屯倉神社(みやけじんじゃ)は 三宅天満宮として 上古より鎮座の「穂日の社」と云う天神で 天慶五年(九四二年)菅原道眞公をお祀りしたのがその創建であると云われます 延喜式内社 酒屋神社(さかやじんじゃ)は 同じく三宅に鎮座していましたが 明治40年(1907)神社合祀政策により境内合祀社へ遷座されたものです
目次
1.ご紹介(Introduction)
この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します
【神社名(Shrine name)】
・屯倉神社(Miyake shrine)
・酒屋神社(Sakaya shrine)〈境内合祀 延喜式内社〉
【通称名(Common name)】
・〈屯倉神社の旧称〉三宅天満宮
【鎮座地 (Location) 】
大阪府松原市三宅中4丁目1番8号
【地 図 (Google Map)】
【御祭神 (God's name to pray)】
屯倉神社
《主》菅原道眞公(すがはらのみちざねのきみ)
須佐之男命(すさのをのみこと)
品陀別命(ほんだわけのみこと)
延喜式内社 酒屋神社
〈明治40年(1907)神社合祀政策により境内合祀社へ遷座〉
《主》津速魂命(つはやむすひのみこと)
【御神徳 (God's great power)】(ご利益)
【格 式 (Rules of dignity) 】
・『延喜式神名帳(engishiki jimmeicho )927 AD.』所載社
【創 建 (Beginning of history)】
屯倉神社(みやけじんじゃ)
御祭神
菅原道真公(すがはらみちざねこう)(菅公・菅丞相)
須佐之男命(すさのおのみこと)(天照皇大神の御弟)
品陀別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇)例祭 十月一日 ・夏祭 七月二十五日
由緒
本社は字「宮の内」にあり、縁起によれば河内國丹北郡依羅三宅天満宮として、上古より鎮座の天神にして、「穂日の社」と言い、天慶五年(九四二年)八月十八日菅原道真公をお祀りしたのがその創めであると言われている。ご神像は道真公が五十八才のとき筑紫太宰府においてご自身の影を鏡にうつして木像に刻み、縁深いこの三宅郷に送られたと伝えられる等身大のご神像である。
また、胎蔵品として、元和八年(一六二二年)に書かれた丹生講式などが納められている。
旧社殿は寛政四年(一七九二年)に建てられていたが、現社殿は昭和六十三年(一九八八年)に氏子崇敬者の寄付により造営された。酒屋神社
酒屋神社は延長五年(九二七年)に完成された延喜式神名帳にその名がでている式内社で 祭神は中臣酒屋連の祖神である津速魂命をお祀りしている。
明治四十年(一九〇七年)字「西の口」にあったものが合祀された。
その他の末社
天津神社・日吉神社・大物主神社
素盞嗚神社・天照大神社・琴平神社
市杵島姫社現地石碑文より
【由 緒 (History)】
酒屋神社(さかやじんじゃ)由緒略記
酒屋神社は元(もと)、三宅村の西にあり、『延喜式(えんぎしき)巻九 神名帳(じんめいちょう)』によれば、丹比郡(たじひごおり)十一座の一つで「酒屋神社(さかやのかみのやしろ)」とあり、いわゆる「式内社(しきないしゃ)」と呼ばれる神社であった。
旧社地の西側に「酒蓋池(さかぶたいけ)」という池があり、池の東北に「酒屋井(さかやい)」という井戸があって、そこから神が出現されたので「酒屋権現(さかやごんげん)」とも称されていた。
また弘仁(こうにん)六年(八一五年)の「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」によると、河内國(かわちのくに)神別帳の項に「中臣酒屋連(なかとみのさかやむらじ)、津速魂命(つはやむすびのみこと)十九世孫(ひこ)、真人連公(まひとのむらじきみ)の後(すえ)也」とあり、この地に、屯倉(みやけ)の米と酒屋井の水とで酒を作り朝廷に貢いでいた「中臣酒屋連」が居住し、その祖神を祀ったのではないかと思われる。
貞観(じょうがん)七年(八六五年)十二月、従(じゅう)五位下の位を授かり「酒屋神(さかやがみ)」と称された。
明治四十年(一九〇七年)四月、屯倉神社に合祀(ごうし)された。祭神として、中臣酒屋連の祖神「津速魂命(つはやむすびのみこと)」を祀っている。
現地張り紙より
屯倉神社 ( みやけじんじゃ )
開運松原六社参りのひとつ。平安時代前半の天慶(てんぎょう)5年(942)、菅原道真(すがわらのみちざね)を祭神として創祀されたと伝える。他に素盞嗚命(すさのおのみこと)・品陀別命(ほんだわけのみこと)も祀る。
同地は古墳時代、天皇家の直轄とされた依網屯倉(よさみのみやけ)の旧跡と伝え、屯倉(みやけ)(三宅)の名もこれによる。
道真を祀る以前は、土師(はじ)氏(のち菅原氏に改姓)の祖神である天穂日命(あめのほひのみこと)を祀る社があった。本殿には、等身大の菅原道真坐像が安置され、挿首(さしくび)形式の頭部は南北朝時代のものである。近世に後補された胎内には元和8年(1622)に書かれた丹生講式(にゅうこうしき)や柿経(こけらきょう)の法華経8巻、舎利(しゃり)2粒が納められていた。
また、近世初頭の近衛伸尋(このえのぶひろ)自画賛の渡唐天神像、後陽成(ごようぜい)天皇宸筆の菅原道真画像、近衛基熈(このえもとひろ)の「南無天満大自在天神(なむてんまだいじざいてんじん)」名号など道真に関わる伝承品も多い。
拝殿前には穂日の社時代、道真が九州へ左遷の折、同社に立ち寄り座したという石が残る。「神形石(かみがたいし)」 と呼ばれ、妻屋(つまや)氏が文久(ぶんきゅう)2年(1862)に標石を建立している。他にも、南北朝時代の阿弥陀仏三尊画像や弘法大師像、江戸時代に皇室で用いられていた草履「おめぶと」などがある。西方寺(さいほうじ)(三宅中)に移されている平安時代後期の十一面観音像は、同社の神宮寺であった梅松院(ばいしょういん)(現社務所の地)の本尊であった。
本殿北側には、同じく三宅に鎮座した延喜式内社(えんぎしきないしゃ)の酒屋(さかや)神社を合祀している。
松原ライオンズクラブ CN45周年記念
現地案内板より
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【神社の境内 (Precincts of the shrine)】
・屯倉神社 社殿
・屯倉神社 社殿・4社の境内社
〈向って右の境内社から〉
・日吉神社《主》大山咋大神,大己貴大神
・大物主神社《主》大物主命
・素盞嗚神社《主》素盞嗚命
・天照大神社《主》天照皇大神
〈本殿向かって左横 境内社〉
・天津神社《主》天穂日命
〈境内社 3社〉
・中央狛犬の座す 酒屋神社《主》津速魂命
・向かって右 琴平神社《主》大物主命
・向かって左 市杵島姫社《主》市杵島姫命
・鬼瓦
〈寛政四年(1793)に建てられた旧拝殿の屋根に葺かれていたもの〉
・撫で牛の石像・由緒石碑
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【神社の境外 (Outside the shrine grounds)】
・南参道口の梅松院地蔵尊・三宅龍王講行者堂
・延喜式内社 酒屋神社の旧鎮座地
〈明治40年(1907)神社合祀政策により境内合祀社へ遷座〉
・酒屋神社跡地〈旧鎮座地〉(松原市三宅中)
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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)
この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています
〇『六国史(りっこくし)』
奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称
〇『延喜式(えんぎしき)』
平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)
〇『風土記(ふどき)』
『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています
1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉
現存するものは全て写本
『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態
『日本三代實録(Nihon Sandai Jitsuroku)〈延喜元年(901年)成立〉』に記される伝承
河内郡〈郡は國の誤記とされています〉の酒泉神として 從五位下を授かると記されています
【抜粋意訳】
卷十一 貞觀七年(八六五)十二月廿六日癸酉
○廿六日癸酉
武藏國 五位下 伊多之神
參河國 從五位下 赤孫神 並 授從五位上河内郡 正六位上 酒泉神に 從五位下
【原文参照】
『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉
『延喜式(Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂〉
その中でも巻9・10を『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』といい 当時〈927年12月編纂〉「官社」に指定された全国の神社(式内社)の一覧となっています
・「官社(式内社)」名称「2861社」
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」
[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)河内國 113座(大23座(並月次新嘗・就中8座預相嘗)・小90座(並官幣))
[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)丹比郡 11座(大3座・小8座)
[名神大 大 小] 式内小社
[旧 神社 名称 ] 酒屋神社(鍬靫)
[ふ り が な ](さかやの かみのやしろ)
[Old Shrine name](Sakaya no kaminoyashiro)
【原文参照】
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【オタッキーポイント】(This is the point that Otaku conveys.)
あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します
酒屋神社(さかやのかみのやしろ)と称する式内社について
延喜式内社 山城國 綴喜郡 酒屋神社(さかやの かみのやしろ)
神社の伝承には 神功皇后が三韓遠征の際 神社背後の山に酒壺を三個安置して出立 帰国後その霊験に感謝し創建 皇后が朝鮮より持ち帰った“九山八海の石”が今もここにあると伝わる
一説によれば 津速魂神の19世孫 眞入連公の孫 中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)が この地に住んでいて神託により 酒彌豆男神の子 酒彌豆倉神を西側の山の上に祀った これを酒屋神社と称した との伝承があります
・酒屋神社(京田辺市興戸宮ノ前)
延喜式内社 河内国 丹比郡 酒屋神社(鍬靫)(さかやの かみのやしろ)
旧社地の西側に「酒蓋池(さかぶたいけ)」という池があり 池の東北に「酒屋井(さかやい)」という井戸があって そこから神が出現されたので「酒屋権現(さかやごんげん)」とも称されていた
また弘仁(こうにん)六年(八一五年)の「新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)」によると、河内國(かわちのくに)神別帳の項に「中臣酒屋連(なかとみのさかやむらじ)、津速魂命(つはやむすびのみこと)十九世孫(ひこ)、真人連公(まひとのむらじきみ)の後(すえ)也」とあり、この地に、屯倉(みやけ)の米と酒屋井の水とで酒を作り朝廷に貢いでいた「中臣酒屋連」が居住し、その祖神を祀ったのではないかと思われている
・酒屋神社(松原市三宅中〈屯倉神社境内〉)
・酒屋神社跡地〈旧鎮座地〉(松原市三宅中)
【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)
この神社にご参拝した時の様子をご紹介します
近鉄南大阪線 河内天美駅から府道187号を東へ約2.3km 車で8分程度
屯倉神社(松原市三宅中)&〈境内合祀社〉酒屋神社に参着
境内への入口は 東西に各一か所 南に一か所あります
南の入口から進みます
鳥居の扁額には゛屯倉神社゛と刻字されています 一礼をして鳥居をくぐります
境内参道は 途中で西参道と合流 社殿は西向きに建てられています
参道には 天満宮の゛撫で牛゛があり 屯倉神社が三宅天満宮と呼ばれていたことが頷けます
拝殿にすすみます
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿の向かって左側には 境内社が祀られています
明治40年(1907)神社合祀政策により境内合祀社へ遷座された延喜式内社 酒屋神社も祀られています
賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります
社殿に一礼をして 参道を戻ります
【神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)
この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します
『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承
式内社 酒屋神社 鍬靭について 所在は゛丹北郡三宅村ノ西に在す、今権現と称す、゛〈現 酒屋神社跡地〈旧鎮座地〉(松原市三宅中)〉と記しています
【抜粋意訳】
酒屋神社 鍬靭
酒屋は 佐加也と訓べし
○祭神 中臣酒屋連祖神歟、〔總國風土記第三残欠云、雷大神歟、〕
丹北郡三宅村ノ西に在す、今権現と称す、〔河内志、同名所圖會〕
○姓氏録、〔河内國神別〕中臣酒屋連、津速魂命十九世孫 真人連公之後也、
類社
山城国 綴喜郡 酒屋神社の條見合すべし神位
三代實録、貞観七年十二月二十六日癸酉、授に河内郡正六位上酒泉神從五位下、〔郡は國、泉は屋の誤りと先達みないへり、信友は泉は家の誤りかと云り、〕
【原文参照】
『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容
式内社 酒屋神社 鍬靭について 所在は゛今 丹北郡三宅村にあり゛〈現 酒屋神社跡地〈旧鎮座地〉(松原市三宅中)〉と記しています
【抜粋意訳】
酒屋(サカヤノ)神社
今 丹北郡三宅村にあり、〔河内志、式社細記、〕
盖 中臣酒屋連祖 津速魂神を祭る、〔新撰姓氏録、延喜式〕
清和天皇 貞観七年十二月癸酉、正六位上 酒家神に從五位下を授け、〔三代実録〕〔〇按 本書 家を泉に作るは訛れり、今 延喜式に據て之を訂す、〕
醍醐天皇 延喜の制、祈年祭鍬靭を加奉る、〔延喜式、鍬靭據一本〕
凡 其祭九月九日を用ふ、〔式社細記〕
【原文参照】
『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承
式内社 酒屋神社 鍬靭について 所在は゛丹北郡三宅村゛〈現 屯倉神社〈境内合祀社〉酒屋神社〉と記しています
【抜粋意訳】
酒屋(サカヤノ)神社
祭神 津速魂(ツハヤムスビノ)命
今按 當社 祭神 姓氏録 河内ノ神別 中臣酒屋(ナカトミサカヤノ)連 津速魂(ツハヤムスビノ)神 十九世ノ孫 眞人連公(マヒトムラジキミ)之後也しあるにて明らかなり神位
清和天皇 貞観七年十二月二十六日癸酉 授に河内郡正六位上酒泉神從五位下〔〇按 郡泉二字 當作に國屋〕祭日 九月九日
社格 村社所在 丹北郡三宅村〔〇今属 丹比郡〕(中河内郡三宅村夫字三宅同所 村社屯倉神社境内へ移轉)
【原文参照】