六所神社(浜松市中央区半田町)〈『延喜式』朝日波多加神社〉

六所神社(ろくしょじんじゃ)は 朝日(あさひ)山〈往古 村名゛波多(はた)村゛にある〉の中腹に 社殿・境内は東を向いて 旭日(あさひ)を迎えるように鎮座しています 創建年代不詳ですが この地名と地形からみて 延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社との説があります

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目次

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1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

六所神社(Rokusho shrine

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県浜松市中央区半田町3391-1

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》表筒男尊,中筒男尊,底筒男尊
表津少童尊,中津少童尊,底津少童尊
伊弉諾尊,伊弉冉尊
天照皇大神
   月夜見尊,素盞嗚尊
蛭子尊

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

創建年代不詳

【由  (History)】

『静岡県史』苐三卷 に記される内容

【抜粋意訳】

神社 遠江

(朝日波多加神社 アサヒハタカノ)

 原所在は濱名郡積志村半田字朝日山か。

 現在社は同所の六所神社か。

【原文参照】

『静岡県史』苐三卷,静岡県,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1915595

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

六所神社 社殿

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・津島神社《主》須佐之男命

当社由来~津島様と、夏の「拝み」と本祭り~

 明治二十二(一八八九)年、半田町川原地区で悪疫(腸チフス?)が流行し、死者が出た。戦々恐々とするも手立てなく、禊の上は神助に頼るほかなしと評議一決、前年九月一日に名古屋方面が開通した東海道本線で現愛知県津島市にある悪疫消除で名高い津島神社へ代表らが参拝し、御祭神 建速須佐之男命の御神霊を持ち帰り、ここに祀ったのが始まりである。

 当社には「拝み」という神事がある。毎年七月の第四土曜日に、川原地区の年番宅に同地区の住民が集まり行われる疫病封じである。開催日は、高温多湿で疫病の流行り易い夏を選んでいるのが第一の理由であろうが、同日に行われる尾張津島天王祭に倣っているとも考えられる。

 古老曰く、前日又は当日の日中に、米津の浜(浜松の海岸にある砂浜)に赴き海に体を沈めて禊をし、浜砂を持ち帰った。帰り道、お供えにとスイカを買って帰ったこともあり、神事のためとは言え、夏の小旅行という心持ちで楽しみでもあった。年番の家では、床の間に次の十七柱と建速須佐之男命の神号(神々の名前)の書かれた掛け軸二幅を掛け、御神酒、塩、米、燭台と、持ち帰った浜砂を供える。

その神号とは即ち、

掛軸の一 ②高皇産霊神 ⑤豊受大神
     ①天之御中主大神 ⑥天照皇大神
     ③神皇産霊神 ⑥六所大神 

掛軸の二 津島神社 建速須佐之男命

 地区の住民は、いつもの様に日の暮れるまで農作業などした後、午後八時から一同 年番の家に集まり、十七柱を拝し神迎えすると、疫病退散を願って「南無津島牛頭天王と百度、唱えては礼拝するのである。年が明けて四月第一土曜には、当地にて「本祭り」と称して神主様により神事を行い、餅投げなどを行っている。

 なおこの牛頭天王とは、神仏習合の時代には須佐之男命や薬師如来が姿を変えたものとされていたが(本地垂迹説)、明治に入り神仏分離令により、愛知の津島神杜では牛頭天王ではなく須佐之男命が御祭神となった、ここ半田では、ちょうどこの過渡期に祀られ始めたためか、古き様式の名残あるまま、今日まで続いてきたようである。また浜砂を持ち帰り、供える風習は、出雲大杜の摂社であり須佐之男命を紀る素鷲社に稲佐の浜砂を置くことを想起させる。

 世界的な流行を見せる新型コロナウイルス感染症拡大の第五波が終息したとみえる今日、先の古老の手により社を修繕し、改めて悪疫退散、世の安寧を願い、ここに記すものである。

令和三年十一月三十日 大安吉日

祠内の額文より

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神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)長上郡 5座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 朝日波多加神社
[ふ り が な ]あさひはたかの かみのやしろ
[Old Shrine name]Asahihataka no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス 延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 遠江國 長上郡 朝日波多加神社(あさひはたの かみのやしろ)の論社について

・神明宮(浜松市浜名区内野

六所神社(浜松市中央区半田町

有玉神社(浜松市中央区有玉南町

・蒲神明宮(浜松市中央区神立町)

稲荷神社(浜松市中央区飯田町

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

遠鉄電車 積志駅から西方向へ約1.8km 車での所要時間は5~6分

医大通りを西へ進み 馬込川を越えて 染地川に架かる宮前橋を渡ると 東を向いて社頭となります

六所神社(浜松市中央区半田町に参着

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石段を上がると 鳥居が建っています

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一礼をしてから 鳥居をくぐり抜けて 境内に進みます

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じつは この地形が 式内社 朝日波多加神社(あさひはたかの かみのやしろ)の論社としての 論拠の一つとなっています

鎮座地は朝日山(あさひやま)です
社殿・境内は東を向いていて 石段を上がったこの位置は 朝日山の中腹に当たり 東を向いていますので旭日(あさこ)に面することになります

かつ旧村名は゛波多村(はたむら)゛と云う 地名と地形からみて 式内社 朝日波多加神社であると説があります
こうした事から 六所神社の鳥居の扁額には「朝日宮」と刻字がされています

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境内に進むと 石垣の上一段高い壇に社殿が祀られています

拝殿にすすみます

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賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 朝日波多加神社について 所在は゛飯田村に在す、今稻荷社とす、゛〈現 稲荷神社(浜松市南区飯田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

朝日波多加神社

朝日は阿左比と訓べし、波多加は假字也、

○祭神詳ならず

〇飯田村に在す、今稻荷社とす、土人説

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 朝日波多加神社について 所在は゛今 半田の隣堺 内野村、邊多の地にあり゛〈現 六所神社(浜松市東区半田町)〉と記しています

【抜粋意訳】

朝日波多加(アサヒノハタカノ)神社

今 半田の隣堺 内野村、邊多の地にあり、〔遠江風土記傳〕〔〇按 和名抄、鞘多郷 今 邊多といふ、即 半田村盖是也、〕

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 朝日波多加神社について 所在は記載なく 諸説について゛共に明證あらざれば今從ひがたし゛と記しています

諸説については
゛蒲郷神立村 蒲神宮゛〈現 蒲神明宮(浜松市中央区神立町)
゛半田村 朝日山六所明神と云説゛〈現 六所神社(浜松市東区半田町)〉
゛有玉村神明宮゛〈現 有玉神社(浜松市東区有玉南町)〉
゛内野村 神明社゛〈現 神明宮(浜松市浜北区内野)〉

【抜粋意訳】

朝日波多加(アサヒハタカノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

 今按 注進狀に蒲郷神立村 蒲神宮を以て本社にあてたれども こは式外の蒲大神と聞ゆれば此社にはあるべからず
 又 半田村 朝日山六所明神と云説もあれど こは山號の朝日と半田村の波多加に通ふより云るに似たり
 又 有玉村神明宮をあてたるは 其地 畑屋村に績きて 往古 畑家とかけりと云によりて附會したるが如く聞え
 風土記傳に 内野村 神明社地を野波多氣とも邊多とも云によりてあてたるも疑はしく 共に明證あらざれば今從ひがたし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

六所神社(浜松市中央区半田町 (hai)」(90度のお辞儀)

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