酒井神社(鈴鹿市徳居町)

酒井神社(さかいじんじゃ)は 社伝によれば 当社の瑞籬の麓の井戸を眞井(まない)と称し 古来より旱魃の時 当社へ祈請し雨を乞うときは 神応著しく忽ち霊験を賜う゛とあります 明治361903以前は「宇気比神社」と呼称されていて 以後 酒井神社と称しています 延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかゐの かみのやしろ)の論社です

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

酒井神社(Sakai shrine

通称名(Common name)

当社は明治三六年以前は「宇気比神社」と呼称されており その以後酒井神社と称した

【鎮座地 (Location) 

三重県鈴鹿市徳居町 2035

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》天之忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

明治三九年(1906)徳居村中の無格社春日神社外11社を合祀
明治四〇年1907無格社 山神社を合祀
大正元年1912大字徳居の村社 酒井神社の境内社 無格社 神明神社外二社を合祀

《合》天之菩卑能命,天津日子根命,活津日子根命,熊野久須毘命,多紀理毘売命,市寸島比売命,大日孁貴命,金山比古命,武甕槌命,経津主命,天児屋根命,姫大神,吉備大臣,崇徳天皇,伊予親王,藤原太夫,橘太夫,文太夫,火雷大神,木花佐久夜毘売命,大山祇命,多岐都比売命,須佐之男命

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

・参拝者の皆様の願い事全般

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

由緒

 社伝によれば、当社の瑞籬の麓の井戸を眞井(まない)と称し、古来より旱魃の時 当社へ祈請し雨を乞うときは 神応著しく忽ち霊験を賜う。
 神書紀に曰くとして 神代に天の真井の水を丹波国與謝郡に移させ給う所を真井ケ原と云い、この称は古代に起こったものと言う。
  垂仁天皇の御宇、皇女倭姫命、神の御教により天照大神を伊勢の五十鈴川上に御遷座の時、真井を神都に遷させられ、天の忍穂井と称せられた。当社の真井も 其頃 天の忍穂井の神水を遷したものと伝えている。
 しかしながら 明治三九年報告の『神社明細帳』には、最初「村社 宇気比神社」と記していたのを後に「宇気比神社」の字を抹消して、その上部に「酒井神社」と加筆し、「明治三六年四月二二日改称許可」と記入されている。これによれば、当社は明治三六年以前は「宇気比神社」と呼称されており、その以後酒井神社と称した。
明治三九年(一九〇六)徳居村中の無格社春日神社外11社を合祀、翌四〇年は、無格社山神社を合祀、さらに大正元年に大字徳居の村社酒井神社の境内社、無格社神明神社外二社を合祀している。

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会より

【由  (History)】

由緒

当社の創立は 天智天皇治下 大伴倉麿建立 酒井神社名は 神池の泉に酒が湧き出たとの伝説により 池より流れる川の名を酒井田川と云い 神社名を酒井神社と謂ふに至る。
式年大祭は4年毎に獅子舞をお旅所に於て実施する。
平安時代 高倉天皇治下(約700年前)獅子舞が行なわれたことより連綿今日に至る

※「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成7年)」[神社本庁]から参照

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

・本殿・本殿の左右に境内社

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・本殿・幣殿

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・拝殿

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・境内社

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 由緒(格式ある歴史)を持っています

『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)(927年12月編纂)に所載
(Engishiki JimmeichoThis record was completed in December 927 AD.

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)伊勢国 253座(大18座・小235座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)郡 13座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 酒井神社
[ふ り が な ]さかゐかみのやしろ)
[Old Shrine name]Sakai no kamino yashiro)

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】Points selected by Japanese Otaku)

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 伊勢國 奄芸郡 酒井神社(さかヰの かみのやしろ)の論社について

・酒井神社(鈴鹿市郡山町)

 

・酒井神社(鈴鹿市徳居町)

 

・夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)

 

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【神社にお詣り】(For your reference when visiting this shrine)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

伊勢鉄道 徳田駅から中ノ川沿いに西へ約3.9km 車10分程度

徳居町に鎮座します

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社頭には 石灯籠と社号標゛村社 酒井神社

酒井神社(鈴鹿市徳居町)に参着

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手水舎〈眞井(まない)? 〉があり 石灯籠 鳥居が建ちます

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境内には 丸い穴〈おそらく どんど焼きなどの償却穴?〉の先にある 

拝殿にすすみます

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拝殿内の扁額には゛延喜式内 酒井神社゛

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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拝殿の奥には 幣殿 本殿があり 本殿の両脇には 境内社? が祀られています

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こちらにも曲がりくねった石段があり もしかすると裏参道かもしれません

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10月18日の参拝でしたが 拝殿には 七五三宮参り のポスターが張られていて 心が和む

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社殿に一礼をして 境内を戻ります

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石段を下り 参道を戻ります

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神社の伝承】(A shrine where the legend is inherited)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 酒井神社について 祭神は不祥 所在は郡山村に在す、酒井川と云あり〈現 酒井神社(鈴鹿市郡山町)〉としています

【抜粋意訳】

酒井神社

酒井は佐加為と読り
○祭神詳ならず
○郡山村に在す、酒井川と云あり、俚諺

連胤云、考証の説從ひがたし、按るに、越前國坂井郡 坂名井神社 同称にて、福井神を祭るにはあらぬか、猶考ふべし、

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神社覈録』著者 鈴鹿連胤 撰[他] 出版年月日 1902 出版者 皇典研究所https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991015

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 酒井神社について 所在は郡山村に在〈現 酒井神社(鈴鹿市郡山町)〉と記しています

【抜粋意訳】

酒井(サカヰノ)神社

今 郡山村に在り、郡山明神と云、蓋是也、式内社検録、
傳云ふ 稲生三社明神を移し奉る、故に名て稲生新宮とす、稲生明神縁起

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『神祇志料』https://dl.ndl.go.jp/pid/815490著者 栗田寛 著 出版者 温故堂 出版年月日 明治9[1876]

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 酒井神社について 所在は郡山村 郡山大明神〈現 酒井神社(鈴鹿市郡山町)〉と記しています

甲斐村〈現 夜夫多神社(鈴鹿市甲斐町)〉
德居村〈現 酒井神社(鈴鹿市徳居町)〉 という説もあるが 證據が無いとも記しています

又 併せて 郡山大明神の縁起を記していて 稻生三社大明神に日参していた信任長者と云う人があって 洪水でお参りに行けなかったときに 神託があり 郡山に稻生新宮を造立した これが郡山大明神である この出来事は延喜式より以前の事で 此の新宮を酒井神社として 式内社に列したものであろうと載せています

【抜粋意訳】

酒井神社 稱 郡山大明神

祭神
祭日 丑辰未戍に一度三月朔日至三
社格 村社 (明治三十五年郷社昇格)

所在 郡山村 (河藝郡榮村大字郡山 ) 

 今按るに傍注には甲斐村とし 考証は德居村とす 共に無証の憶断信じがたし 再考に郡山村に酒井川在といへるに依て始て案内記に郡山村に在と決定す
其以後の諸書從て 郡山大明神に配し 舊藩よりも酒井神社の石標を社前に建つ 酒井河は郡山村の南にある小流にて 其水源に酒井と云ふあり 酒香ありなと云へり

 其 郡山大明神社は 稻生神社縁起云 郡山大明神 御神體 稻生三社大明神也 昔秋永村に信任長者と云人有 発大信力而 稻生大明神 仁 日参其道程二十町餘間仁 川有 或時 大洪水而不能詣 当社長者大に悲む云云 其夜大明神 夢告曰 自今以後 郡山仁新宮建立而可念云云 從爾 此社造営 則額正一位稻生新宮とある社にして神殿三宇の造制より祭日に至るまて都て稻生の本社に准す 然して 信任長者の造立 延喜の以前にして 其新宮を酒井と稲して神名帳に列せしにや 其證跡を見されば 不審少からねと社地の體裁千古の風あれは姑く古説に從ふものなり

【原文参照】

国立公文書館デジタルコレクション『特選神名牒』大正14年(1925)出版 磯部甲陽堂https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971155

『明治神社誌料(Meiji Jinja shiryo)〈明治45年(1912)〉』に記される伝承

酒井神社(鈴鹿市郡山町)ついて 式内社 酒井神社であると記しています

【抜粋意訳】

〇三重縣 伊勢國 河藝郡榮村大字郡山

郷社 酒井(サカヰノ)神社

祭神 豊宇賀能賣(トヨウカノメノ)命 保食(ウケモチノ)

合殿
屋根命 菅原道 武雷命 金山彦命
五男三女神 品陀和氣命 大山祇命 豊磐間戸命
大日霊命 八街彦命 八街姫神 須佐之男命

創建年代詳ならすと雖も、
神名帳考証に、酒井神(サカヰノ)社、今云甲斐村此乎、大和國 狭井大神荒魂神社、傳云、岡部忠澄領、岡部大神部之訛乎と見え、
神名帳考証再考に云く、「社號文字の如く酒を醸するに用ゆる井なり、神祇官に所祀福井(サクヰ)、祈年祭祝詞の榮井(サクヰ)、共に假字なり、酒は大古より重る者なれば、其井も崇め尊ぶべし、祀神水霊なり、社地末考、郡山と云ふ所に酒井川の字ありといふ、」
神社覈録に云く、「酒井は佐加爲と読り、祭神詳ならす、郡山村に在す、酒井川と云ふあり 連胤云く、考証の説從ひがたし、按ずるに、越前國 坂井郡 坂名井神社同称にて、福井神を祭るにはあらぬか、尚考ふべし」と附記せり、
神祇志料に云く、「酒井神社、今郡山村に在り、郡山明神と云ふ、蓋是也、伝へ云ふ、稲生三社明神を移し奉る、故に名づけて稻生新宮とす」と云へり、
共に奄芸郡(明治二十九年奄河曲の二郡を合せ河郡とす)十三座の一に列し式の小社たり、社によれば、往古当社鎮座の砌 社南の小谷より醇酒湧出でしかば、当時は神酒にも供へ諸人にも給ふ、此水 東に流れて遠く海に入る、酒井川とし、此川に棲息する魚類を食するに酒の香を帯と云ふ、酒井川今榮川(サカエ)と云ひ、
五鈴遺響に云く、衣手山は郡山の丘にて榮川の邊なりとあり、顕仲が「ころもての山のふもとに立つ鹿のうらさびしきはあけぼのの聾」(夫木集)と詠みたる是なり、
又参宮圖會に「酒井神社は延喜式、奄郡に列す、今榮川の傍に在り、郡山明神と称す、相ふ、稻生神を移し奉ると、故に稻生新宮とも言ふ」と見ゆ、此外別に称ふべきなし、尚後の考定を挨つ、
明治十一月郷杜に列せられ、同四十一年村社横道下神社、同八柱神社、同八幡神社外に無格社二十八社を合祀すと云ふ。

社殿は本殿、拝殿、参籠殿等あり、境内坪数3971坪(官有地第一種)を有す、

【原文参照】

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

国立国会図書館デジタルコレクション『明治神社誌料』明治45年(1912)著者 明治神社誌料編纂所 編https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1088244映像利用

酒井神社(鈴鹿市徳居町) (hai)」(90度のお辞儀)

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