雷三神社(磐田市見付)〈『延喜式』・豊雷命神社・豊雷賣命神社・生雷命神社〉

雷三神社(らいさんじんじゃ)は 遠江國 磐田郡三つの延喜式内社〈・豊雷命神社とよいかつちのみことの かみのやしろ豊雷賣命神社とよいかつちひめのみことの かみのやしろ生雷命神社いくいかつちのみことの かみのやしろ〉が合祀されて 雷三神社と呼ばれ 現在は淡海国玉神社の飛地境内神社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

雷三神社(Raisun shrine
〈淡海国玉神社の境外末社〉

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

静岡県磐田市見付2696

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

《主》豊雷命(とよいかずちのみこと)

   豊雷比賣命(とよいかずちひめのみこと)

   生雷命(いくいかずちのみこと)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

【格  (Rules of dignity) 

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

『静岡県磐田郡誌』に記される内容

【抜粋意訳】

第十三章 神社及宗教

二四 雷三神社(見付町)
【由 緒】

 見付町字南小路字海戸に在り。豐雷命・豐雷比賣命・及 生雷命を祀る。故に後世 之を稀して雷三社と曰ふ。三社は、式内磐田郡十四座の内なり。 

【文書及記傳】

遠江風土記傳(社部)に云ふ
 豐雷命神社 豐雷二社 相殿 在 南裏海戸神谷氏者齋之也。祭日六月二十日。

 豐雷比賣命神社 註上

 生雷命神社 天神山中在 雷塚稱 地主神無社。豐田郡賀茂西村(現 磐田市加茂)天神社 別雷命而式内乎。

るに、今の富岡村加茂西字村中に、村社天神社あて、祭神は、菅原大神な風土記合は

【原文参照】

静岡県磐田郡教育会 編『静岡県磐田郡誌』,静岡県磐田郡,大正10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/965680

【由  (History)】

由緒

創立年月不詳。

 「延喜式神名帳」に、「遠江国豊雷命神社、豊雷比賣命神社、生雷神社は無格社これ雷三神社」と記載されています。

 往古は、三社が別々に祀られていましたが、後に一社に合祀されました。

 「遠江國風土記傳(とおとうみのくにふどきでん)」(内山真龍・寛政11年、1799)によると、「豊雷神社」は、「豊雷の二社相殿なり、南裏海戸に在り」と記されています。

 また「生雷命神社」は「天神山中の雷塚に在り、地主神と称す、社なし」と記されています。この「天神」は、「見付天神 矢奈比賣神社」を指しています。

淡海國玉神社 公式サイトより
https://sousya.mitsuke-tenjin.com/raisanjinja/

神社の境内 (Precincts of the shrine)】

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

生雷命神社の旧鎮座地について

天神山中在 雷塚と称する塚があり 旧鎮座地〈生雷命神社 旧跡〉とする説も伝わります

〈生雷命神社 旧跡〉雷塚跡地(磐田市見付 見付天神矢奈比賣神社の境内)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

〇『六国史(りっこくし)』
  奈良・平安時代に編纂された官撰(かんせん)の6種の国史〈『日本書紀』『續日本紀』『日本後紀』『續日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代實録』〉の総称

〇『延喜式(えんぎしき)』
  平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)

〇『風土記(ふどき)』
 『続日本紀』和銅6年(713)5月甲子の条が 風土記編纂の官命であると見られ 記すべき内容として下記の五つが挙げられています

1.国郡郷の名(好字を用いて)
2.産物
3.土地の肥沃の状態
4.地名の起源
5.古老の伝え〈伝えられている旧聞異事〉

現存するものは全て写本

『出雲国風土記』がほぼ完本
『播磨国風土記』、『肥前国風土記』、『常陸国風土記』、『豊後国風土記』が一部欠損した状態

『延喜式神名帳(Engishiki Jimmeicho)』(927年12月編纂)に所載〈This record was completed in December 927 AD.〉

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

雷三神社(磐田市見付)は 三つの式内社の論社となっています

①式内社 豊雷神社〈飛地境内神社 雷三神社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)磐田郡 14座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 豊雷命神社
[ふ り が な ]とよいかつちのみことの かみのやしろ
[Old Shrine name]Toyoikatsuchi no mikoto no kaminoyashiro

②式内社 豊雷賣命神社〈飛地境内神社 雷三神社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)磐田郡 14座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 豊雷賣命神社
[ふ り が な ]とよいかつちひめのみことの かみのやしろ
[Old Shrine name]Toyoikatsuchihime no mikoto no kaminoyashiro

③式内社 生雷命神社〈飛地境内神社 雷三神社〉

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)東海道 731座…大52(うち預月次新嘗19)・小679

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)遠江國 62座(大2座・小60座)

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)磐田郡 14座(並小)

[名神大 大 小] 式内小社

[旧 神社 名称 ] 生雷命神社
[ふ り が な ]いくいかつちのみことの かみのやしろ
[Old Shrine name]Ikuikatsuchi no mikoto no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

雷三神社(磐田市見付)は 三つの式内社の論社となっています それぞれの論社について

豊雷命神社(とよいかつちのみことの かみのやしろ)

・雷三神社(磐田市見付)〈淡海国玉神社の境外末社〉

豊雷賣命神社(とよいかつちひめのみことの かみのやしろ)

・雷三神社(磐田市見付)〈淡海国玉神社の境外末社〉

生雷命神社(いくいかつちのみことの かみのやしろ)

・雷三神社(磐田市見付)〈淡海国玉神社の境外末社〉

〈生雷命神社 旧跡〉雷塚跡地(磐田市見付 見付天神矢奈比賣神社の境内)

 

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

JR東海道本線 磐田駅から北上して 約2.4km 車で8分程度

雷三神社(磐田市見付)〈淡海国玉神社の境外末社〉に参着

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拝殿にすすみます

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

拝殿の奥に 玉垣に囲まれて本殿が坐します

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 豐雷命神社について 祭神 所在は詳らかではない と記しています

【抜粋意訳】

豐雷命神社

豐雷 登與伊加都知と訓べし

○祭神明か也

○在所詳ならず

○惚風土記四十六残云、遠江國 磐田郷 豊雷神社、圭田三十二束三毛田、仁徳天皇年乙亥月、所祭 別雷皇大神也、

式内社 豐雷賣命神社について 祭神 所在は詳らかではない と記しています

【抜粋意訳】

豐雷賣命神社

豐雷は前に同じ、は比女の略也、

○祭神明か也

○在所詳ならず

 参考云、「前件両社共在海戸〇伴信友云、惚國風土記に豊玉比咩神社とあるこれなるべし、故かしこくも豐靈と改むべしと云り、
○國人云、雷御前ト云地アリ、ソコニヤト云り、

式内社 生雷神社について 祭神 所在は詳らかではない と記しています

所在については゛見付人家近キ南方ニ電神ノ小社アリ゛〈現 飛地境内神社 雷三神社〉との説
 同所 天神社中ニ雷塚ト云アリ゛〈現 雷塚跡地(見付天神矢奈比売神社の境内)〉との説などあるが どれであるかは わからない と記しています

【抜粋意訳】

生雷神社

生雷は伊久伊加都知と訓べし

○祭神明か也

○在所詳ならず

 式社考云、此三社、見付人家近キ南方ニ電神ノ小社アリ、又 同所 天神社中ニ雷塚ト云アリ、昔ヨリ社趾トオシキ塚也、然レドモ豊雷生雷イヅレ共 其別ヲシラズ、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 豐雷命神社について 所在は゛海戸村゛〈現 飛地境内神社 雷三神社〉〈1875年(明治8年)海戸村・下方村・公文村・毛森村が合併して中村となる〉

【抜粋意訳】

豐雷命(トヨイカヅチノミコトノ)神社

城飼郡 海戸村にあり

式内社 豐雷賣命神社について 祭神 所在は゛今 豐雷命神社 同殿にます、゛〈現 飛地境内神社 雷三神社〉と記しています

【抜粋意訳】

豐雷賣(トヨイカヅチヒメノミコトノ)神社

 豐雷命神社 同殿にます、〔遠川一統志、巡拝舊祠記、

式内社 生雷神社について 社号のみが記されています

【抜粋意訳】

生雷命(イクイカヅチノミコトノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第12−14巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815496

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 豐雷賣命神社について 祭神 所在は゛見附宿〔字南小路舊字一海戸〕(磐田郡見附町大字見附宿 雷三神社゛〈現 飛地境内神社 雷三神社〉と記しています

この後の 二社は 元々は別々に鎮座していたが 現在は三社が合祭されている と記しています

【抜粋意訳】

(トヨイカツチノミコトノ)神社

 

祭日 六月十一日
社格 (無社格。明細帳に 雷賣 生雷命の三神を合祭 一社として稱 雷三神社と

所在 見附宿〔字南小路舊字一海戸〕(磐田郡見附町大字見附宿 雷三神社

 今按 此神社と次の二社は もと各社に祭られしを後世 一社に合祭すと云り

式内社 豐雷賣命神社について 所在は゛見附宿(磐田郡見附町大字見附宿 雷三神社゛〈現 飛地境内神社 雷三神社〉と記しています

【抜粋意訳】

雷賣(トヨイカツチヒメノミコトノ)神社

祭神 雷賣

祭日 六月十一日
社格

所在 見附宿(磐田郡見附町大字見附宿 雷三神社

式内社 生雷神社について 所在は゛見附宿(磐田郡見附町大字見附宿 雷三神社゛〈現 飛地境内神社 雷三神社〉と記しています

【抜粋意訳】

生雷(イクイカツチノ)神社

祭神 生雷命

祭日 六月十一日

社格

所在 見附宿(磐田郡見附町大字見附宿 雷三神社

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

雷三神社(磐田市見付)〈淡海国玉神社の境外末社〉 (hai)」(90度のお辞儀)

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遠江国 式内社 62座(大2座・小60座)について に戻る

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對馬嶋(つしまのしま)の式内社とは 平安時代中期〈927年12月〉に朝廷により編纂された『延喜式神名帳』に所載されている 対馬〈対島〉の29座(大6座・小23座)の神社のことです 九州の式内社では最多の所載数になります 對馬嶋29座の式内社の論社として 現在 67神社が候補として挙げられています

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