之宮争い」は 現在も国府祭(こくふさい/こうのまち)の神事 儀中の古式「座問答」で再現されています
詳細は 下記の記事を参照ください
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
JR東海道本線 平塚駅から さくら通り経由で北上して約3.9km 車での所要時間は12~15分程度
案内板に従って進みます

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車お祓所があり その先に朱色の両部鳥居が建ちます

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前鳥神社(平塚市四之宮)に参着

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一礼をして鳥居をくぐり抜けます
鳥居の扁額には「前鳥神社」と記されています

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鳥居をくぐり抜けると 社殿の向かって左側に出ました
こちらは 表参道ではなく 西からの参道のようです

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参道沿いに進むと 手水舎の横に出ます
南に向けて 表参道が延びています

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境内の南に神楽殿 東に社務所があります

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境内の中程に 玉垣で仕切られた所があり その内に社殿が祀られています

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玉垣の所に゛前鳥神社崇敬会゛の案内があります
進学と学業成就の祈願には 霊験があるそうです
興味のある方は 案内板を一読ください

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由緒書きなども掲示されています

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玉垣の内に入ると 正面向かって右手に 境内社が祀られています

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拝殿にすすみます

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奉献の樽酒

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拝殿内の扁額には「左喜登利神社」(さきとり じんじゃ)と記されています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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社殿に一礼をして境内を振り返ます

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境内参道を戻ります

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ここで 西の参道から来たことを思い出して戻ります

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ちょうど拝殿の横を通り過ぎるような感じです

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朱色の両部鳥居の先には 西へと参道が伸びています

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【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 前鳥神社について 所在は゛四之宮村に在す、゛〈現 前鳥神社(平塚市四之宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
前鳥神社、
前鳥は佐岐止里と訓べし、和名鈔、〔郷名部〕前引、
〇祭神 天廣鳥命、〔地名記〕
○四之宮村に在す、〔同上〕
例祭 年 月○東鑑十二云、建久三年八月九日、早旦以後、御臺所御産氣、云々、相摸國神社佛寺奉ニ 神馬、云々、四宮、前取太明神、
社領 當代御朱印高十石
【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』下編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991015
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 前鳥神社について 所在は゛今 四ノ宮村 宮ノ壷にあり、゛〈現 前鳥神社(平塚市四之宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
前鳥(マヘトリノ)神社
今 四ノ宮村 宮ノ壷にあり、〔足柄縣式社考証〕〔○按 中古 此邊を眞津ヶ岡 前島村と云しとぞ〕
後鳥羽天皇 建久三年八月己酉、源頼朝 神馬を四宮前鳥大明神に奉る即、是也、〔東鑑〕
【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 前鳥神社について 所在は゛四ノ宮村〔宮ノ壷〕(中郡大野村大字四ノ宮)゛〈現 前鳥神社(平塚市四之宮)〉と記しています
【抜粋意訳】
前鳥神社
祭神 字遅能和紀郎子命
今按 注進狀に當社の境域は馬入川の岸に突出して出水のー爲に多く流損す崎處と云べき地勢なれば 前島神社と云るならんと云り
祭日 八月二十八日
社格 郷社所在 四ノ宮村〔宮ノ壷〕(中郡大野村大字四ノ宮)
【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019
前鳥神社(平塚市四之宮)に「拝 (hai)」(90度のお辞儀)

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