六社〈・諏訪社・衢社・稲荷社・竈神・印社・由木社〉(京都市左京区下鴨泉川町)

六社(むつのやしろ)は 元々は 河合神社の境内に別々に祀られていた 六つの社〈・諏訪社・衢社・稲荷社・竈神・印社由木社〉が 江戸時代の式年遷宮の時 一棟に祀られて 六社の名称となり現在に至ります この内 諏訪社(すはしゃ)は 延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社です

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目次

1.ご紹介(Introduction)

 この神社の正式名称や呼ばれ方 現在の住所と地図 祀られている神様や神社の歴史について ご紹介します

【神社名(Shrine name

六社(Mutsu no yashiro

〈・諏訪社・衢社・稲荷社・竈神・印社由木社〉

通称名(Common name)

【鎮座地 (Location) 

京都府京都市左京区下鴨泉川町59〈下鴨神社境内 河合神社 境内社

  (Google Map)

【御祭神 (God's name to pray)】

六社〈・諏訪社・衢社・稲荷社・竈神・印社由木社〉
〈本殿の側(北側)から順に〉

諏訪社
《主》建御方神(たけみなかたのかみ)

衢社
《主》八衢毘古神(やちまたひこのかみ)・八衢比賣神(やちまたひめのかみ)

稲荷社
《主》宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

竈神
《主》奥津日子神(おくつひこのかみ)・奥津比賣神(おくつひめのかみ)

印社
《主》霊璽(れいじ)

由木社
《主》少彦名神(すくなひこなのかみ)

【御神徳 (God's great power)】(ご利益)

衣食住の守護神

【格  (Rules of dignity) 

〈六社の内 諏訪社が式内論社

・『延喜式神名帳engishiki jimmeicho 927 AD.所載社

【創  (Beginning of history)】

元々は 河合神社の御垣内にそれぞれ別々にまつられていた

【由  (History)】

重要文化財申請社殿

六社(むつのやしろ)

[北方より]

諏訪社(すはしゃ)
 御祭神 建御方神(たけみなかたのかみ)

衢社(みちしゃ)
 御祭神 八衢毘古神(やちまたひこのかみ)・八衢比賣神(やちまたひめのかみ)

稲荷社(いなりしゃ)
 御祭神 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)

竈神(かまどのかみ)
 御祭神 奥津日子神(おくつひこのかみ)・奥津比賣神(おくつひめのかみ)

印社(いんしゃ)
 御祭神 霊璽(れいじ)

由木社(ゆうきしゃ)
 御祭神 少彦名神(すくなひこなのかみ)

 第八回、建仁元年(一二〇一)十二月十日式年遷宮のために描かれたとみられる「鴨社古」によると、河合神社の御垣内にそれぞれ別々にまつられていた。江戸時代の式年遷宮のとき各社が一棟となった。
いずれも、衣食住の守護神である。

現地立札より

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神社の境内 (Precincts of the shrine)】

六社〈・諏訪社・衢社・稲荷社・竈神・印社由木社〉(京都市左京区下鴨泉川町)は 河合神社の境内社です

河合神社の記事を参照してください

・河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座〉

神社の境外 (Outside the shrine grounds)】

河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)は 下鴨神社 境内 糺森(たたすのもり)の中に鎮座します

下鴨神社の記事を参照してください

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)

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この神社の予備知識(Preliminary knowledge of this shrine)

この神社は 大和朝廷による編纂書〈六国史・延喜式など〉に記載があり 由緒(格式ある歴史)を持っています

延喜式Engishiki)律令の施行細則 全50巻』〈平安時代中期 朝廷編纂
その中でも910を『延喜式神名帳Engishiki Jimmeicho)といい 当時927年12月編纂「官社」に指定された全国の神社式内社の一覧となっています

「官社(式内社)」名称「2861
・「鎮座する天神地祇」数「3132座」

〈六社の内 諏訪社(すはしゃ)が式内論社

[旧 行政区分](Old administrative district)
(神様の鎮座数)畿内 658座…大(預月次新嘗)231(うち預相嘗71)・小427

[旧 国 名 ](old county name)
(神様の鎮座数)山城國 122座(大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣))

[旧 郡 名 ](old region name)
(神様の鎮座数)愛宕郡 21座(大8座・小13座)

[名神大 大 小] 式内

[旧 神社 名称 ] 須波神社
[ふ り が な ]すはの かみのやしろ
[Old Shrine name]Suha no kaminoyashiro

【原文参照】

国立公文書館デジタルアーカイブス  延喜式 刊本(跋刊)[旧蔵者]紅葉山文庫https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?LANG=default&BID=F1000000000000004146&ID=M2014101719562090086&TYPE=&NO=画像利用

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【オタッキーポイント】This is the point that Otaku conveys.

あなたが この神社に興味が湧くような予備知識をオタク視点でご紹介します

延喜式内社 山城國 愛岩郡 須波神社(すはの かみのやしろ)の論社について

・須波神社(京都市北区上賀茂本山)
〈上賀茂神社の境内に鎮座〉

・六社〈由木社・印社・竈神・稲荷社・衢社・諏訪社〉の諏訪社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座する 河合神社の境内社 六社〉

・諏訪社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座する 三井神社の境内社 諏訪社〉

・静原神社(京都市左京区静市静原町)

・河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座〉

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【神社にお詣り】(Here's a look at the shrine visit from now on)

この神社にご参拝した時の様子をご紹介します

河合神社は 下鴨神社の境内゛糺す森゛に鎮座しています
下鴨神社の参拝に先立って 河合神社をお参りするとも云われます

下鴨神社の記事を参照してください

・賀茂御祖神社〈下鴨神社〉(京都市左京区下鴨泉川町)

河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)は 賀茂御祖神社〈下鴨神社〉から 楼門 二の鳥居 表参道を約500m程下った所辺り 下鴨神社 境内 糺森(たたすのもり)の中に鎮座します

河合神社の記事を参照してください

・河合神社(京都市左京区下鴨泉川町)
〈下鴨神社の境内に鎮座〉

この河合神社の本殿の手前にある 舞殿・拝殿に向かって左側〈境内西側〉に境内社 六社が鎮座します

六社〈由木社・印社・竈神・稲荷社・衢社・諏訪社〉(京都市左京区下鴨泉川町)に参着

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六社が一棟の社に並んで祀られています 社殿にすすみます

北側の諏訪社から順に

賽銭をおさめ お祈りをします
ご神威に添い給うよう願いながら礼 鎮まる御祭神に届かんと かん高い柏手を打ち 両手を合わせ祈ります

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最後は 一番南の由木社《主》少彦名神(すくなひこなのかみ)

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神社の伝承】(I will explain the lore of this shrine.)

この神社にかかわる故事や記載されている文献などをご紹介します

『神社覈録(Jinja Kakuroku)〈明治3年(1870年)〉』に記される伝承

式内社 須波神社について 所在は゛今別雷社楼門外に在す、諏訪社是歟゛〈現 須波神社〈上賀茂神社の摂社〉〉と記しています

その他の説として゛静原村平松山、稱ニ静原大明神゛〈現 静原神社(京都市左京区静市静原町)〉紹介していますが この説の根拠を知らないとしています

【抜粋意訳】

須波神社

須波は假字也

○祭神 健御名方命比保古○考証に、阿須波神と云り、今從は

○今別雷社楼門外に在す、考証」名跡志諏訪社是歟
○別雷社末社也

山城志云、在静原村平松山、稱ニ静原大明神、云々、其を志らず、

【原文参照】

鈴鹿連胤 撰 ほか『神社覈録』上編 ,皇典研究所,1902. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/991014

『神祇志料(Jingishiryo)』〈明治9年(1876)出版〉に記される内容

式内社 須波神社について 社号のみが記されています

【抜粋意訳】

須波(スハノ)神社

【原文参照】

栗田寛 著『神祇志料』第1巻,温故堂,明9-20. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/815490

『特選神名牒(Tokusen Shimmyo cho)〈明治9年(1876)完成〉』に記される伝承

式内社 須波神社について 所在には諸説がある
゛別雷神楼門外に在す諏訪社゛〈現 須波神社〈上賀茂神社の摂社〉
゛御祖社 攝社河合社゛〈現 河合神社(下鴨神社の境内に鎮座)〉
゛三井の末社に各諏訪社゛〈現 下鴨神社の境内 三井神社の境内社 諏訪社〉
゛静原明神゛〈現 静原神社(京都市左京区静市静原町)

しかし 何れも確証がないが 諏訪社と云うものがあるので 廃絶したとは言い難いので 尚考証をしてもらいたいと記しています

【抜粋意訳】

須波(スハノ)神社

祭神
祭日
社格

所在

今按 京都府式内考證に 當社考證  名跡志等に別雷神楼門外に在す諏訪社也と云ひ 今別雷神の説も又 稱すれども 頗る小祠にして 證するに足るものなし 御祖社 攝社河合社 及 三井の末社に各諏訪社あれども 亦徴すべからず 志云 静原明神なるもの是尤舊社にして 平庸の村社に非ず 今只據を知らざるを確信すべからずと云れど 諏訪社と稱するものあれば 廃社とは云難し 猶よく考べし

【原文参照】

教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,大正14. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/971155

六社〈由木社・印社・竈神・稲荷社・衢社・諏訪社〉(京都市左京区下鴨泉川町) (hai)」(90度のお辞儀)

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山城国 122座(大53座(並月次新嘗 就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)

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